雨宿り
「…雨…?」 見上げた空から冷たい滴が落ちてくる。青年は目の前にある大木へ 走り寄り、露を払うと小さくため息をついた。眉を寄せながら辺りを 伺っていると隣に人が居る事に気付く。 「…あ…。…すみません…。」 「…いえ、…こちらこそ…。」 互いの視線が合うと慌てて、頭を下げる。そしてくすりと笑みを零すと 空を見上げた。雨はますます酷くなり大粒の滴が降ってきている。 「当分止みそうにありませんね。」 「ええ…。」 言葉を噤むと耳に届く音は雨音だけだ。止みそうもない空を 視界の端に捉えながら、隣人を見る。すると隣人もまたこちらへと 視線を向けていた。そしてまた、互いに笑みを零す。 ふと青年が首を傾げると、口を開いた。 「…失礼ですが、何処かでお会いした事が?」 「…いえ、心当たりはございませんが…。でも…。」 「でも?」 「私もお会いした事があるような気が致します。」 互いの曖昧な記憶に首を傾げると青年が表情を正した。 「宮中…でお会いした事がある気が致しますが…。」 「…そうですね…。宮中にお勤めしておりますから。」 彼女の言葉に得心が行ったように頷く。 「そうでしたか…。ではやはりお会いした事があるかもしれません。 私も武官として勤めております故、貴女とお会いしていても不思議は ありませんから。」 互いに納得がいったのか、頷きながら目を細めた。 そして何気なく空を見ると大粒であった雨粒が小さな粒へと変化していく。 黒々としていた厚めの雲も遠くへと流れている。体に受ける風も湿度の 高い風から心地よい爽やかな風へと変わっていた。雨が止み、雲間から 太陽が覗く。 「止みましたね。」 「ええ。」 すっかり青空となった空を見上げながら、二人は未だ大木の下に立っていた。 「…行きますか?」 「そうですね…。」 そう言葉にしたものの、互いにその場から離れようとしない。空を見上げたまま、 隣人を盗み見ると、隣人もまた同じように見ている。 目が合うと何方ともなく笑いあう。そして一歩踏みだすと頷いた。 「戻りましょうか。」 「はい。」 一言、二言と会話を交わしながら自分たちが勤める宮中へと戻っていく。 そして丞相府の前で青年が呼び止められた。 「わかりました、すぐに参ります。」 呼び止められた兵にそう返事をすると彼女を振り返り、笑ってみせた。 「話し相手になって下さりありがとうございました。」 「こちらこそ、ありがとうございます。」 そしてまた、雨が止んだ時のように互いにその場から動かないまま沈黙が 流れる。沈黙を破るべく青年は頷くと頬を紅潮させたまま、口を開いた。 「あ、あの!」 「…はい。」 青年と同様彼女もまた頬をうっすらと紅く染めていた。 「また…お話出来る機会を…作っていただけますか?」 青年の申し出に驚いたような表情を見せたが、すぐに頷き返した。その言葉なき 返事に青年が嬉しそうに微笑む。 「良かった…。…あ、私としたことが…まだ名乗ってもいませんでしたね。 姜伯約と申します。お名前をお伺いしても?」 「…と申します、姜将軍。」 姜維の名乗りで蜀漢を支える人物と悟ったのか、が拱手を施した。慌てて 手を振るとやんわりと微笑みながら首を左右に振る。 「 殿、どうぞ普通にお呼び下され。」 「…ですが…。」 「気になさらないで下さい。私が良いと言っているのですから…。」 柔らかな微笑みに彼女もまた微笑み返すと小さく頭を下げた。 「…では、姜維様と…お呼びしても宜しかったでしょうか?」 「はい!」 頬を染めたまま嬉しそうに笑顔を見せる姜維に もまた頬を薄紅色に染め、 目を伏せた。 「また、明日にでもお会いできれば嬉しいのですが…。 殿はどちらに いらっしゃる事が多いのですか?」 「…尚香様にお仕えしておりますので…奥になります。…姜維様さえ宜しければ こちらに私が…。」 「いえ! 殿に足を運んでいただく訳には参りません。それに私も丞相府に 必ずしも居る訳ではありませんし…。では…中庭、…中庭は如何ですか?」 「承知致しました。」 頷く に姜維もまた頷き返すと思案顔で空を仰ぐ。 「次の休みがあえば良いのですが…。私は3日後に休みを頂けるのですが、 殿はどうでしょう?」 「…偶然でしょうか…私も3日後にお休みを頂ける予定です。」 「そうですか。素敵な偶然ですね。では、3日後、お昼に中庭の桃の大木の下で お待ちしています。」 「…はい。…楽しみにしております。」 花が綻ぶような の笑顔にますます姜維が頬を染めると名残惜しそうに笑みを 浮かべた。 「では、 殿。また3日後に。」 「…はい、姜維様。」 雨がもたらした出会いに感謝しながら、笑顔で互いに背を向けた…。 <あとがき> せっかく梅雨の時期なのだからと雨をテーマにお話を書いてみました。 大人しい二人を合わせたらどうなるだろうと思っていたら、意外と 二人とも簡単にくっつきました(苦笑)しかも姜維なんてすぐにデートの 約束とりつけてますし。ただし、その後の展開はこの二人じゃ遅そうですね。 |