静寂と雨音






自室の卓に書簡を広げようかと卓の上に目を走らせる。竹簡と書簡の山を
綺麗にまとめると満足したように書簡を開いた。姜維にとって今日の様な
休みの日は師から借りた書簡を読むのに適している。しんとした静寂の中
部屋に響く音は朝から降っている雨音だけだ。今の姜維にはその音すら耳に
入っていない。ただ目の前の書簡にある文字を追っている。彼の集中力は
大したもので例え外から大声が聞こえても動じたりはしない。…もっとも
彼にとって必要だと思う声には反応するようだが…。


朝からの振り続ける雨を眺めながら、ふと首を傾げる。朝餉を頂いてから
一度も屋敷の主と顔を合わせていない事に気付いたのだ。
「…どうかしたのかしら…?」
そのまま少し首を傾げていたが、椅子から立ち上がり、彼が居るであろう
部屋へと足を進めた。彼の自室の前に立ち、中の様子を窺う。一つの物音すら
せず、ただ外から微かに聞こえる雨音だけが耳へ届く。思いきって部屋の中に
入ると卓の上で伏している彼が居た。物音を立てぬよう少しずつ近寄る。すると
彼女の耳に微かな寝息が聞こえてきた。規則正しい寝息にほっと安堵し、
もう少し彼の方へと距離を縮める。寝顔を覗き込もうとすると、彼の
双眸が開き、視線が正面からぶつかってしまった。
「あ、…ごめんなさい。」
「…いいえ…どうかしましたか?」
先程まで眠っていた筈の彼はさして眠たくもなさそうに2度瞬きをする。
姿勢を正すといつものように柔らかく微笑んだ。
「寝ているのかと思いました。」
「…そうですね、少しだけ…寝ていましたよ。」
微笑んだまま少しだけ頬を赤く染める。そして互いに外へ視線を向けると
黙ったまま部屋に響く雨音に耳を傾けた。

二人の間に沈黙が流れ、雨音だけがその存在を誇示するように部屋の中に響いた。
「静かすぎるくらいに静かですね。」
「…殿は静かな所がお嫌いですか?」
小さなため息と共に漏れた言葉に姜維が首を傾げた。彼の質問には一瞬
考えたもののすぐに笑ってみせる。曖昧なその微笑みは肯定の意として
捉えてもいいに違いない。
「…雨音は優しすぎる…そう思うのです。」
殿?」
遠くを見つめるの視線を追おうと探ってみるが、何処を見つめているのか
掴みきれない。
「音の無い場所では考えたくない事を考えてしまう。…でも雨音はそんな私を
慰めようとしてくれる。『考えすぎないで』と…そう言われている
気がして…。」
の言葉に目を伏せた姜維だったが、すぐに上を向くと微笑む。
殿、歌を…歌っていただけませんか?」
「え…?」
「滅多に無いせっかくの休み。私の我が侭を聞いて貰えますか?」
姜維が何故そんな事言い出したのか首を傾げただったが、自分が世話に
なっている人物に頼まれた事だ。自分で出来る事なら何でもしたかった。
彼の申し出に頷くと姿勢を正す。大きく息を吸い込むと透明感のある声が
部屋の中に満たされた。悲しみの色を帯びた歌声に耳を傾けながら、
姜維はそっと見つめる。


──どうしたら、貴女の不安を取り除いてあげられますか?


歌い終わったに拍手を送る。
「…流石ですね。」
姜維の言葉にはやんわりと笑うだけだった。外から聞こえる雨音が
徐々に小さなものになっていく。椅子から立ち上がると寂しげに姜維が
笑う。その表情は切なくもあった。
殿、どうか忘れないで下され。」
「?」
「私が居る事を。」
の隣を通り抜けると部屋を出ていこうとする。そして入口付近で
立ち止まると背を向けたまま言葉を紡いだ。
「私はいつでも貴女の力になりたいと思っています。それを…
忘れないで下さい。どうか…貴女一人で思い詰めないで…。」
彼の言葉に何も返せず、ただ背中を見送る事しか彼女には出来なかった。
瞳から頬に伝う暖かいものを拭うと頭を下げる。
「心の支え…なの…だから、貴方を見るだけで、貴方と話せるだけで
私は満たされる。」
自分の胸を押さえると小さく微笑んだ。


──貴方の微笑みだけが私の心の拠所だから…。



<あとがき>
無双でも頑張れば短いお話が書けましたー。…って実はこのヒロインでの
お話は非常に長いので短編仕様でシリーズものにしようと思っている
のですが(苦笑)
切ない姜維、好きなんです(笑)可愛い姜維もいいけど、妙に似合い
ませんか、切ないのって。