知られてはいけない
そんな事はあり得ない。 絶対あってはならないのだ。 気の迷いに決まっている。あの人と自分の立場を考えろ。 そうだ、絶対そんな事はない! 何度も同じ言葉を頭の中で繰り返しては、一人頷く。通信室には谷口以外誰一人 おらず、彼は一人で唸りながら自己暗示をかけていた。パソコンのファンが回る 音だけが響き、キーボードには触れてもいない。腕を組んだままモニタを睨む わけでもなく、彼は瞳を閉じたまま、内なるものと戦っていた。 そもそも、何故こんな事になったんだ…。 このように谷口が悩み出したのは先日、隊長である石田咲良から弁当を貰ってから である。否、正確には弁当らしきものを押しつけられたあの日からだ。 気まぐれかどうかわからないが、不器用ながらも一生懸命作ったそれはまともな 弁当とは呼べない代物ではあったが、普段の彼女と違った可愛らしさを感じた。 もちろん全部食べきったお陰で即効性の下剤を飲んだかのような症状に襲われたが、 そんな事はどうでもいい。 あの日見た意味不明の涙と赤面した彼女を可愛いと思ってしまった。 確かに石田は少々性格がきつく、日常生活における一般的な能力には欠けるが、 戦闘に関してはエリートと言われるだけの実力を有していた。黙ってさえいれば、 美少女とは言わなくとも一般的に見て、可愛い方である。そんな彼女をたかが、 一瞬可愛いと思ったからと何故悩むのかと第三者なら思うだろう。 実は一瞬ではないのである。 あの日以来、見る目が変わってしまったのか、彼女が何かをする度に可愛いと思えて しまうのだ。更に恐ろしいことに自分の中の変化を自覚するよりも早く他人に 指摘されたのである。 「最近隊長と何かあったのかい?」 「…突然背後から話しかけるな。驚くだろう」 突如聞こえてきた同じ小隊員の岩崎の声に振り向きながら、そう答える。 「あはは、そうか。キミなら気づくかと思ったけど」 「お前は妙に気配がないからな。気づきにくい」 「僕は至って普通のつもりなんだけどね」 いつも笑みを絶やさないイメージの岩崎は本当に悪気なさそうに笑った。 「普通の奴は食客になったりはせん」 「そうだね、確かにそうかもしれない」 笑いながら自分の言葉を否定しない岩崎に小さくため息をつく。この小隊、 どうも個性的な人間が集まりすぎている気がする。この個性的な小隊員を まとめ上げるのはひと苦労どころではすまない。 「それで?僕はまだ答えを貰ってないよ」 「…特に何もない」 一瞬言葉に詰まりながらもそう返す。谷口は正直あるが故にその表情にははっきりと 出ており、岩崎はそれを見逃すほど鈍感な人間でもなかった。 「うんうん、つまり何かあったんだね?」 その言葉に思わず動揺してしまい、自己嫌悪に陥る。岩崎はわかりやすいなと 思いつつも谷口のそういう態度は好ましいと思った。自分自身が谷口の馬鹿 正直さとは逆の存在であることを自覚しているからこそ、竹内や谷口の素直な… いや馬鹿正直さには一種の憧れのようなものがある。 「べ、別にやましいことはない」 「そんな風に思ってないよ」 「だ、だが…」 谷口の言葉に少しだけ笑いながら、最近の行動を思い返してみる。隊長に対する 不自然な谷口の態度。たまに彼女の方を見ていたかと思えば急に頭を振ったり、 紅くなったりする。それはとどのつまり…。 「ああ、そうか。うんうん、つまり恋をしているんだね?」 「な…!?」 「別にいいんじゃないかな、恋の1つや2つくらい」 「な、な…!!」 言葉を失い、声の出ない谷口は余所に岩崎はどこか楽しそうだ。 「僕たちの年齢を考えれば変な事ではないよ。寧ろ自然だと思うけどね」 そう言って笑う岩崎はと言えば、もっぱら他人のために恋文を書く事はあっても 自身のために恋文を書く気はないらしい。 「…な、何を言っているんだ!そんな事あるわけないだろうっ!!」 力いっぱいの否定のしように岩崎は微笑んで頷き返すだけだ。 「うんうん、認めたくないのはわかるよ。振って湧いたような感情に戸惑って いるのだから」 「違う、断じて違うっ!俺はあの人の部下だ!」 「そうだね。君も僕も紛れもなく部下だ。だけど、それと恋という感情は 関係ないと思うよ。部下だから、上官だから恋しないなんて事はないのだから。 相手が誰であろうと自分が何であろうと好きになってしまう感情が恋というもの なんじゃないかな?」 「例えそうだとしても…」 「あ、外で隊長が」 谷口の言葉を聞き流しながら窓の外を見ながら青い髪の少女を指差す。途端に窓に 近寄りその姿を確認すると慌てて通信室を後にして駆け出す谷口に残された岩崎は 笑って肩をすくめた。 階段を2段飛ばしで駆け降り、校門へと全速で走る。全速で走れば解けた雪で転んで しまう危険性があるにも関わらず谷口は走っていた。窓の外にいた上官はコートは 着ていたものの見事に転んでいたのである。すぐにでも保健室に行き、 手当てをしなくてはいけないと思いながら、胃の辺りを押さえた。キリキリと 痛む胃と何故か早鐘をうつ心臓に自分は悪い病気にかかっているのだとため息を つきながら現場へと急行する。上官の元へ到着すると問答無用で抱き上げ 保健室へと進路を変えた。 「た、谷口!何事なの!?こら、聞いてる?」 「聞いています!とにかくまずは保健室へ!」 「聞いていない!まず私の質問に答えるべきでしょう!」 「申し訳ありません、その答えは保健室で!」 「谷口!ちょ、ちょっと、アンタ早過ぎるわよ!転んだらどうするの!」 走っているからだ。寒い中、防寒着もなしに走っているから顔が熱く なったりするんだ。 決して、こ、こ…恋なんかじゃない! こんな葛藤、この人に知られてなるものか。 この人に知られたら…自分は…。 自分はどうなるんだ…? <あとがき> 確かにカップリング表記は谷口×石田なのに岩崎の出番が多すぎです。 おまけに谷口は未だに自覚ナシ。相手の咲良ちゃんはどう思っているのか わかりませんしね。でもこういう一人で狼狽えて、胃を痛めている谷口が 好きですよ。一人で悩んでトイレで泣くといい(笑) 「忠義を誓う10題*従者編2」より「知られてはいけない」をお借りしました。 配布元:TV |