心の迷宮





熱い夏の日差しから逃れるように日陰へと座り込むと、ポケットから取り出した
文庫本を開いて、深いため息をついた。

島からの撤退が決まってから、この小隊も忙しくなり個人の時間は滅多に
取れなくなっていた。閑職にまわされ安穏と過ごす筈だった自分は天体観測班の
班長…司令としてやることがたくさんある。ゆえに以前のような誰かと将棋を
楽しんだり、ただ海を眺めるという時間がなくなってしまった。

思い出づくりは結構な話だとは思うが、正直なところ複雑な気分だった。
喜んでたんぽぽの整備をしている小隊員たちにはそんな事は言えない。
近頃は自分の中にあるモヤモヤとする暗闇を持てあまし、イライラが募る
ばかりだ。

限界が近いことを悟ると皆から離れ、一人の時間を作る。そのために後々
自分の仕事が増えるとしても、だ。

そして自由な時間を使って、自分の中のモヤモヤを無理矢理押し込める。
胸の奥に押し込めるという根本的でないその場しのぎの解決策でお茶を
濁している。お茶を濁した後、何事もなかったかのように彼らの元へ行き、
彼らと同じようにたんぽぽの整備作業を行っていた。

そうでなければ、思い出づくりを楽しんでいる他の小隊員たちに
悪いと思ったのだ。あれほど反対だと言っていた永野ですら、率先して
作業を行っている中、一人小隊長であり、天体観測班の班長である自分が
気が乗らないなどとは言えない。せめて、この負の感情を閉じこめてから
皆と接しようと小さな努力をしている。

男先生の提案は決して悪い物ではない。そもそもこの小隊の本来の姿は
天体観測班である。戦闘の技術に長けた歴戦の猛者達ではない。島の中に
いるごく普通の少年少女たちの集まりだ。そんな彼らにとってこの島での
最後の大仕事が黒い月の観測というのは、幻獣を無数に殺戮するより
ずっといい。



頭では分かっている筈なのに、ついていけない。
我ながらマインドコントロールが下手だな、と再び深いため息をつく。

ふと気づくと視界の端で風にたなびくリボンがある。
振り返って、確かめなくとも誰がそこにいるのかわかった。

静かに文庫本を閉じるとひらひらと舞い踊るリボンを視界に入れたまま
まっすぐ前を見た。そこには小さなシマシマが2匹。その小さな手には
何故かリボンが握りしめられている。
「…落とし物を拾ってくれたのかい?」
そっと手を差し出すと片方のシマシマが近づいてきた。リボンを指に
引っかけると慌てるようにしてもう一匹のシマシマと何処かへと走って
逃げてしまう。軽くリボンを握りしめ深呼吸をすると、未だに木の陰に
隠れている彼女へと声をかけた。

「…古関、報告に来たのなら声をかけて貰わないと困るよ」
木の陰からヒラヒラと舞っているリボンが大きく揺れた。そして一呼吸
置いた後、頬を赤らめた古関が申し訳なさそうに木の陰から出て来る。
「あ、あの…」
「作業準備が終わったのかい?」
「は、はい!」
いつもの彼女ならきっとてきぱきと仕事をこなせただろう。自分以外の
誰かといる彼女なら、非常に優秀な部下だと言える。だが、一度自分が
絡むと彼女はどうも萎縮してしまって元々の実力が発揮できない。それが
何なのか、わかるようでわからない。

いや、気づいていても気づきたくない…というのが本音かもしれない。
きっと気づいてしまえば、自分の気持ちが整理出来なくなるからだ。
彼女には複雑な想いを抱いているから…相反する気持ちをどうすれば
いいのかわからなくなる。

「そう、じゃあ先に始めていてくれ。僕もすぐにハンガーに向かう」
「はい!」

部下と上官としてなら…『公』であれば僕は僕を保てる。

少しだけ名残惜しそうな表情を見せた彼女から目を逸らすと小さく
ため息をつく。そしてそのため息に気づいた彼女は微笑もうと努力して
失敗したらしく下を向くとすぐに身を翻した。
自分の態度に自分自身で失敗したと思いながら、拳を作る。力を
入れたその手にリボンが握りしめられていることを思い出すと
咄嗟に彼女の名前を呼んだ。

「古関!」
「はい?」

咄嗟とはいえ、何故そんな風に呼んだのだろうと自分で自分に首を
傾げた。だが、振り返った彼女は不思議そうにこちらを見ており
このまま黙っているのはどう考えてもおかしい。観念したように
大きく息を吐き出すとリボンを彼女へと差し出した。

「君のものだろう?」
「あ…」

リボンを見て彼女の表情が変わる。自分と居る時には緊張の所為で
滅多に見ない笑顔に少しだけ自分も表情を緩めた。

「まだ持っていたんだね」
「…大切に持ってますよ。だから、今日学校に着いてなくしたのに
気づいた時はとてもショックでした」
「そうか…。少しだけ懐かしい気分になれたよ。僕は君に、大塚は加奈子に
そのリボンを揃いで買ったっけ」

頭の中に浮かんだのは当時の映像。まだみんな小さな子供だった頃だ。

「…あれから、結構な時間が経ったんだね」
「…ええ」

その頃の自分たちはまだ幼くてお互いを『里美ちゃん』『弘くん』と
名前で呼んでいた。何処へ行くにも4人一緒で、夏祭りでは親とはぐれて
4人が同時に迷子になったりもした。

ふと、そこまで思い出すと憮然とした表情で思考を打ち切る。
『私』の自分は駄目だ、きっと彼女を傷つけることもそのうち言って
しまうだろう。『公』の自分でなければ、天体観測班の班長である自分で
なければ、冷静ではいられない。

「時間を取らせたね…先に行って、皆と作業を始めていてくれ」
「あ…はい」

先程まで笑顔であった彼女の表情が急激に曇る。曇らせたのは
自分なのに何故か心がちくりと痛んだ。走っていく後ろ姿を
見送りながら、今日何度目かの深いため息をつき、空を見上げる。

自分の心にある暗闇はいつか晴れることがあるのだろうか、そう思いながら
ゆっくりとハンガーへと歩き出す…。


<あとがき>
まだ石塚イベントも里美・大塚のイベントも進めていないのに(書いている
現時点での話です)勝手に過去ねつ造して書いてしまいました。
お試しのラブコメプレイがかなり尾を引いているようで、勢いだけで
お話を書いてしまう始末。しかもこの時の里美視点バージョンと
この後の話のネタまで既にメモしている状態です。
…でもこのお話、全然『×』じゃないんですけどね(苦笑)