初めはまったく眼中になかった。
だって彼はパイロットで私は整備士。それだけの関係だったから。
それに私の担当する機体に乗るパイロットじゃない。
…だから余計に私とは接点がなかった。
私の中での彼の印象は元気な笑顔…ただ元気な人なんだって思った。
私は教室で講義を受けていて、ふと何気なく窓を覗いたら人一倍元気な彼の姿が
飛び込んできた。
他の人たちとはトーンが違うのか…彼の笑い声だけが私の耳に届いたから…
…何だか気になった。
いつからだろう?
もう思い出せない。でも…いつの間にかよく彼が視界に入ってくるようになった。
そして一言二言、言葉を交わすようにもなった。
私の周りは何も変わっていないのに。
私だって変わっていないのに。
…何で彼が気になったんだろう?
…何で彼なんだろう?
「どうしたの、手がお留守よ?森さん。」
聞きなれた声…先輩の声だ。
「…すみません。」
「嫌ね、そんな深刻に言ったつもりは無かったんだけど…。考え事かしら?」
自分の事は何でもお見通しなんだろうか?先輩には隠し事が出来ない。
「…ええ。」
「…森さんもお年頃だものね。」
先輩のその言葉には明かに冷やかしの意が込められている。しまった…そう思ったときには
もう遅くて…先輩はこんな楽しそうな話題を逃すような人じゃないから。
それはもう嬉しそうに笑ってる。先輩曰く私の反応が面白いからつい、ね…らしいけど
私にしてみれば、迷惑な話だと思う。
「あら、図星ってところかしら…うふふ。」
「先輩!」
「もう、そんな顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しよ?」
ころころと鈴の音のように笑う先輩を見ていると女らしいなと漠然と考えてしまう。
私なんかと正反対…。
「…可愛くなんてないです、そんな冗談…。」
「何言ってるの?森さん本気?」
「はい?」
先程まで軽やかに笑っていた先輩が突然その表情を真剣なものへと変化させた。
「あのね、女の子って言うのは誰でも可愛いの。いい?可愛くない子なんて居ないのよ。」
「…」
「自分を卑下しちゃ駄目よ。本当に可愛くなくなってしまうわよ?自信を持ちなさい。
私は可愛いって思うところから始めるの。」
「はぁ」
「もう、気の無い返事ね。」
「すみません。」
「で、誰なの?速水クン?」
さっきまでの真剣な先輩はどこへやら。真剣だった表情から好奇心一杯の表情に変わっている。
こういう所先輩って子供っぽいなって時々思うけど…本人には言わない。
「違います。」
「あら、じゃあ瀬戸口クン?それとも…」
こうなったら先輩は絶対彼の名前が出てくるまで小隊全員の男子の名前をあげるだろう。
まさか彼のこと先輩に言おうものなら何と言ってからかわれるかわからない。
工具セットを片づけ立ち上がるとまだ考え途中の先輩にこう言った。
「そんなのじゃないですから、先輩。ご期待に添えなくて申し訳ないですけど。」
別に彼が好きだなんて思ってない。
ただちょっとだけ気になるだけだと思う。
第一彼のことなんで全然知らないし、お世辞にだって仲が良いとはいえない。
同じ小隊員ってだけで。
彼と私の接点なんて一ミリくらいしかない。
…だからこれが先輩の言う『恋』なんて思わない。
自分自身に言い聞かせるようにして夜道を歩く。ふと後ろに気配を感じ振り返った。
「あ、森?」
「滝川くん。」
そこに居たのは張本人。私がこんな風に変になったのは滝川くんの所為だと思う。
所為って言っても本人に罪はなくて、…多分私が勝手に変になっているだけなんだろうけど。
でも責任の一端は彼にあるはず。だって私に話しかけてきたから。
親しくもない私に話しかける彼のその気軽さが…私を変にしてる。
「今、帰りか?仕事?」
「そうです。」
「ふ〜ん。」
「何ですか?」
「いや?お前って真面目だなーって思っただけ。」
「別にそんなことないです。」
「そう?ま、いいや、森がそう言うならそうなんだろ。」
特に意味のない会話。私は人と会話するのが苦手。だって何話したらいいかわからないから。
でも彼は特に意味のないことでもすぐ言葉にするから別に私が答えを返せなくっても
例え変な返事でも気にするわけじゃない。取りあえず沈黙がないから安心はするけど。
でも今の私は明らかに意識してた。
先輩がさっき変なことを言ったからだ、絶対。
…どうしてくれるんですか、先輩。
ああ、もう、何で周りはこんなに静かなんだろう。誰も通りかからないし、暗いし。
こんな夜、住宅街を人が頻繁に歩いている訳ないか。…え…夜?夜道に二人だけ?
そ、そんな、…私、どうしたらいいんだろう…。
「森?何?何かあった?」
気付くとすぐ近くの距離で私の顔を覗き込んでいる。薄紫の瞳に私の脅えた顔が映った。
「な、何でもないですっ!」
近すぎる距離を何とかしようとじりじり車道の方へ後ずさる。私たち二人を急に明るい光が
照らした。その光を見た瞬間恐怖に目を閉じてしまう。
「あ、危ないっ!」
大きな光に呑まれそうになる瞬間、強い力に引き寄せられ暖かい感触が私を包んだ。
一際高いブレーキ音の後運転席に座っていた人の罵声が聞こえてくる。ほっと安堵の息を
漏らすと耳元にうめき声が聞こえた。
「…ってぇ…。」
「…だ、大丈夫ですかっ!?」
顔を上げるとさっきよりも近い距離に滝川くんが居る。…私、今どんな体制?た、滝川くんに
抱きついてる?!や、やだ、心臓がどきどきいってる。どうしよう…。そ、そうじゃなくて、
滝川くん痛いって言ってるし、何処か怪我してないか聞かなきゃ。
「森、…大丈夫?」
「わ、私は平気です。それより滝川くんこそ…。」
ブロック塀と自分の頭の間に手を挟んだまま顔をしかめてる。あ、私を引き寄せたときに
頭を打ったんだ、きっと。
「…ん、多分平気。俺、石頭だから。」
いつものように笑う滝川くんに安堵の息をつく。でも…滝川くんそろそろ私の手、
離してくれないかな。私、まだ抱きついたままなんだけど…。どうしよう…心臓の音
聞こえてるかも知れない。
「あ、悪ぃ。ずっとこのまんまじゃイヤだよな。」
滝川くんの手が離れていって私も体制を整える。どうしよう、どうしよう。滝川くんを
まっすぐ見れない。どんな顔をで見たらいいんだろう?
やだ、そんな風に照れないで。私だってこんな風に男の子とだ、抱きあったことなんて
ないんだから。貴方がそんな風に紅くなってしまったら、私だってつられるじゃないですか。
「あ、ありがとう。それじゃ、また明日…ね。」
「え、森?」
後ろから滝川くんの声が聞こえるけど走り出した足を止めることなんて出来ない。
こんなに紅くなった顔見せられないから。持て余す心臓の音だって聞かれてしまう
かもしれないから。
夢中になって走っていると自分の家が見えてくる。鍵をとりだすとドアを開け、
まっすぐ自分の部屋に飛び込んだ。部屋のドアを閉めると力が抜けたようにドアに
背中を預けその場に座り込む。
火照ってしまった頬。
未だどきどきしている心臓。
震える手。
先輩の所為だ。
絶対にそう。先輩があんな事言ったから、私変になったんだ。
ちがう、ちがう。恋なんかじゃない。
だって私たちはそんな悠長なことを言っていられる立場じゃない。
でも、抱きついた時の彼の腕は意外と筋肉があって、男の子なんだとわかってしまった。
自分とは違う彼。
ただ今頭に浮かぶのは彼のことだけ。
でも恋なんかじゃない…自信はないけれど、恋なんかじゃない。
ただ気になるだけ。
あんな事があったから、それがきっかけになっただけ。
だけれど…明日、滝川くんに会ったら私…おかしくなってしまうかもしれない。
どうしよう、考えが止まらない。
先輩、先輩の所為ですよ。こんな私、初めてです。
私、どうしたらいいですか?
明日になったら私は私に戻れますか?
恋じゃないですよね?
あんな近くの距離に男の子といたことなかったから、ちょっと混乱してるだけですよね?
先輩、教えて下さい。
これは…『恋』ですか…?
<あとがき>
滝森は書きだすと一気に仕上がりますね。…でもこれ書き上がったと同時に
滝川視点も書きたくなりました(笑)だって滝川側の心理がどうなっているか
考えたくなったんですもの。…ということで書きます。
何となく気になったって大きなきっかけだと思うんですけどね。
そこからその相手の良いところを見つけていって段々好きになるのかなー
なんて思いました。いいなードキドキって楽しいんですよね(苦笑)