「あの」 「何?」 ──妙に明るい笑顔で答える時の彼女程、怖いものはない。 彼女が怒っている内容は十分に把握しているつもりだ。間違いなく 今月の中頃にあった彼女の誕生日が原因の筈。例えそれが上部からの 命令で出張に出ていたから、という言い訳は彼女には通用しない。 せめて自分が出先から彼女に連絡さえしていれば、出張で遅くなろうとも まだその怒りは半減出来たかもしれない。もしくはあと10分、早く彼女の 元へと辿り着いていれば、もう少し違ったかもしれない。もちろん、 その時には彼女への謝罪の言葉とともにバースディメッセージとプレゼント、 更に花束も添えれば3分の1ぐらいには軽減出来たかもしれない。 だが、現実はどれ一つ実現出来なかった。故に、彼女はあれ以来 ずっと怒ったままだ。完璧な笑顔で整備班長としての責務をこなしつつ、 今日まで愚痴の一つも零さずにいた。今までの経験上、恐らく周囲を 怯えさせながら毎日を過ごしていただろうことも容易に想像出来る。 「…何故今日はこちらを選んだのかと思いまして」 いつもの彼女であれば、部屋に呼ぶのが普通だった。彼女の部屋に 招かれ、食事をご馳走になる流れだと思っていたばかりに自分の家を 選んだことが少々珍しいと思った。自分の家の場合下宿している小隊員に 気を遣うからという理由で避けていた筈で、今回に限って何故それを 考慮に入れなかったのか不思議だったのである。 「そんなに珍しいことかしら?」 そう言いながら手際よく料理を作っていく後ろ姿にやはり違和感を 覚える。どうもおかしい。確かに今日は下宿している小隊員、石津は 出掛けている。小隊員の人間関係に関しては自分と彼女程精通している 者もいない。だから石津が同じ小隊員の滝川と出掛ける事は随分前から 知っていた。だが、それでも帰りの時間などを考慮するとやはり 気を使う事になる自分の家を敢えて選択した彼女の真意は計り知れない。 「ええ、とても」 「気にするほどでもないわ。たまには来てみたかっただけよ」 今、彼女は嘘をついた。 彼女の嘘を見抜く事に関しては勘が働く。理詰めでもなんでもない。 勘が告げるのだ。第六感が彼女の嘘を見抜く。 「そうですか」 「ええ、そう」 何故、嘘をつく必要があるのか。それはきっと何かを仕掛けようとして いるからではないだろうか。そもそも、彼女は怒っているのだ。誕生日に 何の連絡も寄越さなかった自分を。なのに怒りを外に出すことなく内に 溜め込んだ。 何故か。 それは一気に放出するためではないだろうか? 誰に。 間違いなく自分であろう。自分以外はありえない。 何時か。 今日ほどの好機もないだろう。 ここまではわかった。だが、一つわからないのは何故、ここを選んだかだ。 解けない謎はこれだけ。 「そろそろ出来るわ、待ってて」 その声に立ち上がると台所へと足を進めた。 「もう、待っててって言ってるじゃない」 「手伝いますよ」 自分の第六感は彼女を嘘を見抜く事しか出来ない訳じゃない。危険察知も 出来る。これがご機嫌取りだと思われても側に居た方が良い。ご機嫌取りだと 分かってもいいのだ。いや、寧ろ分かって貰った方がいいのかもしれない。 「いつもの貴方らしくないわね」 「おや、そうですか?」 「自覚ないの?」 早めに先制でプレゼント攻勢をかけた方がいいだろうか、と考える。 今の彼女からは内に秘めた怒りを感じる。それを少しでも和らげるのに プレゼント攻勢は最も適した方法だと思う。ならば、兵は拙速を尊ぶ。 妙に手をこまねくよりいい筈だ。 「ええ」 「あら、自覚してるのにしてないって言うのね。変な人」 「構いませんよ、貴女に言われるのなら」 そう言って彼女の手から大皿を奪い、テーブルへと運ぶ。ナイフやフォークが 並ぶテーブルに小さな箱を配置するとメインデッシュの皿を持った彼女を待つ。 「はい、どうぞ」 まずは気付かないフリで料理を並べる彼女。お互いにわかっていながら 気付かないフリ、気付かれていないと安心するフリをした。 何事も形式。彼女との付き合いの中で何をすれば喜ぶかぐらいは学んでいる。 気付くのは彼女が席についてから。 「あら?」 最初のプレゼントは本来は誕生日プレゼントだった指輪だ。この指輪、実は 彼女の誕生日よりも数日前から手元にあった。あの時は出張の予定もなく 当日に渡せるものだと思っていた。そして結局出張騒ぎや当日に逢えなかった 事から結局渡せず仕舞いだったが、ようやく今日日の目をみる事に なったのである。 そしてここで手をゆるめてはいけない。すかさず重ねるようにクリスマス プレゼントを横に添える。こちらは紅茶の葉だ。今は手に入りにくい様々な 種類が詰められたものである。もちろん彼女の好きなダージリンの セカンドラッシュも当然入っていた。あのマスカットフレーバーがいいのだと 豪語する彼女ならば、この茶葉の良さがわかるだろう。 「まぁ、たくさんなのね」 「誕生日のお詫びも兼ねて、こちらも貰って頂けますか?」 最後は花である。定番中の定番のプレゼントだが、彼女には非常に有効な プレゼントの筈だった。道化だと笑われても良い。だが、彼女の機嫌を 直してもらうには単純な事の積み重ねと誠意のこもった謝罪が必要だった。 「先日は本当にすみません」 深々と頭を下げるとプレゼントに囲まれた彼女がくすりと笑う。 「貴方が謝ることはないでしょう?」 これはフェイクだ。本気にしてはいけない。第六感がそう告げた。 「いえ、私があと少し気を付けていれば少なくとも貴女に連絡はとれた筈です」 「いいのよ。私ちっとも気にしてないもの」 顔を上げるとそこにあるのは彼女の笑顔だ。 「ね、だから食事にしましょう。『忠孝さん』」 効果があるかと思われた作戦をことごとく潰された気分だ。目の前にある食事は 当然ながら美味しい。彼女はいつもよりも綺麗である。だが、その胸の奥に 潜んでいる怒りの炎は未だ揺らめいていた。 こうなってしまったらお手上げだ。もはや打つ手はない。 最後の最後に残されたのは降参と言う文字だけ。 「…やはり貴女には敵いません」 「あら、何のことかしら」 いや、考えれば彼女に勝つ手はあるのかもしれない。 だけど、今の自分は彼女の降参するのが一番の上策と思えた。大人しく彼女の 言い分に従おう。元はと言えば、自分が全て悪いのだから。 「降参ですね」 「…変な事言うのね」 そう言いつつも彼女は笑顔で高らかに勝利を宣言していた…。 「それにしても何故、私の家に拘ったのですか?」 解けない謎の答えを求めると簡単な事でしょ、と彼女は笑う。 「だって、私の部屋だと貴方は早い時間に帰ってしまうじゃない」 「…どういう意味ですか」 「だから、石津さんよ。あの子が帰ってくるからって食事して少ししたら 帰ってしまうでしょ?」 「はぁ」 「その点貴方の家なら帰って来るからって理由で貴方が私の前から消える ことはないもの」 「…ですが」 「あ、その点も大丈夫よ。今日は多分帰ってこないか、いつもより遅くなるから」 自信たっぷりに答えた彼女に次の言葉が出てこなかった。何処からそんな答えが 導き出されると言うのだろう。 「女の勘ね。あとは雰囲気次第」 女の勘というよりも、もっと違う何かが働いている…そんな気がした。 「…仕組みましたね」 「あら、バレちゃった?」 ため息がつい零れる。彼女の可愛い所であり、悪い所だ。周りを巻き込んで 今日のこの舞台をセッティングしたのだろう。 「まったく、貴女という人は…」 「でもね、悪いようにはしてないわよ」 悪びれない彼女の態度に怒る気も失せてしまう。大元を辿れば自分に 巡ってくる。そもそも自分がもっと気を配っていれば、彼女がここまで することもなかっただろう。 「…仕方のない人ですね」 「呆れた?」 「そうですね、少しだけ」 「…」 だけど、もっと仕方のないのは自分だ。 そんな彼女に少しだけ呆れても、許してしまう自分がいる。 彼女がここまで仕組んだのは怒っているのもあったかもしれないが、自分と 居たいが故の行動だ。 「まったく…貴女は狡い人だ」 「私が狡い?」 「ええ。とても」 小さくため息をつくと立ち上がって彼女の側へと歩み寄る。片づけ始めようと 立っていた彼女を抱き寄せると耳元へ接吻を落とした。 「自分の方が狡い男のくせに」 くすりと笑いながら、確かにと頷き唇を重ねた…。 |