必ずここに帰ってくる







時計が午前0時を指し示した頃。田辺が工具箱を持ってハンガーに現れた。
九州の情勢は悪く、いつ招集がかかってもおかしくない今、のんびりと
してなどいられない。家庭の事情からアルバイトをしている自分は規定の
仕事時間で一度持ち場を離れてしまう。だからその時間を埋めるように
深夜から再び作業を始めるのだ。

ハンガーに人の気配はなかった。午前0時程度であれば、大抵整備士の一人や
二人は居るのだが、今日は誰も居ない。整備班長である原の姿ですら
見かけないのは恐らく先日の徹夜が原因に違いない。先週の戦闘は激しく、
つい2日前まで整備士は殆どこのハンガーで寝泊まりして復旧に
掛かりきりだったのだ。

体力の限界が訪れていても何の不思議もない。自分もまだ本調子ではないが、
だからと言って自分に与えられた仕事は最低でもこなさなければならないだろう。
まして、その仕事の如何によってパイロットの生死を左右するならば、
尚更のこと。だから、出来るだけの事をしたい。ぼんやりとハンガーを
見回すと階段を上り工具箱を広げると制服の袖をまくり上げた…。

真夜中のハンガーには音がない。いや、正確には余分な音がないのだ。
静まり返ったその中で自分が立てる音とわずかな計器の音がするだけ。
だから、それ以外の音は集中している田辺を現実世界に引き戻す力がある。
かん、かんと階段を登る音が聞こえ、2階に姿を見せたのは滝川だった。

「あ…どうしたんですか?こんな時間に」
多目的結晶が告げる時間は午前1時。制服姿のままである事から、寮に
帰っていないらしい。動かしていた手を止め、向かい合う。
「こんな時間って…それ、俺の台詞」
「え?」
どこか不機嫌なのだろうか。昼間、笑っている彼から想像つかない、少し
落ち着いた声だった。それに表情もいつものような明るさはない。
その所為か、つい口から出たのは謝罪の言葉だった。何処か知らない所で
彼の気に障るようなことをしてしまった…とっさにそんな考えが過る。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、謝らなくてもいいって。別に俺、怒ってる訳じゃないし」

目を合わせる事が出来なくて、自然と視線は足下へと降りてしまう。沈黙に
戸惑っていると彼の手に工具箱がある事に気づいた。見た事のある工具箱は
自分と同じ2番機の担当整備士である茜の物に似ている。田辺に視線に
気づいたのか滝川が何度か頷くと足下に工具箱を広げながら口を開いた。
「この前のさ…戦闘でコイツも被弾しただろ。日曜からぶっ通しで整備班が
整備してくれたけど…俺だってコイツが心配だし…」
制服の上着を脱ぎ作業用の手袋をすると2番機を見上げる。

「だからさ、茜にコイツの整備の仕方をちょっと教えてもらったんだ。
この工具箱もアイツから借りたんだけど…」
見上げていた視線を手元に下ろすとおもむろに整備を始める滝川。
その姿につられるように田辺も止めていた手を動かし始めた。

「この時間なら誰も居ないと思ったから、ちょっとびっくりした」
視線はあくまで手元にやりながら、滝川がそう口にする。
「私、いつも仕事時間が終わった後に味のれんでアルバイトをさせて貰って
いるでしょう?だからこれくらいの時間にもう一度仕事をしに来ているんです」
田辺がそう言うとしばしの沈黙が二人の間を流れた。重く感じる沈黙が田辺の
居心地を悪くさせる。反射的に頭を下げると恐る恐る滝川を見た。
「…ご、ごめんなさい。…私、変な事言ってしまいましたか?」
「あ、いや…悪い。…そっか、田辺ってバイトしてたよな…」
「?」
手元に集中させていた滝川が視線をあげ、頷いている。
「いや…俺さ、お前に嫌われてるって思ってたんだ」
「え、…どうしてですか?」
滝川を嫌った覚えなどない。だが、本人がそう感じてしまうような何かを
してしまったのかと不安そうに尋ねた。

「…仕事時間が終わると俺、ここを通って味のれんに食いに行くじゃん。
…で、その時整備班のみんなが居たり、居なかったりするんだけどさ。
お前、絶対居ないから俺がここを通るのを知ってて避けられてるのかな
…って思ってた」
「そ、そんな事ないです。あ、あの…私…」
「あ、いーって。もう、わかったからさ」
滝川の言葉に言い訳をしようと口を開きかけたものの、笑って
止められてしまう。
「バイト、だったんだよな。俺、知ってたつもりだったんだけど、
すっかり忘れてた」
そう言いながら滝川は少し汚れた手袋のままで汗を拭う。まだ
春だというのにこのハンガーの中は機械熱で暑い。作業をしている内に
汗が噴き出すのはよくあることだ。
「…ちょっと、安心した」
「え?」
お互いに作業をしながらもちらりと隣に視線をやる。静かなハンガー内に
響くのは機械音と互いの声。
「嫌われてないみたいだからさ…安心したんだ」
「…」
真剣な表情で作業パネルを見ている滝川は少しだけ嬉しそうに見えた。
「やっぱりさ、誰だって嫌われたくないもんな」
「…そうですよね」

二人の間に流れる沈黙。機械音と微かな物音だけが響く。
決して居心地の悪い沈黙ではなかった。
体は疲れていたけれど、気分は良い。

普段あまり話した事のない仲間への誤解が解けてが嬉しかったから。
違うクラスの同じ小隊員が自分と話していて嬉しそうだったから。

だから、作業している手を止めて隣を見た。
「頑張ろうな」
「はい、頑張りましょう」

再び手を動かし始める。いつ招集がかかってもいい状態にする為に。
黙々と手を動かし、作業の目処がつくと隣を見る。どうやらそちらも目処が
ついたようだ。
「これなら…」
工具箱を手早くしまい、動作テストに入る。シートに座った滝川がテスト内容に
頷きながらOKサインをしてみせた。
「バッチリだな。いつ招集がかかっても平気だぜ!」
「そうですね…あっ」
そう言って田辺が笑った途端、多目的結晶から入ってきた情報に顔を見合わせる。

「士魂号の起動準備頼む!」
「はい!」
互いの仕事をする為にそれぞれ走り出す。田辺は士魂号の起動準備を、
滝川はウォードレスを装備し、出撃に備えなければならない。
やがて自宅や寮からやってきた仲間たちが加わり、慌ただしくなる。
二番機に乗り込もうとする滝川に田辺が近づいた。
「装備品チェック完了です」
「ああ、サンキュー」
口調は軽いものの、これから前線に赴く為か表情は硬い。それ以上どう声を
かけていいのかわからず、ただ背中を見つめる。
「…あ、あの!」
「…田辺?」
乗り込もうとしていた滝川が不思議そうに振り返る。思わず声をかけてしまった
ものの、次の言葉が中々出てこず何度も口を開きかけては頭を振る。
「…必ず」
滝川の声に顔を上げるとまっすぐこちらを見ていた。

「帰ってくる。必ずここに帰ってくる。…だからさ」
真剣な表情だった滝川が不意に明るく笑った。
「こいつの整備の仕方、教えてくれよな。俺、まだ基本的な事しか知らないし」
「…はい。私で良ければいつでも」
「うん、約束な。じゃ、行ってくる!」

士魂号に乗り込んだ滝川だけでなく、他のパイロットたちが無事に帰って
くるようにそう祈らずにはいられない。
いつの間にか隣にいたヨーコが田辺を見ると笑う。
「大丈夫デス」
「ええ、そうですね」
後ろからトレーラーに乗り込むように指示を受けると二人揃って返事を返した。

学校に残る人に向かって『必ずここに帰ってきます』と呟きながら…。



<あとがき>
お題3つめようやく完成です。シリアス路線の滝川と田辺さんです。
果たしてこれが『×』表記なのか、そうでないのか悩む所ですが、
一応滝川CPお題として採用しているので(苦笑)『×』表記という事に
してください(汗)若干匂わせる程度には文章にちりばめたつもりですが。

どこかで聞いた10のお題よりタイトルをお借りしました。
配布先:19title