呼吸を止めて







お願いよ。私からとりあげないで。
あの子たちをとりあげないで。

…お願いだから…。
無力な私はいつもあの子たちの背中を見送る事しかできなくて…。
だから私は悲しみの海に溺れていってしまうの。

ひとり、ひとりと帰ってこなかったあの子たちを思うと、平静でなんて
いられなくて…。だから溺れてしまうの。

──悲しみの海はアルコールの匂い

誰も私の側から逃げていかないで。
お願いよ。もう悲しいのは嫌。
あの子も…みんな、みんな私を置いていってしまったわ。
私だけ置いてきぼり。

悲しみの海に溺れて…そしていつか私もあなた達の所へいけるかしら?

先生、あなた達に会いたいわ……。


「…せい…んせい…芳野先生?」
耳の側で誰かの声がする。ぼんやりとした視界の中に居るのは心配そうに覗き込む
少年の顔。大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。
「…滝川…くん?」
「こんな所で寝てたら風邪ひくんじゃないの?」
彼の言葉に瞳を瞬かせるとゆっくりと周りを見回す。…ここは学校の職員室だ。
髪の毛を直しながら曖昧に笑って見せると少し心配そうに眉を顰められた。
「…そうね、ありがとう。…滝川くん、私に何か用だった?あ、もしかして質問?
今日の授業解り難かった?」
「ああ、ううん。違うんだ。授業は大丈夫。ほら、俺国語だけは得意だからさ」
慌てて首を左右に振る彼に首を傾げる。するとズボンのポケットから何やら嬉しそうに
小さなメダルを取り出した。それは単なるメダルではなく、士魂徽章。戦車の
搭乗資格を示すものである。
「俺、先生に見せたかったんだ」
手のひらに乗せられた士魂徽章が鈍い光を湛える。呼吸を止めるには
十分だった。それは…十分すぎる衝撃だった。

視界がぐにゃりと歪み、ここ1ヶ月の記憶が蘇り瞼の裏でスライドショーを
展開し始める。

悲しみに包まれた教室。

泣きすぎて目を腫らしている子。
ただ俯いて唇を噛んでいる子。

そしてあの子の体を閉じこめた箱……。

もう嫌なの。誰も私を置いていかないで。
悲しくて、悲しくて…私、このままじゃ…壊れてしまう…。
お願いよ…私を置いていかないで…ね?

泣きそうになるのを堪えながら、ゆっくりと笑顔を作る。きっと無理に
作った笑顔は変だったに違いない。あんなにも嬉しそうな彼の笑顔が
曇ってしまったから。

知ってたのよ。彼は最初からパイロットになりたいって言っていたから。
嬉しそうに士魂号の…あの大きなお侍さんの事を話してくれたもの。

先生ね、応援してた。
…でも…先生、あなたまで無くしたくないの。

「その勲章を生徒が見せに来るたびにね。私は…悲しくなるの。ああ、この子も…
…ごめんなさい。あなただけは生き残ってね」
そう言うのがやっとだった。目の前の彼は士魂徽章をぎゅっと握るとポケットにしまい、
少しだけ悲しそうに笑うと敬礼をして見せた。
「…滝川…くん?」
「先生、俺は死なないよ」
まっすぐと見る瞳から強い意志が読み取れる。彼が一歩足を踏み出した。そして
手を取るとまた、まっすぐこちらを見つめる。
「俺は…先生を残していかない」
手から温もりが伝わってくる。目の前の彼はじっとこちらを見たまま視線を
外してくれそうもない。
「だから、心配しないでいいよ。…そんなものに頼る先生見たくないし…」
「え…?」
眉を顰めた彼の視線を辿ると机の上に小さな瓶が転がっていた。慌てて
空いた手で隠すと恥ずかしさで頬が熱くなる。
「…ごめんなさい」
ただ口に出るのは謝罪の言葉だけだった。

子供たちが戦場に出るのは誰の所為?
私たち大人の所為…よね?

「…先生」
気づくと頬に滴が伝っていた。困ったようにこちらを見ている彼の視線から
逃れようと背を向けても、視線を感じてしまい何処にも逃げられない。
ぎゅっと目を瞑ると両手で涙を拭う。そして勇気を振り絞り、いつも通りの
自分を演じようと振り返った。だけど…。

じっと自分を見つめるその瞳に再び言葉を無くしてしまった…。

「先生、無理すんなよ」
一歩近づいた彼が右手で頬に残っていた涙の筋を拭う。
「私、先生なのにね…ごめんなさい…」
「何で謝んの?別に先生悪い事してないだろ?」
「…滝川くん…」
真っ直ぐ見るその瞳はいつも教室で見ている瞳と違って見えた…。


私を置いていかないでね。
そう約束してね。

先生も頑張るから。
この小さな瓶…アルコールになんて頼らずに頑張るから。
だから…。

いつでも元気に笑うあなたで居てね…。




<あとがき>
本当はお題の順番で書き上げる気だったのですが、どうも気分的に
ラブラブ・ほのぼのが書けず…。気分的にシリアス路線だったのでこのお題が
先に日の目を見ました。
前々から滝川×芳野は書きたかったのですが、どうも書きたかったものとは
違うものができ上がった気がします(汗)
じ、次回はほのぼのな滝川×芳野を…!

どこかで聞いた10のお題よりタイトルをお借りしました。
配布先:19title