呼びかけ






滝川がシミュレーターに入ってから、かれこれ2時間は経っている。一向に出てくる
様子のない滝川に速水は大丈夫だろうかと心配していた。シミュレーターの内容は
1時間もあれば充分なものだ。
もしかして克服したと思っていた閉所恐怖症が再び発症したのだろうかと気が気でない。
何度もシミュレーターを見ては作業の手を止めて、立ち上がる。その度に隣で
やはり作業をしていた舞が集中するようにと声をかけていた。舞とて滝川の事が
気にならない訳ではないが、あまり心配しすぎる速水に少しだけ苛立っている。
簡単に言えば軽い妬きもちだ。
いくら親友の事が心配だからといっても、速水のそれは少し行き過ぎている
気がした。親友であれば、もっと信用してやるべきだとも思う。

「いい加減にしろ。もっと信用してやってはどうだ」
「でも…もしもって事があるじゃないか」
そわそわした様子で手元から視線をシミュレーターへと移すと腰を上げようとする。
「それならば、声なり何か音が聞こえてくる筈だろう。そなたの心配も過ぎれば
滝川に対し失礼だと思わぬか?」
「あらあら、複座パイロットの2人が口論なんて珍しい」
楽しげな笑い声と共にハンガー1階から原が階段を上ってくる。原の登場に舞は
再び作業に戻ると口を真一文字に結んだ。これ以上口論を続けても平行線である
だろうし、原にも茶化されるであろう事は目に見えていたからだ。
「仲が良いほど喧嘩する事もあるんでしょうけど、今は仕事時間だって事
忘れないようにね。それで?何があったの?」
「滝川が…シミュレーターから出て来ないんです」
神妙な顔つきで速水がそう口にするとさっと原が表情を変えた。シミュレーター機の
前に立つと耳を澄まし、中の様子を窺う。
「どれくらい経ってるの?」
「2時間は経ってると思います」

先程までは速水と舞を茶化そうと明るい雰囲気だったが、話題が話題なだけに原の
表情は堅い。数秒考え込むと近くにある端末を触り出す。速水には何をしているのか、
よくわからないが、きっと中の様子を探っているのだろうと思っていた。整備主任の名は
伊達ではなく機械全般の扱いは慣れていたし、その技術と知識は誰もが認める所である。
また、これは私事ではあるが、滝川は原にとって特別な存在でもあった。本来ならば寮で
一人暮らしをしている筈の滝川が原のアパートに転がり込んでいるという事実はただの
小隊員同士という間柄ではないことを証明している。
「中では現在何も作動されていない状態ね。ハッチが閉じているだけ…」
「じゃあ、何で滝川は出て来ないんですか!?」
原の言葉に速水がシミュレーターまで走り寄る。ハッチを叩きながら名前を呼ぶが
中からの応答はない。
「落ち着きなさい」
「で、でもっ!」
「いいから、落ち着いて」
「…すみません」
原の静かな声に自分1人が慌てているのが恥ずかしくなった速水は顔を真っ赤にして、
シミュレーターから離れる。そんな速水に頷き返すとシミュレーターのハッチ強制開閉
ボタンを覆うケースを叩き割り、ボタンを力強く押す。すぐに開いたハッチから顔を
覗かせるとシートには滝川の姿がある。特に閉所恐怖症が再発した訳ではなさそうだ。
「滝川…?」
速水の声に滝川が身じろぎをする。息を飲んだ2人の耳に届いたのは安らかな寝息だった。
ハンガー内の騒音に掻き消されるような小さな寝息である。最悪の状況を考えていた
速水はほっとした反面、あまりにも緊張感のない滝川の寝顔に小さなため息をつく。
「もう…あんまり心配させないでよ…」
「速水くんは心配性ねぇ」
「…仕方ないじゃないですか。そういう原さんだって同じ気持ちじゃないんですか?」
「そうねぇ…ご想像にお任せするわ」
軽く会話を交わしながら手を伸ばし、肩を揺らした。速水は原の優しい笑顔に微笑み
返すと早足でパートナーの元へ戻る。

「滝川くん、こんな所で寝ないで起きなさい」
「ん…、素子…さん…?」
これではまるで朝の光景と変わらないなと思いながら一瞬だけ笑うと、表情を作り直す。
現在はまだ仕事時間中だ。よって自宅に居る時とは違う。
「こら、『滝川くん』、今は仕事時間中よ」
「…あと5分…」
何度肩を揺すっても、自宅と勘違いしているようで丸くなって寝てしまう。これが
本当に自宅ならとっくに頬やおでこに唇を落として遊んでいる所だ。だが、残念ながら
ここはハンガー内であり、現在は仕事時間中である。流石の原にも軍務中にそんな事を
するつもりはない。
本心を言ってしまえば、遠目だったらバレないかも?なんて思いもあるのだが、やはり
整備主任という地位もある。遊びたい気分をぐっと堪えて再び声をかけた。
「『滝川くん』」
「…あと、ちょっと…だけ」
「こら、起きなさい」
「…う…ヤダ…」
朝なら2回も声をかけた所で渋々起きてくるのだが、強制的な目覚め方をさせている為
──主に鼻を摘むやキスをして起こすなど、それらの手段が使えない今、起こすのにも
一苦労だ。
一度大きくため息をつくと後ろを振り返る。作業をしている速水と舞は神経接続を
行っている為、周りの事はわからない状態だ。もう一人のパイロット壬生屋もまた
集中して作業しているため、こちらまで気は回らなさそうである。
それならば、とシートで依然として眠り続ける滝川の方へ身を乗り出す。
「陽平くん、早く起きないと後でお仕置きするわよ?」
そう耳元で囁くと急激な覚醒をする滝川に素早く身をひく。真っ赤な顔を見て
くすくすと笑うといつもの整備主任の顔へ戻し、あくまでも他人行儀に
名字で呼びかけた…。



<あとがき>
最後の素子さんの台詞は目覚めの呪文というより、呪いの言葉?(笑)
…とは言ってもこの素子さんも滝川には相当甘いので特にお仕置きという
お仕置きもなさそうです。せいぜい、一週間ゲームとアニメ禁止とか
子供レベルかと(笑)