迷う視線




──よし、今度こそ!

そう一人で力強く頷いたものの視線が泳ぐ。それはもう盛大に。端から見れば
明らかに不審な行動だが、滝川の横に座る萌は夜空を見上げているのでわからない。
静かな夜に仕事の合間の休憩をしていた。もちろん正規の仕事の時間はとっくに
過ぎているが、それで仕事が終えられる状況ではない。いつ戦闘に出るのかわからない
状況でそんな悠長なことは言えないのは当然だ。夕食を食べ終わり、ささやかな
休憩時間をプレハブ校舎の屋上でこうして過ごしている。
辺りは静かで優しい風が吹いている中、萌はただ星空を見上げ、滝川はある決意を
胸に様子を窺っていた。
「あ、あのさっ!」
「…?」
滝川の声に萌が視線を夜空から地上へと戻し、首を傾げた。妙に力んだ滝川は
胸の前で両手をぎゅっと握りしめている。何をそんなに力んでいるのか
わからない萌はただ滝川の次の言葉をじっと待っていた。静かなプレハブ屋上には
沈黙が流れている。

萌にとってはそんな沈黙は心地悪くはなく、幸せだった。
滝川にとってはその沈黙は心地悪く、心の中で自分を急かしている。

沈黙をどう破ったらいいのかとグルグル頭の中で考えを巡らせていると不意に萌が
立ち上がる。焦った滝川も立ち上がるとぐっと彼女の肩を掴んだ。
「…あ…」
「あ、いや、その…も、もうちょっと待ってくれよ!」
滝川は萌が仕事に戻ろうとしていると思ってその言葉を紡いだのだが、実際は違った。
左右に首を振った萌に今度は滝川の方が首を傾げる番だった。
「…違う、の…」
「え?じゃあ…」
唇の前に人さし指をあてた萌に滝川も口をつぐみ、辺りをうかがう。やがて
小さな音が耳に届いた。屋上へと続く階段は誰かが上ったり、降りたりすれば
必ずわかる。そして決定的なのが誰かが話している声。声をひそめて小さな声で
話しているが、それでも誰かが階段の付近で何かを話しているのはわかる。
「…誰か…見てる…わ」
滝川が驚いた顔で声を上げようとして萌に再び静かにと唇の前で人さし指をあてる。
声を飲み込んだ滝川は口をぱくぱくさせながら、声のない声で『誰が?』と言った。
「…多分…」
萌の声は小さくか細い。その為に話していてもその声が届くのは間近にいる
滝川にだけだ。
「…正体…もう、すぐ…わかる、わ」
そして滝川が驚いた表情を見せた瞬間、ブータの鳴き声が聞こえてくる。遅れて
聞こえて来たのは東原の声だ。

「たかちゃん、そんなところでなにしてるの?」
「わー、ののみ!しーっしーっ!」
「何かやましい事をあるということですね。…成敗っ!!」

途端に階段の辺りに響いた壬生屋の声に瀬戸口が焦ったように顔を見せた。
その背中にはごめんねと笑いながら謝る速水と何で僕がと眉間にしわを寄せている
茜の姿もある。
「何、やってるんだよっ!!」
「滝川!弁解はあとでする!とにかく今は逃げさせろっ!」
鬼しばきをかまえる壬生屋から逃げながら走る瀬戸口に滝川はがっくりと
肩を落とす。
「ごめんね。大丈夫、僕たちはこれからご飯だからもう少しゆっくりするといいよ」
「…フン、ゆっくりしても結果はあまり変わらなさそうだけどね」
階段を慌てて降りて行く瀬戸口、それを追いかける壬生屋。そして速水と茜が
屋上から姿を消すと滝川は髪の毛をかき混ぜた。
「あーもう、何がゆっくりだよっ!」
「…滝川くん?」
落ち着くようにとそっと手を伸ばし、手を取る。途端に真っ赤になった滝川が
ぎくしゃくしながら萌を振り返った。
「え、えーっと…石津?」
「…ゆっくり、出来る…んでしょ…」
「あ、あ、うん。…速水たちがハンガーに帰るぐらいまでは」
「じゃあ…もう、少し…ね?」
「お、おう」
再び屋上に座ると2人、手を繋いだまま夜空を見上げた…。


<あとがき>
冒頭で滝川が何をしようとしたか…ええ、大したことではないです。
所詮滝川ですから。手を握ろうとかそういう類いのことでも一人で気合い
入れないと出来ない辺りが滝川なんじゃないかと思ってます(苦笑)