研究テーマ->生物音楽->コアラ音楽とキノコ音楽は可能か?
生物音楽に関する情報を提供します。(この研究テーマのページは、大嶋和人さんが制作しています。)  
第4回 コアラ音楽とキノコ音楽は可能か?〜生物は音楽大好き
最近、コミットしている分野に「人工生命」という学問領域があります。これは、コンピューター上に生命現象を再現しようという試みの中から発展して来て、現在、世界的に有名なのは、進化をシュミレートした「ティアラ」というプロジェクトです。世界中のコンピュータ上で、この人工生命のソフトが稼動し、ネットワークを作り、将来は相互に行き来するような、まさにネット上での生態系を作り出そうという壮大なプロジェクトです。

「人工生命」が出て来た背景には、カオス理論やフラクタルなどの理論があって、それらが生命現象の解明にも役立てられることから、生物の色々なモデルをコンピュータ上で実験のように確かめる手法が確立してきたことが大きく貢献しています。このような、流れの中で現在も世界中の研究機関で盛んに研究されています。


人工生命という手法はアートの分野でも大きな影響を与えつつあり、メディアートの試みの中にもそのような要素が多く見られます。自動作曲やアルゴリズによる作曲という手法も、当然この分野の中に含まれて来ると思います。実際に、そのような人工生命が自律的に活動するなら、その生物に演奏させることも可能だからです。

単純な手法として、生物の位置を測定して演奏することが出来ると思います。例えば、金魚鉢をモニターして、金魚の泳ぐ位置を入力として、音階、テンポなどに変換すれば、メロディを作り出せると思います。金魚は一定の速度ではない、緩急のある動きをし、さらに空間的に曲線を描くので、その位置情報はメロディラインに近くなります。実際にやるには、センサーが必要ですからハードウェアの作成をしなければなりません。このような手法は、もし人工生命が金魚のリアルな動きを再現できたら、メモリー上で同じことが出来ます。そしてソフト的に行えばハードの作成も不必要になります。このやり方で必要になって来るのは、出て来るパターンが繰り返す内に堂々回りのように同じ地点を回るのではなく、自律的に位置を際限なく変える必要があります。単純な繰り返しを超えて、もっと複雑で生命らしい動きを作るには、数学的に必要な条件があると思います。それは変数同士で相互に価を変えるような仕組みです。ある数式とある数式を相互に関係付けて、一方の結果が他方の入力になり、どんどん価を無際限に変化させつづけるような仕組みが必要だと思います。

70年代から80年代にかけて、音楽製作にコンピュータの技術が導入され始め、今は当然のようになって来ています。この延長上に「人工生命」や「ロボット工学」などの成果が入って来るようになるのは自然な成りゆきのような気もします。人間の感性やアイデアとそのような技術が出会う時には、どのような音楽が出来るのでしょうか?日常私達が発想する音楽は、色々な個人の感受した印象や思考などが折り込まれますが、人工生命から出て来るメロディはそのようなプロセスではない所から生じて来ます。その音と人間の感性が融合し、創造的なコラボレーションが可能になれば、未知の音楽の可能性が出てくると思います。まさに、それは「生物音楽」という言葉で定義したような要素を持つ音楽だと思います。

ところで、植物もまた音楽を好むのを御存じでしょうか?このような記事がありますので、引用します。

米国のさる大学研究所で実験された実話にこんなのがある。植物はどんな音楽を好むか?というのが実験テーマだった。この奇抜な実験はみごとな成功を収めたが、それによれは植物の生育に顕著な効果をもたらしたのは、第一位に「シタール」という民族楽器によって演奏された、インド民族音楽であり、第二位にJ・S・バッハのオルガン曲、そして第三位がベートーベンの交響曲だったという。同じ実験はインドでも行なわれほぼ同じ結果を得ている。さて一位二位は理解できるとしても、三位にベートーベンとはいかに?という事で、私の友人との間で議論となった。ますはそのインド音楽からみてみよう。

実は古代インドでは、作物の豊じょうを祈念する目的で、シタールを手にした人々が田畑の周囲に陣取りながら楽曲を演奏する習慣があったと言う。こうした祈念を目的とした神事の中で発展したのがインド古典音楽だという事であれは、先ほどの実験結果は当然の事たったかもしれない。ついでに言えは、この「神事」の際中に多くの夫婦が公然と性行為にふけったという。実はセックスの際中の精神身体的な高まりが、傍わらの植物にすこぶる上気嫌な生命反応をもたらす事が、例のクリーブ・バソクスター博士(マンハッタン:ウソ発見器技術指導学校長。彼は植物に超感覚的な感受性がある事を発見した。その著書は世界中に衝撃をもたらした。「TheSecretLifeofPlants」/$8.95=Haper&Row社刊)の実験以来確認されている。元気のないハチ植えはせひ寝室にでも置いていただこう。

さてインド音楽の秀れた特徴は、その旋律に起承転結に象徴されるような物語性や情景描写がほとんど存在しない点にある。これは表現を第一義とする西洋の古典に慣れ親しんだ人々には充分刺激的である。インド音楽は特定のイメージを固定させないし構築もしない。音はその楽曲の中ですら解放されておりそれをしめくくるのは、ただ奏者の感性のみである。この、本質的に始まりも終わりもないシタールの演奏を聴く者は、ある重要なことに気づける。

その最も本質的な点は、シタールの演奏が進行するにつれて、我々は実際には、その楽曲には表現されていない部分で、我々自身に独自な音を聴いているという事実である。つまり我々は、シタールの表現されざる音を介して、むしろ我々身の内なる精神のリズムを透聴してしまうのである。こうして我々は自分の中の生命の音楽を、あたかも鏡に映して見るときのように、シタールの楽曲の上に投影して自身を観賞することが可能になる。この奇跡は、インド音楽が、西洋的な表現を排している事によってこそ勝ち得た成果である。

Cosmic Information No55(1985年12月25日号)(山本佳人発行)(註1)「Xマスには天上の音楽を」から抜粋

これは大分、前に読んだもので印象に残っていました。

生物が音楽に反応するのであれば、この発想を逆にして、植物からの微弱な電流データから音楽を構成することもできるかもしれませんね。それを人間が聞くとどう反応するのでしょうか?そして、実際には植物は人のこころに反応しますから、植物とのコラボレーションも発想できます。

ということで、生物音楽は、動物音楽と植物音楽に分類可能かもしれません。恐竜音楽?とか、キリン音楽、クジラ音楽、コアラ音楽など、色々なジャンルが考えられます、またキノコ音楽、ひまわり音楽、たんぽぽ音楽・・・・(しないしない、と天の声が・・・・)

註1 山本佳人 ノンフィクションライター、宇宙的な哲学を長く研究されています。現在、入手可能な著作は、発行・野草社/発売・新泉社 「かみさまみたよ」(¥1,800+消費税)


レポート作成 音楽研究所・札幌分室 主任研究員 大嶋和人 2002.10.1