史跡(幕末)
村田 蔵六

Last Update: 2000.5.28

幕末の軍政家。初名村田蔵六、後に大村益次郎。周防の人。
のち長州藩に転じ、長州征伐、戊辰戦争に軍事的手腕を発揮。
維新後、兵部大輔として近代兵制の確立につとめたが、反対派に刺殺された。
(1824〜1869)

◆ 京都河原町周辺(京都市中京区)
 「大村益次郎卿遭難之碑」
 明治2年、蔵六は長州藩控屋敷にて尊攘派刺客に襲われ、
 一命はとりとめたものの、その後、敗血症を発症、
 片脚切断の手術を行ったが、悪化し死去。

 地下鉄京都市役所前駅下車徒歩数分。
 木屋町通り西側、高瀬川対岸。
 (2000.5.3)
 「兵部大輔従三位大村益次郎公遺碑」
 蔵六が刺客に襲われた長州藩控屋敷のあった場所。
 刺客は薩摩藩の息のかかった長州派・神代直人ら、と
 言われている。

 地下鉄京都市役所前駅下車徒歩数分。
 木屋町通り東側。
 (2000.5.3)
◆ 京都霊山護国神社(京都市東山区)
 「大村益次郎之墓」
 京都河原町で刺客に襲われ、落命した蔵六の墓。
 故郷である長州・周銭司にも墓がある。

 京阪本線四条駅より徒歩15分。護国神社山道を東へ。
 神社内の墓域下層部にある。
 (2000.5.4)
◆ 靖国神社(東京都千代田区)
 「大村益次郎之像」
 東京・靖国神社参道に蔵六の像がある。
 蔵六は戊辰戦争終了後、軍隊の洋式化に尽力し、
 日本陸軍の祖とも称えられえている。
 この像は上野彰義隊討伐の采配を揮う姿とされる。

 JR市ヶ谷駅より徒歩15分・地下鉄九段下駅より徒歩10分。
 靖国神社参道の東広場中央。
 (2000.5.13)