『山下洋輔の音楽世界』

〜 ライプツィッヒ・ジャズフェスティバル 〜


1997年10月4日にドイツのライプツィッヒで行なわれた『山下洋輔の音楽世界』。会場はなんとオペラハウスで、視覚効果を駆使した大スペクタクルだったそうです。地元新聞と全国紙で大きく取り上げらるほどの大反響でした。私を含めてその場にいられなかったみなさん、二つの新聞記事を読んで少しでも雰囲気を味わってください。

<出演者>(登場順)

山下洋輔(p) フェローン・アクラフ(ds) セシル・マクビー(b)
古川アンズ(舞踏) 黒田京子(p) 高瀬アキ(p) 仙波清彦(ds,perc,和太鼓)
竹井誠(笛,能管,尺八) 植村昌弘(ds) 佐藤一憲(ds) 田中顕(ds)

<アートディレクター>

ベルト・ノグリック博士
(評論家、学者、ゲヴァントハウスのディレクター。今回の発案者で、誰もがこの人に評論されることを望んでいるという名評論家。山下さんを高く評価し、著書の1章をさいて論じている。)

<プログラム>
  1. 日本の音によるサウンドコラージュ
  2. 山下洋輔ソロ
  3. 山下洋輔ニューヨークトリオ
  4. 山下洋輔−仙波清彦デュオ
  5. 舞踏ソロ
  6. 高瀬アキ、黒田京子ピアノデュオ、途中で山下乱入
  7. 邦楽トリオ
  8. 山下ソロ、途中から黒田とデュオ
  9. 4人パーカッション大競演
  10. 舞踏と高瀬アキのピアノ
  11. 竹井誠の尺八ソロ
  12. 山下洋輔ニューヨークトリオ
  13. 山下洋輔 VS 4人パーカッション決死の戦い
  14. 山下洋輔ソロ

<ライプツィガーツァイトゥング:10月8日>(地元紙)日本語訳・宮井亜希さん

第21回ライプツィッヒ・ジャズ・フェスティバルの最高傑作---
ジャズ・メード・イン・ジャパンの祭典

熱烈なジャズファンたちの4日間が終わった。10バンドによるジャズ・フェスティバルの内容は多様であったが、最高のアトラクションは毎年恒例のオペラ・ハウスでのイベントであった。
その中でも今年一番の目玉となったのは紛れもなく、11名のメンバーによる"JAZZ JAPAN"のパフォーマンスであった。2日間という短いリハーサル期間の中で、発案者ベルト・ノグリク氏のコンセプトを本当に実現できるのかといった不安は、東洋のジャズの巨匠ヨースケ・ヤマシタを中心とした当事者たちも抱いていた。音楽監督は、マイスター本人が受け持った。
小さな明かりに照らされたヤマシタのソロピアノで始まったコンサートは、それから幻想の旅へと出発する。まずは、“ニューヨーク・トリオ”と共にジャズの故郷へ、その後は伝統の日本、そして今日の日本へ。この音楽の旅の中では強烈なシーンが次々と展開されていく。
米粒がサラサラと流れ込む箱の中からダンサーのアンズ・フルカワが出現し、魅惑的な踊りでもって音を映像的に表現すると思えば、3台(!)のグランド・ピアノに向かったアキ・タカセ、キョーコ・クロダとヤマシタが互いに挑発し合いながら演奏のエクスタシーに到達する。突然、幕が上がったと思うと、4台(!)もの太鼓によるリズム・バトルが雪崩のように荒れ狂い、このお祭り騒ぎに誰しもが引きずり込まれていく。滅多に体験することのできない力強さ、優雅さと美しさの演出である。
"JAZZ JAPAN"は、常に神秘的な雰囲気を醸し出している。その秘密は、そのエキゾチックな儀式であり、厳粛な姿勢であり、伝統的な楽器による無言のコミュニケーションである。演出者たちの対話は、音と動きと映像でもって行われ、照明がその演出をさらに効果的にしている。
ここで忘れてならないのは、斬新で謎めいた空気を作り出すノグリク氏の感性である。今年の"JAZZ JAPAN"は、昨年氏が企画したイベント"Survival Songs"の続編であり、それも大きな成功を収めた。しかし、今年の"JAZZ JAPAN"のパフォーマンスは絶品であり、聴衆もこの実験的なイベントに対し、熱狂的に感謝の念を示した。

写真説明:イベント"JAZZ JAPAN"では、世界がヨースケ・ヤマシタ(左)を中心に回っていた。ここではキヨヒコ・センバとの親密な対話の中で。


<フランクフルター・アルゲマイネ:10月10日>(全国紙)日本語訳・宮井亜希さん

東へ耳を傾ける---ライプツィッヒ・ジャズ・フェスティバルの豪華舞台

昨年のライプツィッヒ・ジャズ・フェスティバルは独米の合作として、極めて困難と言われるオーネット・コールマンとヨアヒム・キューンによる世紀の共演が実現したが、今年は東の国々に目が向けられた。今回はポーランド、チェコ共和国、そしてアゼルバイジャンからのミュージシャンが多数参加し、フェスティバルを大いに盛り上げた。
プログラムの最後に辿り着いたのは極東の日本であった。その大掛かりな舞台は、日本で最も偉大なジャズ・ミュージシャンとして知られる55歳のヨースケ・ヤマシタを中心に繰り広げられた。当初、西洋では“日本版セシル・テーラー”として名を広めたヤマシタは、実は東西の文化と伝統を駆け巡る非常に多才なアーティストであることが直ぐに判明した。このヤマシタの登場によって、昨年から始まったこのライプツィッヒ・ジャズ・フェスティバルに、独特な音楽の新しい風が吹き込まれた。また、フェスティバルの芸術監督を務めたベルト・ノグリク氏は、オペラ・ハウスの中で使える器具すべてを駆使して、ジャズ・コンサートのための最高の環境を創り出すことに成功した。ヤマシタのコンサートは、ソロ、トリオ、2台のピアノ、4台の太鼓、歌、笛と、大きな河のように流れていった。
それぞれのグループには、巧みな照明効果、舞台上の配置、そして幕の上げ下げによって大きなコントラストがつけられた。1人の女性ダンサーがガラスの箱の中から“誕生”する---彼女の音との最初の接触は米粒の雨である。2人の女性ピアニストは、がさがさと音のする包装紙からピアノを包み出す---偶然の音ではない、特別な意味を含んだ音の演出である。天から紙切れが降ってくる---桜?ビラ?それとも雪?---いや、そのような表面的な発想は、ノグリク氏の意図するところではなさそうだ。
こういった演出の中で、音楽的な成果は様々であった。3台のピアノや4台の太鼓は、時として本来の音を十分に表現できていないこともあった。しかし、ヤマシタは別格であり、彼は自分の全才能をこの一晩の内にすべて発揮しているかのようであった。彼がソロを弾けば、それはロマンチックな小説のように響き、クラスターの嵐の中にもバー・ミュージックが聴こえてきた。
一度、ヤマシタのピアノはまるでバルトークがブギウギを弾いているようにも聴こえた。仏教の儀式に基づく歌や笛に対しても、活気溢れる別世界の色づけをし、ピアニストのキョーコ・クロダとの間では、フリージャズにおける強力なコミュニケーションが図られた。そして、アキ・タカセも奇抜なユーモアを見せてくれた。石器時代のヒット曲"I am confessing that I love you"に始まった彼女のピアノは、女性ダンサーのアンズ・フルカワに装飾され、終いにはピアノの弦にボールを投げつけるとい うパフォーマンスに到った。
ライプツィッヒ・ジャズ・フェスティバルは、素晴らしいアイディア、気楽な雰囲気と最高の場所を我々に提供してくれた。特に、太鼓の良き“パートナー”として活躍したのが、22秒間にも上る残響を響かせた巨大なホールであった。今後、ジャズ・ファンたちは、旅のルートをまた考え直さねばならないであろう。

写真説明: 音楽と踊り:ヨースケ・ヤマシタとアンズ・フルカワ。


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