1998年ニューヨークトリオ ヨーロッパツアー

〜 ウルリヒスベルグ 〜

1998年4月4日 ニューヨークトリオのヨーロッパツアー最終日、オーストリアのウルリヒスベルグというところで行われたコンサートに関する新聞記事を頂きましたので、紹介いたします。日本語訳をしてくださった宮井亜希さんに感謝。

〜ASAHIネット「221情報局」への山下さんの書き込みより〜

 パリのあとは、ニューヨークトリオでツアーをしたのですが、最終日に、オーストリアのリンツから一時間という、牛しかいない村に行ったら、お前は二十年前にここに来た、あの時は賛否両論で大騒ぎになったと言われました。誰も知らぬ、ウルリヒスべルグなどという村に、二十年たってまたジャズをやりに行くという奴もそうはいないだろうと、自分の奇妙な年月を振り返っております。
 あの時は確か、坂田、彰太で、リンツから小さな電車とバスを乗り継いで行ったという記憶が蘇りました。村の広場について、子供たちにかこまれて手を振ったりした。その子供の一人が今の主催者の年令に近いわけですね。いやだいやだ。うれしいうれしい。
 会場も控え室も牛の臭い充満でありました。


<ウルリヒスベルグ地元新聞:98年4月>日本語訳・宮井亜希さん

-----
新鮮で粋な音

ジャズの流行というものは来ては去り、時には腐敗していることもある。それとは逆に、筋金入りの音楽はいつ聴いても我々を楽しませてくれる。今回、ウルリヒスベルグのジャズ・アトリエで、ヨースケ・ヤマシタ・トリオはこれをまさに実証してくれた。70年代初頭から日本ジャズ界のリーダー的存在であるこのピアニストは、フリージャズの領域をとうに越えている。ベースのセシル・マクビーとドラムのフェローン・アクラフという同ランクのミュージシャンたちと、彼は“US of Jazz”の真打として演奏を披露した。その演奏は近代精神の新古典主義というジャンルの中で、新鮮かつ粋に繰り広げられた。巧妙な和音、完成された音が蠢き合い、楽器同士の巧みな掛合や円熟なソロが次々と展開されていく。セシル・テイラー並の音幅、セロニアス・モンク風の危険なモチーフが作られたかと思えば、ビル・エヴァンスの気難しい雰囲気、ドン・ピューレンのような厳しげな転回、そしてバロック・メロディーにおいてはジョン・ルイスの技術がふんだんに使われた。これは模倣などというものではなく、むしろエピゴーネン主義から遠く離れた彼独自の徹底したスタイルを活かした演奏なのである。

-----
日本から表現力豊かなフリージャズ

ヨースケ・ヤマシタは、70年代からすでに凄腕を見せていた日本フリージャズ界の巨匠の一人である。しかし後に、彼の演奏は巧妙な解釈でもって完全に自由なかたちを取るようになっていった。長年のパートナーであるセシル・マクビー(ベース)とフェローン・アクラフ(ドラム)と共に、ヨースケ・ヤマシタは明日の4月4日(土)、ウルリヒスベルグのジャズ・アトリエ(バーダー通り2)に登場する。コンサートの開始は午後8時から。

-----
●日本のジャズメンで最も有名なピアニストの一人、ヨースケ・ヤマシタがウルリヒスベルグで演奏をした。何十年にも渡って西洋のジャズ界に傾倒した彼は、今や自分独自のスタイルを確立している。当初は頑強な技術でもってピアノを弾いていた彼のスタイルに、“カミカゼ・ジャズ”等という表面的な表現はもはや似合わない。ベーシストのセシル・マクビーとドラマーのフェローン・アクラフらは、それぞれ自立した音でもって、魅惑的なプレーヤー同士の対話に大きく貢献していた。


企画ものトップに戻る インデックスに戻る