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東京千住
奥の細道 旅立ちの地
足立区千住にて
カーナビの画面を見ると、周辺の道路は、どこも渋滞のサインが・・・。仕方がないので適当に渋滞を迂回しつつ、結局白髭橋で隅田川の西岸へ渡り、国道4号の方へ向かおうと適当なところで右折しましたが、その交差点の名前をふと見るとそこが泪橋でした。
泪橋というと「あしたのジョー」の舞台となった場所で、僕らの世代から上の人にとってはすごくポピュラーな場所ですよね。明日はどっちだ?なんて・・・。
あれから東京の街も開発が進み、丹下ジムも他所に移転したようで、今ではその当時の面影は、すっかり残っていません(笑)。
南千住の交差点で国道4号に合流すると、交差点に「行く春や 鳥啼き魚の目は泪」の看板がありました。
この看板は素盞雄神社の看板で、この神社は素盞雄大神(スサノオのミコト)と飛鳥大神(コトシロヌシのミコト)を御祭神として延暦14(795)年に創建された、荒川区内で最も広い氏子区域を持つ神社だそうです。
神社の境内には、松尾芭蕉の「奥の細道」旅立ちの記念碑もありました。この記念碑は、芭蕉が旅立った元禄2(1689)年からおよそ130年後の芭蕉忌に、俳聖を偲んで千住周辺の文化人たちによって建立されたものだそうです。
国道4号日光街道に入り、隅田川にかかる千住大橋を渡りました。
この千住大橋は、徳川家康が江戸入府した4年後の文禄3年(1594)に、橋財を伊達政宗が寄進して架けられたと伝えられている、隅田川で最初の橋だそうです。![]()
千住大橋を渡ると橋の袂に公園があって、そこに「奥の細道矢立初の碑」 がありました。
千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。