中央道中津川インターを降りて、国道19号のバイパスを進む。
「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
島崎藤村の夜明け前の有名な冒頭部分の一節だが、国道も改装されて道も良くなり、このあたりではその当時の面影は残っていない。 |
途中で旧中山道に入り狭い道を進むと、急な坂道の途中に落合の石畳があった。
この石畳は、この急な坂の通行の便を図り、大雨による道のぬかるみを防ぐために、自然石を敷き詰めて作られたという。
文久元年(1861)皇女・和宮が将軍家に嫁ぐ際に改修されたことが記録されている。 |
さらに旧中山道を進むと、美濃・信濃の国境でもあり、木曽谷への入口にのあたる新茶屋に差し掛かる。
島崎藤村の「是より北 木曽路」の碑や、芭蕉の「送られつ 送りつ果は 木曽の穐」の句碑が建っていた。 |
OPT 1馬籠宿の町並をしばらく散策する。
文豪島崎藤村の生地であり、夜明け前の舞台としても有名な町で、歴史と文化の香りがあたり漂っているようだ。 |
ちょうど長野県知事選の真っ最中で、馬籠の町にも、知事選候補者のポスターが掲示されていた。 |
馬籠宿 桝形跡付近にて。
宿場の入り口から道は突き当たってすぐに左に曲がり、その先が直角に右に曲がる急な石段となっている。
桝形は、敵に攻められた時に戦術上の理由から設けられたらしい。 |
藤村記念館の隣に、栗おこわ飯の大黒屋があった。
街道時代は造り酒屋を営んでいたという。
大黒屋は藤村の初恋の人「おゆふ」の実家でもあるそうだ。
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藤村記念館を見学する。
夜明け前の自筆原稿や蔵書など、約5000点が収蔵・展示されている。
何気なく展示されていた書状のサインを見てあわててカメラで撮影する。
何の文書か忘れたが、すごい面々の署名が直に見れたのは、少々驚きだった。 |
県道43号旧中山道を進む。
きつい山道を登りきったところが馬籠峠だった。
馬籠峠は、馬籠宿と隣の妻籠宿の境にあたり、標高801mの峠の頂上には昔ながらの茶店もあって、その脇には正岡子規の「白雲や青葉若葉の三十里」の句碑が建っている。
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旧中山道をさらに進むと男滝・女滝があった。
男滝・女滝は、吉川英治の小説「宮本武蔵」の武蔵とお通のロマンスの舞台となった滝で、また安藤広重の絵画や十返舎一九の道中記などにも登場する有名な滝だという。 |
国道256号に合流し、少し行くと妻籠宿があった。
妻籠宿は映画「座頭市シリ−ズ」の撮影にも使われたそうで、江戸時代の旅籠の面影を色濃く残し、まるで時代劇のセットに飛び込んだような気がした。 |
国道19号に合流し、中津川方面に少し戻るとCP1道の駅・賤母があった。
道の駅・賤母は、木曽の宿をイメージした旅籠風のクラシックな建物の道の駅だが、人と車で混みあっていて、とてものんびり風情を楽しむといった感じでは無かった。
名物のごへいもちだけ食べてすぐに出発する。 |
国道19号を北に進む。道は山中に入り、木曾路はすべて山の中であるといった感じがする。
途中にあった寝覚の床を見物する。木曽八景の一つ、寝覚の床は、巨大な花崗岩が木曽川の激流に削られてできた、まさに大自然が作り出した巨大な彫刻といった感じの奇勝で、またここで浦島太郎が玉手箱を開けたという伝説も残っている。
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さらに国道19号を進むと、OPT2木曽の桟があった。
木曽の桟は、かつての中山道のこの辺りは、断崖絶壁が続く難所で、壁面にへばりつくような木の桟橋を通行に使用していたという。
1647年火災で焼け落ちてしまい、それを石垣で造り替えたものが今も残っていて、国道の下にある石垣がそれらしい。
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木曽の桟は、改修以前の姿が難所として知れ渡ったことから数々の古歌や俳句に詠まれいる。
対岸には、芭蕉の「桟や いのちをからむ 蔦かづら」の句碑や、子規の句碑も建てられている。
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木曽福島で国道361号に入る。
国道沿いにのどかな風景が広がっている。
そこが黒川郷で、道端にOPT 3でもある道祖神の石碑や石仏が点在している。
谷あいを静かに流れる黒川のほとりを駆け抜けて行く。 |
国道361号を少し行くとCP2安倍晴明の墓があった。
陰陽師で今ブームの安倍晴明だが、こんなところに墓があるは意外だった。
確か京都の嵯峨野に墓があるはずだが。
ただ墓の周りは静かで、なんとなくオーラが感じられ、また建てられている石造も横から見ると狐に見えるというミステリアスなものだった。
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開田高原を抜け、険しい山道を越えるとやがて高根乗湖のほとりに出た。
ここで一旦コースをはずれ、野麦峠へと向かう。
映画で有名な野麦峠は、信州へ向かう最大の難所で、冬期に越えるのは困難で、谷底に転落したり、病で倒れる工女が多数いたという。
峠には石地蔵や供養塔が残り、またお助け小屋が復元されている。 |
再び国道361号へと戻り、少し走るとOPT4高根第1ダムがあった。
高根第1ダムは提高が133mもあるアーチ型ダムで、山間に巨大なコンクリートが壁のようにそびえ立っていた。
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国道361号をさらに進むと、CP3道の駅・ひだ朝日村があった。
道の駅に隣接して総合交流施設、ちびっこ広場、ふれあい公園などが設けられた施設の大変充実した道の駅だった。 |
左折して県道41号に入り、国道41号に出て南に向かう。
国道をしばらく走って県道437号に入る。
川沿いを調子よく走っていたら、道路沿いにOPT5の公園があったので急停車してQの石碑をチェックする。
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県道437号をさらに進むとCP4道の駅・南飛騨小坂はなももがあった。
川沿いの広々とした道の駅で、また人もそれほど多くなくて、のんびり出来そうな道の駅だが、まだ先があるので、Qだけチェックしてすぐに出発する。
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再び国道41号に戻り南に向かう。
途中で国道をはずれ、下呂温泉の温泉街に入る。
もう4時前で、町中を浴衣姿で名物の湯めぐりに向かう人々がたくさん歩いている。。
JRの駅前にあったOPT 5の看板をチェックして、再び国道41号に戻る。
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途中で国道257号に入り、しばらくすると雨が降り出してきたが、最終CP道の駅・花街道付知に着いた時にはもうやんでいた。
木の町・付知にちなんで、樹齢300年の天然檜を柱に用いた総檜造りの重厚な建物の道の駅で、敷地内には檜造りのモデル住宅も展示されている。
ただこの道の駅も人が少なくて、こんなことで採算が合うのだろうか、少々疑問が残った。
その後国道257号をそのまま進み、中津川インターで高速に乗って、そのまま家に帰った。
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