2004年
北海道の旅 
(PART 1)

最後の航海のフェリーらべんだあにて
 仕事をさっさと片付け家に帰り、急いで荷物をバイクに積み込んで出発、夜の舞鶴道を飛ばす。舞鶴のフェリー乗り場には、9時半ごろ着いた。乗船手続きを済ませてから舞鶴の町に出て食事をしようと思っていたが、乗船開始がいつもより早い10時で、時間がなくあきらめて空腹のまま船に乗り込む。
 このフェリーらべんだあは、この日が新日本フェリーとしての最終航海で、翌日船長よりその旨アナウンスされたが、特にそれ以外変わったことのない航海で、翌々日の朝4時に小樽港に着いた。 
 早朝のオロロンライン(国道231号)を快走する。
 2年前にも走ったルートなので、ほとんどノンストップで、交通量の少ない道を、高速道路のようなペースで、ひたすら北に向かって走る。
 
 天塩で道道106号稚内天塩線に入る。前方に見える利尻島がだんだん大きくなってくる。
 道の両側には、牧草のロールが点在する牧歌的な風景が広がっている。
 
 サロベツ原野駐車公園でしばし休憩。
 人っ子一人いない景色を堪能する。まさに大自然一人占めといった気分を味わう。
 途中寄り道してサロベツ原生花園を歩く。見渡す限りの広大な原野が広がっている。
 よく旅行のガイドブックなどに、一面に咲いたエゾカンゾウの花をバックに、利尻富士がそびえ立つといった写真がよく掲載されているが、時期が悪いせいか、残念ながら花はほとんど咲いていなかった。
 再び道道106号稚内天塩線を北に進む。
 抜海に近づくと、回りの景色はだんだんと険しくなり、荒涼な原野の中、ガードレールも電信棒もない道をひたすら進む。
 結局、稚内の町には9時半頃着いた。
 礼文島に渡ろうとフェリーターミナルに行くが、次の船まで少し時間があり、稚内の防波ドームの付近をぶらぶらして時間を潰す。
 
 30分ほどしてフェリーが入港、船に早々と乗り込んで、船室でごろごろして時間を潰す。
 船は10時50分に稚内港を出港した。
 野寒布岬を過ぎて外洋をしばらく進むと、船の左手に利尻富士が大きく浮かび上がる。
 船は2時間ほどで礼文島の香深港に着いた。
 道道40号礼文島線を北上、海岸線のすぐ側の道を走る。
 右手には真っ青な海が広がっている。
 
 30分ほどで礼文島最北端、スコトン岬に着いた。
 このスコトン岬は、北緯1分差で日本最北端の冠を宗谷岬に譲るが、日本の北のはずれであることには違いない。しかしこの澄み切った真っ青のマリンブルーの海を見ていると、まるで南国の島にいるような感じがする。
 しかし、道道を外れると、草原状の丘陵が続く、北国の風景が広がっている。
 礼文島は、島を一周できる道路がなく、東海岸沿いの道道40号礼文島線がメインルートとなるが、この澄海岬は西海岸で唯一車道が通じている観光スポットで、観光客もたくさんいたが、断崖絶壁に囲まれた小さな入江で、まるで宝石のようと評されるコバルトブルーの海が視界いっぱいに広がる。
 展望台より澄海岬先端を望む。海底が見えるくらいにきれいに澄み切った海の岩場には、高山植物が咲いていた。
 道道40号を南に引き返す。
 途中に高山植物園があった。
 花の浮き島として知られるこの礼文島だが、ここでは希少な高山植物を絶滅の危機から救おうと培養栽培されており、ビジターセンターでは26種類の高山植物の資料が展示され、見本園では2万株の育成種が観測できるという。
 礼文島最南端知床にて。
 結局5時過ぎのフェリーで礼文島を後にして、再び稚内に戻り、南稚内のライダーハウスで宿泊した。
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