恒例の元旦ツーリング、元日の朝9時ごろ自宅を出発する。
武庫川入り口より阪神高速に乗り東に向かう。
西名阪、名阪国道と乗り継いで、亀山で国道1号に入る。
途中で高速道路のような高架道路の続く、国道23号に入り名古屋市内をパスし、その後、国道247号に入って知多半島を南下する。
常滑市に入ると道は狭くなり、初詣に向かう車で渋滞している。
源義朝の最後の地と言われている野間大坊を過ぎると渋滞は無くなり、海沿いの道を走っていると、前方に小ぶりな灯台が見えた。
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野間灯台は、大正10年(1921)に建造された高さ18mの白亜の灯台で、伊勢湾航路の守り神として、知多半島のシンボルとして親しまれているという。
また恋の守り神としても有名で、周辺のフェンスに南京錠をつるすと永遠に結ばれると言われており、カップルでいっぱいの灯台だった。
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国道247号を快走する。伊勢湾を臨みながら調子よく走ると15分ほどで、知多半島先端の羽豆岬に着いた。
岬に隣接する師崎港のフェリーターミナルにバイクを停め、岬の先端の展望台に登る。
眼下に師崎港を見下ろすこの羽豆岬は、西に伊勢志摩、東は渥美半島がパノラマのように一望できる。
日間賀、佐久、築見など点在する島々の間をぬうようにしてフェリー、漁船など大小さまざまの船が行き交っていく。
まさに海の要衝といった感じの岬で、岬に設けられた羽豆神社の社伝によれば、かの日本武尊が東征のおり、尾張氏の祖である建稲種命がこの地の水軍を率いて従ったとあり、また、南北朝の頃には、熱田大宮司千秋昌能が城を築き、後醍醐天皇の皇子宗義親王も新田義貞の弟脇屋儀助とこの城に足をとどめたという。
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またこの羽豆岬一帯は、うばめがしが密生し、海からの風波を受けて幹や枝をたわめ、トンネルのような景観を形作っており、天然記念物にも指定されている。
このうばめがしのトンネルの遊歩道は、別名恋いのロマンスロードとも呼ばれているという。
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名鉄フェリーに乗って伊良湖に渡ろうと思ったが、船が出た後で、次の船は5時ごろ出港で遅くなるのでやめにして、国道247号で知多半島の反対側を北上する。
途中衣浦トンネルで知多湾をショートカットし、蒲郡で国道23号に入る。
結局豊橋市駅前のビジネスホテルで一泊した。
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次の日は国道259号で渥美半島先端を目指す。
田原を過ぎると道は海沿いになるが、風が非常に強く寒い。
松尾芭蕉もこの辺りで「冬の日や馬上に凍る影法師」という句を残しているという。
伊良湖港にある道の駅伊良湖クリスタルポルトに着いたのはまだ9時過ぎだった。
缶コーヒーを飲んで少し温まってから伊良湖岬へと向かう。
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伊良湖岬から約一キロに渡って恋路が浜と呼ばれる砂浜が広がっている。
この恋路が浜は、言い伝えによれば、さる高貴な男女が恋ゆえに都を追われ、この半島に移り住んだものの、やがて人の知るところとなり、男は弁財ケ浜に、女は恋路ケ浜に別れ住むことを余儀なくされ、そのやるせない気持ちが高じて、病のうちに死に至り、二人とも貝になってしまったという。ロマンチックな浜の名には、こうした悲恋の物語が秘められている。
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伊良湖岬先端には、白亜の伊良湖岬灯台が、古くから航海の難所と言われた伊良湖水道を見下ろしてそびえ立っている。
また岬からは、三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった「神島」も望まれる。
平成10年には思い出に残る灯台として、「日本の灯台50選」にも選ばれているという。
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この伊良湖岬は、柿本人麻呂、西行らをはじめとする多くの歌人たちに詠われた古くからの景勝地で、松尾芭蕉は「鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎」の句を残している。
また島崎藤村は、柳田国男よりこの地で拾った椰子の実の話を聞き、「名も知らぬ遠き島より流れよるやしの実ひとつ…」の詩が生まれたという。
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日出の石門から浜名湖まで約70km、片浜十三里と呼ばれる砂浜が続いている。
はるかかなたに見える御前崎を目指して出発する。
国道42号を西に向かう。道路からは砂浜は望めないが快適で調子よく飛ばしてゆく。
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県境を過ぎて塩見バイパスに入る。
高速道路のような高架道路で、右手に遠州灘がいっぱい広がる。
水平線を見ながらクルーズ、有料道路区間はパスして、バイパスをおりて国道1号を走る。
途中でバイクを停めて、砂浜を散歩する。広々とした砂浜が延々と続いているとても開放的な景色だった。
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国道1号は海岸を外れ、内陸部入る。国道沿いには、名物のうなぎ料理の店が並んでいる。
有名な関所があった新居町の付近で、新幹線とJR東海道線と並走する。今も昔も、この付近は交通の要所であることに変わりは無いようだ。
ただ昔は、新居関と舞阪関の間は、渡し船に乗って浜名湖を渡ったらしいが、今は弁天島との間は橋で結ばれているので、そのまま走り抜けることができる。 |
浜松バイパスを外れ、しばらく行くと日本三大砂丘の一つ中田島砂丘があった。
駐車場にバイクを停め、防風林の松並木を抜けると、前方に砂の原っぱが広がっている。
とても静かで、海から吹く風で砂吹雪が舞い上がり、まるで中近東の砂漠にいるような雰囲気が漂う。
この中田島砂丘は、東西4km南北600mの大きさがあり、夏から秋にかけては、アカウミガメも産卵にやってくるらしい。
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国道150号に入り、遠州灘に沿って西に向かう。海からは距離があって、海はまったく見えず、単調な景色の中を淡々と走る。
浜岡原子力発電所をすぎて県道357号に入ると海が近くなる。
波が強く、まるで波打ち際を走っているような感じがする。
御前崎は、日本でも有数の強風エリアで、御前崎海岸はボードセイリングのメッカとして有名だそうで、この寒い中、ウィンドサーフィンをする人がたくさんいた。
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海に突き出した御前崎は、静岡県最南端に位置する岬で、台地の上には、岬のシンボルともいえる御前崎灯台が、そびえ立っている。
高さ17mの展望デッキからは、太平洋の大海原が眼下に広がり、水平線まで見渡せる大パノラマが展望できるという。
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御前崎を越え再び国道150号に入る。所々で前方に富士山が見える。
焼津市内を抜けると東海の親不知と呼ばれる大崩海岸に差し掛かる。
駿河湾沿いの断崖絶壁の上をカーブが連続する。
いちごラインと呼ばれる海沿いの道に差し掛かると、久能山東照宮に参拝する車で渋滞している。
車の列の間をすり抜けして何とか渋滞を抜けて清水市に入り、羽衣の伝説で有名な三保の松原にむかう。
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県道199号を進むが、羽衣の松の入り口が判らず,そのまま進むと海岸に出た。
前方には、富士山がまるで葛飾北斎の浮世絵のような姿を見せている。
まさに絶景といった感じの風景をしばらく堪能する。 |
細い入り組んだ道を抜け、三保の松原に着いた。
6kmに及ぶ白砂青松の松林が連なるという三保の松原は、新日本三景の一つで、また、羽衣伝説でも有名で、浜には天女が舞いおりたとされる羽衣の松と呼ばれる樹齢約650年の古松があり、近くの御穂神社には、羽衣の切れ端が保存されているという。
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その日は静岡市内のビジネスホテルで宿泊した。
次の日の朝、目がさめて外を見ると、曇っていて今にも雨が降り出しそうな天気だ。 当初の予定では、途中まで国道1号をのんびり走って帰るつもりだったが、山間部での雪が心配なので、予定を変更してそのまま高速に乗って帰ることにする。
予想通り途中で雨が降り出し、岐阜県と滋賀県の県境のあたりで雪に替わる。
高速の外は一面の雪景色だが、高速上は雪はまだ積もっておらず、なんとかその区間を通り抜けることができ、無事、家に帰ることができた。
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