徳島駅前のホテルを朝9時ごろ出発、国道192号を西に向かう。
しばらく走って郊外に出ると、道は吉野川沿いを通る。
四国三郎と呼ばれる吉野川も、この下流のあたりはのんびりと流れている。
高校野球で有名な池田町を過ぎると、川は大きく向きを替える。
国道32号に入り、上流に向かうと、V字型の深い渓谷の間をl川は激しく流れている。
大歩危峡で休憩をかねて河原をしばし散策する。
早い桜が満開で桜の色と、川の碧色と岩肌の白とのコントラストが見事だった。
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大豊で国道439号に入る。
与作もこのあたりは改修工事が進んでいて走り易い。
快走して早明浦ダムに向かう。
四国の水瓶とも言われるこの早明浦ダムだが、1994年の大渇水の時に、ダムの底に沈んだ役場が現われ一躍有名になり、それ以降毎年水不足になると、ニュースでその模様が取り上げられるダムだが、今のところ貯水量は十分のようで、当然役場の建物は見えなかった。 |
再び国道439号を進む。徐々に道が険しくなってくる。
ほとんど1車線の曲がりくねった山道が続く。
いくつか峠を越えた山間の平坦な河原一面に、桜が咲いていた。
バイクを停め、河原に降りて少し散策した後、再びスタートする。
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またいくつか峠をl越え、やっと東津野村の入り口にあたる矢筈トンネルにたどり着いた。
東津野村は日本最後の清流と言われる四万十川の源流がある村として、また、古くから伝わる津野山古式神楽などの民俗文化が残っている村として有名な村でもある。
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四国カルストに向け走っていると、道端に吉村虎太郎誕生地と書かれた木の看板があったので、あわてて停車する。
天誅組の首領格であった吉村虎太郎の生家跡地で、天保8年(1837年)にこの地の庄屋の家に生まれた虎太郎は、12歳で家督を相続、北川村庄屋となる。
土佐勤王党に参加後、脱藩第1号となり、東奔西走するうちに藤本鉄石らと中山忠光を奉じ天誅組を結成し、倒幕運動に殉じたという。
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やっとの思いで、四国カルストにたどり着いた。
雄大なカルスト台地の中ををバイクで駆け抜けてゆく。
道の両脇に草原が広がり、その間に石灰石が転がっている。
しかし高地にあるせいか、風が非常に強く、のどかな光景とは言い難かった。
国道440号から国道33号に出て、松山インターから高速に乗って、瀬戸大橋経由でそのまま家に帰った。 |