南港フェリーターミナルより、サンフラワーに乗る。
17時半の出港で、船に乗るとすぐに風呂に入り、食事して、寝台に入る。
昨晩のオールナイトのコンサートの疲れのせいで、すぐに寝てしまった。
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朝8時ごろ志布志港に着き、国道220号を東に向かう。
串間市で国道448号に入り、都井岬を目指す。
県道36号に入り料金所のゲートを越えると、開放的なワインディングが続く。
調子よく走っていると、道路上に野生の猿の群れがいた。
近づくと、どういう訳かこちらのほうに飛びついてくる。
身の危険を感じたので、あわててバイクを発進させてこの場を通り過ぎた。
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日南海岸の最南端の岬、都井岬の先端の断崖に白亜の灯台が建っている。
都井岬灯台は、昭和4年に初めて点灯し、1994年にやっと電化されたという。
光度距離37.5海里、約70km、130万濁光灯が海の安全を守っている。
また灯台の下の断崖には、約3000本のソテツが自生し、特別天然記念物に指定されている。
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都井岬の丘陵一帯では、御崎馬と呼ばれる野生馬が放牧されている。
この馬は約300年前に高鍋藩主が放牧したのがのちに野生化したもので、日本在来馬として天然記念物に指定されているという。
御崎馬は牧場開設当初から、ほとんど人手を加えない粗放な管理しか行われず、そのため今でも日本固有馬の姿をとどめており、それ故に昭和28年には「自然における日本に特有の家畜」として国の天然記念物に指定されている。
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国道442号日南フェニックスロードを北に向かう。
恋ヶ浦、幸島、夫婦浦といった地名が続くこのあたりは、ロマンス街道とも呼ばれているらしい。
また全国屈指のサーフポイントとしても知られている。
日南市で国道222号に入り、日南の小京都と呼ばれる飫肥へと向かう。
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飫肥は1500年代の終わり頃から明治までの約280年間、飫肥藩伊東氏5万1千石の城下町として栄え、碁盤の目状に整備された町中に、苔むした石垣や武家屋敷が残っていて、往時の城下町の佇まいを偲ばせている。
またポーツマス条約締結に尽力した外交官、小村寿太郎の出身地でもあり、記念館も設けられている。
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飫肥城は、もともと9つの城から成り立つ平山城で別名を亀井城とも言う。
難攻不落の城としても知られ、1484年から始まった島津氏との城争奪戦は、日本史上最長の84年間にも及んだという。
城跡には弾丸の跡の残る石垣や、大手門前の石段などが当時のままに残っている。
昭和54年には現在の大手門と松の丸が樹齢100年以上の飫肥杉を使って復元されている。
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武家屋敷通りをあるく。
石垣や板塀、生垣も当時のまま保存されている。
通りを歩いていると、江戸時代にタイムスリップしたような、そんな錯覚を覚えそうな町並みだった。 |
再び国道220号に戻り海岸沿いを北上する。
海を臨む断崖絶壁に鵜戸神宮があった。
鵜戸神宮は、海幸・山幸の山幸彦の息子で、神武天皇の父であるウガヤフキアエズノミコトを祀っていて、厄除け、漁業、航海、縁結び、安産の神として有名な神社で、また剣法発祥の地としても知られているという。
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さすがにGWのせいか、鵜戸神宮は参拝客で混みあっていた。
鮮やかな朱塗りの山門を抜け本殿に向かう。
ソテツなど亜熱帯植物の杜を抜け、朱塗りの橋を渡ると、海に面した岸壁の洞窟の中に本殿があった。
洞窟内にはお乳岩があり、ここから滴る水を使ったお乳飴は母乳によいとされ、名物にもなっている。
また本殿前には、崖下に亀石と呼ばれる亀の形をした大きな岩があって、その亀の背にある小さなくぼみに運玉と呼ばれる小石を投げ、その中にうまく入ると願いごとが叶うといわれている。
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有名な青島は、観光客が一杯で混雑しているためパスして、そのまま国道220号を北上する。
宮崎南バイパスに入る。
高架道路の中央分離帯には椰子の木が並んでいて、まさに南国といった感じの道が続いていく。 |
国道をはずれ県道11号を走る。
海岸線には巨大なリゾート、シーガイアが拡がっている。
昨年の2月に負債総額3200億円を抱え破綻し、現在はアメリカの米投資会社リップルウッド・ホールディングスが運営しているという。
僕自身、何年か前に家族旅行で来たことがあるが、今回、外から見た限りではその時とは何も変わっていないように見えた。
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国道10号を北に向かう。これといって見る景色も無く淡々と進む。
延岡を過ぎると、道は山中に入る。宗太郎越えと呼ばれる険しい山道が続く。
山中を抜けるとそこが佐伯市で、国道217号に入り街中を走る。
途中で佐伯城跡という看板が出ていたので、休憩をかねて城跡に向かう。
佐伯城は、1606年毛利高政によって築かれた平山城で、本丸、二の丸、西出丸、北出丸の四つで構成され、側壁を高石垣で固め、本丸のほぼ中心部に天守台を配置し、三層の天守を構えていたといわれている。建物の大部分は明治になって壊されたが、今も高峻な山上には、石垣が残っているという。
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しかし山頂まで上るのは遠慮して、麓の三の丸付近を散策する。
大手前から城山の麓に沿って、白壁の土塀の武家屋敷が続き、城下町の風情が残り、昭和61年には建設省の日本の道百選にも選ばれたという。
明治の先覚者矢野龍渓生家跡や文豪国木田独歩が寄寓していた家などもあり、特に独歩は「豊後の地、山嶮にして渓流多し、所謂ゆる山水の勝に富む。佐伯はその一小市、人口五千と称す。もと城下なり。(中略)ここは別天地なり。」という詩も残しているという。
たまたま立ち寄った町だったが、新たな発見があった町だった。
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1日目は結局大分のビジネスホテルにチェックインして、2日目は再び国道10号を別府湾沿いに北上、途中で国道213号に入り国東半島を1周する。
空いた道を調子よく走っていたら、川の向かいのに城が見えたので、停まって記念撮影する。
杵築城は、非常にきれいな城だが、海と断崖に囲まれた台地上に建てられた要害堅固の城で、島津義弘の部将・新納忠元の猛攻を受けたが、これに耐え撃退したことから、別名勝山城とも呼ばれた、実戦的な城らしい。
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ハイスピードで国東半島を一周し、国道10号に合流してすぐの所に、宇佐神宮があった。
大きな鳥居をくぐり、広大な境内に入る。
宇佐神宮は、和気清麻呂が神託を持ち帰ったことで有名な神社だが、伊勢神宮に次ぐわが国第二の総廟で、全国八幡宮の総本山というだけあって、本当に大きな神社だ。
この神社の広大さに比べると、他の有名な神社、たとえば僕の地元には戎さんで有名な西宮神社や広田神社といった有名な神社があるが、それらの神社がチャチに思えるくらい大きな神社だ。
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境内にはたくさんの摂社があり、それらの脇を抜けてゆく。
それらの摂社の朱色と社叢がきれいなコンストラストを描いている。
本殿は、これらの摂社以上に華やかで、檜皮葺の屋根と白壁、朱漆の柱が印象的な、八幡造りという様式の代表建造物で、国宝に指定されているという。 |
国道10号を北上する。交通量がだんだん多くなってくる。
行橋市内で県道28号直方行橋線に入る。
急な坂道を上り詰めると、突然カルストの高原が拡がる。
日本3大カルストの一つ平尾台で、標高400〜600メートル、南北11キロメートル、東西2キロメートルに渡って無数の白い石灰岩が散在し、その様子は草原に遊ぶ羊の群れを思わせるところから羊群原とも呼ばれているという。
開放的な景色の中を駆け抜けて行く。
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小倉南インターより九州自動車道に乗り、新門司インターで降りる。
フェリーの出港までまだ時間があるので門司港の辺りに向かう。
門司港は戦前は海外交易の要衝として賑い、洋館が街の随所に建ち並んでいたという。
今はそれらの建築物が一つの地区に集められ、JR
門司港を中心にレトロな町並みが再現され、観光客の人気を集めているという。
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和布利公園から関門海峡を見下ろす。
関門海峡を一望、関門橋や海峡を行きかう船を眺めながらしばらく休憩する。
ちょうどよい時間になったので、新門司のフェリーターミナルに向かい、名門大洋フェリーで大阪に帰る。
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