2001年正月
瀬戸内 ・南伊予の旅

 1日目 1月1日
 
記念すべき21世紀の始まりのこの日、寒風の吹き叫ぶ中、9時半ごろ自宅を出発する。空も生憎の曇り空で少し寒い。
 今回はパナソニックの出るナビを持参しての旅で、前日にセットした飾磨港の関西急行フェリー乗り場まで、ナビの案内どおり向かう。
 西宮ランプから阪神高速に入り、第2神明、加古川バイパス、姫路バイパスと乗り継いでいく。
元日でさすがに道も空いていて150キロ平均で飛ばして行くと、当初11時ごろ到着予定のナビの所要時間がどんどん短縮されていく。
 結局10時半過ぎにフェリー乗り場に着いた。すぐに乗船手続きをして11時過ぎ発のフェリーに乗る。
 フェリー内でガイドブックを見て、この日のルートを決める。小豆島を反時計周りに一周することにする。
 1時前に福田港に着いた。県道26号を北に向かう。しばらく走ると小豆島の北岸に達する。花崗岩の採石場が続く寒々とした景観が続いていて、この辺りの景色を見た限りでは、とてもオリーブの島とは思えない。
 大阪城残石記念公園で少し休憩する。公園内には、この付近の海中から引き揚げられた大阪城築城の際の残石が、一列に並べられている。細川越中守のものらしいが、そのせいか公園内の記念碑は、子孫である元総理大臣細川護煕氏の筆によるものだった。
 やがて小豆島西岸に達し、ギネスブックにも認定されているという世界一狭い海峡の土淵海峡を渡る。護岸工事されているせいかとても海峡とは思えない、堀川のような海峡だった。
 国道436号に出て島の南岸を走る。天気も良くなって、いかにもオリーブの島といった雰囲気が漂う。 
 道の駅小豆島オリーブ公園で休憩する。
 気になっていたサッカーの天皇杯決勝戦を携帯テレビで観戦する。ゲームは接戦で、同点になって延長になったせいで、少し長居することになっってしまった。
 その後、オリーブ公園内を少し散策する。
 園内にはハーブやオリーブに関する施設が点在している。
 ミロのビーナスが発掘された島として有名な姉妹島ギリシア・ミロス島をイメージして、ギリシア風の教会を模した建物や風車小屋などもあった。
 二十四の瞳映画村に向かう。
 途中の県道沿いには、島の名産の醤油工場が建ち並び、独特の甘い香りがあたり一面に漂っている。
 内海湾沿いの道をしばらく進んだ小さな漁村が、二十四の瞳の舞台となった田ノ浦の集落で、岬の分教場が当時のまま保存されている。
 少し先には、昭和62年に再映画化された際に使われたオープンセットが、二十四の瞳映画村として公開されていた。昭和初期の小豆島の町並みが再現されていて、少し懐かしい感じのするところだった。
 その後、高松港行きのフェリーに乗るために草壁港へと向かうが、ちょうど船が出た後で次の船の出港まで大分時間があったので、先の池田港よりフェリ−に乗る。
 高松港には8時前に着いた。まず船内で見つけた宇多津町の四国健康村に向かう。
 高松坂出道路をとおり、瀬戸大橋の巨大な高架の下を潜りぬけ、しばらく走ると四国健康村があった。しかし元日だというのに満員で、入るのをやめて再度出発する。
 丸亀駅前で少し休憩した後、善通寺インターより高松自動車道に乗り、高速を西に向かう。真っ暗な高速をハイペースで飛ばし、結局、松山自動車道石鎚山SA内の芝生の上でテントを張って寝る。
 風が強くて、テント内も冷え込んで、寒くてなかなか寝付けない。服を着込んで、寝袋の上にライディングジャケットを掛けて、何とか寝付くことができた。

 2日目 1月2日
 朝起きて空を見ると、空はどんよりと曇っている。気温も低くて、今にも雪が降り出しそうな天気だ。慌ててテントを片付けて、8時過ぎ頃出発して松山自動車道を西に向かう。 終点の大洲インターで高速を降りて、国道56号で宇和島に向かう。所々バイパスの道を抜け、10時半頃宇和島駅に着いた。
 宇和島駅には、司馬遼太郎氏がその著書の中で、構内で線路が果てているのを見て、強い感動を持ち、宇和島という町は、鉄道文明の上からみても際涯であることを感じたということを書いておられるのを読んでから、興味を持ち、再度行ってみたいと思っていた。 今回、駅に着いて周りの風景を見ると、前に来た時と感じが変わっているのに気がついた。
 駅ビルが、新しい高層ビルに立て替えられ、駅前広場も整備されていて、氏の言う、鉄道文明の際涯という感じではなくなっていた。
 その後、国道56号を北上する。吉田町を過ぎると、道はきつい上り坂になる。所々で、急斜面の下に海が見える。
 周りの山々には、頂上までみかんの木が栽培されている。
 法華津トンネルを抜け、宇和町に入ると道が渋滞している。国道をはずれ、街中の旧道に入る。
 ちょうどその辺りが卯之町で、明治以前の町並みがそのまま残っている。
 うだつのある町屋が並んでいる路地を抜けると、江戸時代末期の蘭学者二宮敬作の屋敷跡や高野長英の隠れ家などがあった。
 また、この町には、現存する日本最古の小学校建物の開明学校も残っている。
 再び、新道の国道56号に戻る。山を越えると、大洲の町だった。
 ここにも明治の古い町並みが残っている。
 NHKの連続ドラマの舞台となった、おはなはん通りを抜ける。
 町の中心を肱川がゆったりとカーブを描き、そのほとりに臥龍山荘が立っている。まるで夢の中のような景色の町だった。
 大洲から国道56号を少し北に進むと、内子の町がある。
 内子は、江戸中期から木ろうの町として栄えた町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された八日市護国の町並みには、往時の古い商家がそのままの姿で残っている。
 漆喰塗りの壁やなまこ壁、千本格子の商家が軒を連ねる通りを歩くと、この一角だけ時間が、江戸時代のままで停まっているような感じがした。
 いくつか峠を越えると伊予市で、前方に青い伊予灘が広がる。
 国道56号をそのまま北上して、松山市内のビジネスホテルには4時過ぎに着いた。
 シャワーを浴びてから、市内に出て食事をしてから寝た。
 3日目 1月3日
 朝9時頃ホテルをチェックアウトして、まず松山港に向かう。
 額田王の和歌に詠われた、熟田津とは多分この辺りだろうが、場所は特定できなかった。
 海沿いを北上し、国道196号に入る。瀬戸内海を横目に見ながらのんびり走る。
 今治からしまなみ海道に入る。
 横風が強くて、レーンをキープするのが大変で、あまり景色を楽しむ余裕が無い。
 いくつかの橋を渡り、対岸の尾道には昼過ぎに着いた。
 とりあえず尾道駅に向かう。駅前の尾道ラーメンの店に入り、ラーメンを食べる。
 豚のミンチ肉が、濃い醤油の色のスープに浮かんでいて、一見しつこそうだが、食べるとあっさりした味で美味しかった。
 尾道の町を散策する。尾道水道を見下ろす斜面上に、古い家々が建並んでいる。その家々の間を縫うように、石畳の坂道や小路があって入り組んでいて、坂を登った山の手には、由緒のある古寺が点在している。
 志賀直哉の暗夜行路や林芙美子の放浪記の舞台となった町で、文学のこみちや志賀直哉の旧居などもあって、町全体に文学の香りが漂っているようだ。
 また、映画監督の大林宣彦の出身地でもあり、「転校生」や「時をかける少女」など監督の映画の舞台ともなった町としても有名だ。
 石畳の坂道を登ると、千光寺に辿り着いた。境内からは、尾道の町と、その対岸の向島の風景が、パノラマのように広がっている。
 正月なので、初詣の人で境内は混み合っていた。
 3時間ほど尾道の町を散策した後、帰路に着く。
 尾道インターより山陽道に入る。帰省の車のUターンラッシュが始まっているのか、所々で渋滞していた。
 西宮北インターで高速を降りて、下道を走り自宅を目指すが、Uターンラッシュのせいで下道も渋滞している。
 西宮北有料道路も、入り口手前から渋滞で車の列が続いている。トンネルを通らず、峠越えで家に帰ることにする。
 結局6時半ごろ家に着いた。

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