昨年は、「今年から21世紀。20世紀も終わり、新らた世紀が始まる。」と日本で騒がれ、
一昨年は、「西暦が大きく変わる。全てが新しくなる年。」と世界で蓋いに騒がれた。世紀越えでなくとも、毎約31536000秒ごとに、グレゴリウス暦により、新たな年越えの祭事が、世界各地で行われ、人類は、新しい時間を感じてしまう。
現実の生活は、昨日とほぼ同じ時間を繰り返すのに、人間は、日(day)、月(month)、週(week)、年(year)、世紀(century)を越える毎に、新しい変化を強く感じる。いや、正確には、強く感じようとする。
この時間的単位は、自然界における絶対的基準ではない(量子力学の仮説をとらないならね・・)。あくまでも、人間が、人為的に太陽や太陰を基準に創造した人為的な単位でしかない。そう、相対的で観念的な存在としてのただの約束ごと。
それなのに、新しい感覚や事象の変化を感じてしまうのは、なぜだろうか?
それは、人間が、抽象的で掴みどころのないような不明確で不安定な事象や状況になればなるほど、自己の態度決定をするための具体的で明確な行動基準を設定しようとする本能に根ざしているからと言えよう。
自然的な単位である秒(second)、分(minute)、時(time)ぐらいの具体的な知覚が持てる時間の単位であるならば、自己や他者の行動を律する基準となる約束事を設定する必要はないので、万国共通の単位となり得る。しかし、この程度を超えてしまうと、人間は、時間の抽象性に対して、畏怖の念を感じ始めてしまう。またそれは、同時に、同じ時間を共有しているはずの他者が、それぞれ異なる時間を感じて行動してしまうことへの不安や畏れでもある。
人間は、本来的に単独の個体のみでは生活しない動物であるから、自ずと集団を形成して行動する社会化が、本能としての安全欲求に組み込まれており、その国民の自由と安全を守る責務を負う国家が、共通し共有できる行動基準となる時間のルールを制度として採用したのも歴史の自明の理であった。
しかし、留意して喚起すべき認識は、本当の時間の流れは、人それぞれ異なる感覚で流れて、その感ずる強さや内容も千差万別であるということである。
この大切な認識を持たずに説得交渉を行なうことは、攻撃防御のコミュニケーション形成における重要なKeyである「タイミング」というバランス感覚を持たないことを意味します。その結果、対人印象や環境管理もできずに、ただ闇雲に本能の赴くまま、乃至、極めて利己的に、対象者と接触することになります。それは、将に、三半規管が働かない状態で、手すりのない一本橋を渡る行為に等しく、方向がわかる者にとっては、大変に有益な橋が、とても危険な建造物に変わってしまうようなものなのです。
特に、犯罪交渉における時間の認識は、取り扱い注意の危険な効用があります。
紛争を自ら創造して、反社会的行動に出た者は、クリミナル・クリエーター(A Criminal Creator)としての鋭敏な感覚を纏い維持しています。そこでの時間の流れは、さまざま蜂起し激動する出来事の数に比例して、ゆっくり流れています。
すべての情報を継続して即座に入手できない対外的接触者は、断片的に一括して情報を得るため、極めて早く時間が流れたように感じてしまいます。しかし、この認識の齟齬は、交渉決裂や説得不調となる危険な要因となります。
それは、選択した的確であるはずの言葉や態度が、意図した本来の説得交渉効果を生まず、または却って、反対の効用を生じてしまうことになるからです。例えば、粗暴で横柄な犯罪者に対して、素直で優しい思考を回復するために、幼少のころの思い出を喚起させる話を振るとした場合、通常は、精神医学の退行療法の手法に沿って、現時点から段階的に年齢を遡って記憶の断片を繋いでいく会話を展開していくことになるが、下手な交渉者は、自己の興奮も手伝ってか、突然に家族を連れて来て、母親に子供の頃の話をさせようとする。
「アホか!ガキの頃なんか思い出せるか!(犯罪者自身の回顧談)」
その後は、家族を含めて一切の交渉を受け入れない貝の「立場固定(静の防御)」を決意してしまい、交渉(会話)の再開すら儘ならない状況に陥ってしまいます。これは、現行犯罪者が生きて感じている時間の世界を理解できずに接触した当然の結果であります。
ゆっくりと流れる時間の中にいる者は、時間の感覚や思考もゆっくり動く。
= それは、態度変容(心変わり)の影響度は鈍いが、僅かな情報すら吸収する敏感な世界の住人を意味する。これは、当事者の興奮の度合い(急がせる言動)とは、関係ない。その犯罪行為という出来事に関しての(1)情報保有量と(2)コントロール権限の有無により、作り出される当事者の時間の世界である。
では、この時間の感覚の齟齬を解消して、同じ時間の共有感受者になるには、どうしたらいいのか?
「犯罪実行者から、(1)情報的優位性と、(2)犯罪環境決定権を少しずつ奪い、その事実を相手に認識させればいい。」
(1)については、接触以前にできるだけ多くの情報収集と当事者も知らない事実を幾つか見つけておく。
→ 足りない情報は、現場において、本人から全て聞き出せばいい。その上に、不知の事実を教えれば、情報の優位性は逆転される。(2)については、強行実行力の脅威を示せれば、実際には用意しなくともいい。
→ 背後にSWAPとかの協力があればベストだが(笑)、実行性の脅威は、数の多さや権威の高さ、専門性の深さによっても、誇示することができるから、紛争状況や被説得者の資質により、臨機応じていけば足りる。まあ、現場では、『焦らず、ゆっくり急げ!( Festina Lente ! )』ということだね。
2002/3/30
「紛争」という外在的な人的関係性の縺れは、「葛藤から憎悪へ」という内在的な心的関係性の安寧な単純化により、より複雑に縺れ、もはや解きほどくことができなくなるほど、堅固な対立となり、そして、そのままの状態で「ひとつの風土・性格」になる。
紛争が恒常化し、日常となり、それが世代を超えて、文化になったとき、
その民族は、「戦争」でしか、自国や民族の同一性たる共同意識(Identity)を持てなくなってしまう。
このような「人類の災禍・不幸」というべき状況に陥っている紛争地域は、世界各地に存在する。異なる一神教を信仰し合う地域での紛争は、特に深刻である。はたして、この個人の感情を超えた民族の紛争が、拡大するのを防止し、かつ、世代を超えた憎悪を縮小し鎮める良策は、存在するのであろうか?
う〜む。かなりの難問を自ら出してしまった。汗;)
そこで方策は、やはり基本に立ち戻ることだろう。往々にして、複雑な関係性ほど、シンプルなベクトルにより、方向づけられるものである。交渉や説得の原理・原則は、個人間だけでなく民族国家間においても、同様に機能する。でも、その実行と成果は、対個人を相手にするよりも数万倍、大変だけどね。
個人間の紛争自体を予防し、発生してしまった紛争拡大を防止するには、交渉の基本である相互認識の不一致・錯誤帰属(cognitive misattribution)を解消する相互努力が必須となる。
しかしながら、現実の外交交渉における為政者は、多くの国民の利益と安全を守るという大儀目的から、自国の欠点を隠し、利点を誇張して、業と故意に、他国の為政者とその国民を錯誤に陥らせようとする。この情報的優位性の確保という競争的交渉スタイルが、勝者と敗者が永続的に入れ替わるだけの「紛争の無限ループ」を生む温床となっている。
暗示
ダブルキャスト
心的リアクタンス、ブーメラン効果
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