日本人村の歴史

2002/10/18 Shinsuke_SBC、Kura_SBC、okumura_SBC、wakifu(敬称略)の4人により、日本人街「Japanese-Isle」設立。それぞれ順に「市長」「会計係」「市長代理」「警備主任」となる。
また初期資源により、プエルトリコ小屋とカルカソンヌ拡張版小屋を設立。

 日本人街の名前は「Zipangu」「Japan」などの候補がありましたが、最終的には「誰が見ても日本人街だと分かる」名前で、かつ「English Town」とカブらないような名前という事で「Japanese」と「Isle(島)」を組み合わせました。
 なお小屋の名前の命名権は市長(Shinsuke_SBC)にあるのですが、基本的に「日本語」かつ「ゲーム内容に沿った」ものにしようと心がけております。プエルトリコ小屋の名前は『ぷ』ですが、これはSBCにおけるプエルトリコの通称です。

2002/10/26 ティチュー小屋設立。

 ゲーム内容が大富豪っぽいから『大富豪』と命名。

2002/10/27 カタン小屋設立。

 ひねってません。

2002/10/31 日本人街で初めて邸宅が建つ(所有者:Kura_SBC)。

 これはそう簡単には建てられない建物なのです。この街で誰が一番ゲームをしているか一目瞭然となったわけですね(笑)。

2002/11/07 ラー小屋設立。これにより小屋は制限数5軒に達し、以降家屋を建てていくことになる。

 『ラーの鏡』を知らない人はいますか? ハタチまでにこの言葉を忘れないと死んでしまうそうですよ(それを言うならムラサキ…ゲフンゲフン)。

2002/11/10 家屋(キャントストップ)設立。

 相次ぐ転落事故と険しい雪山。これから連想できたものは『八甲田山』しかなかったのです。
 なお、このあたりから日本人村に遊びに来る日本人が急増しました。

2002/11/17 日本人村メーリングリストをaploさんが製作。

 是非みなさん参加してくださいね。日本人村の情報に限らず時々お得情報が流れます。

2002/11/18 家屋(ロストシティ)設立。

 某氏の「そろそろ2人用ゲームを」という強い要望にお応えして設立決定しました。遺跡探検がテーマなら『ふしぎ発見!』でしょう。

2002/11/25 家屋(王と枢機卿)設立。

 トランスアメリカとどちらを建てるかでモメましたが、あまり意味がなかったことはこの下を読めば判ります(笑)

2002/11/27 家屋(トランスアメリカ)設立。

 『アメリカ横断ウルトラ鉄道』。十代の諸君をおいてけぼりです。

2002/12/01 家屋(ドッペルコップ)設立。

 Doppel(2つの)Kopf(頭)より『二つの頭』と命名。通称ドッペル。

2002/12/06 家屋(プエルトリコ2軒目)設立。

 『P.P.R.』は「Play Puerto Rico」の略ですが、元ネタが実はありまして…。某コ○ミ社の…。

2002/12/14 家屋(ミューテラー)設立。
ひっそりと農場が開園。
街に川が流れ、ヤシの木が生える。

 ミューテラーの通称は『みゅ』なので「東京ミュウミュウ」にしようかとも思いましたが、持ち前の理性を発揮し却下。『商人(あきんど)の謀(はかりごと)』って、一応韻を踏んでいるのですよ。「ヘルター・スケルター」「オインゴ・ボインゴ」「のいる・こいる」みたいに。

2002/12/14 家屋(ババンク)設立。これにて家屋も制限数に達し、以降テントを建てる事になる。
これまたひっそりと公営住宅が2軒設立。

 市民アンケートを優先した最初の建物でもあります。

2002/12/17 テント(フィレンツェの匠)設立。

 実在の喫茶店がモデルです。

2002/12/21 市民数、計20人に到達。

 日本人が増えて嬉しい反面、資源のやりくりに不安も感じる師走の夜。皆さん、いっぱい遊んでってくださいねー!!(←必死)


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