俺は名著『水滸伝』に登場する好漢で嫌いな人物が一人いる。それは誰かというと宋江だ。なぜ宋江が嫌いなのかというと、宋江は一人梁山泊108人の中で異色な存在だからである。宋江は梁山泊の中で一人だけ違った考えを持っていた。梁山泊の悲劇は、その唯一異なった考えを持った男がリーダーだった事だ。しかも梁山泊の全てのメンバーが宋江に心酔していたのである。

宋江は無能である。人並み優れた武芸者でもなく、天才的な戦略を練れるわけでもなく、完全な侠というわけでもない。ただ、常に場当たり的に対応し、名声のみが肥大していった人物だ。しかしどういう訳か好漢達に好かれ、尊敬された。何故か?宋江には目的があった。高求を退け、朝廷を助け、宋国に平和と安定をもたらすことだ。この崇高な目的は、自分達が何をやりたいのか目的が分からずその力を持て余していた好漢達の心を揺さぶり、その一生をかける道を照らしたのだ。

しかし、宋江は完全に順番を間違えていた。まず、朝廷を助け、宋国に平和と安定をもたらした後に高求ら姦臣を退けようとしたように見える。朝廷の命令で各地を転戦している時も、何度も高求らを討てと勧める好漢達の意見を無視し、自殺的とも思える戦いを続け、全ての戦いが終わった時には宋国に平和と安定をもたらし、高求ら姦臣を退ける力など梁山泊には残っていなかった。また、宋江は高求らは朝廷の中枢にあり、これを退ける前に朝廷を助けるという事は、結果高求らを助けるという事になるという最も重要な事を見逃していたのだ。

では誰が梁山泊のリーダーだったら良かったのか。俺は水滸伝を読んでいて、晁蓋が生きていて梁山泊を率いてくれていたらと何度も思うことがある。毛沢東は108星に晁蓋を入れなかった『水滸伝』を悪書だとし、文化大革命の際に焚書したそうだ。俺は毛沢東の考え方はどうでもいいんだが、晁蓋を評価したという一点は同意する。そう思うと優れたリーダーであり見識もあった晁蓋が死んだ事が、梁山泊滅亡の始まりだったのかもしれない。

*このプロT的見解は小説『水滸伝』を元に書いたものであり、史実は無視しています。