とても個人的な話で恐縮なのだが、岡田さんは僕の友人だった。岡田さんは僕が学生時代よく通っていた三軒茶屋のレンタルビデオ店の店員だった。やたら大きな人だったが、とても人懐っこい顔で接客してくれる人だった。僕がアダルトビデオを借りる時、同じビデオを以前借りたことがあると岡田さんに助言してもらったこともあった。その後、格闘家ジャイアント落合としてデビューしたことは気付かなかったが、数ヶ月して僕のよく行く定食屋でアフロの巨体・ジャイアント落合がメシを食っていた。「高橋さん、お久しぶりです!」と言われて、初めてジャイアント落合=岡田さんであることに気付いた。驚いた。

そのころからビデオ屋の店員と客ではなく友人になれたと思う。岡田さんはビデオ屋でバイトしていただけあって、映画が好きだった。色んな映画の話をした。渋谷のどこのイメクラがいいという話もした。人妻出会い系で酷い目にあった話もした。一緒に合コンも行った。一緒に電車で高校生とケンカしたりもした。岡田さんの試合も観に行った。その試合では派手にKOされていた。岡田さんのTシャツを作ったりした。アントニオ猪木のお兄さんに会いに行って何故か一緒に3時間も正座したり、引っ越しの手伝いをしたりもした。

その後僕は田舎に帰ったが、定期的に「ジャイアント落合」で検索し、岡田さんが試合をしたことを知ればメールしたり電話したりした。「内容はどうあれ勝ちは勝ち」「実力つけて絶対這い上がりますよ!」とポジティブなコメントが返ってきたが、キャラ先行で、なかなか評価されないのを悲しんでいた。

岡田さんとの最後の会話は、久々に定食屋に行く際に連絡した時だ。しかし練習だったかバイトだったかの都合で会えない、申し訳ないと言われた。僕は、いつでも会えるからいいですよ、また行くとき連絡します。と言って電話を切った。こんなことになるなら無理矢理にでも会っておけば良かったと悔やまれてならない。

僕は格闘家ジャイアント落合の表の顔についてはほとんど知らない。試合も3試合観ただけだ。でもプライベートの岡田貴幸さんのことはよく知っているつもりだ。いくらショッパイ試合をする選手だと酷評されても、岡田さんは常に前向きに頑張っていた。正直、WJの道場で倒れてからも、岡田さんが死ぬはずがないと、どこかで高をくくっていた。しかし岡田さんは逝ってしまった。

志半ばで死んでしまうのは、辛かっただろうし悔しかっただろう。俗世では、いまだにあなたのことをめぐって騒がしいが、とにかく岡田さんは安らかに眠ってほしい。心の底から岡田さんのご冥福をお祈りいたします。

しかし自分でも驚くほど、僕は本当に悲しいです。