歴史コーナーの今回の餌食は伊達政宗だ。

この人ってそんな名将かなあ?みんなこの人の事をどれだけ知ってて持ち上げてるんだろうか?じゃあ、ざっくりとこの人の世間での一般的な評判を挙げてみると、

1.わずか十年弱の内に奥州を平らげた。

2.小田原での豊臣秀吉との対面の際の大博打。

3.奥州一揆での書状の花押に針の穴を開けておいた事によって危機を逃れた機転。

4.もう二十歳若ければ天下を取れた。

5.奥州一の戦上手。

6.先見の明で欧州に使節を送った。

こんなところか。じゃあ、一つ一つ検証していってみよう。

1は論外。だって政宗が秀吉に降伏した頃に政宗が切り取った領土ってほとんど衰退しつつある弱小大名のモノばかり。肝心の南部、最上、安東、相馬といった有力大名は健在で、逆に領土を脅かされていたほどだ。ただし切り取った領土をほとんど取り返されていないのは認めてもいいかな。

2は論外。だって政宗のやった事はただの開き直りなんだから。ここで秀吉自身は殺してしまおうと思ったとしても、自分の器量のある所を諸大名に見せなければならないので許されたのだ。もし仮に政宗がそうなることを予測してこの大博打を打ったのだとしても、失敗したら死ねば良いというこの考えは主君にあるまじき思考回路ではないだろうか?

3は論外。ってしつこいか。つまり、政宗は最初から失敗する一揆に、地侍や農民を駆り立てて見殺しにしたのだ。またその一揆鎮圧の為に多くの蒲生家臣団や周辺大名の家臣が犠牲になっている。それを踏まえて考えると、すでに戦国は終わり皆が平和な世の中を作ろうとしている時に、一人戦国の復活を望み、自分に火の粉がかからないように悪知恵を働かせた武士にあるまじき男、という素顔が見えてきそうではないか(他の大名も五十歩百歩だけど)。

4は無理。二十年前の奥州に政宗が生まれてきたとしても状況が違い過ぎる。鉄砲も普及しておらず、小豪族が割拠しており、強大な蘆名帝国には名将蘆名盛氏が君臨していた。さらにその蘆名を破ったとしても北条氏康が控えており、上杉謙信や武田信玄といったキラ星のごとき戦国大名達が待ち構えている。彼等を相手に政宗が勝てたであろうか?無理とは言わないが、相当難しかったであろうことは言うを待たない。織田信長が彼等有力戦国大名に勝てた最大の勝因は、信長が彼等より若かった事であると言っても過言ではない。そこを忘れてもらっちゃあ困る。

5は政宗の戦歴をみればどの程度だったかがすぐ分かると思う。確かに政宗は奥州では、かなりの戦上手だったに違いない。しかしそれ中央軍との戦いでは、あまり褒められた戦績を残していないのだ。例えば関ヶ原の戦い。この戦いで伊達軍は上杉方の白石城を急襲し落とす事に成功している。これはこれで大した事だと思う。が、当時白石城を守備する城将は軍議のため城を留守にしており、そのために簡単に落城してしまったのだ。さらに南からは徳川軍約八万が北上中であり、上杉軍の主力はそちらの方に向かっていたことも挙げられる。しかし白石城を落とした後が悪い。徳川軍の北上が無くなった後、上杉軍の主力は急遽向きを変えて北上を開始した。上杉対徳川が伊達・最上対上杉になったのだが、伊達・最上連合軍は連戦連敗を重ねて窮地に追い込まれるのだ。しかも頭の悪い事に徳川家康から停戦命令が出てもそれを聞かず、がむしゃらに上杉軍と戦い破れ続けていたのだ。

もうひとつ例をあげよう。大坂夏の陣である。この戦いで政宗は大坂方の後藤又兵衛基次を討ち取るという大戦果をあげている。これは評価できるんじゃないだろうか?兵力差を見てみると後藤隊が二千八百に対して伊達隊が所属していた東軍部隊は二万三千もの大部隊で圧勝しているのだ。当然勝ってあたりまえ。これで戦上手とは笑わせる。ただこのまま終われば伊達軍の戦功はそれでも輝かしいものとなったであろう。しかし、調子に乗って伊達軍は突出し、真田幸村と毛利勝永の三千に撃破されてしまう。しかもその十分の一の敵と戦った戦闘でのダメージが大きく次の日の決戦では後方で休養しなければならないほどの有り様だったのだ。しかもあまり知られていない事だが、政宗は後藤隊との戦闘(道明寺の戦い)の際に、同じく先陣争いをして大戦果をあげた神保相茂の部隊を襲って全滅させているのだ。その理由が「度々我ガ手先ヘ働キ来ル事ヲ口惜ク思ヒケルニヤ、鉄砲ヲ打掛ケル」(『難波戦記』)とある。つまり伊達隊に割り込んで戦功を立てた事を悔しがって突然味方に襲いかかったのである。これは当たり前の事ながら諸大名の大ヒンシュクを買い、特に島津家では『薩藩旧記増補』等で散々にこき下ろされている。

さて最後の6なんだが、これに関しては使節を送った事によって何を得ようとしていたのかが不明瞭ながら、わざわざ国が鎖国に向かっている時に使節を出して、鎖国が確定した後に苦労して帰ってきた支倉常長を冷たく扱ったりしている。つまり己の計画性の無さを棚に上げて家臣を冷遇するなどという主君にあるまじき失態を演じたりしているのだ。新しいものにばかり目が行って全体の動きが見れなくなってしまっている。はたしてこれで先見の明があったと言えるのだろうか?

まあ、色々書いてきたが俺は別に伊達政宗に怨みがあるわけじゃない。でも小学生の時に渡辺謙の『独眼竜政宗』を観たり、本を読んだりしていて「ホントにこの人ってスゴい人なの?」という疑問が浮かび、自分なりに調べてみて以下の結論に達したのだ。

過大評価され過ぎ。

どんなことにも言えるんだけど、これって気を付けなければいけない事だよね。何でも自分で調べてみる事は大事だと思うぞ。その上で評価を決めよう。