名優・成田三樹夫


東映・大映の映画をご覧になったことがある方で、この顔に見覚えの無い方はいらっしゃらないでしょう。ただ、この方、故成田三樹夫さんについて色々と知っていらっしゃる方は数えるほどしかいないと思います。このコーナーでは皆さんに成田さんに対する理解を深めて頂くと共に、私自身もこのコーナー作成を通 じて成田さんに対する知識を深める思いで作成しております。 なお、このコーナーは非営利目的で作成されており、いかなる個人・団体への妨害を目的としたものではありません。もし、このコーナーによって被害にあわれた方がいらっしゃいましたら、お手数ですがメールまたは掲示板にて私までお知らせ下さい。


僕と成田三樹夫さん

思い起こせば中学2年の春だったか、夏だったか、秋だったか、冬のころ。ハンパなヤンキーだった僕は、当時大流行していた映画『ビーバップハイスクール 高校与太郎哀歌』を観に近所で唯一の映画館である野沢演芸館に行きました。映画自体はいつものとおり100人ぐらいの出たがりヤンキー(3作目には先輩も出てた)がワーワー騒ぎながら、仲村トオルと敵の大将(一発屋)とタイマンはっておしまいというものだったんですが、敵の副将テル(大将は山田利光)の父親役で本物のヤクザが出ていたのです。いや、しかしどこかで見たような……あっ!山城新伍が司会やってたクイズ番組『アイアイゲーム』の変なオッサンだ!それが、スクリーンでの成田三樹夫さんとの出会いでした。
僕が映画を映画館でよく観たりしだしたのもちょうどその頃で、当時ワルに憧れていた僕は、当然のごとく東映ヤクザ映画にドップリとはまり(ベッドシーンもあったし)、映画館で昔のヤクザ映画が再映されれば飛んで行き、『極道の妻たち』などの新作が上映されれば母親と最前列で観たり、家に帰れば父親と一緒に『仁義なき戦い』シリーズなどのビデオを観る毎日でした。その頃は成田さんが目当てというわけではなかったのですが、その時観たどの映画にも成田さんが出演していたような錯覚をおぼえたものです。
その後さまざまな邦画を観るようになってから、成田さんが『女囚さそり けもの部屋』、『宇宙からのメッセージ』等のゲテモノ映画(ホメてます)や『吼えろ鉄拳』、『けんか空手 極真拳』等のカラテ映画、さらには『座頭市 地獄旅』、『柳生一族の陰謀』等の時代劇まで幅広く活躍なさっていたことを知り、大ファンになりました。それだけに1990年4月9日に新聞の片隅に載った成田さん死去のニュースに、僕は大きなショックを受けました。だってついこの間CMでバンバン流れてる『極妻』の新しいやつ撮ったばっかりだったんですから。 その日、日本映画界は一人の大きな大きな存在を失ったのでした。
今あれだけニヒルな悪役ができる役者がいるでしょうか? あれだけ憎めない悪役ができる役者がいるでしょうか? あれだけ……。いや、やめましょう。 あの人が素晴らしすぎただけなんです。
僕は社会人になりインターネットをおぼえて実に色々なページがあることに毎日胸を躍らせてネットサーフィンをするようになりました。しかし無いっ!成田三樹夫さんのページが無い!!ちきしょー、なにがインターネットだ!なにがあらゆる情報がここにあるだ!肝心のが無えじゃねえか! ん?ちょっとまてよ。
無いんだったら僕が作ればいいじゃんか

というわけで何の資料を集まっておらず、何の計画もないままスタートしたこのページ。もともと情報量 の少ない邦画俳優の中で、メジャーではあってもあまりマスコミへの露出が極端に少なかった成田さんだけに、なかなかサイトの構成も思うように行きません。 しかし僕はとにかく成田三樹夫さんのページを作らなければならないのです。僕がこんなページを作ろうと作るまいと、成田さんの俳優としての業績は、邦画史上に燦然と輝いていますし、人々の胸に焼き付いているでしょう。しかし僕は作るんです。誰も解ってもらえなくても。

成田さんってどんな人?→こんな人


成田三樹夫氏プロフィール

成田三樹夫さんは、1935年1月31日山形県酒田市御成町にて父・重春、母・梅の三男として生まれた。兄弟は全部で5人。
酒田市立光ヶ丘小学校、酒田市立第二中学校を経て、1950年山形県立酒田東高等学校に入学。高校3年生の時にチューホフの『煙草の害について』を一人芝居で演じ好評を博した。1953年に酒田東高等学校を卒業するが、キャッチボール中の事故により網膜剥離になり、新潟大学に勤務していた長兄・英夫さんの紹介により新潟大学病院にて手術を行う。
1954年に山形大学英文学科に入学して演劇研究会に籍を置くが、1958年10月、大学4年生にして学校を中退し俳優座養成所入所を希望して上京する。1959年俳優座養成所第11期生として入所し中野区上高田に下宿するが出席日数不足で1年留年する。 1963年俳優座養成所第12期生として卒業し、11月に株式会社大映と専属契約を結び多くの有名、無名映画に出演する。その頃の代表作は『座頭市 地獄旅』『兵隊やくざ』『ある殺し屋』など。
1969年1月に調布市緑ヶ丘に転居し、交際していた温子と結婚する。1970年3月にはさっそく長女・真名が誕生する。翌1971年は父・重春の死去、大映が倒産など不幸が続いたのだが、フリーとして活動を始めた1972年7月に久々の明るい話題である次女・遠が誕生。1975年1月には三鷹市中原に転居する。
以後、日活や石原プロ、東映など様々な映画会社でグローバルな活躍をするが、1990年の『ZIPANG』に出演した直後の1990年4月9日、東海大学附属東京病院において永眠する。享年55歳。


将棋とともに成田さんの趣味であった詩に関するコーナーはこちら


成田三樹夫氏フィルモグラフィ(太字は管理人推薦作品)

1964年:『殺られる前にやれ』『宿無し犬』『犯罪教室』『けんか犬』『検事霧島三郎』

1965年:『ごろつき犬』『裏階段』『座頭市地獄旅』『兵隊やくざ』『若親分』『清作の妻』『掏摸』『学生仁義』『あゝ零戦』

1966年:『野良犬』『貴様と俺』『ザ・ガードマン 東京忍者部隊』『新兵隊やくざ』『兵隊やくざ 大脱走』『破れ証文』『氷点』『脂のしたたり』『出獄の盃』『土曜日の虎(TV)』

1967年:『ある殺し屋』『若い時計台』『早射ち犬』『ひき裂かれた盛装』『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』『やくざ坊主』『海のGメン』『女賭場荒し』『夜の縄張り』

1968年:『女賭博師鉄火場破り』『怪談おとし穴』『女賭博師絶縁状』

1969年:『女賭博師さいころ化粧』『昭和おんな仁義』『手錠無用』『眠狂四郎 円月殺法』『続・与太郎戦記』『女賭博師花の切り札』『あゝ海軍』

1970年:『女組長』『女賭博師壺くらべ』『秘密調査員 唇に賭けろ』『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』『皆殺しのスキャット』『女三四郎(TV)』

1971年:『逆縁三つ盃』『命を賭けます(TV)』

1972年:『影狩り』『影狩り ほえろ大砲』『狼やくざ 葬いは俺が出す』『新・平家物語(TV)』

1973年:『現代任侠史』『女囚さそり けもの部屋』『仁義なき戦い 広島死闘編』『仁義なき戦い 代理戦争』『反逆の報酬』

1974年:『御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判』『黒い牝豹M』『まむしの兄弟 二人合わせて30犯』

1975年:『けんか空手 極真拳』『県警対組織暴力』『新仁義なき戦い 組長の首』『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』『仁義の墓場』『元禄太平記(TV)』

1976年:『沖縄やくざ戦争』『実録外伝 大阪電撃作戦』『新仁義なき戦い 組長最後の日』『バカ政ホラ政トッパ政』『やくざの墓場 くちなしの花』

1977年:『やくざ戦争 日本の首領』『西陣心中』『北陸代理戦争』『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』『らしゃめん』『日本の首領 野望篇』

1978年:『宇宙からのメッセージ』『柳生一族の陰謀』『多羅尾伴内』『雲霧仁左衛門』『野生の証明』『赤穂城断絶』『トラック野郎 一番星北へ帰る』『柳生一族の陰謀(TV)』

1979年:『その後の仁義なき戦い』『白昼の死角』『蘇る金狼』『総長の首』『戦国自衛隊』『探偵物語(TV)』

1980年:『影の軍団 服部半蔵』『徳川一族の崩壊』

1981年:『獣たちの熱い眠り』『吼えろ鉄拳』『魔界転生』『影の軍団II(TV)』

1982年:『伊賀忍法帳』『里見八犬伝』『野獣刑事』『素人助役奮闘記』『鬼龍院花子の生涯』『柳生十兵衛あばれ旅(TV)』

1983年:『徳川家康(TV)』『陽暉楼』『人生劇場』

1984年:『北の蛍』『空海』

1985年:『最後の博徒』『聖女伝説』『友よ、静かに瞑れ』『キップくん(TV)』『影の軍団M 影の軍団幕末編(TV)』

1986年:『海と毒薬』『極道の妻たち』『必殺!III 裏か表か』『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』

1987年:『ウェルター』『黒いドレスの女』『必殺IV 恨みはらします』

1988年:『行き止まりの挽歌 ブレイクアウト』『徳川の女帝 大奥』『極道渡世の素敵な面々』『華の乱』『バカヤロー!私、怒ってます』

1989年:『ウォータームーン』『悲しきヒットマン』『極道の妻たち 三代目姐』

1990年:『ZIPANG』

参考サイト 活劇女優の部屋・志穂美悦子さん(http://www.yk.rim.or.jp/~2430mst/
allcinema ONLINE(http://www.allcinema.net/prog/index2.php
日本映画データベース(http://www.jmdb.ne.jp/