ヴァル使いと少女

岡本賢一

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  1

 中央にぽっかりと穴のあいた円形の物体は、こんがりとした狐色だった。泡立つ揚げ油の中から引きあげられ、次々と砂糖の山に放りこまれてゆく。  胸焼けがしそうな甘い匂いが屋台から、その少年――とは、もはや言いにくい彼のところまで漂ってきている。 (なるほど! これがドーナツか!)  彼は興奮しながら顔を近づけた。初めて地下都市スカイラドの中に足を踏み入れた――その目的のひとつが、路上マーケットのこれである。  ひとつ二百ドレン(ex[#「ex」は縦中横])。と札がさがっていた。(ex[#「ex」は縦中横])は税抜き価格を示している。軍人および軍関連の業者だけが持っているゴールドカードで支払えば免税だが、他は五十パーセントの防衛特別税が加算される。  つまり、ひとつ三百ドレンである。 「まいどー」  前の客がゴールドカードで支払いを済ませ、紙に包まれた揚げたてをひとつ、うまそうに頬張りながら去ってゆく。  彼は唾液を飲みこみ、ポケットに手を入れ、ずいと前に歩みでた。  油の中を泳いでいるドーナツたちをせわしげに竹のトングで返しながら、顔もあげずに店主が問う。 「いくつ?」 (ひとつ、いや、ふたつは食いたい!)  しかし、ポケットの中からつかみだされたコインの総額は百五十ドレン。 (いや、金ならまだある……)  ベルトの裏に隠してある五百ドレンの記念コインである。『ペル。こいつはお守りだ』そう見せびらかすだけで、死ぬまで使われることのなかったジジイのコインである。それと合わせればドーナツがふたつ買える。  だが、おいそれとは使えない。 (俺は少し腹が減っているだけだ。まだこいつの出番じゃねえ)と、ペルは胸ポケットからゴールドカードを取りだす。  それも、死んだジジイが持っていたカードである。五十万ドレンほど入っていると聞いているが、さだかではない。いずれにしろ、本人以外が使用すれば、中央システムが数分で察知し、警兵が飛んでくる。 「ちょっと!」  後ろの客がペルをたしなめる。女とも子供とも区別のつかない若い声だった。 「悪りい」  早くしろと催促されたと思ったペルは小声でわび、横にずれようとした――そのときだった。  濃いムスクの匂いを漂わせた三人の男たちが「どけ!」「じゃまだ!」「どけどけ貧乏人!」と怒声を発しながら、屋台の前に立ち止まっていた客たちを押しのけて割り込んできた。  ペルに声をかけた後の客が押し飛ばされ、転びそうになる。ペルはとっさに腕を伸ばし、それを支えた。  遠い昔に嗅いだことのある、微かな甘い香りがした。  顔を隠すように灰色のショールを頭からかぶっているため、性別も年齢もわからない。身長はペルと同じほどだが、ずっと軽くやわらかい体だった。  ペルはその客を支えながら、男たちへ怒鳴った。 「おい! あぶねえだろうが!」 「十ずつ……」そう注文しかけていた男たちが、言葉を飲みこみ、ペルに顔をむけた。  革の上下を纏ったひと目でヴァル乗りとわかる男たちである。他者を威嚇するため、頭髪と眉毛を剃り、クマデと呼ばれる化粧を施している素行の悪さを強調している輩たちだ。  ある意味、成人年齢に達していないとも言えるが、体は大きく、少なくともペルよりは五歳ほどは上であろう。 「あん?」「なんだチビ!」「誰に言ってんだコラ!」  威嚇する男たちを睨み返し、ペルは前へでた。 「俺にチビと言った奴、三回、コロス!」 「ちょっと……」  後ろから細い腕がペルを引き止めた。 「女の前だからってカッコつけてんじゃねえぞ、チビ!」「手ついてあやまれ、チビ!」「三回まわってブヒブヒ言ってからだぞ、クソチビが!」  にやけ顔で男たちがチビを強調する。  頭に血を上らせたペルは、大きく息を吸いこみ怒鳴り返そうとした。それを「相手にしないで」とさらに強く、後ろから腕を引いて止める。  ふりむいてペルは声の主を確認した。ショールから、ちらりと見えた白い顔は、確かに女だった。あどけなさの抜けきれていない少女とも言える年齢である。ショールから覗く、アーモンド型の魅力的な眼に、ペルは少しドキマギしながら視線をそらし「子供は黙ってろ」と手をふり払う。 「私はもう十四。あなたの方が子供じゃないのよ!」 「俺だって十四だ……」  と言い返したものの、厳密には三ヶ月後の誕生日からである。 「どうしてこう、男ってくだらないケンカをしたがるわけ?」 「いいから女は……」とペルが言いかけた瞬間、すばやく左足のすねを蹴りあげられた。 「女だからなに!」  あまりの痛さにペルは怒りを忘れ、左足を抑え、片足で飛び跳ねる。  男たちが一斉に笑いだし、まわりで成り行きを気にしていた通行人たちも、笑いを堪えた。 「夫婦ゲンカならあとでやれ! さっさと手をついて俺にわびろ! 素直にわびるなら、今日のところはそれで勘弁してやるぞ。それが嫌なら……」  体の大きなリーダー格の男がそう言って、バトルスティック(収縮警棒)をブーツの横から引きぬき、ひとふりした。破裂したような音をあげ黒色の太い金属棒が四倍の長さに伸びる。本気で殴れば、頭蓋骨をも陥没させることができる代物である。 「こいつでおまえの体に、たっぷりと礼儀ってやつを教えることになるぞ!」  他のふたりもそれにならい、破裂音を響かせてバトルスティックを伸ばしてみせた。  ペルはあまりのうれしさに、思わず笑みをこぼす。 「おいおい、ヴァル乗りのくせに、三対一かよ? それでもいいがヴァル乗りなら、一対一で正々堂々、こいつで勝負したらどうなんだよ?」  内ポケットからつかみだした太いイグニッションキーをかざす。昔のヴァル兵士のように、動物の尾を模した飾りがついたヴァルの起動キーである。  男たちは顔をしかめ、しげしげとペルを見まわした。つぎはぎだらけだが、確かにヴァル乗りの服装である。骨董品のように古くいかついブーツも、旧軍時代のヴァル仕様だった。 「勝負? ……っておまえ……、ヴァル、持ってんのかよ?」 「あたりまえだ! 俺より強いヴァル乗りはいねえぞ!」  ふたりの手下が声をあげて笑う。 「そんなわけねえだろが、カードなしのウォーカーのくせに!」「いや、こいつウォーカーどころかドバじゃねえのか? そんな臭いがするぞ」  ウォーカーとは、地下都市の高額な入居税を払うことができない路上生活者を意味している。そしてドバは、都市の外で暮らす辺境民たちをさす差別用語だ。  ドバであること言い当てられたペルは、本当にそんな臭いがしているのかと心配になり、自分の腕の匂いを嗅いでみた。いつもの革と汗の混じった匂いである。そんなに臭くないぞ――と思った。  笑いだすふたりの手下たちを、リーダー格の男が手を広げ、笑いを堪えながら止めた。 「やめろ。笑うな。こいつはヴァル乗りだ。そう名乗った。そして、俺との決闘を望んだ。ヴァル乗りならヴァル乗りらしく、あつかってやろうじゃねえか。それで、おまえのヴァルはなんだ? 俺のヴァルはGWAのリキシRS450だ。最新型ダブルエンジンのヘビータイプだぞ。勝ち目はあるのか? 正式な決闘なら、負けた奴は勝った奴に機体を差しだす。それがルールだぞ。わかってんのか?」 「望むところだ!」  ペルが拳を突きだす。相手が拳を合わせれば、それが決闘了承の合図である。 「待て。先におまえの機体を見せろ。くず鉄みてえな機体じゃ、決闘の価値もねえぞ」  双方の機体が止めてある駐機場へむかって、ペルと男たちが歩きだす。その後ろをぞろぞろと野次馬たちが従う。 「見せもんじゃねえぞ! 帰れ! 散れ!」  リーダーが怒鳴って野次馬たちを追い払う。子供に勝ったところで自慢にはならず、負ければただの笑い物でしかない。当然の処置だ。  閑散と広がった駐機場の端に、様々なタイプのヴァルが十機ほど、腰を落とした姿勢で並んでいた。  先の戦争で開発発展したのが、|搭乗型装甲機《ヴァリアント・タクティカル・ウォー・マシン》、通称ヴァルである。立ちあがると全高が四から六メートルほどになる鋼の巨人だ。  三人の男たちは、示されたペルの機体を見て、あんぐりと開けた口を、しばらく閉じることができなかった。  かろうじてシングルエンジンのスピードタイプだとわかる。だがつぎはぎだらけで、なんの機体を元にしているかさえ、見当がつかない。スクラップの山から部品をかき集めて作ったオリジナルの機体――という表現がぴったりである。 「これで、本当に動くのか?」「立ちあがったとたんに、壊れそうな……」「こんな貧弱な機体、初めて見たぞ……」  どうだ! カッコいいだろう? と言わんばかりに胸を張るペルに、男たちは哀れみの視線をむけた。 「なによこの装甲! ウチのバスタブより薄くてペコペコじゃないのよ!」  こっそりあとをついてきたショールの女がペルの機体を軽く拳で叩きながら声をあげた。 「おい! 勝手に触るな!」 「ふざけんな小僧! こんなスクラップ、頼まれてもいらねえぞ! こんなんで賭になるかよ!」 「ダメか?」 「勝ってもこんなクズ機体じゃ、修理代どころか、燃料代にもならねえ! この機体で俺と勝負したいなら賭金を積み増ししろ! 六百……、いや三百万ドレンに負けてやる」 「わかった」と言ったもののそんな大金はない。ペルは革カバンの中から、アベルカプセルを取りだしてかざした。  アベルカプセルは、ヴァルの動力源である。大きめの鶏卵ほどで、上半分が透明になっている。そこから中で泳ぐ、光る青いクラゲのようなプラズマ生命体=アベルが見える。 「俺が負けたらこいつもやる」 「アホか! ぜんぜん足らねえ。確かに立派なアベルだが……せいぜい十五万だ」 「こいつはただのアベルじゃねえぞ。ジジイが何年もかけて育てあげた、とっておきの最高級で、なによりもこいつには心がある」  男たちが一斉に笑う。 「笑うな! 俺は本気だ!」 「話になんねえ! 俺のヴァルはなんだかんだで六百万だ。安い勝負がしたいなら軍の闘技場へでも行きやがれ!」 「軍は嫌いだ! 奴ら、ヴァルを戦争の道具に使う!」 「どうでもいい! 金を積み増しできねえなら、この勝負はなしだ。俺に手間をかけさせたわびを……」  リーダーがそう吠えながら、バトルスティックへ手を伸ばす。 「待って! その賭金の三百万ドレン、私が出す!」  背後から声をあげたのはショールの女だった。  おまえはいったい誰だ? という全員の問いを遮るかのように、女はシルバーカードをかざし、中空に投射したホログラムで身分を明かした。 「スクラップ場のオババことバニエス・ババンの娘、エリーシャルロン・ババン。三百万ドレンの決闘金の拠出、ここに宣言!」  響く鐘のように堂々とそう告げてショールを外すと、彼女の長くなめらかな赤髪が、咲き誇る花のように広がった。  その凜とした姿に、男たちが「ほほう」と大きなため息を漏らす。 「オババに娘がいることは知っていたが、こんなにでかくなってるとは……驚きだな」  そう言って蛇のような視線をむけるリーダーを睨みつけ、エリーはすばやく素顔をショールで隠した。「それで、どうなの? やるのやらないの?」とカードを突きだす。 「いいだろう。その条件で受けてやる。負けても逃げるんじゃねえぞ」 「待て待て! ちょっと待て! 俺の決闘だぞ。なんで勝手にしきる? どういうつもりだ?」  ペルが詰め寄ると、エリーは声を潜めて言い返す。 「あんた、お金ないんでしょ? それとも、さっきみたいに他人のゴールドカードを使うつもり? すぐに捕まるだけよ。わかってるの?」 「目的はなんだ。俺のアベルカプセルか? 残念だが、俺は絶対に負けねえぞ!」 「うん、機体を見ればわかる。盾は対戦でボロボロだけど、本体の方は無傷。他人の機体なら別だけど、あんたが本当にこの機体を乗りこなせているなら、相当の腕前よ。そうでしょ?」 「……なら、勝ったときのそっちの取り分はいくらだ?」 「そうね、あっちの機体の半分でどう?」 「……いいだろう。ただし、俺が先に欲しい部位を取るぞ」 「いいわ。でも負けたりしたら、身ぐるみ剥ぐからね」 「なにがあっても、ジジイのアベルカプセルは渡さねえぞ」 「でも、じっくり見るくらいはさせてよね」  微笑んでエリーが拳を突きだす。その吸いこまれそうな瞳に、ペルは少し照れながら「商談成立だ」と拳で軽く、エリーの拳にふれた。 『小僧! 話がついたなら、さっさと乗れ! 一撃で終わらしてやるぞ』  三十メートルほど先、すでに搭乗したリーダーがヴァルのスピーカーでそう怒鳴り、ふたつのジェットエンジンを作動させた。甲高い轟音とともに白煙をまき散らし、リキシ体型の機体がゆっくりと立ちあがってゆく。太い両足から伝わる重低音の振動が、駐機場のひび割れた床にたまっていた砂を踊らせる。  全高五メートル。強く見せるためだけに付けられた三日月の飾りが、頭をかたどったメインカメラ上で光っていた。  巨大なボクシンググローブをはめたような鋼鉄の両拳を高くふりあげると、関節各部が一斉に軋み、咆哮のように響きわたる。銃火器を持っていないことを示すポージングである。ヴァル同士の決闘は、飛び道具禁止が原則ルールだ。 『さっさとこい! 一撃で沈めてやる!』  リキシ型はフットジェットで機体を微かに浮かし、駐機場の後方にある空きエリアへと滑るように移動してゆく。  駐機場の天井は、省エネのため光量が落とされているが、三十メートルほどの高さがある。空きスペースも、停戦中でヴァル乗りが減っており、野球場ほどある。専用闘技場ほどではないが、決闘には充分な広さだ。  ペルは急いで自分の機体の胸にある、搭乗ハッチを開いた。 「うわーっ、M型前面ハッチ! 開くとこ、初めて見た!」  エリーが興奮して、ペルの背後から中を覗きこもうとする。今の主流は自動開閉式の背面ハッチである。前面手動式ハッチの中でもM型は博物館の展示品レベルだ。 「覗くな!」  ペルが搭乗席の内部を背でブロックしてエリーの目から隠そうとするが、ムダだった。  シートに積まれたヴァルの部品や空のアベルカプセル、汚れた鍋や鉄のカップ、丸めた下着や毛布などが、ばらばらとすべり落ちて、あたりに散乱してしまう。  ヴァルで寝泊まりしているのがまるわかりである。それはつまり、都市の外で暮らす辺境民《ドバ》を意味している。  ペルは怒り顔で頬を赤くし、ちらばった物をすばやく拾い集め、シートの後ろへと押し込んでゆく。 「原形がないけど、ベースは往年の名機イワキ88あたりかな? ニチグルのダブルエンジンをシングルエンジンに改造して、ディアドロップ社のマザーユニットに接続……ってどんな裏技?」  無視して機体へあがろうとするペルに「あと、これも」とエリーが拾いあげた一枚のカードを差しだす。金髪巨乳のヌードカードである。  ペルは顔を赤くし「俺のじゃねえよ」と払いのけ、搭乗席へと登ってゆく。 「あっちの弱点は右足首よ。だいぶベアリングがすり減ってる」 「そんなこと言われなくても!」  追い払うように、さがれとエリーに手で合図し、ペルはハッチを閉ざした。  単車のような軽い駆動音を響かせ、シングルエンジンが作動する。ゆっくりと腰をあげて立ちあがったペルの機体、全高四メートル。右手に戦闘スティック、左手に合金の盾を所持しているものの、本体は針金細工を思わせるあまりにも貧弱な姿だった。  手下の男たちが、離れた場所で声をあげて笑う。  けれどエリーは「すごくいい! ムダのない理想的なエンジン音!」と手をふる。  分厚い装甲とダブルエンジンの破壊力を備えたパワータイプのリキシ巨人と、すべてを簡略化したスピードタイプの針金巨人との戦いだった。  一瞬であっけなく、勝負はつくだろう。手下たちの予想は、確かにそのとおりとなった。ただし、背を晒して無様に倒れたのはリーダーの操縦するリキシの方である。  合図とともに殴りかかってきたリキシを、ペルはするりと横に交わし、弱点の右足を軽く蹴ったにすぎない。そうとしか見えなかった。  あまりにも勢いよく頭から滑りこんだため、リーダー自慢の三日月飾りが、真っぷたつに割れて弾け飛んでいた。  ヴァルの弱点は背中に集中している。特にエンジンノズルの付け根を切られると起動できない。実際に破壊されなくとも、敵に背をむけて倒れた時点で、ヴァルの決闘は負けとなる。 『どうだ? 俺の勝ちだろ? 納得いかないなら、もう一度やってもいいぞ』  ペルの言葉に無言でゆっくりと機体を起こしたリーダーは、低い態勢からの盾を使った足払いを唐突に仕掛けた。  それを完全に予測していたペルは軽いジャンプで交わしながら、リキシの背を踏みつけてもう一度、床に押し倒した。 『見え見えなんだよなー。あんたの攻撃。もうやめようぜ、ムダにそっちの機体が傷つくだけだから』 『こんなの……こんなの……絶対にイカサマだ!![#「!!」は縦中横]』  そう叫び、リーダーはエンジン全開で逃げだした。あわてて手下たちが、その後を追いかけてゆく。 『おい待て! 置いてけよその機体! せめて盾だけでも……。おーい!』  追いかけて捕まえても、取り押さえるだけのパワーはペルの機体にない。それがわかっているため、黙って見送るしかなかった。 「心配しないで。あいつの素性はわかってる。私がきっちり、取り立ててあげるから」 『いつだ? ドーナツ屋が閉まる前に、取り立てられるか?』 「それはちょっと無理かな。早くて明日、遅くとも一週間ってとこね」 「……それは、困る……」  前面ハッチを上へ押しあげペルが顔を覗かせると、先ほどと同じように横から、鍋が転げ落ちた。 「泊まるところも、食事代もないんでしょ? ウチにくれば? 少しだけなら、取り分を立て替えてあげられるし、欲しがってる部品も、ウチの敷地に転がってるはずよ」

  2

「なんだいこの薄汚いガキは?」  開かれた『ババン商会』の扉の奥から顔を覗かせたのは、年老いた一匹の魔物だった。老女の眼光があまりにも鋭く、ペルはそう錯覚し、とっさに身を引いていた。地下都市がトワイライトタイムとなって、天井の光量が落ちていたせいもある。 「オババ、こちらお客さん。クズ山で部品を探したいって。いつものように三十分、三万ドレンでいい?」  エリーがそう説明するが、老女は疑り深い目でペルを見まわし「名前をいいな」と威嚇するように問う。 「ペル……。ペル・ダ・ダジン」 「はぁ? ふざけるんじゃないよ!」  老女はすばやく腰の後ろから、刃渡り三十センチほどのナイフを引きぬき、ペルの鼻先へむける。  つんと肉の匂いがした。料理にも使っているナイフだと、ペルにはわかった。 「ジンの名にあやかって、そんな偽名を使う浮かれ野郎は、勘弁できないよ!」 「ジジイを知ってるのか? 血はつながってないが、ジン・ダ・ダジンは、俺の育ての親だ」 「子供嫌いのジンがそんなことするわけないよ! 嘘じゃないなら、証拠を見せな!」  身分を証明するものはなにもない。とりあえずペルは、ジジイのゴールドカードを見せようと、上着の前を開けた。  すい、とナイフの刃先がペルの喉元に伸び「動くんじゃないよ」と老女が小声で威嚇した。  ナイフを握っているのは、しわだらけの細い腕だった。簡単にねじりあげられると思ったが、ペルはおとなしく手をあげた。  老女は左手を伸ばし、ペルの内ポケットから飾りの尾だけを出してぶらさがっていたイグニッションキーにふれる。 「あのバカ……」  老女は懐かしそうにしばらく、その飾り尾を撫でていたが、ふいにペルたちに背をむけ、ナイフを革ホルダーへ戻した。 「とにかく入りな。ジンがいつ、どうやって死んだかを教えな」 「なんで知ってる? 死んだことは、まだ俺しか知らないはずだぞ」 「命より大切なヴァルのキーを、他人に渡したってことは……、そういうことなんだろ?」  入口は丸太小屋を思わせる小さなものだったが、家の中はトンネルのように縦に長かった。廃棄されたバスや列車の車体をつなげた家である。高く積みあげられたスクラップの山の中に、隠すように埋め込まれている。  以前は駐機場だった場所に、不法投棄されたヴァルの残骸によって自然発生した、スクラップ場である。不法占拠して勝手に店をやっているようにしか見えない。誰もが不可思議に思うのは、軍がそれを取り締まらずに放置していることである。 「座りな」  いかつく豪華な木製テーブルのまわりに、大きさも形もちがう椅子が囲んでいる。錆びた鉄の匂いと、甘いスープの香りが漂う狭く細長い居間だった。  ペルが椅子に腰を据えると、老女は右手を差しだした。 「まずは席料として百ドレン」 「金! 取るのかよ!」  あわててペルが立ちあがるが、オババはうれしそうに笑って右手を突きだす。 「もう遅いよ。さっさと出しな。この世はね、金のやりとりで回ってるんだ。それにあたしはこのあたりじゃ有名な、損得勘定でしか動かない人間なんだからね」  ペルは助けを求めるようにエリーへ視線をむけるが、彼女は奥にある花柄のカーテンへのむこうへ消えるところだった。そこに彼女の部屋があるらしい。  ペルはしぶしぶ、なけなしの百ドレンコインをオババに差しだす。残りは五十ドレンである。 「足りないね。税金分の五十も出しな」 「税別かよ」 「先に聞かなかったおまえさんが悪い。出しな」  しぶしぶ差しだすと、オババは「まいど」とコインを自分側のテーブルの隅において、椅子に腰を据えた。今にも壊れそうなほど大きく、木製の椅子が軋んだ。 「さあ、話しな。ジンの最期はどんなだったんだい?」 「去年から少し調子が悪かったけど、一ヶ月前にトイレの前で急に倒れて、そのままだった……」 「おまえさんの本当の両親はどうしたんだい?」  父親の記憶はペルにはない。父親のことは、幼い頃に母親からくり返し聞かされたことだけである。  十数年前まで、人類は第四次世界大戦の遺恨を引きずり、地下都市に逃れ住んでもなお、局地戦を続けていた。ヴァル兵士だったペルの父親が戦死したのは、停戦間際の戦闘だった。  その数年後、五歳だったペルを残し、レーダー技師だった母親も病死する。三次大戦で使用された核ミサイルによる放射能障害が原因だった。 「それでどうしてジンが、おまえを育てることになったんだい?」 「父親の仇を討ちたいから、ヴァルを教えてくれって、俺が頼んだ」  泣きながらそう頼む五歳のペルに、最強のヴァル乗りと言われていた男、ジン・ダ・ダジンは、こう答えた。 『おまえの親父は兵士だ。殺し殺されることを了承してその道を選んだ。おまえに敵を恨む権利も、理もない。あきらめろ! だがおまえが、この終わりのない戦争を必ず終わらせる、そう俺に約束できるなら、ヴァルを教えてやる』 「それって、酔ってたんじゃないのかい?」  オババの言うとおり、そのときのジンはしたたか酔っていた。地上を動植物の生存できない状態まで荒廃させてもなお、争うことをやめない人類を悲観しての深酒である。 「それでジンとの生活はどうだったんだい? 楽しそうにしていたのかい?」 「いつもいつもガキみたいな、くだらねえ冗談とくだらねえいたずらを俺にして、笑ってた。偉そうに、師匠と呼べって言ったけど、俺はジジイとしか呼ばなかった。ただ、ヴァルの腕は確かだ。ジジイより強いヴァル乗りには、まだ出会ったことがねえ」 「そうかい……。それで、仕事は外界でのアベル捕りかい? あれだけの腕がありながら、結局どこの軍にも所属しなかったのかい?」  ペルは大きくうなずき、そして大きく腹を鳴らした。  着替えたエリーが大きな器に、シチューを盛って運んできてくれたからである。野菜を煮込んだその香りが、腹を刺激した。 「無料よ。これは私を助けてくれたお礼。そして約束の立て替え分の五万ドレン」  百枚の五百ドレンコインが入った袋が、テーブルの上に置かれた。都市では電子清算が主だが、ウォーカーやドバたちとも取引の多い店では、コインでのやりとりが主流である。札も存在するが、大戦で札が焼失したトラウマから、誰も使いたがらない。  ペルは一気にシチューを胃に流しこみ、数えるためにコインを十枚ずつ、テーブルの上に並べた。  その横でエリーから決闘のあらましを聞いたオババは、うれしそうにペルへ手を差しだした。 「そうかい。一泊するなら五千ドレン」 「いや、ヴァルの中で寝るからいい」 「他の都市じゃ知らないけど、このスカイラドでは夜時間のヴァル移動は禁止だよ。つまりあんたはどこへも行けない。ここのベッドで寝ようが、ヴァルの中で寝ようが、あたしの敷地で寝る限り五千ドレン」 「それは税込か? 水とトイレも別料金なのか?」 「そこまで強欲じゃないよ。税金も水もトイレも空気も込みだよ。それから計算が面倒だから、ここから先、あたしが口にする値段はすべて税込でいいよ」  ペルがうなずくと、オババはコインの山に手を伸ばし「こっちが宿泊料の五千。そしてこっちが部品捕り三十分の代金三万」と七十枚のコインをごっそりと自分の方へ引きよせた。さらに「それから、逃げた男の兄は警兵だよ。賭金の取り立てはいろいろと面倒なことになる。あたしの名前と権威、そしてここの通信設備使用料が必要だから、合わせて一万ドレン」  さらに二十枚のコインが持ち去られ、残りは十枚、五千ドレンだけになった。  ペルは大きくため息を吐き、おそるおそる尋ねた。 「シチューのお代わり、いくら?」  エリーがすばやく百ドレンと答え、オババがやや遅れて千ドレンと答えた。 「私の方が早かった。お代わりは百ドレン」  空の器を持ってエリーがキッチンの方へ去ってゆくのを横目で身ながら、オババが「チッ!」と舌打ちする。 「ところでオババは、ジジイとはどんな関係だったんだ?」 「遠い昔の話さ。半年ほどいっしょに暮らした仲でね。あんたが持ってるキー飾りは、あたしの手作りだよ」  そう答えながら、オババは残っていたペルのコインをすべて、自分の方へ引きよせた。 「情報料として質問ひとつにつき五千だよ。なんでも聞いておくれ。結婚を考えなかったのか、とか、なぜ別れたのか、とか。金さえ出せば、なんでも答えてやるよ」 「質問ひとつで五千は高すぎるぞ」 「あたしが決めたルールだよ。誰にも文句は言わせないよ」  戻ってきたエリーが「そう、それがここのルール。だからあきらめて」と、シチューを盛った器をペルの前に置いた。  それからおもむろに「オババがペルにした質問は全部で十個。だから五万ドレン」と言いながらコインの山をペルの方へ、問答無用で引きよせた。  オババは口惜しそうにエリーを見つめた。 「エリー、どうしてこいつの肩を持つんだい? もしかしてホレたのかい?」 「バカ言わないで。寝床の準備をしてくる」と、タータンチェックのフレアスカートを翻し、エリーが去ってゆく。  ペルはそのすらりとした後ろ姿を、素直にきれいだと思った。  その鼻先へ、オババがナイフをむける。 「忠告しておくよ。あの娘に手を出したら、その首を同体から切り離して、便所のタワシにするからね。覚悟しな!」 「……わかった」 「約束を守るなら、取り立ての件はこのオババが保証してやるよ。ついでに、ひとつ無料で答えな。この先、おまえさんはどうするつもりなんだい? スカイラドで暮らすのかい? ひとりで暮らすのが寂しくなって、ここへ来たんじゃないのかい?」 「いや、ヴァルをパワーアップさせたら、辺境へ戻って、ジジイとの約束を果たす」 「約束?」 「どうすればいいのか、今はぜんぜん見当がつかねえけど、俺は必ず戦争を終わらせる。それがジジイとの約束だ」 「バカ言うんじゃないよ! たったひとりで、そんなことができるわけがないよ! まったく! ジンと同じ大バカだね。そんな約束、さっさと忘れちまいな!」 「いや、俺はやる! 絶対にやる!」 「いいかいペル。あんたはまだ子供だから、そんなできもしない夢を追いかけるんだ。地道に暮らすことを考えな。それが大人になるってことだよ」 「生きたいように生きろって、ジジイが言った。だから俺はそうする!」 「なんだって、そんなところまで、あの大バカのマネを……!」  オババが虚ろな目で上を見あげた。やがてゆっくりと額をテーブルの上に押し当てる。手にしていたナイフを床に落とし、オババはそのままずるずると椅子から崩れ落ちた。  意識を失っている。  ペルはジンが死んだときのことを思いだした。あのときと同じようにオババが動かない。  絶叫するような声で、ペルはエリーを呼んだ。

  3

「いつもの発作だから心配しないで。こうしていれば、すぐに目を覚ますから」  エリーは床に寝せたオババの顎をもちあげ、窒息しないように気道を確保した。 「若い頃に、戦争で頭を撃たれて……。その後遺症で外傷性てんかんの発作が、年に数回ほど出るの」 「治せないのか?」  エリーは静かに首を横にふった。 「薬は飲んでるけど……。大きな事故にならないよう、見守るしかなくて……」  しばらくすると言葉どおり、オババは意識を取り戻した。 「びっくりさせちまったね。いつものことだよ。覚悟はできてるのに、なかなかお迎えってのはこないもんだよ。エリーには言ってるんだよ。発作がおこったら、そのまま放置して死ぬのを待ちなってね。あたしが死ねば、ここの財産がすべて自分のものになる。血のつながっていない死にぞこないのババアの世話など、いつまでもするもんじゃないよ。なんの得にもならないことなんだから」  冗談なのか本気なのか、ペルにはわからなかった。エリーも一瞬だけ、悲しげな表情をしただけである。 「欲しい部品が山のどのへんに埋まってるか、オババにないしょで教えてあげる。書きだしておいて。でも部品探しは明るくなってからの方がいいよ。崩れやすい山もいくつかあるから」  エリーにそう言われ、物置の一角に用意された簡易ベッドでペルは横になった。  なかなか眠れなかった。妖精のように軽やかに動くエリーの姿が、脳裏から離れない。うとうとしかけると、エリーに呼ばれたような気がして目が覚めてしまう。  水を飲みに部屋から出ると、外へと続くドアの錠が開いていることに気づいた。外で微かに、物音がする。  開けて覗くと、エリーがランプを横においてなにか作業をしていた。  長い赤髪を後ろでしばり、汚れた作業着を纏っている。革の手袋を両手にはめて、なにかの部品を探しているらしい。 「なにしてるんだ? まだ寝ないのか?」 「うん、もうちょっとだけ。いいアイデアを思いついたから、ついつい……」  ペルにはわかった。下半分しかないが、見たこともない形をしたアベルカプセルが、ランプの横に置かれている。 「カイン用のカプセルを作ってるのか?」  その指摘にエリーは手を止めて、大きな目をさらに大きく見開いた。 「どうしてわかるの?」 「アベル捕りが俺の仕事だぞ。アベル用のカプセルじゃなければ、カイン用しかねえだろ」  第四次世界大戦で使用された|最終殲滅兵器《ミル・サラマンダー》によって地上は荒れ果て、現在も雷と高温の雨嵐がうずまいている。微生物でさえ生存の難しい環境である。そんな大気の中で、自然発生したのが光るクラゲのような姿をしたプラズマ生命体、アベルだ。  以前より、太古の地球で最初に生まれたのはプラズマ生命体である、という学説があった。嵐が収まるに従い、プラズマ生命体が水の中で生きる単細胞生物へと進化したのだという。  人類は地上を完全に荒廃させ、この学説を立証したのである。  だが、そのプラズマ生命体から高出力のエネルギーを得る技術、アベル・エンジンを開発したことにより、人類は絶滅の危機から救われた、とも言えよう。 「笑わないの?」 「なにを?」 「皆、話すと笑うよ。私がカイン・エンジンを作ろうとしていること」  最初のプラズマ生命体、アベルの進化系がカインである。そしてアベル・エンジンの基礎を作ったバン・アーベル教授が残した最期の言葉は『カインからエネルギーを取ることは、神の領域だ』だった。  アーベル教授の右腕だったメルル・アンがカイン・エンジンの開発を続けたが、神や霊の存在を口にしたことから、オカルト研究家というレッテルを貼られたまま病死する。研究の後継者があらわれないのは、その影響が大きい。 「笑わねえよ。俺だって目標を口にすると、無理とかバカとか、笑われてるんだから」  エリーは笑顔を見せて目を輝かせた。 「じゃあ聞いて!」  ペルを横に座らせ、エリーは口を開いた。 「論理的にはカイン・エンジンはアベル・エンジンの十倍以上の出力。成功したら、空だって飛べるんだから。なのに誰もちゃんと研究しないの。バン・アーベルが神の領域って言ったけど、不可能とは言ってないし、助手だったメルル・アンが口にした神や霊魂も、量子レベルにまで作用している宇宙の力のことで……」  それから二時間、エリーは止まることなく語り続けた。やっと口を閉ざしたのは、ペルの「じゃあ研究には、外に出てカインを捕まえる必要があるな」という言葉に、考えこんでしまったからである。 「……私、オババを置いて外界へは行けない……。それに、カインは捕まえられない」  アベルとちがい、カインは高い知能となんらかのセンサーを備えていると考えられていた。遠くからその姿を見ることはあっても、ひとが近づくと逃げ、どんな巧妙な罠を仕掛けても回避してしまうのである。 「そんなことはねえよ。俺は無理だが、ジジイがなんどか触ってみせた。あいつら人間の心を読む力があるから、なにもしないから、どうか手の上に乗ってくださいって頼むと……」 「そう! そうなの! カインはひとの心を読む! アベルだって……」 「こらーっ! クソガキども! さっさと寝ろ!」  オババがナイフをふりあげ、鬼の形相であらわれた。  急いでベッドへもぐりこんだその四時間後のことである。ふたりの警兵がペルの逮捕状を持ってドアを叩いた。

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「ごたくはいいから、さっさとその逮捕状を見せな。拒否はできないよ。こっちにはその権利があるし、そうするのが正式な逮捕手続きってもんだよ。知らないなら、不勉強だよ!」  オババは老眼の|片眼鏡《モノクル》を手に、一枚の紙に小さすぎる文字でびっしりと印刷された逮捕状に目を通した。 「あいかわらず回りくどい文章で、フォントも読みにくいねー。読んでほしくないのがありありだよ」 「で? なんて書いてあるんだオババ? どうして俺が逮捕されるんだよ?」  専門用語と古文のような死語を駆使した文体である。横から覗きこんでも、ペルには一行も理解できない。 「簡単に言うなら、昨日の決闘は無効で金なんか払いたくない、ってことだよ。賭金をあきらめるなら逮捕しないけど、金を要求するなら詐欺罪で逮捕する、って書いてあるのさ」 「なんで無効なんだよ! 俺は確かに勝ったんだぞ! エリーが証人だ!」 「賭金を拠出したから、エリーの証言は無効だよ。戦闘データを残してるかい? あの機体じゃバトルレコーダーなんて気の利いたモノ、つけてないんだろうね? そのあたりを見越してのイチャモンだよ」 「……あっちの機体には確実についてたはずだぞ!」 「そんなの、壊れてましたでおしまいだよ。それで、どうするんだい? 金をあきらめて逮捕をまぬがれるかい?」 「嫌だ! 逮捕するならしろ! 裁判で決着つけてやる!」 「それも悪くない考えだよ。裁判中の半年から一年、牢屋で暮らすことになるけど、ただ飯が食えるよ。豚も食わないほどまずいって話だけどね」  警兵のひとりがオババから逮捕状をとりあげ、にやりと笑いながらペルへ突きつけた。リキシ型のヴァルに乗っていたリーダーの男と、よく似た顔つきだ。特に目元がそっくりである。 「俺は絶対に、やってもいない罪なんか認めねえぞ! 自分に嘘をつくな……。それもジジイの教えだ」 「そうかい」とオババが笑う。「その覚悟があるなら、奥の手が使えるよ。この警兵の兄貴、確か名前は、イオタン……」 「イオランだ!」と思わず訂正し、うっかり素性を明かしてしまったことに顔を赤くした。 「そうそう、このイオランは警兵の中でも腕の良いヴァル乗りでね。確か競技ランキングはCの上位で……」 「B級3位だ!」 「……とにかく、ペル。あんたはこのBの3位と決闘して、あのくず鉄みたいなヴァルでも、警兵仕様の高級ヴァルに勝てるってところを証明すればいいのさ。それで昨日の決闘も嘘じゃないってことになるよ」 「ああ、なるほど!」とうなずくペルにむかって、それまで冷静だったイオランが怒鳴る。 「バカな! なんでそんな決闘を俺が!」 「勝てる自信がないのかい? 勝てば、弟の賭金はチャラ。くわえてアベルカプセルの交換を一年間、無料でしてやるよ。どうだい?」 「……職務規定で決闘は禁止されてる」 「じゃあ、ペルを逮捕するかい? それならこっちも弁護士やら探偵を雇ってきっちり戦わせてもらうよ。悪くすればおまえさんも、おまえさんに手を貸したお仲間も、そろって失職だよ。その覚悟は、できてるんだろうね?」  なにかを怒鳴りかけたイオランを、横の同僚が止め、後ろへと引っ張ってゆく。  すぐに頭をつきあわせ、小声で言い合う。ときおり「あいつら……」「しかし……」「落ち着け……」と漏れ聞こえてくる。 「言っとくけど、上に頼ってもダメだよ。スクラップ場のオババこと、このバニエス・ババンも、わりと上には顔が利くんだからね」  同僚との話がついたらしく、イオランが痛みを堪えるような顔つきでオババの元へ戻ってきて、小声で告げた。 「条件がある。勝っても負けても、この決闘のことは公言するな」 「そっちが負けたら、弟の機体は俺のものだぞ!」  本気で勝つつもりでいるペルに、イオランは顔をしかめた。 「弟の機体は渡せない。負けた証拠になる。代わりに賭金の三百万ドレンを俺が払う。それでいいか?」 「三百は昨日の決闘のもうけだ。今日の勝負のもうけがねえ。俺が勝ったら、あの固そうな立派な盾をもらうぞ」  朝の時間帯となって徐々に光量をあげた天井が、スクラップ場の隅でうずくまっている警兵仕様のヴァルを照らしている。チタン合金製の盾の表面で、警兵であることを示す「Ψ[#「Ψ」は縦中横]」のマークが誇らしげに光っていた。  イオランが目元まで深くかぶっていた警帽を少しあげ、ペルへ顔を近づける。 「おまえ、わかっているのか? 警兵仕様のヴァルだぞ。パワーも速度も弟のヴァルの倍だ。装甲も最強。そしてそれを操る俺は、Aランクでも通用するヴァル乗りだぞ」 「勝てる確信はねえが、ジジイの見立てだと俺もAランクだ。試してみてえ……。ただ、三時間ほど時間をくれ。今のマシンをもう少しここでパワーアップさせたい」 「いいだろう。正午にまたくる。勝てば三百万ドレンとあの盾をやる。だが戦って負ければ……、確実におまえの機体はスクラップだ。それでもやるのか?」 「ああ、やる!」  ペルが拳を突きだすと、イオランも苦々しくそっと拳を差しだした。 「気が変わったなら、逃げてもいいぞ。追うことはしない。ただし、弟の賭金はチャラだ」  三時間後、スクラップ工場の下にある格納庫で、ふたたび、ふたりは対峙した。  十年前の戦争では出撃ポートとして使われていた場所だった。格納庫の奥には外界へと通じる大きな通路が伸びている。しかし停戦中の現在、分厚い壁で完全に塞がれており、誰もどこへも辿りつけない。  いずれにしろ、やや天井が低いが充分な広さがあり、人知れずヴァル決闘をするには最適である。 「見たところなんも変わってないようだけど、ペルの奴、どこを改良したんだい?」  壁際で、試合開始の合図となる正午の時報を待ちながら、オババは横にいる不機嫌そうなエリーに尋ねた。 「反応速度をあげたいからって、機動ユニットを交換しただけ。ペコペコの装甲をなんとかしろって言ったのに、あいつ、ぜんぜん聞かないの! 一撃でもくらったら、おしまいなのに!」 「交換した機動ユニットはなんだい?」 「ザックソンAL998のGAタイプ」 「なんだって! そんな最高級品が、クズ山のどこに転がってたんだい?」 「私が修理して、へそくってた奴よ」 「なんだって、そんなに肩入れするんだい?」 「しょうがないでしょ。オババはペルが負けてもいいわけ?」 「勝っても負けても、あたしは損しないよ。負けたら四百万ドレン分のアベルを捕獲して返すって、ペルから証文を取ったからね」  自慢げにオババが証文をかざすと、正午を示す鐘の音が、雑音だらけのスピーカーから響いた。  左右にわかれて壁際で待機していた二機のヴァルが中央へむかって動きだす。あきらかに警兵ヴァルの方が早い。 「オババ、ペルは勝てると思う?」 「あれが昔のジンなら、確実に勝つよ。あいつがどこまで、ジン式格闘術を会得しているのか、楽しみだねー」  警兵ヴァルの武器はプリティスピアと呼ばれる短い槍である。敵の前へ飛びこみ、盾の横から槍を突きだすのが基本の戦闘術である。  だがペルの機体は、するりとその槍先を交わして横へ逃れる。  続けざまに警兵ヴァルが攻撃をくりだすが、ペル機は右へ左へと軽く交わし、かすりもさせない。  やがて一瞬の隙をついて、ペルの武器、バトルスティックが、警兵ヴァルの左膝を叩いた。だが効果は薄い。装甲が固いだけではない。ペル機の方もパワーが足りていない。 「同じマシンなら、今ので勝ってたのに!」 「心配ないよ。あと五回ほど同じ場所にヒットさせれば、敵の膝が壊れるから」  警兵ヴァルが怒り狂ったように速度をあげ、ペル機を追い回し、攻撃を仕掛ける。だがペルの機体は、するりするりとその攻撃を交わしてしまう。 「どうして当たらないの? パワーもスピードも警兵ヴァルの方が上なのに!」 「あれがジン式格闘術ってやつさ。敵がどこをどう攻撃しようとしてるのか、その動きから察知してるんだよ。それだけじゃないよ。軽い隙をわざと見せて、敵の攻撃を誘導してる。なかなかいい動きだよ。まるで昔のジンを見ているみたいだね……」  ふいにオババが鼻をかんで腰をあげた。 「ここはどうも、埃っぽくていけないね。戻るから、あとのことは任せたよ」

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「今のところこれはただの憶測だ。私も信じてない。だが、上層部が真相を知りたがっている。本当にシングルタイプの機体で、君の盾を奪うほどのヴァル乗りがいるなら……、とても興味ぶかい」  イオランは敬礼したまま硬直した。呼ばれて初めて足を踏み入れた、ヴァル騎士団副司令長官ギルの執務室だった。格闘ヴァルのトップを争う若き天才と称される、憧れのギル・ボドラドを目の前にし、少し舞いあがっていた体が、不安と恐怖でずっしりと重くなった。 「君は公費ではなく自費で、こっそり警兵ヴァルの左膝を修理した。工場から軍にその連絡がくることになっていてね。少し調べさせてもらったよ。昨日、君はペルという若者に対する逮捕状を発行させ、それを昼過ぎに取り消している。なおかつ警兵の盾を紛失させ、なぜかそれに似たものを、スクラップ場に宿泊しているペルという者が持っている」  口を開きかけたイオランを、ギルが手を広げて止める。 「最期まで私の話を聞きたまえ。悪いようにはしない」  なだめるように、そう言ってやさしく微笑む甘いマスクに、男のイオランも少しどきりとした。 「ここから先は、この場にいる君と私、ふたりだけの話だ。憶測が事実なら、ただちに昨日のバトルデータを提出したまえ。代わりの盾を用意し、なにもなかったことにしよう。だが……」  とギルが鋭い眼光をむける。まるで獲物を狙う虎の目だった。 「私に嘘をつくなら覚悟したまえ。諜報室を使って徹底的に調べあげる。それで偽証が判明したら、君は完全に終わりだからね。クレア嬢との婚約も破棄だろうな。こんなことで君は、ボドラド一族に加われるチャンスを失うつもりなのかい?」  無税のゴールドを所持している一万五千人は、ボドラド一族の息のかかった軍関係者ばかりなのだ。すべての実権をボドラド一族が掌握している。それが人口十五万人の最大地下都市スカイラドである。  スカイラドはボルボ・ボドラドの軍事独裁政権によって生まれた。当初は「スカイ・ランド」だった名を、ボドラドにちなんでスカイラドに改名させたのもボルボ大総統である。  彼の病死後は、長男のパンダルが「大総統」に、次男のパパオが軍(ヴァル騎士団)の司令長官となった。  このパパオ司令長官(六十二歳)が、ギルの父親でもある。ちなみにギルの兄、ギャラン(二十八歳)は、パンダル大総統の右腕として活躍しており、次の大総統だと誰もが認知している。  つまり、そんな分厚すぎる後ろ盾のあるギルに、歯向かえる者などいない。  イオランは駆け戻り、消却炉ゆきのごみ箱の底に隠したメモリディスクを拾いあげ、全速力でギルに提出した。  その数時間後、ギルは街を出ようとしていたペルをスクラップ場で引き止めた。

  6

 ペルは前日の試合後、すぐに街を出るつもりでいた。予定を変更して一泊したのは「明日の昼過ぎでいいなら、新型の疑似重力ダンパーを取りよせられるから、もう一泊していけば」というエリーの誘いに乗ったからである。正直、離れにくい感情が芽生えていたのも事実である。  もう一泊することを決めると、オババはなぜか不機嫌になった。 「取り立てると約束したからその手間賃はもらわないけど、試合場の提供料として十万は別にもらうよ。延泊料と合わせて十万七千」 「一泊五千だったはずだぞ」 「延泊の場合はサービス料として二千が追加されるのさ。嫌なら、外の安ホテルにでも泊まりな。ここより千ドレンは安いよ」 「その代わり、夕食は私のおごりよ。|合成肉《Aミート》のステーキとキノコのサラダ。それからデザートはドーナツよ」  うれしそうに告げるエリーを見て、オババは舌打ちした。 「夕食が終わったら、ふたりともさっさと寝るんだよ。昨日みたいに話しこんだら叩きだすからね」  初めて食べた合成肉(大豆、コオロギ、ミミズからタンパク質を抽出した模造食品)は、ペルの舌には合わなかった。 「まずくはないが……。やっぱり俺は本物の肉の方がいい。食ってみろよ。俺が捕まえて作った乾し肉だ」  それはネズミの肉だった。都市と地上の境で暮らすドバたちは、捕獲したアベルを都市に売って新鮮な水や食品を買っているが、ネズミやイタチ、虫や雑草なども食べている。  オババは「こんなもん食えるかい!」と拒否したが、エリーは「外界へ行くなら、このくらい平気にならないと」と言って、涙目で強引にひときれを完食した。  ペルも涙目になる。レッドペッパー(唐辛子の粉)が辛いことを知らず、山盛り料理にかけてしまったからだ。  しかし「俺は絶対に食料はムダにしねえぞ。ジジイの教えだ!」と、口を腫らし、泣きながら食べきる。デザートのドーナツも、あまりのうまさに、ペルは泣きながら食べた。  夜、ペルは昨日と同じようにエリーと外で話ができることを、少し期待した。けれど、それは叶わない。オババが「おまえさんが悪さしないように、ここで見張るからね」とペルの部屋の前に、自分の寝台を引きずってきたからだ。  次の日、昼に届いたダンパーを装着しおえると、エリーがリュックを背負ってきた。 「支度ができたから、私を外界へ連れてって。ほんの数時間でいいから、飛んでいるアベルたちをこの目で見てみたいの」 「ダメだ。今からだと夜の時間帯までに戻れねえ」 「帰りは都市の入口で降ろして。ひとりで戻れるから……」 「変な輩も多いところだぞ! させられるかよ、そんなこと!」  押し問答をしていたふたりの前へあらわれたのが、ギルのヴァルだった。  最高級品GX2020を基本に、ギル用にグレードアップした、まちがいなく地上最強とも言えるヴァルである。ダブルエンジンの他に四つのサブエンジンがあり、装甲は無論のこと、内部の部品にまでチタン合金を使用している。右手には高出力の電磁スピア。左手には小型ミサイルの爆撃にも耐えるとうわさの炭化ケイ素合金を使用した盾である。  ふたりは言い争いをやめ、みごとなその流線型のデザインに見とれた。ごみ捨て場に突如としてあらわれた巨大な宝石のような、場違いすぎるヴァルだった。 「えげつねえな! あのサブエンジンひとつで、俺のヴァルより高出力だぞ!」 「ありえない! 装甲とエンジンが別々のライバルメーカー! どうして手を組んでるわけ?」  ギルのヴァルがゆっくりと腰を落とし、後部ハッチを開く。それを見たペルとエリーは、深々と感嘆をこぼした。その動作があまりにもなめらかで、静かだったからである。 「すまない。ここに少し駐機させてもらうよ」  そう言って姿を見せた美貌すぎるギルに、ふたりはまったく関心を示さず、コクピットの中をずうずうしいほど遠慮なく覗きこむ。 「なんだよこのシート。見たこともねえ形だぞ!」 「体の型を取って作られたオーダーメードよ! 操縦桿からエンジンペダルまで、ムダすぎるほど最高級品だらけ!」  ギルは苦笑した。名も顔も知られすぎている自分を無視して、マシンの方へ食いつくふたりの反応が新鮮だった。 「おや、ギルじゃないか? 親父のパパオは元気かい?」 「お初にお目にかかります、のはずですよね? バニエス・ババンさん」 「ずいぶん小さいときだったから覚えてなくてもしょうがないよ。それで、こんなとこまで、なんの用なんだい? 副司令長官でヴァル乗りナンバーワンのあんたが、出てくるほどの要件なのかい?」  同じことを父親のパパオ司令長官に言われたことをギルは思いだした。 「ランキングは残念ながらまだ2位です。歳とはいえ、チャンピオンはまだまだ手強いですから」 「え、こいつが、ランキング2位なのか?」 「嘘! 知らなかったの? 六対五の接戦で優勝を逃がした有名人よ。友達がフォトカード集めてる」  オババはひと睨みでふたりを黙らせ「それで?」とギルをうながした。 「ペルというヴァル乗りの方は、まだこちらに?」 「ペルは俺だ」と答えた少年を改めて見なおし、ギルは動揺した。もう少し年長の者を想像していたのである。 「君へ決闘を申し込みたい」 「いいぜ!」と軽く了解してしまうペルに、オババとエリーが「条件を聞いて!」と声を合わせて叫ぶ。 「勝てば五億ドレンを払おう。ただし負けたときは軍に入隊し、私の部下になってもらう。それからもし、この決闘を断るなら……」と一枚の逮捕状をかざした。  その紙には簡潔かつ大きな字で「警兵備品の窃盗容疑でバニエス・ババンおよびエリーシャルロンを逮捕する」と書かれていた。 「なんだそれ? やり方が警兵の奴と同じじゃねえかよ! しかも無関係のふたりを、なんで逮捕するんだよ!![#「!!」は縦中横]」  怒りにギルへつかみかかろうとするペルの襟首を、オババがつかんで抑えた。 「よしな。決闘の賭金を出したのがあたしらだから、まずはそうなるのさ。あたしたちを拷問して嘘の自白をさせ、ペルを逮捕って流れだよ。ペルが軍嫌いなのを誰から聞いたか知らないが、汚いやりくちがパパオをそっくりだね」 「私は父とはちがう! こんなこともしたくない! だが……、それだけ本気で、私は君の才能が欲しいと思っているのだ。許してもらいたい」  オババとエリーが大声で「横暴」「理不尽」「勝ち目がない」ことをまくしたてるが、同時すぎてよく聞き取れない。 「このカードを渡すよ。このIDを使えば、どのメーカーのどのヴァルも、軍の試験運用として借りだせる。君のあのヴァルと私のヴァルでは、あまりも差がありすぎる。三日後の昼、中央闘技場で待っているから」  逃げるように去ってゆくギルを見送って「そんじゃあー、戦って勝つしかねえな」と、どこか気楽に言うペルに、オババが怒鳴った。 「無理だよ。絶対に勝てないよ。そういう仕組みになってるんだよ」 「百パーセント勝てない、ってわけじゃねえだろ?」 「いや、二百パーセントないね。ギルの能力やマシン性能の問題じゃないよ! 聞きたいなら情報料を出しな!」  それはギルの兄、ギャランが中央闘技場で行った不正だった。闘技場の地下に仕掛けた装置で、対戦相手のヴァルへ強力な電磁波を照射し|再起動《リセット》状態にしてしまったのである。 「味方側も影響を受けて停止するけど、直撃じゃないから再起動時間が十秒ほど早いのさ。動けない相手を叩くんだから、千パーセント勝つよ」  優秀なヴァル乗りを優遇している軍では、上層部であろうとそれなりの腕前が必要、という不文律がある。ヴァルが不得手だったギャランのための苦肉の策だった、といううわさが裏で囁かれているが、その証拠はない。ただ、このときの試合データは装置の故障で消失しており、ギャランもそれ以降、ヴァルには乗っていない。 「あいつ、そんな不正をやりそうな奴には見えなかったぞ」 「いいや、負けそうになったら絶対にやるよ。口ではきれいごとを言っても、最後は親の言いなりになる、そういう家系だよ」  オババは受けとった五千ドレンをペルへ戻しながら尋ねた。 「さあ、答えな! おまえさんはどうするんだい? 勝てない試合をして、軍に入るのかい? おまえさんには、それが一番いいね。そんだけの腕があれば、地位と名誉と金が手に入るよ」 「俺は絶対、軍には入らねえ! ジジイとの約束がある!」 「それじゃ、もうひとつの奥の手はどうだい?」とオババはナイフを抜いて、ペルへむけた。「こいつで左腕の腱をどこかひとつ切るのさ。少し腕があがらなくなるが、ヴァル乗りに適さない証明になる。軍は確実に、おまえさんを欲しがらないよ」 「そんなことできるか! ヴァルに乗れなきゃアベル捕りもできねえ! 飢え死にだ!」 「おまえさんひとりくらいなら、ここで雇ってやれるよ。しっかり働いて、ここを任せていいくらいになったら、エリーを嫁にするといい」  ペルは顔を赤くして言葉を詰まらせた。先に大声で怒鳴ったのはエリーだった。 「バカなこと言わないで!」 「いいかいペル、この娘は来年十五になるんだ。少し前から、軍上層部のおっさんどもが、妾や第三夫人に欲しいって言ってきてやがる。この街の女としては悪くない未来だよ」 「私、絶対に結婚なんかしない!」 「あきらめな。停戦してるだけで戦争は終わってないんだ。すべての人間を軍の部品にしちまうのが戦争なんだよ。それとも逃げるかい? 世話になったあたしを捨てて、外の世界へ逃げるかい! できもしないカイン・エンジンを作るなんて夢を追い続けて、野たれ死ぬのかい? ふたりともいいかげん、大人になったらどうなんだい? ひとには、できることとできないことがあるんだよ。その分別をわきまえることが、大人になるってことなんだよ」 「嫌だ! ジジイは突然、倒れて死んだんだ。ひとはいつ死ぬかわからねえ。だから俺は、生きたいように生きる! やりたいようにやる! 俺は戦う! そして勝つ! それですべて解決だ!」 「ジンに似て、あきれるほどの大バカだね……」 「ペルはバカじゃない! 絶対に私が、勝たせる!」

  7

 とりあえずふたりはヴァルの最新カタログを開いた。 「じゃあ、これなんかどう? ギル機と同じスピードが出せるけど」 「ダメだ! これも背面自動ハッチだ!」 「どうしてそこにこだわるわけ? 確かに前面手動ハッチはカッコいいかもしれないけど、五年前からヴァルは全部、背面自動ハッチよ!」 「俺の親父が、戦闘中に背面自動ハッチが壊れて、中で焼け死んだ。手動ハッチなら脱出できたはずだって、聞いた……」 「今はそんなことない。起動停止になっても、背面ハッチが壊れても、緊急爆破装置でハッチを壊して脱出できるようになってる」 「中で気絶してたらどうなる? 外からハッチを爆破できる仕組みだと戦闘になんねえぞ」 「そのときはハッチの横の緊急用チューブを開くの。中に呼びかけたり、そこから気付の薬品を入れて起こしたりするの。だから気持ちはわかるけど、ハッチにこだわらないで!」  しかしペルは首に縦にふらない。 「つまり……、ペルが欲しいのは、軽量で堅ろう、反射速度が最高で、エンジン噴射が限りなく強くて、前面手動ハッチのヴァルってわけね?」 「うん、無理だな。どこにもねえな、そんなヴァル……」 「……ある、と言えばあるんだけど……。たぶん少し改良すれば……、近いヴァルになるはず……」  エリーに連れてこられたのは、家の奥から地下へと続く細い通路だった。身をかがめないと通れないほど、天井の低い通路だった。床も酷くでこぼこしていて歩きにくい。 「ここ、オババが昔、いっしょに暮らしていた誰かと掘った、秘密の抜け道」  ランプを手に奥へ進むと、急に大きくひらけたトンネルの中へと出た。まったく使われていないが、あきらかに整備された通路である。  右はゆるやかにカーブしながらさらに奥へと通じているが、左側はすぐに行き止まりだった。その行き止まりの壁の前に、カバーで覆われたヴァルらしき巨体がうずくまっている。 「私が何年も部品を集めて修復したヴァルよ。すぐ上がスクラップ場の隅に通じているから、天井を少し壊せば外へ出せる」  カバーを外すと、遮光器土偶を思わせるずんぐりとしたデザインの機体があらわれた。だいぶ前に倒産した老舗ヴァルメーカーのもので、頭部にふたつある大きなメインカメラが横に張り出していることから『デメキン』という俗称で呼ばれていた機体である。  デメキンはスピードタイプとパワータイプ、両方の良さを詰めこんだ究極のヴァルを目指し、巨額の開発費を投じて作られた。だが、デザインの悪さと癖のある操縦性によってまるで売れず、それでメーカーが倒産したといういわく品だ。 「これ、ふたり乗りじゃねえかよ!」 「今みたいなアベルカプセルの自動交換システムがなかったから、交換専用員がひとり必要でこうなってる。それが売れなかった理由でもあるんだけどね。私がこのデメキンを選んだのは、アベルカプセルの装填台がたくさんあって、いろんなアベルを採取するのに都合がいいからよ」 「外界に行くために用意したマシンってわけか?」 「そう。今は無理でも、いつか私は外の世界へ出なきゃいけない……」と右の通路の先を指さした。「ペルが戦った格納庫の先は塞がってたけど、この道は街の外へ通じてるの」  暗いトンネルの奥から、ひんやりとした空気と共に、シンという静寂の無音が迫りくるのを感じた。 「この抜け道、軍にばれたら、だいぶヤバイぞ」 「うん、とってもヤバイと思う。でも、物心ついた頃からあったから、心配する気にもなれないけどね」  前面手動式ハッチを開くと、上下にふたつ並ぶ操縦席があらわれた。ただし上の座席は金属のアームが何本も伸びており、座れない。 「下の席で上の操作ができるように工夫したんだけど、ちょっといまいち。まあ、気にしないで。戦闘には支障ないから」 「確かに理想どおりのマシンかも知れねえが……。こんな癖の強い奴、俺にはあつかいきれねえな」  しかし、格納庫でその性能を試すと、ペルの想像を遥かに超えていた。 「うん行ける。少し癖が強いが、二日あれば馴れる!」 「装甲はチタン合金に取り替えるからね。盾は警兵のでいいけど、武器はギル機と同ランクの電磁スピアが必要よ」 「ついでに、上の席とつながっている操作用のアームも外してくれ。腕が当たりそうでじゃまだ」  その夜、オババはペルに格納庫で寝るように指示した。 「夜通し好きなだけ練習できるよ。しかも宿泊料はたったの千ドレン。トイレがないから、この空き箱をオマル代わりにしな。悪い虫が出入りしないように、格納庫の扉は外からしっかり施錠するからね。安心して寝な」  オババはわざとらしく噴霧器で殺虫剤をばらまき、あたりを粉だらけにして出てゆく。  翌朝、エリーはネットから拾い集めたギルのバトルデータと朝食を持って、格納庫にきた。  寝ぼけまなこで、サラダを挟んだパンを齧りながら、ペルはそれを眺め「やっぱ、すげーな。機体性能もすげーけど、ギルの腕も相当だ。デメキンに、もう少し出力があればなー。もしも、もしもだけど、俺が負けたら……」と弱音を吐いた。 「負けたら、このデメキンでそのまま逃げて。軍になんか入らなくていい」  それでうまく逃げきれる保証はまったくない。それよりもペルは、その後のふたりのことが気がかりである。 「でも、俺がそんなことしたら……」 「あたしたちのことは心配しないで。たぶんなんとかなる。昔、なにがあったか知らないけど、パパオ司令長官が、オババにサナトリウムへの入所を許可してる。ふたりは、それほどの仲なんだから」 「サナトリウムってなんだ?」 「政治家とか軍の上層部しか入れない特別な治療所よ。無料だけど自由のないあんなところは牢屋と同じだって、オババは嫌がってるけど……。  とにかく! 今は負けることなんて考えないで。デメキンの推進力をあげる方法なら、まだあるから!」  アベル・エンジンの基本原理は、静電場で加速させたプラズマ状イオンを噴射するイオンジェットである。プラズマ生命体=アベルの個体差も無論だが、いかに効率良くプラズマ状イオンを抽出するかも、推進力に関係する。 「ギルの機体は最新型のゴゼ型抽出アダプタで最高ランクのアベル3から、プラズマエネルギーを強引に搾りとるの。パワーはあがるけど、通常の半分の時間しか持たない。でも、自動装填システムでアベルカプセルを最高で十二個、連続交換できるの」 「試合が長引いたら完全に負けるな。その自動装填システムとか、ゴゼ型抽出アダプタを取りよせて……」 「ダメ! 絶対にダメ! ゴゼ型は最悪! アベルが体力を回復できずに、たびたびそのまま死んじゃうんだからね!」 「……確かに、そいつは酷えな」 「それに、たとえゴゼ型をデメキンに装着しても、ギル機のは軍の極秘開発品。軍上層部の人間にしか手に入らない品で、性能もずっと上。でも、でもね……」  そこでエリーはうれしそうに大きく胸を張って答えた。 「私が作ったこの、エリーシャルロン型抽出器ならゴゼ型にだって負けない。理論的にはゴゼ型を越える……はずなんだけど……まだ、そこまで記録が出せてないけど……」 「今のよりいいなら、好きにしてくれ。だけど、自動装填システムの方はどうする?」 「なんのための二段シートだと思ってるのよ。私が上に乗ってアベルカプセルを交換すればいいだけ」 「ダメだ! 機体が重くなって機動力が低下するし……」 「積みっぱなしのペルの家財道具よりは軽いし、デメキンのパワーなら誤差の範囲よ」 「決闘なんだぞ! 悪くすれば死ぬんだぞ!」 「ひとはいつ死ぬかわからない。なら搭乗しても、しなくても同じでしょ? その覚悟もできてるし」 「……一対一の決闘じゃなくなる。きっとギルも許さないぞ」 「私は自動装填器の代わりだから、部品と同じ。了承するはずよ」 「わかった。かまわない」とギルが軽くそれを了承したのは、試合当日の中央闘技場の中だった。  直径三百五十メートルの正円の周囲を、高さ二十メートルの壁が覆っており、その上に階段状の観覧席がぐるりと並んでいる。照明のある天井までの距離が六十メートルほどあり、スカイラドの中でもこれ以上の高さと広さがある場所はない。それがヴァル専用に作られたスカイラド中央闘技場である。  非公式の無観客試合であるため、あたりはもの悲しいほどの静寂に包まれていた。修復だらけの壁や床が、戦闘の激しさを無言で物語っている。  了承を受けて、壁際にある西のスタート地点でうずくまるデメキンへと、うれしそうに駆けてゆくエリーの背を見送って、ペルはギルに言った。 「約束しろ! ヴァル乗りならヴァル乗りらしく、正々堂々と戦うと!」 「それは当然のことだ! 君に言われなくとも私はいつも誓っている。このヴァル騎士団の階級章に!」  胸で金色に光る五芒星型の階級章を、ギルは拳で軽く叩いてみせた。 「それに、無観客だが軍の上層部がカメラを通して、この試合を見ている。無様なマネはできない」 「そうか、ならいい」と背をむけるペルを「もう一度だけ確認しておきたい」とギルは引き止めた。 「なぜそんなに君は軍が嫌いなんだ? 軍でその実力を生かせば、君なら、手に入らないものはないぞ」 「俺の望みは、ヴァルを戦争の道具にせずに、この戦争を完全に終わらせることだ。軍に入るってことは、その真逆だ!」 「戦争を? 止める? どうやって?」 「……それはまだ、わかんねえけど……。とにかく俺はやるんだ!」 「ひとりで? 戦争を……」と言いかけたギルはあわてて顔を手で覆い、ペルに背をむけた。小刻みに両肩が震えている。 「悪い……。本当に悪い……。ひとの夢を笑うなんて……、でも、でもね……」  激しさを増す笑い必至に押し殺そうとしているギルを残し、ペルはふくれっ面でエリーの待つデメキンへと駆け戻った。  十数分後――、試合開始を知らせるブザー音が、闘技場に響きわたる。  ギル機とデメキンが同時に走りだし、中央へとむかう。  勝負は最初の接触、一撃で終わることも珍しくない。双方が機体をボロボロにしながら燃料切れまで戦うこともあるが、まずそうはならない。どちらかが降参してしまうからだ。急所である背を敵に晒し、床に両手をつく。それが降参の合図である。  ペルとギルの戦いは、双方で出方を探りあう慎重な動きではじまった。飛びこむと見せかけて、さがる。そんなフェイントの掛け合いが続いたのち、一、二度、双方の電磁スピアが交差し、白色の放電を散らしただけである。  開始の一分後、ペルは愚痴をこぼした。 「くそっ! ダメだ! 飛びこめねえ! こっちの動きが完全に読まれてる」 「……たぶん開発中の戦闘予測プログラムが動いてる。警兵との戦闘データを解析して、ペルの癖から次の攻撃を予測してるの。戦闘が長引くほど、データが蓄積されてさらに不利よ」 「なら、とっておきの秘技で、一気に片づけてやる!」 『これは俺の必殺技だぞ』とジジイが教えてくれた『戦いの舞』という技である。だが、ペルはこの技が嫌いだった。論理的には効果があると理解できるが、相手の思考を惑わせるために、どうでもいい恥ずかしい踊りを乱舞する必要があるからだ。正直、本当に効果があるのかどうか、ペルにもわからない。幸いなことに、恥ずかしい秘技を披露しなくてはいけないほどの敵に、遭遇しなかったからだ。  ペルは嫌々、双方の射程圏の少し手間で、踊りだす。 『いいかペル、敵を笑わすつもりで踊るんだぞ。へっぴり腰のてんてこ舞いだ』  突然の奇行に出たペルに、ギルは困惑して動きを止めた。理解に苦しんだのは戦闘予測プログラムも同じだった。とりあえずこのまま出方を見るしかない、そうギルが判断した次の瞬間――。  ダンサーのように回転しながら、ペルは攻撃を仕掛けた。  プログラムは予測不能という答えを出したが、戦闘馴れしたギルは瞬時にペルの動きを読み、動いた。  回転しながらくりだされたペルの電磁スピアを、ギルは盾で防ぐ。同時にギルは、自分の電磁スピアを、突きだしていた。ペルの盾の下を潜りぬけ、その先にある本体めがけて――。  だがそこに、デメキンの機体はなかった。盾を手から放し、それを囮にし、デメキンはギル機の横を走り抜けていたのである。ギル機の背を電磁スピアの先で斬りながら。  ギル機の背で小さな火柱があがる。それで勝敗が決まった――かに思えたが、四つのあるサブエンジンのひとつを破壊したにすぎない。  いまひとつ踏みこみが浅かった。神業的な動きでギルが、とっさに避けていたからである。 「すげーなギル! ジジイなみの動きだ!」  感心している暇はなかった。  ギル機が本格的な攻撃を、矢継ぎ早にくりだしてきたからである。  かろうじて投げた盾を回収できたものの、ペルは防戦一方で逃げるしかなかった。  逃げながら隙をついて反撃したいが、ギルはまったく、その隙を見せない。  そればかりか、プログラムがペルの行動データを蓄積し、ギル機の動きを高めてゆく。 「もう秘技はないの?」  このままでは確実に負ける。ギル機より大きく逃げ動いているため、エネルギー消費が激しい。それでなくとも、アベルカプセルの数がギル機よりも少ないのだ。 「……しょうがねえ、もう一度、秘技、戦いの舞を……」 「やめて。もうそれ、完全に読まれてるから」  一瞬、ギル機が隙を見せた。失ったサブエンジンによる踏みこみの誤差のように思えた。  ペルはすばやく、その隙をついて飛びこみ、電磁スピアで突く。  囮だった。隙のように見せかけ、敵をおびき寄せるフェイント、それはジン式戦闘術の模倣でもある。  デメキンの右の手首が斬り飛ばされ、つかんでいた電磁スピアごと、宙に舞う。  むしろ、それだけで済んだとも言える。ペルの回避行動があと少し遅ければ、メインカメラのある頭部を斬り飛ばされていたはずだ。ギルほどの敵を相手に、サブカメラだけではまったく勝負にならない。 「くそっ! バケモノだなこいつ。見ただけでジン式戦闘術の基本を会得しやがった」  大きく距離を取りながら、デメキンの斬られた手首の先に予備の電磁ナイフを取りつけた。短すぎるため、よほどの接近戦でなければ役にたたない武器である。 「だけどよ、付け焼き刃が通用するほど、ジジイの技は甘くねえぞ!」  ギル機が一気に決着をつけようと迫るが、デメキンの動きが別人のように極端に良くなっていた。一撃をあたえられないどころか、反対にじりじりと押し返す。  ギルという強い敵と対戦し、ペルは忘れかけていたジン式戦闘術の真髄を思いだしたのだ。それは、あまりにも弱い敵ばかりを相手にしてきた弊害だったとも言える。  ギルの一撃を潜り抜け、放ったデメキンの拳が、メインカメラをかすめた。ギル機が回避できたのは、機体性能の差でしかない。  ギルは思い知った。戦闘予測プログラムが導きだした答えが、完全に裏目に出ていることを――。プログラムが導きだした行動予測を、ペルが逆にフェイントの材料としているのだ。もはや戦闘予測プログラムはじゃまな存在でしかない。 「どうだギル。これが本物のジン式戦闘術だ」  ギルは間合いを大きく取り、離れた場所で停止した。 『君は、本当にすばらしいよペル。だが、そろそろ終わりにさせてもらう』  スピーカーでそう宣言し、ギル機がすべての出力をゆっくりとあげてゆく。それはエネルギー消費を無視し、一気に敵を攻め潰す定番の戦法である。  ギルはペルの戦闘技術をほぼ同格だと認め、そして恐れたのである。確実に勝つにはもはや、ランキング2位のプライドを捨て、機体差で圧倒するしかないと――。 「くそっ! 俺が前面ハッチにこだわらなければ……」  同レベルの敵と戦い、ペルは初めてヴァル戦において、機体差の重要性を思い知った。 「ちがう。ペルの判断が正解よ。あっちが機体差で勝負しようとしているんだから、こっちもそうすればいい。この特別なアベルなら、私の抽出器の記録を更新できる」  見あげると、エリーが手にしていたのは、ジジイが大切にしていたアベルカプセルだった。 「なにかが、他とぜんぜんちがう。なんだか、中のアベルが、私に話しかけてきているような気がするし……」  生前のジジイがそのアベルを相棒と呼び、いつも話しかけていたことをペルは思いだした。  準備を整えたギル機が、こちらへむかって動きだす。 「どうすればいい?」 「盾を踏み台にして真上へ飛んで! 全力噴射で、どこまでも上に!」  アベルカプセルの交換は通常、噴射の余力を残して行われる。しかし、垂直飛びは全力噴射を継続しなくてはならず、途中で交換ができない。交換後も、再噴射まで四秒ほどのタイムラグが発生する。  つまり、ヴァルによる垂直飛びの高さは、エンジン性能およびアベルカプセルの能力にかかっているのだ。  デメキンとギル機は、ほぼ同等のエンジンを備えているため、アベルと抽出器の性能差が勝敗をわけるだろう。逃げきれるだけ高く上へ飛べればよいが、性能で負ければ途中で捕まる。下から足をつかまれ、地表へ叩きつけられるだろう。落下速度が加わるため、疑似重力ダンパーでも衝撃を受け止めきれず、搭乗者が死ぬ可能性も高い。 「だいじょうぶ、私を信じてペル!」  ジジイのアベルカプセルをエリーが抽出器に装着し、上から両手で押さえた。飛びだしたそうなほど、カプセルが振動しはじめたからである。振動はよくある反応だが、これほど激しいのは、エリーにも初めてのことである。 「わかった! 飛ぶ!」  ペルはエリーの指示どおり、盾を踏み台にして、上へ飛んだ。背負ったダブルエンジンの噴射を全開にし、ギアを次々とあげてゆく。  上へ逃げるペルを追って、ギルも飛ぶ。  飛ばずに下で待つこともできたが、軍の最高級ヴァルに乗っているという自負が、ギルをその勝負にむかわせた。  ヴァルの最高跳躍力はおよそ十八メートルと言われている。闘技場を覆う壁の高さが二十メートルなのも、客席にまちがって飛びこまないための配慮である。だが新型のダブルエンジンを備えたヴァルについては、誰もその跳躍力を把握していない。性能の漏洩を恐れた軍が、厳密な実証実験を禁止したからである。さらにサブエンジンを備えたギル機の跳躍力については、開発者でさえ予想の域をでない。  やや遅れてギル機が、サブエンジン三基の噴射を開始した。みるみるデメキンとの距離が縮まってゆく。サブエンジンをひとつ失っているとはいえ、ギル機の噴射力は、デメキンよりあきらかに上だった。 「お願いアベル! 私たちを助けて!」  叫ぶエリーを、ペルは見た。押さえつけているエリーの両手から飛びだしそうなほど、ジジイのアベルカプセルが震えている。 「もっと強く押さえろ!」  ペルが立ちあがって、エリーの両手の上から、それを抑えた。 ――『心配するなペル。なるようになるさ。草木のように好きに伸びろ!』――  ジジイの声と笑顔が、なぜかふいにペルの脳裏に浮かんだ。  音色が変わり、デメキンのエンジン出力があきらかに変わった。ギルはあわてた。もう数秒で、デメキンへ追いつき、急所である背を斬りつけられる位置に到達できる――はずだった。  距離はまだ徐々に縮まっている。だが、その速度がまるで今までとちがう。しかも、デメキンはさらに加速している。  ギル機の噴射エネルギーは、すでに限界値を越えていた。数秒で空になる。ここで逃がせば、ギル機は上空の敵に急所の背を晒した状態で、着地姿勢を取ることになってしまう。  ギルは、ダブルエンジンが壊れるのもいとわず、アクセルを床まで踏みこむ。そしてデメキンの足をつかみとるため、盾を捨てて腕を伸ばした。  二機はすでに、闘技場を囲む壁の高さを越え、さらにあがってゆく。眼下には無人の観覧席が、のどかに並んで見えた。  ギル機のダブルエンジンの噴射がつきかける寸前である。伸ばした左手が、デメキンの右の足首に届き、――つかんだ。 「勝った!」  ギルは力を込めてデメキンを引きよせ、電磁スピアでその背を突こうとした。  ――感触がなかった。デメキンの右足をつかんだはずの左手が、空を切っていた。  見ると、ギル機の左手にデメキンの右足が残っている。膝から下、右足を失ったデメキンがさらに上へと登ってゆく。ペルは自ら、電磁ナイフでつかまれたデメキンの右足を切り落としたのである。  機体が静かに落下へと転じるコクピットの中で、ギルは敗北を認めた。たとえ背を斬られなかったとしても、エンジンはもうまともに動かず、勝負にならない。  昔、敵に背を晒さず、仰むけのまま地表に激突して死んだ戦士がいたという。ギルは強い敗北感の中で、いっそそうしてやりたい、と思った。 『負ければ軍と、次の大総統を目指す兄の汚点になる』そう止めた父パパオに『必ず勝つ』と豪語して挑んだ試合である。 『おまえが負けそうになったなら、私はギャランのときのように電磁波攻撃を敵へ仕掛ける』 『ダメだ! 俺は兄さんとちがう。それだけは絶対にするな!』  死にたかった。しかし、二十二の若さである。たった一度の敗北である。なによりも、ペルの戦闘術を取得し、さらに強くなりたいという思いが上まわっていた。  もう手の届かない高みで、落下へと転じたデメキンを確認してから、ギルは背を晒して着地姿勢をとった。    ギル機の背中を斬りながら、ペルは闘技場へデメキンを着地させた。疑似重力ダンパーが悲鳴をあげ、残った左足が自重を支えきれずに潰れた。  アベルカプセルを交換しながらエリーが怒鳴る。 「ダメ! 浅い! メインエンジンの片方しか斬れてない! 早くとどめを刺して!」  短すぎた電磁ナイフのせいである。  ペルは落ちていた電磁スピアを左手で拾いあげ、潰れた左足を切り離した。起動力は落ちるが、バランスがとれて戦いやすい。  二十メートルほど離れた場所で、身を起こしたギル機にむかおうとした瞬間――。  パン、という音とともにコクピットの中が完全な闇に包まれた。自動制御でデメキンが膝を落としてうずくまる。  電磁波攻撃によりすべてのシステムがダウンしたのである。ギル機の方も動けない。 「くそっ! やりやがったなあいつ!」  ペルは前面ハッチを手動で開け、外へ飛びだした。  走りよると、ギル機はすでにシステムが再起動準備に入っているらしく、小さくキリキリと鳴っていた。  ペルはギル機の背を登り、エリーに教えてもらったハッチの横にある緊急用チューブを開いて、呼びかけた。 「聞こえるかギル! 騎士団の階級章にかけて正々堂々と戦うんじゃなかったのかよ!?[#「!?」は縦中横]」 「ちがう……。これは父が勝手にしたことだ……」 「なら、外へ出てこいよ。両方の機体が再起動するのを待って、試合再開だ」 「いや……」 「いい試合じゃねえかよ。もう少しやろうぜ」 「……もう、こちらに勝ち目はない……。だから……」 「だからなんだ? 動けないこっちを叩いて、それで勝ったってことにするのかよ!」 「……わからないかもしれないが、私には立場がある。それに、これが本当の戦場なら……」 「戦場ならなんだよ! ルール無用でなんでもありってかよ! それでいいのかギル!」 「ペル、大人になれ。私の下につけば君の将来は確実に……」 「それが大人なら、俺は大人になんかなりたくねえ!」  ペルは腰にぶらさげた殺虫剤の噴霧器を手にし、緊急用チューブにさしこんだ。 「ここからは先はルール無用だ! 覚悟しろ!」  噴霧器を動かし、中に詰めておいたカイエンペッパー(唐辛子)の粉末を、コクピットの中へ、大量に吹き入れた。 「うがあ!」とギルが叫ぶ。目をやられたのである。そして、激しく咳きこみはじめる。  次の瞬間、ギル機が再始動完了となった。  空気清浄機がすぐに、漂う赤い粉を吸いこむが、目の中に入ったものまでは取り除けない。  デメキンへ駆け戻るペルを追いかけるように、ギル機が両腕を闇雲にふりまわしながら突進する。目を洗うよりも、勘を頼りに叩くことを選択したのだ。攻撃時間は敵が再起動するまでの、たった十秒しかないのである。  だが、メインエンジンがひとつ壊れており、正常な直進ができていない。ギル機はデメキンの横をすり抜け、闘技場の壁に突き当たる。そのまま、それをデメキンとまちがえ、めった斬りにする。すぐにおかしいと気づき、動きを止めたときにはすでに、タイムリミットだった。  デメキンのコクピットに明かりが戻る。 「うまく行った!」  ペルはハッチを閉ざして、操舵管を握りなおす。 「急いで逃げて! 二発めの電磁波がくる」  闘技場の床に隠された高出力の電磁波攻撃は、そう続けざまには撃てない。次がいつかわからないが、再充填を進めているにちがいない。  ギル機へむかって走りだしながら「どこへ」と尋ねたペルに「もう一度、壁を越えて客席へ」と答え、エリーはアベルカプセルを交換した。  ギルはスポーツドリンクで目を洗い、かろうじて視覚を取り戻す。だが、高速かつ、左右に体をふりながら挑んでくるデメキンの動きを、捕らえきれない。  ペルはフェイントをかけてギル機の背後にまわると、残されたメインエンジンを斬った。  そして、その背を踏み台にして、空へ飛ぶ。 「お願い。もう一度、私に手を貸して」  アベルにむかって放ったエリーの祈りを、ペルは勘違いし、先ほどと同じように立ちあがって手を添えた。  あきらかにパワーが増し、デメキンは軽々と壁を飛び越えた。  闘技場の壁の一部が開き、その奥から十機ほどの警兵ヴァルが、捕縛用の電磁ネットをたずさえ、なだれ込んでくるのが眼下に見えた。 「客席ゲート4を乗り越えると、そこにフラグポールがあるから、滑り降りて闘技場の外へ逃げて。目の前にA3の入口がある。それを逆走してルートM2からA212へ」  的確な逃亡ルートが、矢継ぎ早にエリーの口から滑りでる。  ギルは開かなくなった背面ハッチを自爆させ、機体の外へでた。目標を失った警兵ヴァルの一群が右往左往しながら入場ゲートを引き返してゆくのが、ぼんやりと見えた。 『ギル。心配するな。電磁波攻撃後の映像は残っていない。この試合は無効だ。なにも言うな。ただ私の言うとおりにすればいい。おまえは負けていない。ギャランの名声も傷つかない』  通話機から聞こえてきた父親の声に、ギルは怒りを爆発させた。 「黙れ!」  胸の階級章をむしりとり、通話機と共に床へ叩きつけた。

  8

 ふたりは、電子地図にも掲載されない、空ビルの中を抜けるルートで、浄水施設の横へと逃れ出た。漏水により、絶えず天井から水がこぼれ落ちてくる通路であるため、近づく者もない。そこで自動運転のタクシーをひろい、ペルの持っていたゴールドカードをセットした。  囮である。ジンとペルの関係を、軍は確実に調べあげている。カードの使用を知った警兵たちは、空のタクシーを追う――という作戦だった。  カードをセットして駆け戻ってきたエリーを、ペルは開いた前面ハッチの奥で手をかざして止めた。 「来るなエリー。ここまでだ。俺はお尋ね者だ!」  ネットニュースが、ペルの顔写真と共に、壊れたようにくり返している。 ギル・ボドラド暗殺未遂 ドバの少年ペル緊急手配 「これ以上の迷惑はかけられねえ! ここからはひとりで逃げる。だから、ここでお別れだエリー」 「勝手に決めないで……」  破裂したような音をあげ、ふいに勢いをあげた漏水が、霧雨のように通路を煙らせた。 「ヴァルの腕さえあれば、どうにでもなると思ってた。だけどあいつら、ルールもクソもねえ。勉強になった。オババの言うとおりだ。できることと、できねえことがある。それが、よくわかった。少し、大人になったってことかもな……」  ペルが小さく笑うと、エリーが今にも泣きだしそうな声で怒鳴った。 「だからなによ!」 「本当は俺……、エリーを……」ペルは考えを追い払うかのように、強く左右に頭をふった。「いや、どうしたって無理だ。俺は……、俺はドバだ!」 「……それが、どうしたの?」 「俺は、ひとりで生きていくしかねえ。それがドバだ……。ともかく! さよならだエリー! 本当に……、会えて、うれしかった……。じゃあな!」  ペルはハッチを閉ざした。  しかし、閉まらない。なんどやっても、ハッチが閉まらない。なにかが、どこかに挟まっている。 「なに勝手なこと言ってるのよ! 泥棒! それは私のヴァルよ! ハッチが閉まらないように細工したコインの外し方だって、わからないくせに!」 「コイン? どこに?」 「教えない! 今から外界へ行くための、大切な私のヴァルなんだから」 「これから? ……オババを見捨てるのかよ?」 「上の座席に貼ってある畳んだメモを見て。そうそれ。オババの命令書。光にあてると消えるインクだから、開いたらすぐ読んで」
◎任務 カイン・エンジンを作るべし。  それまで戻ってくるべからず。  なお、あたしの今後の連絡住所はサナトリウム
 薄い文字がみるみるさらに薄くなってゆく。 「どう? わかった? 私はこれから外界へ行くの。ついでに、ペルも逃がしてあげる。望むならいっしょに暮らしてあげてもいい」 「それって……」 「ただし、私のことが嫌いならあきらめる。だから、はっきり聞かせて。私のこと、どう思ってるの?」  ペルは顔を赤らめ、目を泳がせ、か細い声で答えた。 「……好きだ」 「え? なに? ぜんぜん聞こえない!」 「好きだ! 俺は! エリーのことが大好きだ!」  ペルが怒鳴ると、エリーは日だまりのような満面の笑顔で、コクピットの中へ飛びこんできた。 「私もよ、ペル!」

  9

 オババはふたりが戻ってきたことを、物音で知った。だが部屋から出なかった。顔を見れば、決心が揺らぐとわかっていたからだ。  ふいに、両親が自分を捨て、夜中にこっそり出ていったときの物音を思いだした。 「行ってきます」  そうドアのむこうで告げたエリーにオババは感情を堪え、返事もしなかった。  物音がやみ、しばらくしてからオババは、ジンといっしょに掘った秘密の抜け道を覗いた。  トンネルの奥、遠ざかってゆくヴァルのエンジン音が微かに聞こえる。 「その先、どうなるかわからないけど、悔いだけは残すんじゃないよ」  オババは、自分が選ばなかった方の未来へと進む義理の娘を、そんな言葉で見送った。  それから重機を動かし、くず鉄の山を崩して、機体の出入りに使った穴を完全に塞ぐ。そして秘密の抜け道を押し潰した。これでもう掘り返しても、ふたりには追いつけない。  それから、一杯の茶を飲み干した時分だった。警兵ヴァルの一群がサイレンを響かせて、スクラップ場へ押しよせた。 「なんだい! ここを捜査したいなら捜査令状を出しな! あたしはね、ここの管理を司令長官のパパオから直々に任されているんだよ! 軍だろうが警兵だろうが、勝手はさせないよ!」 『バニエス……』  先頭の警兵ヴァルが立体スクリーンを照射し、苦々しいパパオの顔を映しだした。 「おやおや、久しぶりだねパパオ。ずいぶんと髪が薄くなっちまってるじゃないか。あんたが許可するならしょうがない。好きなだけ調べればいいさ」 『……まさか、逃亡に手を貸したのかバニエス!』 「もうろくしたねパパオ。貧乏人のドバを逃がして、どんなメリットがあるんだい? あんたが一番知ってるはずじゃないか、あたしが損得勘定でしか動かない人間だってこと」

  10[#「10」は縦中横]

 外界へ近づき、トンネルの先が少し明るくなった。地上は分厚い雲に覆われており、日の光りも届かない。軽い嵐が吹き荒れ、線香花火のような無数の稲光が、絶えまなく地表へむかって放たれている。  その空を、風に逆らって楽しそうに泳ぐ青いクラゲたちの姿があった。プラズマ生命体のアベルである。 「すごく……、きれい……」  ペルの隣に無理やり体を押し込めて座るエリーが、ほのかに光るアベルたちの姿に見とれ、ため息を漏らした。  アベルカプセルの交換を忘れているエリーに代わり、ペルが次のアベルをセットする。  ――と、そのペルの手の上に、エリーが両手を重ねた。  とたんに中のアベルが強く光り、さらに出力をあげてゆく。 「ほら、ふたりなら、どこまでだって飛べるよ」  それに呼応するかのように、外のアベルたちが一斉に強い光を放った。
――(了)――

あとがき

 原点回帰で古くさいと言われようが「搭乗型巨大ロボットもの」を描きたくなったので書いてみた。  初出はJURA44号。  動力源に使ったプラズマ生命体およびその起源説は、実在する。都合よく改変しているが、SFの新たな小道具としては、使い勝手が良いと思う。  続編を書くかどうかはさておき、いつものごとく構想だけはある。  ふたりの嬉し恥ずかし新婚生活を邪魔するギルの弟子入り、オババそっくりの性格をもつ女子がチームにくわわり、なんやかんやで、無双してゆく。そして当然のごとく、限りなく拡大してゆくスケール……。

(了)

------------------------------- ◎著作者 岡本賢一 経歴 ウェブサイト
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