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そう言えば、カフカは「城」しか読んでなかった。と気づき青空文庫の
「変身」を読んだ。ありがとう青空文庫!
まずひとつ気づいた。読んだのは「城」ではなく「審判」の方だった。このところ物忘れが酷い。すっかりじじいだ。
ひとつ思いだした「変身」を読んでいないのにデビュー前の作品「ロボットは泣かない」の主人公の名をザムザにしていたという事実である。人間に変身したい主人公だから、安易にザムザとしたことを、とりあえず陳謝しておきたい。ごめんよカフカ。
「変身」の感想。おもしろかった。作者がそれを意図としたかどうかわからないが、何度も笑わせてもらった。
笑ったひとつめは、虫になってもなお『ともあれ、これから八時の汽車で商用の旅に出かけます』と言い切るところ。ゴキブリ系の巨大な虫が「買ってください」と玄関先に来たらまちがいなくパニックだ。主人公のこの心情は、一家の稼ぎ頭で妹を音楽学校へ通わせたいという事情が後半でてくるのでうなずけるが、この段階ではわからないので「おとなしく寝とけよグレゴール!」とツッコムばかりである。
次に笑ったのは健気にお世話する妹が、虫兄の嗜好を試すため、いろいろなものを選んできたシーンである。『なおそのほかに、おそらく永久にグレゴール専用ときめたらしい鉢を置いた』なんかこう、犬とか猫とかを飼いはじめたときに似ている。妹さん虫兄、飼う気まんまんである。
ソファーの下が落ち着くけど尻が入らないとか、天井からぶら下がるのが好きとか、グロテスク虫なのに、なんかお茶目な虫兄である
家財道具といっしょに写真を撤去されるのを拒むため壁に張りつき、母親を卒倒させるシーンも笑えるが、最も笑ったのは、その後に帰ってきた怒る父親と虫兄の対峙シーンである。
『そこで父親から逃げ出して、父親が立ちどまると自分もとまり、父親が動くとまた急いで前へ逃がれていった。こうして二人は何度か部屋をぐるぐる廻った――(中略)――林檎だった。すぐに2つ目が飛んできた。グレゴールはぎょっとして、その場に固まった。もう走っても無駄だった。父親は砲撃する決心をしたのだ。食器棚の果物皿から林檎をとってポケットいっぱいに詰めこんで、投げはじめた』
同じ場所をぐるぐると追いかけごっこをしたすえに、林檎である。椅子とか杖とかもっと攻撃力の強いものがあるだろうに、なぜか林檎の砲撃である。たいしたことないだろうと、声をあげて笑ってしまったが、その結果は思いの他、悲惨でグロテスクだった。
三人の下宿人とか、妹のバイオリン演奏とか、作者的にはもしかすると、笑わせるつもりだったのかもしれないが、笑ってしまうのは忍びない心持ちになった。
笑えた部分はさておき、うまい、と思ったのは登場人物たちの反応やディテールが、とてもリアルなところである(部分的にわざと外してあるところはあるが)。突然、虫になったらどうなるか? というSF的なシミュレーションが、とてもよく書けている(作為的にそうしていないところはあるが)。
最後まで読んで思った感想は、巧妙にテーマ(意図)を隠している点である。『不思議の国のアリス』のテーマが「小説にテーマなんか必要ない、というのがテーマ」というのに似ている。いくつかのテーマを拾えるヒントを散りばめているが「好きなようにテーマを想像してくれ」というのが作者の意図ではないかと推測する。でなければ、もう少し明確に書いているだろう。
というわけで、勝手な誤読を(意外とマトを得ているかもしれないし、どこかで誰か同じ指摘をしているかもしれないけれど)やってみよう。
これほどリアルなシミュレーションをやってのける作者なのに、意図的にそうしていない不自然な部分がある。このあたりがテーマに関わっているのではないだろうか?
不自然な点1。誰も、なぜ虫になってしまったのかを調べようとしない。
通常、こんなことになれば、まず医者を呼んで調べてもらうだろう。現代ならCTスキャンにかけ「こんな患者が出ました」と保健所に知らせがゆく。保険所は他に事例がないか、感染が原因じゃないか、調べるだろう。マスコミが騒ぎ、国が動き、場合によっては特別調査班が作られるだろう。なのに作中では誰も、この異変の原因を調べようとはしはない。家族のひとりがそうなったなら、少なくとも「自分もそうなるのではないか?」と不安になるのが自然である。それがない。主人公もそうだが、家族も「明日の朝おきたら元に戻っているかもしれない」という通常なら思うはずの希望をまったく抱かない。まるで虫化は、よくあることのように流されてしまう。
不自然な点2。誰も、主人公と意志疎通が可能かどうか、確認しようとしない。
「グレゴールなの?」と問いかけ「YESなら右足をあげて。NOなら左足」これだけで、いろいろ問題(おもに食事)が解決できたはずである。なのに誰も、主人公に元の記憶や知能があるかどうかを、確認しない。意思疎通などできないと、ちょっとした試しもせずに、最初から切り捨てしまっている。主人公の方もそうである。壁や床になにかで文字を残す、という方法があるのに、なぜかしない。この物語には「虫になった」だけではなく「主人公は他者と意思疎通ができない」という隠された絶対ルールが存在しているように思える。
不自然な点3。虫化した主人公がやたらに弱すぎる。
虫を物理的に巨大化した場合、その力も皮膚の硬さも、尋常ではないはずだ。なのに、簡単に足が折れ、林檎に負けてしまうほど軟弱である。天井から落下しても、死ななかったのに、後半、林檎の砲撃で深手を負っているのが、どうも不自然である。食事をしていないことで、しだいに弱っていたのが原因なのだろう?
不自然な点4。これほどのシミュレーションができる作者が、上記の点についてうっかり失念してました、とはとても考えられない。
だとすれば、そこになんらかの意図が存在している。
不自然な点から導きだされる推論。
グレゴールはすでに死んでいるのではないだろうか? この物語は、ある朝、突然死した主人公を虫になったという比喩で表現しているのかもしれない。自分の死を受け入れることができない主人公と、やはりそれを受け入れられない家族たちによる妄想(比喩)とするなら、すべての不自然に合点がゆく。
冒頭の気がかりな夢、とは「自分が死んだ現実」に思い当たるふし(記憶)と解釈できる。
異様な姿、体液が漏れ、部屋に充満する異臭。あまりにももろい体。しだいに腐ってゆく背中の林檎が、そのものずばりを表現しているように思える。林檎という果物も意味深だ。
ラスト、その死を受け入れ、新たな生活に旅立つ家族の姿はすがすがしく、そしてなによりも物語に救いがある。
やっかい者の虫兄が死んでせいせいした、というテーマではあまりにも底が浅く、胸くそ悪いだけの話になってしまうじゃないか!
(了)2024.6.3(文、岡本賢一)
――〈補足〉――
かように評論家ぶったことを書いてはみたが、小説かきとしてはもっと正直に書いておくべきだと反省し、補足したい。この作品のテーマは「疎外感(劣等感も含む)」である。それを極端に誇張した世界を書いたにすぎない。こんな自分なんかいなくなった方がいいんだ! という、著者の叫びを素直に楽しむのが正しい。(2025.3.5補足)
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◎著作者 岡本賢一
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