メニャー

おかもとけんいち

[./cat/cover.jpg] 「すまないがニャー太……、きょう限り、おまえには店をやめてもらう」  レストラン・イマーウの店長がそう言った。ニャー太はしっぽをプルプルと震わせて驚いた。 「ど、どうしてですか?」  店長は少し考えて、答えた。 「おまえがメニューを、メニャーとしか言えないからだ」  ――数週間ほど前のことである。 「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ」  給仕のニャー太がそう言ってメニューをさしだすと、口髭の紳士が怒りだした。 「メニャーとはなんだ。これはメニューだ! それにどうして猫が給仕をしてるんだ? 人間の給仕はいないのか?」  レストラン・イマーウは小さな店なので、いるのはコックの店長と給仕のニャー太だけだった。  口髭の紳士は散々怒鳴り散らしてから、『左ききオマール海老のカスピ海風ムニエル』『朝づみトマトと嘘つきアスパラのサラダ』『ベリーチーズのスモークと火あぶり男爵芋のポタージュ』を注文し、そして奇麗にたいらげた。 「うむ、味はいい」  口髭の紳士はレストラン・イマーウを気に入ったらしく、それから毎日やって来ては、同じメニューを注文した。そして必ず、メニューと発音できないニャー太を叱った。 「これはメニャーじゃない! メニューだ!」  口髭の紳士は口をタコのように尖らせ、「メ、ニュー」と、くり返す。  そしてある日、口髭の紳士は店長にこう言った。 「どうして猫が給仕をしているのだね? 料理に毛が入ったりして困るんじゃないのかね? それにあいつは猫だから、メニューと発音できない」 「はあ、しかしうちみたいな安月給の店、ニャー太ぐらいしか勤めてくれません。働きものですし、それに、動物のお客さんもたくさん来てくれます」 「味は悪くないのだから、三つ星の一流レストランを目指すのなら、少しは考えた方がいいと思うがね」  店長は紳士の言葉が気になった。そんなところへ、ひとりの青年がたずねてきた。 「こんにちは、アーノルドといいます」  爽やかな春の風が吹きぬけるような、感じのよい青年だった。青年の話では、田舎に住む店長の姉と友達だと言った。 「街で働きたいと思ってやって来たんです。僕を雇ってもらえませんか? 給金が安くても我慢します」  店長は喜んで、青年を雇った。  青年は爽やかな風をふりまきながら、よく働いた。そして、ニャー太よりも仕事の手際がよく、そしてなんと言っても白のユニフォームがよく似合った。 「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ。こちらが本日のお勧めメニューとなっております。よろしければワインのメニューもお持ちします」  こうして店長は、ニャー太を解雇(※仕事を辞めてもらうこと。クビ)することを決意したのだった。 「お願いです店長。解雇されると、とても困ります。家賃が払えなくなります。田舎の両親にも仕送りできません」 「すまないが、うちのような小さな店、給仕はふたりもいらんのだよ」 「店長、お願いします。僕を解雇しないでください。どうかお願いです」  店長は「ダメだ」と大きく首を横にふった。  それから数日後の朝のことだった。  店長は驚いた。レストラン・イマーウの金庫が荒らされ、売上金がそっくり盗まれていたのだ。冷蔵庫の後ろに隠した、へそくりまでない。  犯人はどうやら、アーノルドと名乗ったあの青年らしい。青年はその日から、行方をくらませていた。  姉にたずねると「アーノルド? そんな人、知らないわよ。マッチョな映画俳優なら知ってるけど」と言われた。  お金を盗むのが目的で、青年が店で働きはじめたことに、店長は気づいた。  給仕のまったくいないレストラン・イマーウは大忙しだった。給仕がいなくては、店が続けられない。店長は思い知った。 「あの青年給仕はどうしたね?」と、お客の熊がたずねた。 「店の金を持って逃げちまったよ」 「それはいい」とゾウ亀が喜ぶ。「あの気取った給仕はよくない給仕。のんびり食事ができない。さっさと皿を片付ける」 「そうそう、それに水もついでくれないのよ」  ウサギがそう言うと、店長へむかって客たちが口々に言いはじめた。 「態度が横柄で、サービスも悪い」 「オーダーをまちがえたり、忘れたりするんだ」 「それを全部、ニャー太のせいにしていたぞ」 「そうそう。その点、ニャー太はちがった」 「とてもよく気がつく給仕だったな」 「サービスも態度もバツグンによかったよ」 「料理を出すタイミングが絶妙なんだ」 「パンやバターを、いつも多目にサービスしてくれるのよ」 「いや、それはちがう。ニャー太は私たちの好みをちゃんと覚えていて、いつも必要な量をサービスしてくれていたからだよ」 「安いメニューしか頼まなくても、ニャー太さんは、僕を差別しなかったよ」 「あんなすばらしい給仕、有名レストランにもいない」 「ねえ、どうしてニャー太はやめてしまったの?」 「そうそう。どうしてなんだい?」 「どうして、やめてしまったんだい?」  動物のお客ばかりでなく、人間のお客たちまで、口をそろえてそう店長に言った。  翌日、店長は店を閉めて、ニャー太のアパートをたずねた。もう一度、店へ戻ってもらうためだ。  しかし、アパートにニャー太の姿はなかった。家賃が払えず、すでに追い出されたあとだった。  店長はニャー太を探し、たずね歩いた。しかし、誰もニャー太の行方を知らなかった。  日が沈みかけ、店長はニャー太を探すことをあきらめた。しかし、給仕がいなくては、店をやって行くことができない。 「そうだ! となり街にある大きなレストランに頼もう。あそこは給仕を何人も雇ってる。数日だけなら、ひとりくらい貸してもらえるかもしれない」  大きなレストランをたずねた店長は、裏口でゴミ箱をあさっている薄汚れた猫に出くわした。  ニャー太だった。  驚きにしっぽを太く逆立てたニャー太は、あわてて逃げようとした。 「待て、ニャー太! 店へ戻って来てくれ。お願いだ」  立ち止まったニャー太は、ふりむいて店長に言った。 「ダメです。僕はもう、ただの薄ぎたないノラ猫です。だからもう、店には戻れません」 「そんなことはない。風呂に入って、うちのユニフォームを着れば、おまえはもとの給仕だ」 「ダメです。僕は、ダメな給仕です」 「いや、おまえはすばらしい給仕だ。一流の給仕だ。頼む。おまえが必要だ。前よりも給料を増やす。だから、戻ってきてくれ」 「ダメです。どんなに練習しても僕は……、僕は……、メニャーとしか発音できません!」  二日後、新装開店したレストラン・イマーウに、いつもの口髭の紳士が訪れ、いつもの席に座った。  給仕のニャー太がメニューをさしだした。 「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ」  紳士は大きく頭をふって、メニューの表紙を指さした。 「ちがう! なんど言ったらわかるんだ。こいつはメニャーじゃなくて……」  紳士は目を丸くして、そのまま言葉を飲みこんだ。  そのメニューには『メニャー』と、大きく書かれていたからである。  店の中を見まわすと、壁にかけられた表示もすべて『本日のお勧め・メニャー』『特製ランチ・メニャー』となっていた。 「なるほど……」  紳士は大きくうなずくと、なにごともなかったかのように、いつもの料理をオーダーしはじめた。  その日からレストラン・イマーウのメニューは、『メニャー』と呼ばれるようになった。 「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ!」

(おわり)

あとがき

 メニャーの初出はPRADOXというSF同人誌の40[#「40」は縦中横]号「猫特集」である。(1997/8/17刊)  編集長の伊吹秀明さんも、編集雑用としてこき使われていた僕も、すでにデビューしていた。ふたりならんでコミケで売り子をしていたのが懐かしい。  この号にはパスカル短篇文学賞のツテで、デビューしたばかりの川上弘美さんにエッセイを書いてもらったり、デビュー前の長嶋有さんの短篇小説「猫袋小路」を掲載させてもらったりした。  どちらもノーギャラだった。ギャラを期待していたかどうか定かではないが、売れてもトントンの同人誌であり、ほとんどが編集長の持ち出しとなっていたので許して頂きたい。  今にして思うと、とても貴重な同人誌である。  よく売れたので在庫は、編集長の家にも残っていない。  メニャーの発想は、ワープロの打ちまちがいから生まれた。親指シフト入力だと小さい「ゃ」と「ゅ」は一段ちがいでならんでいる。そしてなにより、猫好きの要因が大きい。  今でもたまに「メニュー」を「メニャー」と打ちまちがえている。 表紙 ルイス・ウェイン Louis Wain(1860-1939) 『私は愛らしい子猫に恋をした』より https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%22I_fell_in_love_with_a_lovely_kitten%22_--_Louis_Wain.jpg 伊吹秀明 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E7%A7%80%E6%98%8E PRADOX40[#「40」は縦中横]号 猫特集 http://paradox-square.la.coocan.jp/books/butu1.html 川上弘美 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E5%BC%98%E7%BE%8E 長嶋有 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B%E6%9C%89 ------------------------------- ◎著作者 岡本賢一 経歴 ウェブサイト