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「すまないがニャー太……、きょう限り、おまえには店をやめてもらう」
レストラン・イマーウの店長がそう言った。ニャー太はしっぽをプルプルと震わせて驚いた。
「ど、どうしてですか?」
店長は少し考えて、答えた。
「おまえがメニューを、メニャーとしか言えないからだ」
――数週間ほど前のことである。
「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ」
給仕のニャー太がそう言ってメニューをさしだすと、口髭の紳士が怒りだした。
「メニャーとはなんだ。これはメニューだ! それにどうして猫が給仕をしてるんだ? 人間の給仕はいないのか?」
レストラン・イマーウは小さな店なので、いるのはコックの店長と給仕のニャー太だけだった。
口髭の紳士は散々怒鳴り散らしてから、『左ききオマール海老のカスピ海風ムニエル』『朝づみトマトと嘘つきアスパラのサラダ』『ベリーチーズのスモークと火あぶり男爵芋のポタージュ』を注文し、そして奇麗にたいらげた。
「うむ、味はいい」
口髭の紳士はレストラン・イマーウを気に入ったらしく、それから毎日やって来ては、同じメニューを注文した。そして必ず、メニューと発音できないニャー太を叱った。
「これはメニャーじゃない! メニューだ!」
口髭の紳士は口をタコのように尖らせ、「メ、ニュー」と、くり返す。
そしてある日、口髭の紳士は店長にこう言った。
「どうして猫が給仕をしているのだね? 料理に毛が入ったりして困るんじゃないのかね? それにあいつは猫だから、メニューと発音できない」
「はあ、しかしうちみたいな安月給の店、ニャー太ぐらいしか勤めてくれません。働きものですし、それに、動物のお客さんもたくさん来てくれます」
「味は悪くないのだから、三つ星の一流レストランを目指すのなら、少しは考えた方がいいと思うがね」
店長は紳士の言葉が気になった。そんなところへ、ひとりの青年がたずねてきた。
「こんにちは、アーノルドといいます」
爽やかな春の風が吹きぬけるような、感じのよい青年だった。青年の話では、田舎に住む店長の姉と友達だと言った。
「街で働きたいと思ってやって来たんです。僕を雇ってもらえませんか? 給金が安くても我慢します」
店長は喜んで、青年を雇った。
青年は爽やかな風をふりまきながら、よく働いた。そして、ニャー太よりも仕事の手際がよく、そしてなんと言っても白のユニフォームがよく似合った。
「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ。こちらが本日のお勧めメニューとなっております。よろしければワインのメニューもお持ちします」
こうして店長は、ニャー太を解雇(※仕事を辞めてもらうこと。クビ)することを決意したのだった。
「お願いです店長。解雇されると、とても困ります。家賃が払えなくなります。田舎の両親にも仕送りできません」
「すまないが、うちのような小さな店、給仕はふたりもいらんのだよ」
「店長、お願いします。僕を解雇しないでください。どうかお願いです」
店長は「ダメだ」と大きく首を横にふった。
それから数日後の朝のことだった。
店長は驚いた。レストラン・イマーウの金庫が荒らされ、売上金がそっくり盗まれていたのだ。冷蔵庫の後ろに隠した、へそくりまでない。
犯人はどうやら、アーノルドと名乗ったあの青年らしい。青年はその日から、行方をくらませていた。
姉にたずねると「アーノルド? そんな人、知らないわよ。マッチョな映画俳優なら知ってるけど」と言われた。
お金を盗むのが目的で、青年が店で働きはじめたことに、店長は気づいた。
給仕のまったくいないレストラン・イマーウは大忙しだった。給仕がいなくては、店が続けられない。店長は思い知った。
「あの青年給仕はどうしたね?」と、お客の熊がたずねた。
「店の金を持って逃げちまったよ」
「それはいい」とゾウ亀が喜ぶ。「あの気取った給仕はよくない給仕。のんびり食事ができない。さっさと皿を片付ける」
「そうそう、それに水もついでくれないのよ」
ウサギがそう言うと、店長へむかって客たちが口々に言いはじめた。
「態度が横柄で、サービスも悪い」
「オーダーをまちがえたり、忘れたりするんだ」
「それを全部、ニャー太のせいにしていたぞ」
「そうそう。その点、ニャー太はちがった」
「とてもよく気がつく給仕だったな」
「サービスも態度もバツグンによかったよ」
「料理を出すタイミングが絶妙なんだ」
「パンやバターを、いつも多目にサービスしてくれるのよ」
「いや、それはちがう。ニャー太は私たちの好みをちゃんと覚えていて、いつも必要な量をサービスしてくれていたからだよ」
「安いメニューしか頼まなくても、ニャー太さんは、僕を差別しなかったよ」
「あんなすばらしい給仕、有名レストランにもいない」
「ねえ、どうしてニャー太はやめてしまったの?」
「そうそう。どうしてなんだい?」
「どうして、やめてしまったんだい?」
動物のお客ばかりでなく、人間のお客たちまで、口をそろえてそう店長に言った。
翌日、店長は店を閉めて、ニャー太のアパートをたずねた。もう一度、店へ戻ってもらうためだ。
しかし、アパートにニャー太の姿はなかった。家賃が払えず、すでに追い出されたあとだった。
店長はニャー太を探し、たずね歩いた。しかし、誰もニャー太の行方を知らなかった。
日が沈みかけ、店長はニャー太を探すことをあきらめた。しかし、給仕がいなくては、店をやって行くことができない。
「そうだ! となり街にある大きなレストランに頼もう。あそこは給仕を何人も雇ってる。数日だけなら、ひとりくらい貸してもらえるかもしれない」
大きなレストランをたずねた店長は、裏口でゴミ箱をあさっている薄汚れた猫に出くわした。
ニャー太だった。
驚きにしっぽを太く逆立てたニャー太は、あわてて逃げようとした。
「待て、ニャー太! 店へ戻って来てくれ。お願いだ」
立ち止まったニャー太は、ふりむいて店長に言った。
「ダメです。僕はもう、ただの薄ぎたないノラ猫です。だからもう、店には戻れません」
「そんなことはない。風呂に入って、うちのユニフォームを着れば、おまえはもとの給仕だ」
「ダメです。僕は、ダメな給仕です」
「いや、おまえはすばらしい給仕だ。一流の給仕だ。頼む。おまえが必要だ。前よりも給料を増やす。だから、戻ってきてくれ」
「ダメです。どんなに練習しても僕は……、僕は……、メニャーとしか発音できません!」
二日後、新装開店したレストラン・イマーウに、いつもの口髭の紳士が訪れ、いつもの席に座った。
給仕のニャー太がメニューをさしだした。
「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ」
紳士は大きく頭をふって、メニューの表紙を指さした。
「ちがう! なんど言ったらわかるんだ。こいつはメニャーじゃなくて……」
紳士は目を丸くして、そのまま言葉を飲みこんだ。
そのメニューには『メニャー』と、大きく書かれていたからである。
店の中を見まわすと、壁にかけられた表示もすべて『本日のお勧め・メニャー』『特製ランチ・メニャー』となっていた。
「なるほど……」
紳士は大きくうなずくと、なにごともなかったかのように、いつもの料理をオーダーしはじめた。
その日からレストラン・イマーウのメニューは、『メニャー』と呼ばれるようになった。
「いらっしゃいませ。メニャーをどうぞ!」
(おわり)
あとがき
メニャーの初出はPRADOXというSF同人誌の40[#「40」は縦中横]号「猫特集」である。(1997/8/17刊)
編集長の伊吹秀明さんも、編集雑用としてこき使われていた僕も、すでにデビューしていた。ふたりならんでコミケで売り子をしていたのが懐かしい。
この号にはパスカル短篇文学賞のツテで、デビューしたばかりの川上弘美さんにエッセイを書いてもらったり、デビュー前の長嶋有さんの短篇小説「猫袋小路」を掲載させてもらったりした。
どちらもノーギャラだった。ギャラを期待していたかどうか定かではないが、売れてもトントンの同人誌であり、ほとんどが編集長の持ち出しとなっていたので許して頂きたい。
今にして思うと、とても貴重な同人誌である。
よく売れたので在庫は、編集長の家にも残っていない。
メニャーの発想は、ワープロの打ちまちがいから生まれた。親指シフト入力だと小さい「ゃ」と「ゅ」は一段ちがいでならんでいる。そしてなにより、猫好きの要因が大きい。
今でもたまに「メニュー」を「メニャー」と打ちまちがえている。
表紙 ルイス・ウェイン Louis Wain(1860-1939)
『私は愛らしい子猫に恋をした』より
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%22I_fell_in_love_with_a_lovely_kitten%22_--_Louis_Wain.jpg
伊吹秀明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E7%A7%80%E6%98%8E
PRADOX40[#「40」は縦中横]号 猫特集
http://paradox-square.la.coocan.jp/books/butu1.html
川上弘美
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E5%BC%98%E7%BE%8E
長嶋有
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B%E6%9C%89
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◎著作者 岡本賢一
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