第一章 十ドエルの傭兵
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「誰か、父さんを助けて!」
十ドエル札をにぎりしめ、少年が叫んでいる。
霧雨が降りしきっていた。
「父さんが、殺されちゃうよ!」
ボロ布を纏って路地に座り込んでいる男たちに、少年は泣きながら叫ぶ。
男がひとり顔をあげて言う。
「十ドエル? そんなはした金でか?」
その横の男が言う。
「前のキッチンバーで夕食が食えるぜ。安いセットに酒が一杯」
職もなく、家も家族もない男たちが次々と口をひらく。
「誰かいないのか? 坊やのオヤジを助けてやるような奴は?」
「冗談じゃない」
「一万ドエルなら、受けてやってもいい」
「それで、あいつらに勝ち目があるとでも?」
「あのボディ、並みじゃないぜ。Sタイプをバージョンアップしてる」
「たとえ勝っても、あとがやっかいだ」
「あいつら、クメル組のやつらだ」
「クメルに睨まれたら終わりだね。もうこの街じゃ生きていけない」
彼らは肉体を機械化した傭兵である。しかしどこかしら壊れており、まっとうな体を持つ者はひとりとしていない。
少年はそんな男たちをゆすって怒鳴る。
「あんたたち傭兵なんだろ? 助けてよ! 殺されちゃうよ! 父さんが……」
壊れかけた体の傭兵たちはうなだれたまま、もう誰も、少年に言葉を返さない。
「お金なら、働いて返すから。誰か、誰か、父さんを助けて!」
路地の奥、つきあたりの壁に押さえつけられ、少年の父親がSボディの男に殴られている。
「何発めだ?」
「まだ七発め」
右横の男が答え、左横の男が笑う。
Sボディの男は、機械化されたそのパワーをつかわずに、素手で父親を殴りつける。いったい何発で人が死ぬのか、それを見極めるために。
「誰か……。父さんが、父さんが死んじゃう……」
少年の声が枯れた。
雨足が少し強くなり、男たちが濡れまいと、体を固くしたとき−−
「その仕事、俺が受けよう」
路地に入り口に男が立った。どこで拾ったのか、工事用の青いビニールシートを頭から纏った人影である。
男は左足をひきずりながら、少年へと近づく。
「ほんとに?」
「ああ」
「今、お金はこれだけしかないよ」
「ああ、それでいい。薬がひとつ買える」
少年は男に走りより、十ドエル札を差し出す。
しかし、ビニールシートの下から突き出された男の手を見て、あわてて札を引っ込める。ボロボロの手だった。破けた皮膚の下から骨格金属がのぞいているほど、ひどく壊れた機械の手を持つ男である。とても、彼らを倒せるようには思えない。
「本当に、父さんを助けられるの? そんな体で?」
「心配なら、成功報酬でいい。十ドエルで、そのゴミ箱の横に座っている青い帽子の男から、デスタミンを買っておいてくれ」
「グランドだ……」
男たちがささやく。
「死にぞこないのグランド? あれがか?」
「どういうつもりだ? 本気なのか?」
「あんな体で戦うつもりなのか?」
「勝ち目は?」
「あるわけない。歩いているのさえ不思議だよ」
「ほっとけ、奴は死に場所をさがしてるんだ」
「いや、奴ならやるかもしれない。奴の背には……」
「死神がついてる」
少年がうなずくと、グランドはシートをはずしてその体をさらした。
あらわれた予想以上にひどい体に、少年は身をふるわせる。
顔の右半分が焼けただれ、右目の機械部分が露出している。胸にはいくつもの弾痕があり、穴から内部がのぞいている。左腕は、針金を巻き付けて肩に止めてあるだけの飾りでしかない。
そして腰のホルダーは空である。愛用の銃は何ヶ月も前に売り払われ、デスタミンにかわっていた。
そんな体で勝てるわけがない。少年は顔をしかめ、グランドをとめようと手を伸ばしかけたが−−
もはや彼にすがるしかない。
グランドは足をひきずりながら、路地のつきあたりで少年の父親を殴りつけている男たちへと歩む。
なんの迷いもなく。
『ハーイ、グランド。心の恋人エレンよ』
戦闘モードを作動させたわけでもないのに、グランドの脳内コンピュータに常駐する電脳キャラのエレンが起動した。
(ひっこめエレン。俺は呼んでないぞ)
『戦うのグランド? 戦闘機能は九十七パーセント低下の最悪よ。しかも、報酬はたったの十ドエル。前々からあなたってバカだと思ってたけれど、これほどとは思わなかったわ。かわいそうなひと』
(まったくだ。俺もそう思う)
『煩悩ファイル16、エレンの悩殺ピンナップを特別に見せてあげるから、バカはやめたらどう?』
グランドの視角の一部に画像の乱れた女のヌード映像らしきものがあらわれる。
(じゃまだ、消せ)
『どうしてもやるの?』
(ああ、半月ぶりの仕事だ。薬が欲しい。このところ痛くて、満足に眠れてない)
『死ぬつもりなのね、グランド?』
(それも悪くない。少なくともこの痛みからは解放される)
グランドは絶えず、脊髄から頭のてっぺんへ走り抜けてゆく痛みに苛まれている。戦闘用に機械化した肉体と残された生身を接続する重要な部分に、劣化が生じているためだった。