◎ポルノ作家への道


雑破 業 【経歴を見る】


本名はひみつ。1970年、男ばかりの三人兄弟、その末っ子として大阪に生まれる。

岡本 「幼い頃はどんな小説を読んでいたのでしょうか?」

雑破 「家に帰ると、わりとひとりでいることが多くて、活字を読むのが好きだったんです。ですからジャンルにはかたよらずに、何でも読んでました。父親のもっていた、三国志や司馬遼太郎、山岡荘八などよみましたね。どのくらい理解できていたかわかりませんが。
 小学校の終わり頃からは、兄の持っていた星新一、筒井康隆などを読み出しました」

「ポルノの方を読み出したのは?」

「中学の頃から、F書院の、いわゆる「黒背」をこっそり自分の小遣いで買って読み出しました。館淳一、北山悦史さんなどが好きですね。うちの親は、男のコは年頃になれば、そーゆーコトに興味が出て当たり前というカンジだったので、わりと好き放題でした」

「小説を書いたのは、いつ頃ですか?」

「小学校の終わり頃だと思います。ただ、頭から最後まで通して書いた物はありません。好きな場面だけをチョコチョコと……。
 本格的に書きはじめたのは、高校生になってからですね。レポートパットなんかに短編ポルノを書きはじめました」

「ちゃんと書いた小説も、やはりポルノだったんですね。ポルノを書くことに抵抗とか、なかったんでしょうか?」

「いえ、ぜんぜん。とゆーか、ポルノでないと書けませんでした(笑)」

 最初に書いた小説が、割と小説家の根となることが多く、最初にポルノを書いたという雑破さんは、やはり、ポルノ作家になるべきして生まれて来たような人だと、僕は思った。
 高校卒業後、雑破さんは地元、大阪の大学に入学する。


「大学生活はどのようなものだったんでしょうか?」

「SF研に入ったのですが、教室に行くより部室に行く方が多いほど、入りびたりでした。そんなにSFを読んでいたわけではないんですけど。入学式の時、ふらふら歩いていたらいきなり捕まって「君はどうも見た目がSFなので、ウチにはいりなさい。ほら、ここに名前を書いて」と。それでなんとなく、ずるずると……」

「小説の方はどうだったんでしょうか?」

「サークルの会長をしたり、そこの二十周年の記念イベントを催したりで、1〜2回生の頃は忙しく、職業を意識しながら本格的に書きはじめたのは、3回生くらいからです。まず、同人活動をはじめました。100ページ前後のおたくむけポルノ小説の同人誌を五冊ほど作りました。通販がおもで、各500冊ほど売れたと思います」

「デビューのきっかけを教えてください」

「その同人誌を作っているときに、たまたま通販してきた中に、現在、エロ漫画家をしているNeWMeN君がいたんですよ。彼から「小説がおもしろかったのでいっしょに活動しないか」と誘われたんです。「同人誌の表紙や挿絵を書くかわりに、エロ漫画の原作などしてくれ」ということで……。
 その彼が、コミックハウスからデビューし、そこの「ペンギンクラブ山賊版」という美少女漫画誌に「Secret Plot」というエロマンガの連載を始めたのですが、それの原作を編集部非公認でやってました。ギャラはNeWMeN君のポケットマネーなので、そのときの彼の経済状態に合わせて多かったり少なかったりと、随分なあなあなカンジでした。
 小説デビューのきっかけも、NeWMeN君から、F書院でオタク向けのポルノの文庫シリーズが創刊されることを聞き、そのつてを頼ってコミックハウスからF書院に連絡を取ってもらいました」

「その編集部とは相当もめて、出すのをやめたと聞いているんですが?」

「もめてやめたと言われるのは非常に心外なんですよ。もめてたのは最初っからで、そーゆーのが、もう嫌になったからやめたんです」

「具体的にはどのような?」

「もう済んだ話なんであまり言いたくないというか、思いだしたくないんですけど……」

「そのへんをぜひ」

「その会社の担当編集が困った人で、仮にKさんとしておきましょう。「会社はオアシスつかってるからワープロはオアシス買ってくれ」とか、言うような人でした」

「それって、自分がTXT変換できないのを棚にあげてますね」

「最初、どんなものを書いているのか見たいと言われたので自分の作った同人誌を送ったんですけど、そのあとも、全然、連絡をくれないんですよ。やっぱりダメだったのかと思ったんですけど、でもまあ、とりあえずダメならダメとはっきり言われたほうがいいんで、それで、担当に電話して聞いてみると「え? 連絡してなかったっけ」とか言われました」

「いますよね。そういう担当さん。ちゃんと連絡してほしいですよね」

「なにも聞いてません、と言うと「とりあえずOKだから、なんか書いて送ってくれ」と。枚数とかどうしましょう、とか聞いたら「あんまり枠をきめてもあれなんで、とりあえず書いてみてよ」と」

「これは在学中の話ですか?」

「はい。話があったのが92年で、4回生でした。93年の春に最初の長編を書き上げました。これを、送ると「なんかこれ長さが中途半端だよね。二冊にするからあと百ページほど書いてくれない」と言われたんです。しかたなく百ページ足して、上下巻の「ゆんゆんパラダイス」になったわけです。この本が出たのはその年の冬で、一年留年したわたしは5回生でした」

「印税とか、いくらくらいだったのでしょうか?」

「「ゆんパラ」の上巻の初版が二万八千、再版が五、六千かかりました。下巻はちょっと減ってたと思います。印税が8パーセントですので、二百万ほどになりました」

「では在学中にデビューして、学生でそれほどの大金を手にしたわけですね」

「それがまちがいのはじまりでしたね。これならやっていけるかも……と、うっかりしたことを考えて、就職活動もなにもせず、ポルノ作家になってしまいました」

「親の反対とかはなかったんでしょうか?」

「親には文筆業をしているとかしか言ってません(笑)。はじめ、反対されると思ってわりと覚悟して小説家になるって親に言ったんです。でも親は「あんたがしたいんやったらそうしー。そのかわり自分のすることやから、いっさい助けへんから」と言われました。まあ、ほうりだされるみたいな感じで、わりとすんなりと……」

「作品の方も、そうもめることなくすんなり出たんじゃなんですか?」

「すんなりいったのはデビューするまでで、そこからが大変でした。上巻の本が出来て中を見てみると、勝手に文書があっちこっち書き換えられてたんですよ」

「決定稿を見せてもらえなかったんですか?」

「はい」

「ゲラもなかったんですか?」

「ええ、なにもなしです。原稿を突っ込んで、おわりです」

「いきなり本になって、書き直されてたわけですね」

「そうです。それで電話して「どういうことですか」と担当に聞くと「こっちの方がいいと思ったから、そうしておいた。うちはずっと、こういうやり方ででやってるから」と言われました。それで私は「それは困るので、直せと言われれば直しますので、両者が合意したものを出版するようにしてください。これからは必ず決定稿を見せて下さい」とお願いしたんです。それで下巻からは、赤の入った原稿をもらって、直して送る、というふうになりました。それで下巻が出来てみると、本文は決定稿のとおりだったんですが、今度は章タイトルがいくつかさしかえられてるんですよ」

「なんかそれ、嫌がらせっぽいですね」

「しょうがないんで、今度は手紙を書きました。章タイトルといえども作品の一部なので、変更する際は作者に相談してください。うんぬんかんぬんと」

「その次に、続編の「少年注意報」上下巻がでるわけですね」

「これはショタコンものというか、ポルノとしてはめずらしく少年同士のエッチを含んだものなんですよ。
 「ゆんパラ」を出したときのゴタゴタで、もう、この会社とはやっていけないかもと思ったので、これで最後になってもいいから、好き勝手やってやれ……みたい感じで書いた覚えがあります」

「でもこれは、あれだけ言ったから特にもめることもなく出たわけですね?」

「ええ、まあなんとか。ですが、次に出した「ときめきLesson」では、タイトル表記を無断で「トキメキレッスン」にかえられたり、サブタイトルをこれも無断で変更されたりしました。もうこのへんで、こちらもだいぶ疲れてきて……」

「時期的には、これと前後して「ゆんパラ」がビデオアニメ化されてますが、これはなにかトラブルみたいのものとかなかったんでしょか?」

「実はこれも……。原作のイラストだと等身の低い絵柄なので、ビデ倫が通らないから絵柄を変えたいと製作会社のプロデューサーに言われたんです。ビデ倫は設定年齢がいくつでも、見た目が子供だとダメなんだそうです。で、等身をあげたキャラデザインをもらって、これでどうか言われました。まあ、そういう事情ならしょうがないのでOKしたんです。しばらくしてから、ビデオができあがりましたと電話があって、そのとき「ちょっと困ったことになりました」といわれて……」

「なんかドキドキしますね」

「実は、現場にキャラデザインの変更が伝わってなくて、最初のままのキャラでビデオができちゃったから、ビデ倫は通せないと」

「なんじゃいそれ! 流通に乗せられないじゃないですか?」

「そうなんですよ。だから自主流通ということで、表だった宣伝もできないと」

「裏ビデオってことですか?」

「いや、それとはちょっと違いますが……。あと、これの印税もすごかったです」

「どのくらいですか?」

「2パーセント、をですね。作者とイラストレーターと、なぜか編集部とで三等分するとういものでした」

「ビデオのできはどうだったんですか?」

「いやぁ、このビデオに関しては、出来以前の部分で心にひっかかるところが大きいので、正当な評価は、ちょっと……」

「わかるような気がます。次の六冊目の「おませでゴメン!」が、この会社での最後の仕事となるわけですが、これが切れる原因になったわけですか?」

「いえ、ちがいます。これは半分くらい書いたところで、担当に見せると「いいけど、ちょっと地味だねぇ。後半で妖精とか出したらどう?」とか言われました。ンなモン、出さねぇーよ!」

「まあまあ、押さえて押さえて。では、切れるきっかけは、どのようなことで?」

「次が、結果的にネオノベルの第一弾になった「彼女が髪を切った理由」だったんです。これがF書院と手を切るきっかけとなりました。この作品の冒頭で、主人公の男の子が、幼稚園児の時にお母さんと死に別れるというシーンがあるんです。まだ執筆が終わってない段階でこれを見せると、「冒頭が暗いのはダメだ」と言われまして。このシーンはラストにからむので、最後まで読んでから判断してくれと言ったんですが、「冒頭がこのシーンなら、完成しても絶対出さない」と言うんです。
 しょうがないんで、「はいわかりました」と原稿をひきあげました」

「つかみ合いの喧嘩とかには、ならなかったわけですね?」

「ええ、まあ、淡々と。ずっと、いつ切れてもおかしくない状態でしたからね。これがきっかけとなったというだけのことです」

「その後、この文庫をすべて他社から出し直してますが、やはり改ざんされた昔の作品は燃やしてやりたいとか……」

「いえいえ、そんなことはありません。ただ、できることなら、この担当を燃やしてやりたいです」

「この後の生活はどのように?」

「このあとがわりと大変で。今、思い返してもどうやって食べていたのかわからないぐらいの貧乏生活でした。
 仕事としては、大学の先輩のつてで、富士見書房の「蓬莱学園」シリーズの短編集に参加したりしました。そのときの最初の担当が、今、「ドラゴンマガジン」の編集長をしているS沼さんで、それで世の中にはちゃんとした編集者もいることがわかり、作家業を続けていくことへの励みになりました」

「生活がずいぶんお苦しかったようですが、他の仕事につくようなことは考えなかったんですか」

「ここで、他の仕事につくと、もうこの世界にもどって来れなくなると思いましたので。それにもう、生活パターンが他の人と働ける状態じゃありませんでしたから」

「その後、辰巳出版のネオノベルズで新作を発表し、そこでF書院の作品をすべて出しなおすことになるわけですが、その経緯を聞かせてください」

「これもNeWMeN君関係で来た話です。辰巳出版が最初、おたく向けポルノ主体の雑誌をやるということで……。何本か小説を連載して、それが溜まれば、本にするという計画だったのですが、あえなく1号で廃刊でした。でも、ネオノベルズのほうは最初に出した「彼女が髪を切った理由」がそこそこ好調だったせいか、存続することになり、立ち上げ時の弾数の少なさを補うために、昔の作品をF書院からひきあげることになったんです」

「それで、最近のお仕事は?」

「今はコミックハウスから出てる美少女漫画誌「キャンディタイム」に99年の秋から、巨乳家庭教師が主人公のポルノ小説を連載しています。あと、それと平行してラブコメ・ポルノの書き下ろしをやっています。これは上下巻になる予定なんですけど、ほとんど終盤に差し掛かっています」

「それじゃあ、そろそろ新作が読めるんですね」

「ところが、実はネオノベルズが休刊になってしまいまして……」

「えっ、休刊ですか?」

「そうなんです。さいわい、書き下ろしのほうはコアマガジンから出してもらえそうなんですけど、「キャンディータイム」の連載のほうは、ひょっとしたら、本にはまとまらないかもしれません(泣)」


 今回、氏にインタビューしてみたいと思ったきっかけは、一冊の本である。それまで、安易に書かれたポルノ小説を読み「仕事が無くなったらポルノを」などと甘いことを考えたいた僕にとって、氏の小説「Chain」は考えを改めさせる物だった。
 氏は僕にこう語った。
 ストーリーを書くことに当初から興味が無かった。だからポノノ小説というジャンルが適していたのだと。場面や人物をどれだけ、よりよく描写するか。どれだけ興奮させるか。どう表現するか。
「昔からある型を、どれだけよくしていくかに重きをおいて書いてます。ですから、意識としては、いわゆる小説家よりも、ひょっとすると落語家や歌舞伎役者のほうに近いかもしれません」

 僕は思った。安易な気持ちでポルノを書いてはいけない。いかなるジャンルも、それを書くべき人によって書かれるものなのだ。と−−。


(2000.2)