ナックルボーラー第四章
作・渦巻主任
前回までのあらすじ
投げたらどのように変化するのかわからないナックルボールを操ることになった三重パールズの西桑投手。開幕前日に本人も予測しなかった開幕投手に指名された。自分より実績のある投手を押しのけてまで開幕投手になって良いのか自身がなかった。そんな西桑に対して、両エースの内の一人金城に呼び出され、「開幕のマウンドを任されたのだから、頑張るしかないだろ」と言われてようやく自信をもつようになった。
開幕のマウンド
午後五時四十分 ラベンダードーム、三塁側ベンチにて
いよいよ、開幕まで残すところ二十分。両チームの守備練習が終わり、ベンチの中は緊張に包まれたいる。もちろん、俺も初の開幕投手の大任を任されているのだから緊張はしている。ここで勝たなきゃ後がないということも手伝って、さらに緊張は高まる一方である。
イメージトレーニングをするにしても、一軍の試合で勝ったことがないのだからしようがない。だから、ドームの天井をぼーっと見ている。
スタンドには熱心な富良野ロッキーズのファンが詰めかけている。何せ、ロッキーズの観客はカントリーリーグ六球団の中で最も熱狂的なファンが多いことで有名だからだ。
ぼーっとしていると、監督の声がベンチ全体に響き渡った。
「おいっ、今日の試合は絶対勝ちにいくぞ! 何せ、この試合は百三十五(カントリーリーグの公式戦は全百三十五試合で行なわれる)分の百三十試合の重みがある! それは…、俺達が以前の負け犬軍団から生まれ変わったことをファンの皆様に知ってもらう必要があるからだ! 行くぞ!」
監督のその言葉に対して、ベンチ入りの選手みんなが声を合わせた。
「監督を男にするためにも、まずは初勝利をプレゼントだ! いくぞ、俺達は強い! だから、俺達は絶対に勝つっっっ!」
ムードメーカーの金城さんが起点となって、チーム全体が一つにまとまった。その雰囲気を壊さないためにも、俺は絶対勝たなければならないのだ!
そして、球場は静まりかえった。と、いうのもウグイス嬢による両軍のオーダーが発表される瞬間だからだ。
「まずは、先攻の三重パールズ。一番、センター、葉山勝治。背番号0! ニ番、ショート…」
レフトスタンドに陣取っているパールズファン(その多数は三重からはるばるやって来たという熱心なファンである)から、歓声があがっている。
が、その歓声が最高潮に達するのはやはりこの男の名前が読みあげられた時であろう。
「三番、セカンド、熊里大輔。」
うおぉぉぉぉぉぉぉっ!
レフトスタンドは大騒ぎである。何せ熊里は、昨年いいところがなかったパールズにおいて、唯一スタメンで三割を打ち新人王にも輝くなど明るい話題を提供した男だからだ。
「背番号25。…九番、ライト、松前尚典。背番号4」
そして、次はいよいよ俺の名前が読みあげられる番だ。
「三重パールズの先発投手は、西桑秀二。背番号29」
ざわざわざわ…、
レフトスタンドに陣取っている熱心なパールズファンは明らかに困惑しているようだ。何せ、昨年一軍登板がなかった男がエースニ人を差し置いて開幕投手になっているのだから。
それは、ライトスタンドのロッキーズファンも同じである。
「解説の盛田巌さん、このパールズの開幕投手は一体どのような投手ですか? 私は、てっきりエース上条がくるものかと思っていましたが…」
ザクレロテレビをキー局とする北海道のテレビ局アッザムテレビのべテランアナウンサーである立川直之は、率直な疑問を解説者の盛田巌にぶつけた。
「いやー、私も上条か金城がくるとばかり思っていたもので、まったく予想外ですね。しかも、この西桑という投手は昨年ニ軍で投げていた時は全然球が走っていませんでしたよ。恐らくは、投手の墓場であるラベンダードームでエースニ人を使いたくなかったのでしょうね」
そう言うと、腕組みをして考え事をし始めた。そして、急に何かを思い立ったのか、またしゃべり始めた。
「でも、今年のオープン戦には登板してなかったですね。果たして、名コーチと呼ばれる塩野コーチが何の考えもなく、ただ実績のない投手を開幕投手に指名すると思いますかね? 何か新しい変化球でも持っているかもしれませんよ」
立川は盛田の意見に対して首をかしげた。
「変化球を身につけただけで、どうにかなるものでしょうか? しかも、相手はカントリーリーグ最強のロッキーズ打線ですよ。そんな付け焼き刃じゃ通用しないと思うのですが…」
「ま、フタをあけてみればわかることですから、じっくり見てみることにしましょう」
「変わりまして、後攻の富良野ロッキーズ、一番キャッチャー、山北篤史、背番号2。ニ番…」
ホームチームであるロッキーズのスタメンが紹介されるたびに、ライトスタンドを中心に観衆のボルテージは上がっていく。
選手の名前が呼ばれると、「オイッ!」と合いの手が入るのだが、その声がだんだん大きくなっていくのだ。
「ロッキーズの先発投手はエルランド=ギーツ。背番号34」
「ロッキーズ、開幕投手は大方の予想通り、ギーツ投手です。」
「まぁ、ロッキーズの方は正攻法で来ましたね。この投手はこのチームの中では数少ない頼れる先発投手ですし、また得意球のシンカーが相手にフライを打たせないほどのキレを誇っていますから、投手の墓場と言われているラベンダードームとは相性が先発投手陣の中では一番良いようです」
ナックルボーラー人物辞典 エルランド・ギーツ 左投左打
一年前に来日し、あっという間にエースにのし上がった優良外国人投手。何せ、他の投手がラベンダードームで悪戦苦闘している中、ホームで9勝4敗と好成績を残すことができたことから、今年からはエースに指名された。
昨年成績は、13勝10敗 防御率4.34
盛田の解説が終ると、立川はグラウンドに目をやり実況を続けた。
「さて、スターティングメンバーが発表され、ロッキーズの選手達がグラウンドに出てきました。いよいよ、ペナントレースの始まりです」
「プレイボール!」
審判のプレイボールの声がグラウンドに響き渡ったところで試合は始まった。いきなり先取点を取ってくれると楽なんだけどな…。
しかし、現実はそう甘くない。ギーツの直球とシンカーをうまく織り交ぜた配球に、味方打線は三人とも内野ゴロを打ってしまい、あっさりチェンジとなってしまった。
いよいよ、マウンドに立つ時が来た。
久しぶりに立った一軍のマウンドは、ニ軍のものとは違ってしっかり整備されたものになっている。
キャッチャーの江口さんが、マウンドに駆け寄ってくる。
「西桑さん、とにかく高めに投げないようにしてくださいね。この球場はただでさえ打球が飛びやすいし、相手打線はどこからもホームランが打てる打線ですから、うまく真芯に当てられたら確実にスタンドにもってかれます」
江口は、去年一軍に上がって何試合か出場していたが、その前の年までは、ずっと俺と一緒にニ軍暮らしをしてきたのである。だから、結構俺とは付き合いが長かったりする。
「わかってるさ、相手はとんでもないバッターばかりそろっているんだからな」
それを聞いた江口さんは、黙ってうなずき所定の位置に戻っていった。
「一番、キャッチャー、山北」
ライトスタンドからは、手拍子に送られて山北コールの嵐が聞こえる。このチームの応援団は、メガホン等の鳴り物を一切禁止しているため、このように手拍子で応援をするのだ。
「盛田さん、パールズとしては、この山北を出塁させてはいけませんよね?」
「そうですね、何せキャッチャーなのに足が速いですから、塁に出たら若いパールズのバッテリーは困ると思いますよ」
俺は、第一球を投げた。もちろん、ナックルだ。
ゴツッ… バットはボールに当たったが、ボールは勢いなく俺の足元に来た。そのボールをなんなく捕球し、一塁に投げた。
ワンアウトである。
一塁に向かって走っていた山北は、首をかしげながらベンチに戻っていった。
「ニ番、ライト、柿崎弘」
そ〜れ、柿崎、パンパンパン、柿崎、パンパンパン、柿崎〜!
「ライトスタンドの人気者柿崎だけあって、ファンの声援が凄いですね」
「そうですね、何せ華麗な守備をファンの前で何度も見せてますからね。あと、このバッターは、送りバントをしないことで有名ですよ」
江口さんの指示は、もちろん低目である。俺は、ただそこに投げればいいのだ。多少、予想と違うコースに入ってもカバーできるだけの能力が江口さんにはある。だから、江口さんを信じて思いっきり投げることができるのだ。
カツッッ… またも軽く当たった程度である。フラフラと内野に浮かぶフライになった。これをショートの岡安さんが捕ってツーアウト。
「三番、ショート、アンドリュー・ベル」
バンバンバババン、レッツゴ〜べ〜ル!
「さぁ、一、ニ番と凡退しましたが、迎えるは三番のアンドリュー・ベル! 昨年のニ冠王です。さらに、三割50本30盗塁を達成している欠点のないロッキーズ最強の打者でもあります。ランナーがいないとは言え、ファンは熱い声援をベルに送っています」
「とにかく、選球眼はいいし、パワーもありますから甘い球は禁物です。そう簡単には打ち取れるバッターじゃないですよ」
左打席のベルは俺をじっと睨みつけながら、ボールが来るのを待ちうけている。凄い威圧感だ…。
俺の手からボールが離れた時、なぜか力が入りすぎていた。
投げたボールは高めに浮いてしまっている。
カキ〜ン
打たれたっ! そう思った瞬間、スタンドからはと大きなため息が聞こえてきた。
後ろを振り返ると、ライトスタンドの奥の方にに打球が飛びこんでいったが、ポールの右だったためファールになった。
「盛田さん、今のは危なかったですね〜」
「ちょっと、バットの芯から外れていたのが幸いしたんでしょう。それにしても、さっきから西桑投手は遅い球しか投げてませんね」
「…チェンジアップですか?」
「違いますね、何か山北の時からずっと見てきた限り、変化の仕方が明らかにチェンジアップの変化とは違うんですよ。恐らくはナックルじゃないですかね?」
危ない、危ない。やはり甘い球は見逃さないバッターだ。慎重に低目に集めるように投げないと…。
「ピッチャー、第ニ球を投げました。あっと、打ち上げてしまいました。セカンド熊里が落下点に入り捕りました。スリーアウト、チェンジ。一回の裏、ロッキーズの攻撃は三者凡退に終りました」
「立川さん、やっぱり西桑が投げているボールは全てナックルのようですね。ロッキーズの大塚智打撃コーチによりますと、ここ数年カントリーリーグではほとんどナックルを投げる投手がいなかったために、打ちづらかったののではないかというコメントが入ってます」
「わかりました。では、二回の表三重パールズの攻撃に入ります。バッターは新外国人打者のベン・ウィルルッド。盛田さん、この選手の特徴は?」
盛田は、机の上に置いてあった手帳をめくった。
「キャンプで見た時は、非常にスイングスピードが速いという印象が強かったです。また、内角にも強く、内角攻めをされても打撃の調子を崩すことはまず考えられない選手です」
「そうですか、では注目の初打席。ギーツ・山北のロッキーズバッテリーがどう勝負するか注目です」
早く、点を取って欲しい。だから、頑張ってギーツを打ち崩して欲しい。ベンさん頼む…。
カッキ〜ン
「あーっと、カウント1―1からの三球目に来たシンカーを逆らわずにレフト方向に流し打ち。ボールは、転々と外野を転がっています。今。ようやくレフトの矢上がボールを掴んで二塁へ。ツーベースヒット!」
やった! さすがは四番打者。期待通りの仕事をしてくれた。しっかりと塁に出てくれた! さぁ、続いてくれよ!
と、思っていたら次のアルヴィックはあえなく三振。もうしわけなさそうな顔をこちらに見せながら、ベンチに戻っていった。相手投手もそう簡単に打たせてくれるはしないな。
次の打者である山田さんが俺に任せろとばかりに、親指を真上につき立てた。
「さて、昨年はロッキーズの八番を打っていた山田、日下部とのトレードで今年からパールズの一員になっています」
「いやー、パールズは良いトレードをしたんじゃないですか? 昨年は今レフトに入っている矢上と併用されてましたが、投手陣が手薄だということで放出せざるをえなかったんですよ。ロッキーズの大地監督は、フロントに対して、自分に無断で山田を放出したことにかなり怒っていたようですしね」
盛田は、チラッと一塁側のベンチに目をやる。
「ピッチャー第一球投げたっ! 外角低目ギリギリのストレートはストライクっ!」
「今の球は、手を出さなくていいです。あれを打ってもアウトになるだけですからね」
盛田は唸るように言った。マウンド上のギーツはしきりにセカンドベースに目をやっている。そして、一球牽制球を投げる。
「マウンド上のギーツ投手、かなり2塁ランナーを気にしているようです」
「確かにギーツ投手はランナーを気にする投手ですからね、でも気にしすぎですよ。足の速いランナーじゃないですから」
「さて、振りかぶって第二球を…投げました。ああっと、バントだ! 3塁方面に転がっていきます! ギーツ、猛ダッシュでボールを掴み、急いで三塁に投げます! しかし、三塁手の真野、タッチはできません。記録はフィルダースチョイス」
「何で三塁に投げたんでしょうかね? キャッチャーの山北は一塁を指示していたんですが、ランナーに相当気がいってたんでしょうね。もったいないプレーです」
「さて、我々三重パールズにチャンスがやってきました! パールズファンの皆さん! 準備はいいですか? せ〜の!」
「チャンスだ! Go!」
「♪チャンスだ、チャンスだ」
「♪チャンスだ! チャンスだ!」
「♪チャンスだ、チャンスだ」
「♪チャンスだ、チャンスだ。Go! Go! Go!」
レフトスタンドに陣取るパールズファン達が一斉に「チャンステーマ(メロディは『電車でGo!』のCMに使われていた曲)歌い出した。センスの無いチャンステーマである…。
次の打者のラルフは打席に向かう前に、俺に対して無茶苦茶陽気な表情とハキハキとした話し方でしゃべってきた。
「西桑! 俺が一本ホームラン打ってやるからよ、安心して見ていな!」
ラルフさん、あんたの、一発狙いミエミエなスイングが一番不安なんだけどなぁ…。
「さて、パールズ絶好のチャンスに、昨年38本もホームランを放っている怪力男、ラルフ大村が打席に入ります」
「うーん、確かに一番嫌な打者ですね。打率は二割前半しか残せないバッターですが、この球場はボールが飛びやすい球場ですから、失投は許されませんね」
ギーツがセットポジションの体勢から、一球目を投げた。
ブゥォォォォォオン!
「ストライーク!」
だめだ…、バットとボールが一メートルも離れている。フォークに対して高め振ってるよ…。
三塁ランナーの方を見ながら、第二球を投げた。
「おおっと、一塁ランナーが走ったぁ!」
打席のラルフのバットは、また空を切った。そしてキャッチャーは二塁に投げなかった。
「山田、今シーズン初盗塁成功! しかし、キャッチャーの山北、投げられませんでしたね」
「恐らく、ギーツのモーションが完全に盗まれていたからでしょう。あとは、三塁ランナーにホームを狙われるのを嫌がったと思いますよ」
「しかし、これでパールズはチャンスが広がりました。カウントは2―0、再びセットポジションに入ります。キャッチャーは外に一球外すように構えています。第三球を投げた!」
グワッキ〜ン!
「あ〜っと、外すつもりのボールが甘く入ってしまいました! 打球はグングン飛んで行く! 入った、入りました! ラルフ大村、今シーズン初ホームラン! 貴重な一発です」
マウンド上では、ギーツがボールの飛んで行ったレフトスタンドを呆然と見やりながら、くやしそうにマウンドを踏みつけていた。すかさず、ロッキーズの投手コーチ前川拓が、通訳を伴ってマウンドに駆け寄った。
それからは、前川コーチのアドバイスが効果あったのか、ギーツはすっかり平静さを取り戻し、後続のバッターはことごとくシンカーに引っ掛けさせられ内野ゴロばかりを打っていた。
こちらは、ナックルで面白いように凡打の山を築き上げ、三回までをノーヒットで抑えた。
お互い走者を出さないまま、四回の裏、ロッキーズの攻撃が始まろうとしていた。
ロッキーズの選手達はベンチの前で円陣を組んでいた。
「ロッキーズ、どうやらパールズ先発の西桑を打ちあぐねているため、円陣を組んだ模様です」
「そうですね、ここは一つ気を入れ直して、じっくり対策を練った方がいいでしょう。このままで終るわけにはいかないですからね」
「よーしっ、ロッキーズ逆襲だ!」
「いーち、にーぃ、さぁーん、よっしゃぁー!」
円陣が終ると、打者の山北以外はみんなベンチに引き上げた。
「さて、四回の裏ロッキーズは一番の山北からの好打順。とりあえず二巡目に入ったわけですが、ロッキーズは西桑に対して、何か対策でも考えているのでしょうか?」
「恐らくは、何か策は考えているでしょう。ちょうど打順も一番からですから足を使った攻撃をすると思いますよ」
「それには、まずは出塁することが大事なんですね」
「そりゃ、塁にランナーがいなければ揺さぶりをかけられないですからね」
打者が一巡したんだよな。とにかく、俺は三点のリードを守らなければならない。
相手打者はバットを短く持って、打席に立った。江口さんのサインはやはり低目である。そして、俺はナックルを投げた。
コツンッ…
何っ、セーフティバントだって? 全然予測してなかった。
俺は、急いで転々と転がるボールを掴んで一塁に投げる。
打者走者の山北も懸命に走る。
投げたボールが一塁手のウィルルッドのミットに収まるのと、山北の足がベースに届くのがほぼ同時に見えた。
「セーフっ!」
一塁塁審はそう判定した。
すると、ベンチから今川監督が物凄い形相をしながら、ダッシュで一塁塁審青野に詰め寄った。
「今のはアウトじゃないのか?」
青野さんは白髪混じりの髪を振るわせながら、首を振る。
「いや、今のはわずかに山北の足が先にベースについた!」
…、俺にはどちらが先かハッキリとは見えなかったのでどうとも言えない。
しかし、今川監督は表情を緩めず、納得しそうになかった。
「本当ですか? とても信じられませんが」
身体をプルプルと震えさせながら、青野さんは答えた。
「審判一筋三十年のこの私のジャッジが信じられないと?」
「引っ込め今川〜、見苦しいぞ」
「試合が止まるだろ!」
スタンドの、ロッキーズファンのブーイングとヤジが絶え間無く今川監督に飛んでいく。
「しかし、今の今川監督の抗議はかなり長いですね」
「かなり長いですね。しかし、お客さんは怒りますよ、試合が中断してしまうんですからね」
グラウンドを見やると、諦めてベンチに戻る今川監督の姿があった。
「ようやく、抗議が終りました。それにしても、今回の抗議時間は十分ですか、かなり長い時間でしたね」
「選手の士気を鼓舞するつもりなら逆効果でしょうから、ただ純粋に判定に不満があったのでしょう」
「おっと、審判がマイクを持ってベンチの近くまで来ましたよ? 恐らく、抗議の結果を言うのだとは思いますが」
主審の藤平さんが、手に持った紙を見ながら、抗議の結果を報告しようとしている。
「え〜、ただ今三重パールズの今川監督に、山北選手の足よりも西桑投手の送球の方が早かったとの抗議がありました。
これに対し、先ほど審判団の間で協議がなされていましたが、審判団の見解は、山北選手の足の方が先にベースについていたと判断しました。ですので、判定は変わらず一塁はセーフということになりました」
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ライトスタンドからは大歓声が沸き起こった。
「と、いうことで西桑投手は先頭バッターを出塁させてしまいました。さて、盛田さんこれからどうしますか?」
「そうですね、二番打者の柿崎はバントをしない選手ですから、ヒッティングをこころがけるのではないでしょうか? しかし、その前にまずはランナーを走らせないことには話が始まりません。ここでゲッツーを打つのは一番やってはいけないことですから、恐らく動くでしょう」
俺は、自分の苛立ちを紛らせるために、しつこいほど地面を蹴り始めた。どう考えても今の一塁ランナーは足が速いはずだから、盗塁をする可能性は凄く高いはずだ。しかも、ナックルは非常に急速が遅いから走られやすいのだ。一応、盗塁対策としては、セットポジションの体勢をとってランナーを塁上に釘付けにしておくこととか、しつこく牽制球を投げることなどが挙げられる。が、山北は一流の盗塁技術を持っているのでその程度の対策だけでは無駄に終るのが関の山だろう。
「さて、ピッチャー西桑、セットポジションの体勢に入って、一塁走者をじっと睨みつけております。そして、第一球を投げました。それに合わせたかのように一塁走者の山北がスタートを切りました。投げたボールは低目に決まってストライク。キャッチャーの江口、捕ってすぐに二塁に投げましたが、間に合いません。セーフ!」
「やはり、走られましたね。あれだけ遅い球ばかり投げていれば無理も無いでしょうが。しかし、ここで動揺したらパールズバッテリーは負けですよ」
「タイム!」
キャッチャーの江口さんがタイムを取った。そして、マウンドに駆け寄ってきた。
「とりあえず、二塁走者のことは気にするなよ。気にするだけ神経の無駄使いだからな」
口元をキャッチャーミットで隠しながら、諭すように、俺に話しかけてくる。
「わかってますよ。それで、配球とかは変えますか?」
「ううん、変える気はないな。だってお前の球はナックル以外通用しないぞ。それなのに、他の球種は要求しないよ。いくら走られたって構わないから、どんどん投げ込んでくれ。こっちも絶対受け止めるから。わかったな」
俺はコクリとうなずいて、
「了承」
と答えるだけにとどめた。
再び、セットポジションに入った俺は、二球セカンドに牽制球を投げた後(ロッキーズファンはなぜか一球牽制球を投げるだけで思いっきりブーイングを飛ばしてくるのが気になるが)、
二球目を投げた。
打者の柿崎は体勢を崩しながらも、かろうじてバットにボールを当てた。
打球はセカンドの正面に向かってボテボテのゴロが転がって行く。その間に二塁ランナーは三塁に到達している。熊里は3塁を諦め、ファーストに投げた。ワンアウトである。
しかし、安心はできない。次の打者は前の打席で危ない大ファールを打たれたベルである。
マウンドに捕手を含めた内野陣の面々が集まってくる。
「おや、パールズの内野陣がマウンドに集まりましたよ?」
「恐らく、次のベルと勝負するかどうかで相談するんじゃないでしょうか?」
「どうする? 次はさっき打たれそうになったベルだぞ、敬遠するか?」
キャッチャーの江口さんは心配そうな顔をして話す。
「しかし、ベルの次に控えるボーンもかなりの強打者だぞ?さっきはタイミングが合わなかったとはいえ、パワーはほぼベルと互角のバッターだ、敬遠しないほうがいいんじゃないか?」
ショートの岡安さんは、表情は落ち着いているように見えるが、内心はヒヤヒヤしているようだ。
「何心配してるんだ? 男は勝負から逃げたらダメだろ?」
これは、サードのラルフ。まぁ、あいつらしいコメントだ。
そして、熊里が発言した。
「西桑先輩、ここで逃げたら昔のあなたに戻るだけですよ!絶対、逃げちゃダメですよ。逃げたら、あなたに抑えられた自分が恥ずかしくなってしまいます! ですから、絶対向かってください! 打たれたって俺達打線が絶対に捕り返しますから、全然気にしなくてもいいです!」
しばらく、俺は沈黙した…。
そして、最初から決まっていた結論をみんなに告げた。
「もちろん、勝負しますよ。ここで逃げたら男が廃りますからね」
すると、一言もしゃべっていない(と、言うよりまだ日本語がしゃべれない)ウィルルッドも含めた、内野陣全員が大きく頷いた。ベンチの方を見ると、今川監督と塩野コーチも頷いていた。
「西桑、この勝負はお前に預けた、だから、絶対失投はするなよ!」
念を押すように江口さんは言った。
「さぁ、パールズ、集まっていた内野陣が所定の守備位置に戻りました。そして、キャッチャーは座ったままです。どうやら、勝負するようですね」
「まぁ、さっきは凡退したとはいえ、次のボーンもベルに負けないぐらいの力量を持つスラッガーですからね。ここは、勝負でいいでしょう」
レッツゴーべ〜ル、(ドンドンドドドン《太鼓の音》)
ライトスタンドからはまたもや、大合唱が始まった。延々と、「レッツゴーべ〜ル」の繰り返しである。
バッターボックスのベルはガムを噛みながら、こちらを睨んでいる。だが、俺は負けるわけにはいかない。
外角低目を狙って、一球目を投げた。
手元を離れたボールは外角から、真ん中低めに落ちた。打席のベルはあっさり見逃した。
「ストライーク!」
低過ぎると判断したのだろう。そのため、ベルのバットはピクリとも動かなかった。
江口さんの要求するコースは、今度は内角低目である。セットポジションから、第二球を投げた。
今度は、さっきよりも低目過ぎたのか、またもやベルのバットは動かなかった。
カウント1―1。
今度も内角低目に構えている。何も恐れずに、「打てるものなら、打ってみろ」の心境で投げ込んだ。
ベルのバットがボールを捉えたが、打球はバックネットを越えてファールボールになった。
「さて、ベル対西桑の第二ラウンド。カウントは2―1ですが、西桑のほうが苦心して投げているって感じですね」
「ベルは危ないボールをカットする技術に長けてますから、余裕の根拠になっていますよ。西桑も良いところに投げているんですが、ベルはとことん甘い球が来るまで粘るようですね」
四球目を投げた! しかし、外角に外れてボール。
打席のベルは、こちらを見るとニヤッとした笑顔を見せる。まるで、こちらを挑発するように…。とりあえず、間を取るために三塁に牽制球を投げる。
五球目、今度は外角高めに投げたがまたもやファール。
六球目、外角低目に投げるも、またまたファール
七球目、内角真ん中に投げたが、三塁側内野スタンドにファール。
「うーん、ますます西桑に余裕が無くなってきてますよ。危ない兆候ですね」
「盛田さん、それはどうしてですか?」
「いやですね、今の三球を投げた間、全然バッターボックス以外の場所に目がいってないんですよ。打者に集中している状態ですから、悪い事ではないですが顔があまりにも強張ってるますので不安ですよ」
八球目。今度は外角低目に投げるっ!
そう思って、投げた球がまるでチェンジアップのようにゆっくりとしたスピードの棒球が、ど真ん中に行ってしまった。
グワッキ〜ン!
「あーっと、西桑、遂に力尽きたのか最後は完全な棒球。これでは、打たれてしまいます。打球はグングン伸びて、ライトのワイン業者の看板に当たりました。文句なしのホームラン!」
打たれた瞬間、俺はマウンドに立ち尽くした…。
「なんで、あそこで力尽きるんだ!」
悔しい、とにかく悔しかった。
その直後、俺は後続を打ちとリ五回を投げた段階で自ら降板を志願した。今川監督や塩野コーチはそれを認め、降板させた。
パールズは、その後ゴンザレスー柏森―木塚―須山のリレーでなんとか開幕戦勝利をもぎ取った。
俺は、ヒーローインタビューの御立ち台に上がったがずっと泣きっぱなしだった。ベルに打たれたホームランをまだ引きずっていたからだ。コメントは、
「グスッ…プロ初勝利は凄く嬉しいです…、ウゥッ、でも5回しか持たなくてすみませんでした。今度は完投したいです!」
と、いうものであった。恐らく、俺以外の人間はみんな初勝利がうれしくて泣いていると思っているのだろう…。
ホテルに帰るバスの中では、みんなからは「良くやったな!」と褒め称えてくれた。しかし俺の心には何か空白が残ったままであった…。
(続く)