ナックルボーラー第3章
作・渦巻主任
前回までのあらすじ。
主人公である西桑秀二は、7年前にドラフト1位で指名されて三重パールズに入団したが、度重なる故障により本来の速球を投げられなくなり、昨年のオフには自分がクビ寸前の状況にあることを告げられた。
そんな中で、新しく就任した塩野投手コーチは西桑に対して、
「『ナックルボーラー』になりなさい!」と告げた。
西桑は、ナックルが今まで一度も投げたことがない球種だったので、本当にこの球が1軍の打者を相手にして通用するのか? などと不安を抱いていた。
そんな西桑に対して、ブルペンコーチの宮内は自信をつけさせるために、無理矢理パールズの主力打者である熊里を呼びつけ西桑と勝負させた。そして、勝負に勝った西桑は自信をつけるとともに、その様子を見ていた塩野投手コーチに開幕投手に西桑を起用する決心を固めさせたのであった。
4・開幕前夜 球団所有のバスの中にて
3月31日、俺達三重パールズの1軍の面々は、名古屋空港から飛行機に乗って旭川まで行き、旭川からはバスに乗って富良野に来ていた。といっても、もちろんワインを飲みに来たわけではなく、観光に来たわけでもない。
明日から、ここ富良野を本拠地とする『富良野ロッキーズ』と試合をするために来たのである。
ナックルボーラー用語辞典・富良野ロッキーズの巻
カントリーリーグ(加盟球団は、倉敷アンツ・高知ハンマーへッズ・富良野ロッキーズ・ 宜野湾スターフィッシュズ・舞鶴サンズ・三重パールズ《昨年度順位の順》の6チーム)の中で最も北に位置する球団。元々は、富良野のワイン業者が「北海道にもプロ野球チームを」を合言葉に、皆で共同出資をして作り上げた球団。本拠地であるラベンダードーム(北海道でプロの球団が試合を半年以上するのにはどうしても、本拠地はドーム球場にしなければならないというのが、宿命となっているらしい《川原泉「メイプル戦記」など》)は他の球場に比べて、ホームランが出やすくなるように気圧が調整されている。そのため、ロッキーズ打線の破壊力はリーグではダントツである。
しかし、あまりにも打者優位の球場であるために投げる人間の立場からすれば、正に「投手の生き地獄」である。もちろんエンジェルズ投手陣の防御率はリーグ最低の5点台である。
しかしまぁ、よくもまぁ、こんな圧倒的に打者優位の球場を作ったよなぁ…。野球の華はホームランとはよく言うけど、これはやりすぎなんじゃ…。実際、ロッキーズにだけは行きたくないって投手も多いし。
そんなことを考えていると、バスの前の方で今川監督が立って、マイクを手に持った。恐らくは、ホテルに到着した後の予定でも言うつもりなのだろう。静かに聞くことにしよう。
「あー、あー、聞こえてます?(周囲を見渡して)大丈夫ですね、じゃあ、今から重大な発表をします。心して聞いておいて下さい」
バスの中にいるパールズの選手は、みんな驚いていた。俺と同じように、ホテルでの予定を告げるのだと思っていたからであろう。
「今から、明日の開幕戦のオーダーを発表するっ!」
監督の宣言を聞いたとたん、バスの中は静寂で包まれた。
なお、今から発表するオーダーに対する異議は一切受け付けない!」
この言葉に対して、何か文句を言いたげな選手が何人かいたけれども、監督の迫力の前には、ただ沈黙するしかなかった。
「1番、センター葉山勝治!」
「うっしゃあっ!」
葉山は高校からプロ入りして4年目とまだ若いが、プロ2年目で2軍の盗塁王にもなっている。去年の途中から1軍に定着し、3割に近い打率・21盗塁を記録して完全に1軍のスタメンに扱われるようになった。
「2番、ショート岡安猛!」
「はい」
この岡安は2年目の選手であるが、バントの技と遊撃守備はすでに1軍クラスと目されている。前任者であった池上選手(これまた地味な選手であった)が引退したため、1軍に抜擢された。若いながらも、行動は非常にオヤジくさいのが最大の欠点か?
「で、3番っ! セカンド熊里大輔!」
「はいっ!」
ウチのチームの中で最も期待される若手選手。走攻守3拍子そろって選球眼も抜群と文句のつけようのない選手である。
「4番は、ファースト、ベン・ウィルルッド。5番が指名打者、エディ・アルヴィック」
「OK! ボス!」「ミーニマカセナサイッ!」
ベン・ウィルルッドは今年来日した外国人選手で、メジャー経験こそないもののマイナーリーグでは3割30本をマークしており、本人の強い希望で日本に来たのだから、やる気も充分である。
一方の、エディの方は今年で日本に来て3年目になる。2年間で80本塁打と長打力は抜群だが、打撃そのものは荒っぽい。が、チームにとっては数少ない長距離打者サマである。
「6番は、レフト山田優平!」
「任せてください。古巣相手ですから燃えますよ!」
山田さんは去年までは相手チームの富良野ロッキーズに所属していたが、ロッキーズが投手不足のため、ウチにいた先発投手の日下部さんを獲得するためにトレードに出された(まぁ、あのチームなら打者は腐るほどいるだろうが…)。まだ27歳と比較的若く、今後はウチの主軸として活躍してくれるんじゃないかな? と思っていたりする。
「7番サードには、いろいろ候補はいたが、ラルフ=大村に任せたいと俺は考えている。いいな、ラルフっ!」
「もちろんですよ、このラルフがいなくて試合が始まりますかっ!」
「(いや、その性格がいまいち信用できん理由なんだが…)よろしい」
ラルフさんは、日系ブラジル人で、高校時代から日本に住んでおり、日本国籍も取得している。しかし、この人は性格にムラがあるみたいで、去年の成績は打率が2割2分5厘(規定打席に到達した選手の中では最低)、ホームランが38本(チームトップで、リーグでも5位の成績)打点が68(ホームランの割には少な過ぎる)と極端な成績である。
「8番、キャッチャーは江口祐二! 今年のホームベースはお前に任せたからなっ! 覚悟はできてるよな?」
「はいっ、このチャンス絶対モノにしてみせます。期待してください」
江口さんは今まで2軍にいることが多かったが、その肩の強さはウチの捕手の中では抜群なので、今川監督に抜擢されることになったらしい。リードも上手で、見ている人を唸らせるものがある。唯一の課題はバッティングである。
「そして、9番ライトは松前尚典!」
「ウッス!」
松前さんはこのチームのスタメンでは最年長である、葉山が1軍に昇格する前は1番打者を努めていたが、足の速さなどで葉山に1番打者の座を譲った。が、それでもまだまだ俊足は衰えていないし、なによりも強肩なのが素晴らしい。
「…で、最後に開幕投手を発表する」
監督がこう言うと、みんながひそひそ声で話し合っていた。
「誰なんだよ、一体?」
「わかんねーけど、エースの上条さんじゃないの?」
「いや、ロッキーズは右打者が多いから、サイドハンドの金城さんが行くかもしれないよ…」
「まぁ、みんなその2人の内どっちかだと思ってるでしょうね」
うーん、俺もその2人のどちらかだと思うな…、何せ実績でその2人に勝る選手はこのチームにはいないからなぁ…。開幕投手ってのはやっぱり実績のある人が選ばれるものだと思うぞ。
「では、開幕投手を発表する! 開幕戦、ウチのマウンドを任せる男は…、西桑秀二! お前に頼んだぞっ!!」
えっ、俺? 俺が開幕投手なの? なぜなんだ、俺よりもふさわしい奴はいくらでもいるだろうに…。
周囲を見渡すと、みんな呆然と立ちつくしていた…。
塩野コーチと宮内コーチと熊里の3人はこの発表に頷いていたが、金城さんは今にも爆発しかねない雰囲気であった。とにかく、周囲の空気が重苦しいのである。
そんな、空気を打ち破ったのが監督の一言であった。
「あのな、お前達が呆然としたくなる気持ちはわかる。西桑は去年まではファームでもロクに勝てなかった。だがな、俺は今までの実績なんか気にする気はない! 単に今までの実績だけをアテにして戦ったって、このチーム力じゃ他の5チームには勝てないんだよ! それにな、俺は何も勝てる根拠がないのに西桑を開幕投手に指名したんじゃないぞ。俺は、西桑がロッキーズ相手に投げて勝てると思ったからこそ開幕投手に指名したんだ、そこのところをよく覚えておくように」
と、言うと塩野コーチの方を見て目配せをした。
それに、塩野コーチは親指を立てた。
どーやら、俺を開幕投手に推薦したのは塩野投手コーチらしい。俺としてはいきなり正念場に立たされた気分ではあるが、ここを乗りきってしまえば、明るい未来が見えて来るんだと思って頑張るしかないっ!
しばらくすると、バスはパールズが富良野遠征をする際に使われる、ア・ラ・ホテルに到着した。
バスから降りて、荷物(野球道具は除く)を持って自分が宿泊する際に使う部屋に行くと、そこはきれいに掃除されていて、広々とした部屋であった。もちろん、俺の他に同期の柏森もこの部屋で宿泊することになっているが、それにしたって十分広い部屋である。なにせ、2軍時代はいかにも年季が入った民宿の大部屋に大人数で雑魚寝するのが当たり前だったのだから…。
俺がソファーに腰掛けて落ち着いていると、柏森が中に入ってきた。彼も荷物を置くと、挨拶をしてきた。
「西桑さん、開幕投手おめでとうございます」
「うん、開幕投手になれたのは嬉しいけど…。上条さんと金城さんが怒らないかなぁ〜? そこのところが引っかかってるんだけどね」
ナックルボーラー用語辞典・上条政人と金城悠
上条政人、34歳・左投げ左打ち・新潟県出身。ここ5年間、三重パールズの左腕エースとして投げてきた。が、弱小チームのため白星よりも、黒星の数のほうが多いという弱小チームのエースの宿命を受けて来た。それでも、10年連続2桁勝利を挙げているのだからたいしたものである。MAX149キロの直球と、80キロのスローカーブと、落差のあるフォークを武器としている。コントロールもあるので、欠点らしい欠点はない。性格的にも温厚で投手陣の面々からは尊敬されている。通算成績は120勝134敗。
金城悠、29歳・右投げ左打ち・沖縄出身。今のところ、三重パールズの右のエースピッチヤー。サイドハンドから繰り出される変化球は相手打者に凡打の山を築かせる。しかし、彼の問題点は球威が軽いということである。そのため、被本塁打数は21本とかなり打たれており、リーグ3位の数字である。
得意球は、シンカーとスライダーである。
性格的には、この手の変化球投手にしては珍しく、好戦的である。そして、逃げることが大嫌いなので敬遠をしたことは一度もない。
通算成績89勝95敗6セーブ
「うーん、上条さんは何も言わないと思いますが、金城さんはちょっと怒ってる気がしますね…。僕がいままで1軍にいた時は、金城さんって上条さん以外の投手に対しては譲る気がなかったなぁ…」
だから、バスの中であんなにピリピリした様子でいたんだなぁ…。
ピロピロピロリ、ピロピロピロリ、ピロピロピ…
ん、電話だって? こんな時に一体誰なんだろう。
「はい、西桑ですが」
「おぅ、西桑か。金城だ」
…噂をすればなんとやらなのだろうか。
「ちょっと、俺の部屋まで来て欲しいんだ。ちょっと話したいことがあったんでな」
やはり開幕投手のことなのだろうか…、できることなら行きたくないなぁ…。
「来ないと、殺すよ〜。じゃあね」
ガチャン
なんか、最後のセリフが妙に軽くて怖い感じなんですけど…。これは行かないとだめだな。どのみち、話をしたいというのであれば、したほうがいいに決まっている。
覚悟を決めた俺は、金城さんの部屋のドアを叩いた。
コンコンコン
「おう、西桑か。まぁ、そう怯えなくてもいいから、とっとと入ってこいや」
「失礼します」
と言い、ドアを開けて部屋の中を見ると、金城さんの他に熊里の姿があった。そして、俺の姿を確認した金城さんは俺を手招きした。
「おう、緊張せずにこっちにきな。お前が開幕投手に選ばれた理由はこいつから聞いたよ」
「どうも、西桑先輩。面と向かうのはあの時以来ですね」
あの時…、それは熊里と俺が真剣勝負をした時のことである。
「お前、こいつをあっさりと打ち取ったんだって?」
「そんな、あっさりだなんて…。それは言い過ぎですよ」
俺は思わず反論した。すると、金城さんは笑い出した。
「アッハッ八ッハッハ! そうか、少なくともお前は天狗にはなっちゃあいないようだな。俺は性格からか、1流の打者をスイングらしいスイングをさせずに打ち取ったなら、まず天狗になってるだろうよ」
「でも、西桑先輩。僕はあの時、本当に自分のスイングが出来なかったんですよ」
「でも、偶然そうなったわけであって、いつもの熊里ならそういうことにはならないんじゃないの?」
俺は、正直言ってあの時打ち取れたのは偶然だと思うこともある…。
「いや、それは違うぞ西桑。俺なんか、フリーバッティングの時こいつに投げたらどんな時でもあっさりと打たれてしまうぞ。コイツってたとえ練習でも気を抜くことがないんだから恐れいっちまうよ」
「そうなんですか?」
「恥ずかしいことだけどな、こいつ相手に投げて打たれないと思ったことは1度もないんだ。真に天才だよ」
金城さんの目がその言葉に偽りはないと俺に訴えかけるような目をしていた。
「始め、監督がお前を開幕投手にする聞いた時は、真剣にお前に対して怒りだけを感じていた。が、それを感じ取っていた熊里が俺を納得させるために、ここに来て俺を納得させようと開幕投手に選んだ説明をしてきた。最初は冗談だろうと思ったが、こいつの顔つきが打席に立っている時と同じ顔をしているとわかった時点で、これは事実なんだって思ったのさ。お前は天才に熱く真剣に語られる存在なんだ。だったら俺はお前が開幕投手を務めてもなんの異議もないさ…」
知らず知らずのうちに、金城さんの目からは熱い何かがこぼれ落ちていた。
「とにかく、俺と上条さんを差し置いて開幕投手になったんだ。ハンパなことはするんじゃないぞ! マウンド上で投げるからには全力を尽くせ! わかったな!」
「はいっ! ありがとうございます。金城先輩っ!」
何か、心の中にあった不安感が一気に吹き飛んだ気がする。
「わかったなら、今日は早く寝たほうがいい。開幕投手が体調崩されちゃあかなわんからな」
「では、御言葉に甘えて…、失礼します」
「しかし、熊里。本当にあいつの球を打てなかったのか? 実際に見てないからわかんないんだが」
「打てなかったものは、打てなかったんですから仕方ないじゃないですか。なんなら、金城先輩打ってみますか?」
熊里はいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「いやいや、下手なことをしてケガでもしちゃかなわんからいいわ」
「ハハハハハ」
…試合開始まであと1日…
(第4章につづく)