ナックルボーラー最終章

                          渦巻主任

 ナックルボーラーに転向した西桑秀二は、春先はずっと好調で連勝の山を築いていた。

 しかし、このまま引き下がる球団があろうはずもなく、夏場に入ってからは各チームそれぞれ用意した西桑対策を実行に移していた。

そして、西桑も負け続けてしまう状況に陥った。

 

 先頭バッターの二番打者中元は、西桑の投げるボールに一切手を出す素振りを見せずにフォアボールで出塁。そして、初球にいきなり盗塁を敢行し、あっというまに二塁に。そして、さらに…。

 

「おーっと、二球続けての三盗はセーフ! これで、倉敷アンツは深い内野ゴロでも同点においつける状況になりました! さて、ここでキャッチャーの江口がマウンド上の西桑の元へ駆け寄っていきます。恐らく、次の打者への攻め方について話し合うのでしょう」

 倉敷にある地方テレビ『ブチ切れ金剛テレビ』のアナウンサー、ヘソ本田村麻呂の実況が全国のお茶の間にて響き渡る。

「解説のエディ岡本さん、アンツの作戦はどういった意図があるのでしょうか? ど〜も恐縮ですが、素人考えでは無理に三盗させなくてもいい気がするんですけど」

「恐らく、アンツが狙っているのは、西桑を動揺させるということでしょうね。何せ、一点もやれない状況でランナーが三塁にいれば迂闊に落ちるボールが使えないですからね。特に、西桑の場合は軌道が不確定なナックルですから、パスボールの危険性がおおいにあると言っていいでしょう。それに、最近の西桑は勝ち星から見放されてますから、焦りも出てくるでしょう」

「西桑、落ちついていくぞ。最初からランナーなんかいないと考えて投げろ。ランナーを気にして甘いボールを投げることが一番危険なんだから…」

「それなら、江口さんもパスボールだけはしないで下さいよ」

「任せとけって! ちゃんと捕ってやるからさ!」

 当然のことながら、この会話は口元が見えないようにグラブで隠して行っている。何を言っているのかわかってしまえば、自分が不利になるからだ。

「さぁ、キャッチャーが守備位置に戻り、三番に座る蒲原との対決に戻ります。この蒲原、夏場に入ってから絶好調で、七月はホームランをすでに十本打っています。そして、この蒲原との勝負を避けても、次には得点圏打率が四割以上の山神が待ち構えています」

「ここは、勝負でしょうね。一点をやれないという場面でランナーを増やすだけ不利になるわけですから」

 蒲原さんは、確かに絶好調だ。しかし逃げるわけにはいかない!

そう思い、西桑はナックルを投げようとした。

 が、強く握りすぎてしまったために、完全にすっぽ抜けた球が打者にとって一番打ちやすい場所へと吸いこまれていった。

「打った〜! 大きい、場外へ消えて行く逆転のツーランホームランだぁぁぁぁっ! 蒲原、チームの期待に応えました!」

「今のは、緊張しすぎたんでしょうかね? 完全な失投ですよ。最近の西桑は、春先に比べて終盤で崩れるという脆さがありますね」

 …またやってしまった。ここで踏ん張らなければダメだというのに、何をやっているんだ!

 すると、ベンチから塩野投手コーチがマウンドにやってきた。

「交代だ。今の一発は堪えただろうしな」

「はい…」

 今の俺にはうつむいてベンチに戻ることしかできなかった。

 試合は、結局アンツがウーゴから長谷部への必勝リレーで逃げ切り勝ち、これでアンツとの差はさらに広がった。

 そして、俺は監督室に呼び出された。

 

監督室に入って、着席するとすぐに監督は話しかけてきた。 

「最近は、相手チームもどんどんお前のことを研究している。そこで、俺なりに考えたんだが、明日からファーム(二軍のこと)に行ってくれないか? 現状のままじゃ、相手のいいようにされるのがオチだ。だから、それに対してなんらかの手段を見つけ出して欲しいんだ。いいな?」

 監督の表情は非常に険しい。ここで、ごちゃごちゃ言う気にもなれなかったので、俺は素直にファームに行くための荷造りを始めた。

 

 三重パールズのファームは本拠地が津市ではなく、松阪市にある。そして、今年からは独立採算性を採ることになり、チーム名は『伊勢シーマン』となった。このチーム名は単数形になっているが、それは『伊勢志摩』に語感が合うからだという…。

 当然のことながら、一軍との差別化を図るためにユニフォームも全然違うデザインになっている。それによって、「自分は二軍に落ちてしまった」と強く感じるようになるのである。中には、キャンプ中にこのユニフォームを着るのが嫌で海に捨ててきた選手もいたが、その選手は、キャンプ中に一軍の首脳陣を納得させるほどの動きを見せられずに、結局実費でユニフォームを作りなおすことになったそうな….

「まさか、今年もここで試合をするとは思わなかったな…。とにかく、一刻も早く一軍に戻りたいな…」

 黙々と『志摩スタジアム』のグラウンドを走る西桑。

「おいおい、今年はずっと上にいるんやなかったんか? まぁ、俺も今年は一軍に昇格できへんから強くは言えないんやけどさ」

 隣にやってきたのは、二年先輩の中川さんだ。この人は、もともとは一軍でリリーフを努めていたが、肘をケガしてからはずっと低迷を続けている。ちなみに、似非三重弁をよく使う。

「最近は、自分でもわからないうちに点を取られていましたからね。ランナーが得点圏にいることを意識しないようにしていても、いざ投げる時には気になってしまいますし…」

「それがあかんのや。ランナーがいることが嫌と思うから、相手もそこを突くんやないか。昔の俺なんかはやな、ランナーがどれだけ走ろうが平気やったで。せやから、三塁にランナーがいようが気にせずフォーク投げとったわ。パスボールなんて気にしとったらこちらの身がもたんやんか」

 確かに、去年までの中川さんを見ていると、球威が落ちようが、ランナーがいようが気にせず堂々とした投球をしていた。

 

「まぁ、今のシーマンには抑えが少ないんやから、お前も抑えで使われるかもしれへんわ。俺も一人で抑えをやるのは辛いんや」

 そう言いつつ、中川さんは一足早く水分補給のためにベンチへ向かった。

「西桑! 岩原監督がお前を呼んでいるぞ、すぐに来なさい」

 そう言ったのは、二軍投手コーチの棚橋さんだ。俺はすぐに棚橋さんの所へ向かった。

「西桑か、今年はここで会うとは思っていなかったから驚いたんだな、これが!」

 ちょっと妙な語り口をしているが、これでもれっきとした監督である。何より、他球団での実績を合わせると十度の日本一にチームを導いた監督であるのだから。しかし、今では育成を楽しみたいということで、他球団の高額オファーにも目もくれず、破格の低年俸でシーマンの監督をすることに。

「それで監督、用事というには何なんでしょうか?」

「あぁ、それなんだがな、今の二軍の投手陣では抑え役が当てにならんのでね、君にクローザーを任せたいと思っているんだな」

 俺がクローザー? 今まで一度もやったことがないというのに?

「ちょっと待ってください。いくらクローザーがいないからとはいえ、私がクローザーでいいんですか?」

「えー実はだな、私が独自に調べた君の情報により、お前を立ち直らせるためには、クローザーをやらせることが一番だとつきとめたんだな、これが!」

 は? 一体何を考えているかが分からないんですが…

「クローザーが出てくる場面は試合において重要な場面ばかりだ。当然のことながら、ランナーもいることもあるだろう。その場面を多く経験することで、自分を磨いて欲しいんだな。バント攻勢や盗塁による揺さぶりを気にしなくなるまで一軍にはあげないから、そこのところは覚悟しておけよ」

 険しい表情を見せつつも、「お前に期待しているんだ!」という想いが心の内に感じられる。

「は、はい」

 俺はただ頷くことしかできなかった。自力でこの状況を打破しようとしても底無し沼にずるずると落ちていくように思ったからだ。

 そして、ファームの試合で毎試合ブルペンで肩を作るようになった。志摩スタジアムのブルペンはファウルゾーンにあるため、一塁側の内野席に座っているファンに常に凝視されていることがはっきりとわかる。中には写真を撮る人もちらほらと見える。

「あのピッチャーって一軍で投げていた西桑だよね?」

「そうだよ。まぁ、去年まではずっとここで見ていたけど、今年は全然見てなかったから、妙に新鮮な感じがするなぁ」

「西桑〜、がんばっていこうぜぃ!」

「お前はここにいるピッチャーやないやろ。しっかりせえよ〜」

 などなど、様々な応援もしくは野次が飛んだりしてくることも当たり前である。しかし、こうして考えるとフェンスの低い球場は選手とファンとの距離が近く感じられる。一軍の試合しか見ていないファンも来てみると新鮮な感じがしていいと常々思っているんだけど…。この球場は、『地域密着』をスローガンに営業努力をしているので結構お客さんも来るようになったが、他の球団では優勝がかかった時だけしか観客が入らないというチームが存在していたりするのが悲しいところだ。

 試合は進み、九回の表・一点差・一死という状況になって、岩原監督は球審にタイムを告げた。

「おい、出番だ。ランナーは三塁にいるが気にせず投げろよ!」

 棚橋投手コーチがハッパをかけにブルペンまで走ってきた。

「わかりました!」

 そう答えて、俺は小走りにマウンドへ向かった。マウンド上には、今年入団した新人キャッチャーの小暮が待っていた。

「西桑さん、今は思いっきり投げてください。僕も可能な限りは受けとめますから。中途半端はダメですよ」

 俺は黙って頷く。小暮は不安そうな表情を浮かべつつも自分の持ち場へ戻った。そして、出したサインは当然のことながらナックルであった。最近の俺は、こういうピンチの場面では必ず暴投や後逸を恐れて、腕が縮こまり思ったようなボールが投げられないということは、自分でも理解している。

 しかし、頭で分かっていても、身体はどうしても心にしまってある不安を表してしまうのである。だが、今更そんなことを言っても言い訳にしか過ぎない。無心で投げるのみ!

 

 そして、指先から離れた球は、見事に相手打者二人続けて三振させることに成功した。何球かは、小暮が危うく後ろへ逸らしそうだったが、必死に受けとめていたが…。俺は、小暮の元へ駆け寄った。

「よく、後逸しなかったなぁ」

「いやぁ、西桑さんが必死に投げているのにこっちがあっさり後逸したら話にならないじゃないですか」

 小暮は嬉しそうに、頭をかきつつ言った。

 ベンチに戻ると、中川さんがオレンジ色のボトルを勢いよく、俺に差し出した。いつも水分補給用に使っているスポーツドリンク用のボトルである。

「よう抑えたなぁ。これは俺からのご祝儀や、飲んでくれ! ガハハハハハ!」

 そう言って、中川さんは嬉しそうに思いきり笑った。しかし、俺はすぐに飲もうとはしなかった。それを見て

「なんや、口を当てる所ならしっかり洗っとるんやから心配せんでええで。間接キッスとか変なことは想像するなって」

 確か、中川さんはチーム一のいたずら好きだった記憶があるけど、ここで疑うのも失礼だし、飲むことにするか…。

「せっかくだから、飲むことにします」

 グビグビグビ…ん、なんじゃこりゃ! 妙に甘いような…。

「ゲフッ、ゲフッ…。これって、一体何ですか? なんか普通のスポーツドリンクよりも甘ったるいんですけど?」

 困惑している俺をよそに、チームメイトは一斉に大笑いをした。

「それか、それは通常のエネ○ゲンの粉をやな、今回はお前が見事にクローザーの仕事を果たしたというご祝儀の意味で三人分いれたんや。通常の三分の一に薄めるよりはええやろ?」

 中川さんの目は完全に面白がっているような目だ…。

「良くないですよ! 中川さんったら、俺が甘いのあんまり好きじゃないって知っているのに、何してくれるんですかぁ!」

「そう怒るなって。俺達は、真剣にお前がしっかり仕事を果たしてくれてうれしいんやからさ…」

「…まぁ、今回はいいですけど、今度やったら本気で怒りますよ」

「やらへん、やらへん。お前が怒ったら怖いってことは充分身に染みてわかってるんやから…」

 さすがに、中川さんもこれはマズイと思ったのか、及び腰になったようだ。

 そんな妙な雰囲気の中、岩原監督がこちらにやってきた。

「今日は、よくやってくれた。しかしだね、今日の結果だけではなんとも言えないので、もうしばらくはシーマンにいてもらうぞ。パールズから呼ばれない限りは昇格のしようがないしな。ま、今日の調子が続けばそのうち呼ばれることには違いないがね」

 何かトゲのありそうな言い方ではあるが、その手は西桑の手をしっかり握っていた。

 ロッカールームで着替えて、他の選手数人と外に出ると、そこには多くのファンが色紙・その選手が写っているベースボールカードなどを持って集まっていた。俺達は、少し先にある駐車場まで歩きながら、可能な限りのサインをしていった。

 集まっていたファンの人達は、たくさんの励ましの言葉をかけてくれた。去年までは「この選手ってどういう人だっけ?」という人が多かったのに、名前が売れるとこうも違うものなのだろうか?

 

 そして、シーマンで数試合を投げ安定した成績を残すと、俺は再び岩原監督に呼ばれることになった。

「始めてのクローザー役で戸惑ったかもしれないが、度胸はついてきたようだから、パールズの方から昇格するようとのことだ。まぁ、今のパールズは救援陣が厳しい状態のようだから、このクローザーでの経験が役に立つと思うんだな」

 岩原監督は、いつも通りの口調のままだ。これでようやく一軍のマウンドで投げることができると考えるだけで、俺は思わず涙が出そうになった。

 こうして無事に一軍に戻った西桑は、連日セットアップとして好投を見せ、首脳陣の信頼を取り戻すことになった。そして、パールズ自体も再び首位のアンツとの差を詰め、残り二試合で一ゲーム差となり、ペナントの行方は地元である津でのダブルヘッダーの直接対決に持ち込まれた。

 第一試合目は、アンツの先発である右のアンダースローピッチャー色部(今シーズン十四勝十敗・防御率2.70)が、優勝を焦ったのか、制球を乱して初回に五失点を許し、味方打線も『この試合で決めたい』との思いが強く、反撃して三点を返すものの、先発金城から柏森→蔡→西桑→フェデリゴ→須山と投手六人を継ぎ込むリレーでからくも、望みを繋げることに成功した。

「さぁ、三重パールズ、待ちにまった優勝の可能性が高まってきました。泣いても笑ってもこの試合で優勝か、はたまた二位になるのかが決まります。ここ、津フィールドにはパールズの優勝を見ようと、多くのファンが詰め掛け、空席がないという状況です。その数はレフト側外野席を除けば、残りはパールズファンというのですから! こんなことは、私がアナウンサーを始めて以来始めてです」

 ザクレロテレビの東海地区支局である、グラブロテレビのアナウンサー、村田源三郎が嬉しそうに言う。ここ数年、Aクラスも無縁であったチームが地元で優勝が懸かった試合をするのだから、嬉しくなるのも無理もない。

「ところで、解説のエディ岡本さん、この試合はどうなるんでしょうか? 一つ、予想してもらいたいのですが…」

「そうですねぇ…、先ほどの試合ではアンツがプレッシャーから自滅しましたが、今度はパールズも勝てば優勝ということで、こちらの方が一層強いプレッシャーを感じているでしょう。まぁ、こんな世紀の大勝負、私がとやかくいう次元の勝負にはならない凄い試合になるんじゃないですかね?」

 エディは、興奮で揺れる身体を振るわせつつも、なんとか平静を装って話した。

「パールズの先発がエース上条、一方のアンツもエースの楊が先発を努めます。いよいよ試合開始です」

 こうして、俺達のリーグ優勝を賭けた最後の勝負が始まった。両チームとも一番信頼しているエースが意地と意地をぶつけ合っているため、点を取られることなく、回はどんどん進んでいくばかりだ。

 だが、いつまでも続くと思われた両投手の投げ合いは意外な形で終わることになった…。

 それは、九回表のアンツの攻撃時で起きた…。

「おーっと、アンツ先頭打者である六番のウェインが放った打球がピッチャーの上条を直撃してしまった! 打球は転々と内野を転がっている。これはピッチャー強襲の内野安打になりますが、上条は大丈夫でしょうか?」

 なんと、打者の放った打球が上条さんの顔面に直撃してしまったのだ。慌てて選手全員がグラウンドへ駆け寄る。

「ミスターカミジョウ…」

 打球を放ったウェインがあわてて上条のもとに駆け寄って頭を下げた。さすがに、打った本人も驚いているようだ。

「いいってことよ、打球を上手く取れなかった俺の方こそ悪いんだから。お前に無用の心配を与えてすまなんだ」

 血を流しつつも、気丈に上条さんは話している。

「上条っ、無理に動くな」

 塩野投手コーチが心配そうに話す。

「へへ…、せっかくおいしい場面だというのに、リタイヤとは無念ですよ。とにかく、他の選手をベンチに戻してくださいよ。ここで争うようなマネだけはして欲しくないですから」

「わかった、わかったから、しゃべらずに安静にしていろ。ピッチャーは急いで肩を作っておけ! すぐに交代しないといかんしな」

 塩野コーチはそういうと、球場係員と共に上条さんを担架で運んでいった。俺達は、コーチのいうように急いで肩を作りにブルペンへと走った。

 球場内は、騒然とした様子が続いている。何せ、

「上条投手ただ今ケガの治療中ですので、しばらくお待ち下さい」

 というアナウンスが告げられてから十分以上待たされているからだ。ざわめきは収まる様子がなく、中にはウェインに対する罵声や怒号も多く飛んでいる。バックスクリーン横では小競り合いが始まるのではないかと危惧を感じた警備員達が集合しているようだ。

(バックスクリーンの裏側を通れば、簡単にライトスタンドからレフトスタンドへ行くことができるため)

 そして、ブルペンに一本の電話がかかってきた。

「西桑、出番だ。準備はできているか?」

 ブルペン捕手の宮内さんが、淡々と俺の出番を告げる。

「まぁ、完璧ではないですけど、やるしかないでしょ」

「一応、肩は作っておいたとはいえ、予期できない状況だからなぁ。まぁ、ここまできたら余計なことは考えず、全力を尽くせ!」

 その言葉に強く頷き、俺はマウンドへ駆け足で向かっていった。俺がマウンドで投球練習をすると、ようやくざわめきは収まった。

「さて、ここでアクシデントによって退場した上条の緊急リリーフとして西桑が登場です!」

「パールズは、誰を出すべきか悩んでいたようですが、相手の様子を見る限り、延長を覚悟して先発経験もありスタミナがある西桑を起用したのでしょう。一時は不振でしたが、ここに来て大事な場面でしっかり抑えてますからね」

 エディは、あくまでも解説者は公平であるべきとの観点から、なんとか冷静さを失わないように努めている。それも、そろそろ臨界点まできているようだが…。

「さて、相手打者は一発のある渡辺由起夫! 今年もホームランを三十五本とかなり打っています。そして、一塁ランナーはウェインに代わって、代走の俊足ランナー宗像!」

 アナウンサーの村田源三郎は、すっかり興奮しており、口から光線でも吐きやしないかと思わせるぐらいの勢いである。

「西桑、相手は徹底的に揺さぶってくるつもりだけどどうする?」

「江口さん、こうなりゃランナー無視でいきましょう。気にして一発を打たれたらおしまいですからね」

 俺がそう言うと、江口さんは頷いてさっさとホームベースへ戻った。そして、出したサインは高めのストレートであった。ちょっと、危ないかもしれないと思いつつ、俺は素直にストレートを投げた。一塁ランナーは、当然スタートを切っており、渡辺はあっさりと初球を見逃した。ランナーは悠々と二塁盗塁を成功していた。今度のサインは、高めのナックルだ。そして、ナックルを高めから真ん中へ落とす感じで投げると、二塁走者の宗像はスタートしているのに、渡辺は待っていたとばかりにスイングを開始する。

 が、いまいちナックルが落ちきらなかったためか、渡辺のバットはボールの真下を軽く叩いただけの状態になってしまい、あっさりキャッチャーフライ。サインでは振るわけがないと思っていた、宗像は勢い良く飛び出していたため、二塁に戻れずアウト。これで、二アウトということになったわけだ。

「今のプレイはどういうことなのでしょうか?」

 村田アナは困惑した表情をしている。

「恐らく、アンツのサインでは宗像の単独三盗のはずだったのが、あまりにも甘いボールが来てしまったために、渡辺は『ここで決めてやろう』と思い、手を出してしまったのでしょう。恐らく、アンツの監督からすれば、『なんで、ここで…』という気持ちでしょう」

 ちょっと、呆れたような気持ちを感じさせるコメントである。

 そして、次の俊足バッター川田は、セーフティバントを試みたが、不運にも野手の正面に飛んでしまい、あっさり凡退。試合は九回の裏へと移ることになった…。

「さて、ここでアンツはウーゴが登場します。先発の楊はここまでに百四十球を投げてますから、仕方ない起用でしょう」

「アンツも必死ですからねぇ…。ここでサヨナラを許したくはないですから、究極のセットアッパーと言ってもいいウーゴを投入したんでしょうね」

 そして、このウーゴもMAX163キロのストレートと60キロの超山なりスローボールで五番アルヴィック・六番山田とあっさり三振に切って取った。

 やっぱり、あのウーゴというピッチャーは打てないのか?

そう思い、ベンチ前で投球練習を開始する。

「七番、サード、ラルフ大村」

 このウグイス嬢のコールに球場は大歓声を上げた。なにせ今年のラルフ大村は、ホームラン四十八本とホームランキングを当確にしていて、アンツ躍進の原動力となっているからだ。

 一方で、ウーゴの方も必死になってこの天性のホームランバッターを抑えようとした。そして、ウーゴが投げた初球は球場の観衆を驚愕させた。

「な、なんと、ウーゴの自己ベストを塗り替える165キロの速球です! これには、スタンドのパールズファンもびっくりだ!」

 村田アナウンサーの出す声も、自己最多記録の大きさである。

「こんなピッチャー本当に打てるのかな?」

「馬鹿言うなよ、それじゃ、パールズは勝てないってことか?」

「だって、去年は一点も失点しなかったんだろ?」

「でも、どんなピッチャーだって、必ず打てないってことはない!」

 スタンドの熱心なパールズファンもかなり動揺している。

「さぁ、第二球を投げます、おおおおおおおっと、ラルフ大村は完全にスローボールが来ることを予想していたのか、ドンピシャでジャストミート! 打球は完全にフェンスを越えて場外へ! この瞬間、三重パールズの優勝が決まりました!

 村田アナウンサーは完全に舞い上がってしまっているようだ。解説のエディも思わず涙を流していた。

「スタンドのファンも総立ちで、この喜びを分かち合っています。そして、ホームベースを踏んだラルフ大村の元へ、パールズの選手全員が集まって行きます。そして、もみくちゃにした後、今川監督の胴上げが始まりました、一回、二回、三回…選手・コーチ・スタッフたちが今まで溜め込んだ優勝への想いをここで発散しています!」

 優勝…ここまで行くとは…。だが、紛れもない現実なのだ! 

「おいっ、西桑、お前の胴上げをするぞ!」

 そう言ったのは、ラルフ大村であった。

「えっ、俺なんかが胴上げされていいんですか?」

 だって、シーズン途中で二軍に落ちたわけだし…。

「いいじゃないですか、前半戦の勝ち頭であって、さらに後半戦は疲れの見えた僕達救援陣を助けてくれたわけですから!」

 嬉しそうに柏森が、俺の肩を叩きながらいった。他の選手達も同じ気持ちのようで、負傷したばかりの上条さんも、

「お前を胴上げしないと俺達の気が済まないんだよ! じゃあ、いくぞ! せーのっ、ワッショイ! ワッショイ!」

 そして、この日は地元津の街は、かつての横綱誕生の時以上の活気に満ち溢れることになった…。

ナックルボーラー・完