光佐の深謀〜第一話〜
信長の野望戦国群雄伝‐ストーリー仕立て‐
加賀国は御山御坊。ここに、本願寺家の武将が集合していた。
「なんとも厳しい状況ですなぁ・・・。我々の本拠地は摂津の石山御坊なのに、摂津にいてはダメなんですからねぇ・・・。それに、鈴木佐大夫殿の部隊が独立してしまっているし、光佐様どうすればよいんでしょうか?」
元々、加賀の一向衆を纏めていた七里頼周が心配そうに言った。
「頼周、それは諸般の事情ゆえ仕方のないことよ、城単位ではなく国単位で大名が配置されているのだから、やむなしとしか言いようがない。それに、三好なぞ国は多くとも家臣に能あるものが少ないゆえ、いずれは石山の地もとりかえせようぞ。むしろ、東の上杉・武田と近くなったことの方が恐ろしいわ」
実際、光佐がいうように加賀は越中の神保が打ち破られれば上杉の脅威にさらされる土地である。また、武田が飛騨・越中を制圧して迫る可能性も充分にありえる。
そして、このゲームでは本願寺家は武田家と友好関係があるわけでもないのだ・・・。
「光佐様、それならば越前の朝倉を攻めて西への道を開くことにしましょう。そうなれば、よりよい人材を手に入れる手がかりにもなるでしょう」
光佐を除けば戦闘能力が高い下間頼廉が西進作戦を提案した。
「そうだな、越中や能登に攻め入っても国力が低いから無理をする利点がない。ならば、脅威から逃れるためにも豊かな越前を領有するほうが得策といえよう。よし、私自ら出陣する! 頼廉は加賀を死守するように。頼周と頼照はこの加賀の地を開発しておくように頼んだぞ!」
(その前に畠山・神保の家臣を引きぬいて兵士だけを頂いておかねばな・・・)
と、国作りをしつつ、光佐・下間頼竜らによる引き抜き攻勢により、
「我君よりも、光佐殿の方が頼れますゆえ、配下になります」という遊佐続光らが新たに家臣に加わった。
光佐はこれらの武将が率いていた兵をすべて自分の指揮下におくことにし、余った兵士は頼廉に分け与えた。
そして、加賀の防衛を頼廉に任せて、光佐の部隊は朝倉義景がいる一乗谷城へ向かった。
(このゲームの場合は兵力を分散するよりも集中したほうが有利なため)
越前国一乗谷城・・・
「義景殿、本願寺軍1万がこの越前に攻めてきました!」一族の朝倉景健が報告しに来た。
「なにっ、まだそんなに兵を集めるのは無理なはず・・・。どうやってかき集めたのだ?」
義景の顔には明らかに動揺の色が浮かんでいた。
「そ、それが・・・。畠山家の重臣ら全員と、神保家の小島などが本願寺家に組したそうなので・・・」
「殿! ここは兵糧が尽きるのを待つべきでしょう。兵だけはかき集めても、食料は余裕がないはずです」と朝倉景連が進言する。
「しかし、一斉に包囲され追い詰められれば殲滅されるぞ」
「ですが、いきなり城で守りを固めても、防ぎきれる自信はありません。時間を稼いでから篭城するのがよろしいかと思います」
このように、本願寺軍への対策を協議した結果、朝倉軍は景連の提案を採用することになった。
やはり、義景も一乗谷城で本願寺の軍勢を前にして一ヶ月も持ちこたえられる自信がなかったからだ。
「それっ、かかるのだ!朝倉を殲滅し、この地を我らがものにするぞ!」
光佐の号令で本願寺軍は、朝倉軍を包囲するように兵を進めた。
「ええぃ、義景様を守るのだ! 坊主ごときに何ができる! 突撃だ〜」
朝倉家の部隊が、光佐の部隊を衝突を始める。しかしながら、采配で勝る光佐の軍勢が朝倉軍の迎撃をかいくぐって一乗谷城を包囲する形となった。
義景の本隊は、城の中へ逃げ込み守りを固めるが、光佐軍は歩兵部隊の特徴とも言うべき城壁越えなどで、あっというまに義景の本隊と衝突し、乱戦のさなか義景は首を切られた。
この戦いで捕虜となった、朝倉家の家臣は「ここで死ぬぐらいならば、生き延びるべき」と考え、全員が光佐の配下となった。
戻る