第一回 外様主導の監督運営

 世の中には、「自球団出身の選手以外は監督として招聘しない」と公言する球団があります。
実際には、その球団の第一期黄金時代を築いた監督は、過去にアマチュア球団を率いてその球団をコテンパンに叩きのめし、
その力量を買われて監督に招かれた人物だったりするのですが、まぁそんなことはどうでもいいです。
一方、その球団と本拠地を同じくする我が愛しの日本ハムファイターズには、
非常に対照的に「自球団出身の選手は監督として招聘しない」という、実に奇妙な風習(?)があります。
今回は、そんなファイターズの歴代監督における、生え抜き/外様の割合について調べてみました。


 まずここでは、ファイターズの歴代監督を、以下の六つのパターンに分類させて頂くことにします
(なお、戦前の東京セネタース/翼/大洋/西鉄は、ここでは「別球団」として解釈します)。

1、現役経験無し:横沢三郎、安藤忍
 初期の日本プロ野球界の監督にはよくあるパターンですが、この二人には基本的に「プロ野球選手」としての現役経験はありません
(厳密には、横沢は東京セネタース時代に一試合だけ出場していますが、さすがにこれは「現役選手経験」として数える必要はないと判断致しました)。特に横沢の場合はこの球団の「設立者」ですので、外様とか生え抜きとかそういう次元の人ではないですね。
 
2、選手兼任監督:苅田久徳(大和→)、井野川利春(阪急→)、岩本義行(松竹→)
 この三人は、選手として他の球団から移籍して来たと同時に監督に就任しました。
だから、この球団のユニフォームを着て選手としても活躍していますが、実質的には外様グループと考えていいでしょう。
なお、この「2」に該当するのは、あくまで「移籍と同時に選手兼任監督になった者」だけです(このことは、後で詳しく述べます)。

3、純正の外様組:水原茂(巨人)、松木謙次郎(阪神)、田宮謙次郎(阪神)、
         中西太(西鉄)、大沢啓二(南海)、植村義信(毎日)、
         高田繁(巨人)、近藤貞雄(巨人&中日)、上田利治(広島)
 圧倒的にこのパターンが多いです。選手時代はこの球団にはエンもユカリもなかった人達ですが、様々な理由から招かれました。
ちなみに、田宮、植村、高田の三人以外は、過去に別球団で監督経験がある人達ばかりですので、
どうやらハムには「実績重視」で監督を選ぶ傾向があるようです(田宮、植村の場合は、前監督とのコネで呼ばれたと考えれば良いでしょう。高田がなぜ招かれたのかだけは知りません)。
特に、水原、中西、近藤、上田の四人は、ハムに来る以前に別球団で優勝を達成していますので、その実績を見込まれて招聘されたのでしょう。もっとも、その球団側の目算は、必ずしも正しく作用した訳ではありませんが。

4、途中から来た人:大島康徳(中日→)
 このパターンは、今のこの人が最初なんですね。この人の場合、我々名古屋人としては中日の選手というイメージが強いですし、
実際この球団に移ってきたのはかなり晩年ですが、それから七年も在籍し、2000本安打を達成したのもこの球団でした。
ですから、明らかに外様ではあるんですが、生え抜きでないとも言い難い、という立場になりますね。

5、途中から出てった人:大下弘(→西鉄)
 このパターンも、今のところ一人しかいません。この人も、選手としての最盛期はこの球団で迎えましたが、
その時代はあまりにも球団自体が弱すぎたこともあり、むしろ西鉄黄金時代の主軸打者としてのイメージの方が強い人も多いです。
まぁ、間違い無く生え抜きではあるのですが、要するに「出戻り」組という訳です。

6、純正の生え抜き組:保井浩一、土橋正幸
 実はこの二人しかいないんです。しかも、保井に至っては現役としては二年しか在籍していないので、
むしろ「1」のグループに入れてもいいくらいの人です。
そう考えると、いわゆる「中心選手として活躍した生え抜き監督」は、実は土橋一人なんですね。

 この分類から分かる通り、「自球団に選手として在籍し、引退後に監督になった人」を全て合計しても、大島、大下、保井、土橋の四名しかいないということになります。しかも、この四人の監督就任期間を見ると、いかにこの球団が生え抜きに冷たいかがよく分かります。

保井:55年(60年途中から代理監督)
大下:60年(途中休養)
土橋:73年(後期のみ)/92年
大島:00年〜

 つまり、(ギリギリ「4」までを「生え抜き」と数えたとしても)全員足してもまだ5.5年にしか満たず、生え抜き選手で二年以上監督を務めたのは、実は現監督が史上初ということになります。ひどい話ですね。
 ここで、実際にこの状況を数値化してみましょう。色々と解釈は分かれるところでしょうが、とりあえずここでは、「1」を「例外」として分母から除外し、「2」「3」を「外様組」、「4」「5」「6」を全て「生え抜き」として計算してみることにします(以下の数字は、全て2001年シーズン終了の時点での数値を、小数点以下第一位までで四捨五入したものです)。
 すると、この球団の歴史の中で、監督在年数の「『生え抜き』:『外様』」の割合を百分率で現すと、「10.4:89.6」ということになります。つまり、現監督の御陰でようやく「一割」に達したものの、ついこの間まで九割以上が外様監督だったという、とんでもない事実を理解して頂けたと思います。もし、「4」(つまり現監督)を「外様組」として解釈すると、「6.6:93.4」ということになってしまいます。
ここまでくると、生え抜きを意図的に排斥しているとしか思えません。

 このことを、実際に他の球団と比較してみましょう(注1)。「100:0」の某球団は問題外として、
広島、中日、阪神などといった「強固な地元人気」を持つセの球団は、いずれも50%以上が生え抜き監督です(中日の場合、意外に巨人出身者が多いという事実はありますが)。
 ヤクルトは、それらに比べると外様監督の割合が高いですが、それでも、純正の「6」に該当する藤田・武上・若松の三人だけで10年近く務めていますし、「4」に該当する宇野を加えれば、生え抜き率は30%を超えます。
 セで最も生え抜き率の低い横浜でさえ、(大東京系を「傍流」として計算から除外した場合)かろうじて25%は超えており、しかも純正の「6」である秋山・土井・近藤の三人だけで7年(それに江尻を含めれば7.5年)に達している訳ですから、これだけでハムの「4」「5」「6」の合計を上回ってしまっています。
 これは、パも同じです。確かにセに比べれば生え抜き監督の数は少ないですが、それでもハムほどひどい球団はありません。
 三原・広岡・森といった巨人系人脈の印象の強い西武にしても、中西・稲尾・東尾の三人を併せるだけで20年に達します。
 ダイエーは、今でこそ外様監督が続いていますが、南海時代はほぼ100%生え抜きでした。
逆に近鉄は伝統的には外様監督が続いていたのですが、最近は鈴木・佐々木・梨田と9年続けて純血の叩き上げ選手が務めています。ロッテもまた、多様な監督カラーのイメージがありますが、西本幸雄を筆頭に、山内・有藤・八木沢など、コンスタントに自球団出身の人々が監督を務めています。

 他球団とハムとの間でここまで大きな差が出来てしまった最大の要因は、
おそらく、「東急→東映」、そして「日拓→日本ハム」という二度の転換期に起こった大規模なリストラでしょう。
特に、東映黄金時代のスター選手は、晩年においてその大半がトレードに出されてしまっており(張本、大杉、白、大下剛、高橋直、金田、etc.)、移籍することなく引退したのは土橋と毒島くらいです。
このことが、「生え抜き選手に監督を」という通常の球団で見られるような継承形式を不可能にしたと言えるでしょう。そして、この伝統は日本ハムになって以降も延々と続いていくのですが、ひとまずその件については次回で詳しく語ることにして、ここでは省略します。

 とりあえず私としては、いずれはやっぱり広瀬や田中に監督に就任してほしい、という気持ちがある反面、「せっかくここまで多種多様な監督がいるんだから、どうせなら全球団出身者を揃えてほしい」という屈折した思いもあります。
 そして、上記の一覧を見れば分かるように、(松竹を横浜の源流の片割れと考えれば)欠けているのは、くしくも今年の優勝球団である「近鉄」と「ヤクルト」の二つだけなんですね。よって(過去の「3」パターンを見ても分かる通り)優勝経験のある監督を招きたがるこの球団の性質を考えると、数年後にはこの二人のいずれか(あるいは両方)が日本ハム監督として招聘される日が訪れるかもしれません。
 また、彼等以外にも様々な候補が考えられます。ヤクルト出身者では、横浜時代に(優勝は逃したものの)確固たる実績を築いた大矢明彦や、投手コーチとして定評のある尾花高夫などが挙げられますし、近鉄にしても、監督経験がありながらもまだ若い佐々木恭介や、イチロー効果で指導者としての評判も急浮上した新井宏昌(半分は南海ですが)などの招聘の可能性も考えられるのではないでしょうか。
 「全球団に自球団のOBを監督として送り込む」という所業は、既に某球団によって達成されていますので(注2)、同じ本拠地を持つ我等がファイターズとしては、ぜひそれに対抗して、「全球団から監督を迎え入れる」という逆の記録の達成を目指してほしいところです。

 ま、そんなカンジで、あまりオチもなく終わってしまいましたが、本コーナーではこのような形で、ファイターズの持つ様々な歴史的特色について扱っていきたいと思います。一応、今回は戦前球団は別モノ扱いとしましたが(注3)、場合によってはその時代の話まで遡って論じることもあると思います。何にせよ、こんなディープなウェブサイトでの原稿執筆を任された以上、かなりマニアックな内容にまでこれから入っていくことになりますので、「ひたすら雑学を極めたい人」、「暇で暇で仕方がない人」、「一日に活字を数万字読まないと禁断症状が起こる人」以外の人達には、あまりオススメ出来ないコーナーになってしまうかもしれませんが、どうぞよろしく御願い致します。

                                  (闇霧華影)


<注1>
他球団の監督に関しては、以下のように分類させて頂きます。
(過去のハム監督にいなかったパターンの人達の場合)

・過去にプロ野球選手経験がなく、いきなり選手兼任監督に就任した者→1
(例:金鯱監督としての岡田源三郎)
・他球団から、当初は専任選手として移籍してきた後、選手兼任監督に昇格した者→4
(例:広島監督としての白石勝巳)
・最初に選手として在籍した球団から一度も移籍せず、選手兼任監督に昇格した者→6
(例:南海監督としての山本一人)
・選手として、他球団から移籍して来た後に再び去り、引退後に監督に招聘された者→4
(例:大平洋/クラウン監督としての鬼頭政一)

 これらの他にも、何球団も渡り歩いたりして、判別困難な人もいるかもしれませんが、とりあえず、ここでは以下の表に基づいて分類しました(中には、未だどの球団にも存在しない組み合わせパターンも含まれていますが)。

その監督が就任した時点におけるその該当球団との関係

 
最初に在籍した球団 ○/× × × ×
該当球団での選手としての在籍経験 × × × ○/×
他の球団での選手としての在籍経験 × ○/× ×
就任時の立場(専任監督or兼任監督) 専/兼 専/兼 専/兼 専/兼


 ちなみに、該当球団での監督就任以前に他球団で監督orコーチの経験があるか否かは、それが本人にとっての初のプロ球団在籍経験でない限り、ここでは問題にしません(該当球団でのコーチ経験についても同様です)。また、該当球団での監督を引退した後に、別球団で選手として復帰したとしても、それもここでは考慮には入れません。
ただしその後、再び該当球団に戻って監督に就任した場合は、前任時とは別扱いとして計算することとします(つまり、中日における杉下茂の第一次政権は「4」、第二次政権は「5」として分類する、ということです)。
まぁ、そこまで細かいことまで気にする必要もないとは思いますが、一応、ツッコまれる前にフォローはしておこうと思いまして。

<注2>
 厳密には、今回の定義に基づいて解釈した場合、つまり、「2」「3」のみを「外様監督」として認識した場合、実は阪神だけは「巨人出身の外様監督」は迎えてはいないことになります。しかし、(今回は「1」の中に含まれている)藤本定義は(冒頭でも書いた通り)読売巨人軍の(リーグ発足後の)初代監督ですので、やはり彼の在任期間は「巨人出身者による体制」だと考えるのが自然だと判断致しました。

<注3>
 なお、戦前の「東京セネタ−ス」(およびその系譜の球団)をファイターズの(潜在的な意味での)前身だと解釈して、この球団での在籍経験を特例的にファイターズ系球団への所属経験だと解釈した場合、(横沢はどちらにしても「1」のままですが)47年&48年の刈田の任期については、私は「4」として認識すべきだと考えています。
 「5」だと主張する方もいるかもしれませんが、彼はリーグ発足以前の大日本東京野球倶楽部(すなわち読売巨人軍)に在籍して、三宅監督が解任されるまで巨人軍の一員として幾度もプレーしているので、やはり彼は「生え抜き」ではなく「巨人OB」として認識すべきだと判断致しました。この場合、「4」を生え抜きと数える計算法に基づけば、生え抜き率は「14.2%」にまで上昇します。しかし、まだこれでも横浜にすら届きません。
 更に、戦前球団を直接的な源流だと解釈した場合も考えてみましょう(つまり、その時代の監督在任期間も計算に含むということです)。とりあえず、名古屋金鯱軍と合併する前の「翼」時代までに限定したとすると、(横沢時代の三年間はやはり分母から除かれるので)単純に刈田政権の四年間が分母と分子の両方に加算されることになり、その結果、生え抜き率はなんとか「20.2%」に到達します。
 そして更に、合併後の「大洋&西鉄」時代まで含めると、苅田の在年数がプラス1年となり、そして残り二年を務めた石本秀一は「1」扱いですから、分母から除外されることになります。ここまで計算したとして、ようやく「21.6%」にまで達することになりますが、これが限度です。これ以上はどう拡大解釈しても、生え抜き率の上げようがありません(ちなみに、これで「4」を外様として計算すると「6.0%」になります。まぁ、こっちはあんまり変わりませんね)。やっぱり、どう計算しても、十二球団中最下位であることは間違いないようです。



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