ぎっちょ
作・渦巻主任
『ぎっちょ』この言葉は、私の人生において多くの人から言われてきた言葉である。『ぎっちょ』とは左利きの人間に対して使われる言葉であり、私は、生まれついて左利きであったために何度もこの言葉で呼ばれることになった。
世の中では、左利きを不便だからという理由で無理矢理にでも右利きに変えさせようとする人が多い。右利きを左利きにしようとするのは、左打席に立った方が有利とされている野球選手ぐらいしかいないであろう。その野球選手でも投手以外の選手は左投げだと余分な動作が加わるということで右で投げるように修正されるのだが。
私も、通っていた習字塾で何度も右利きに変えようとさせられていた。ただ、淡々と文字を紙に書いたり、鉛筆を手に固定されたり、しまいにはエキスパンダーで腕を鍛えようとする先生までいた…。それは、静岡であろうが愛知であろうが同じであった。そんな状況の中、三重県にいたころに通っていた習字塾は、
「別にぎっちょでもええやん」
という理由で特に矯正はされなかった。小学生だった私は
「みんな『ぎっちょ』、『ぎっちょ』っていうけど、『ぎっちょ』の何がわるいんや! 何で直さなあかんのや!」
と思っていたので、正直感激していた記憶がある。
『ぎっちょ』と言われるたびに劣等感を感じていた私は、テレビとかで左利きの人が活躍しているのを見ると妙に興奮した。
当時左利きの人が一番多く出てくるのは野球中継だったので(ほとんどの番組では出演者の利き腕がわかるということはないと思われる)、自然と野球を見る機会が増えていった。子供だったので、作られた左ということを考えずに、左打席の選手が打っては喜び、左投げの投手が抑えればバンザイをするといった様子であった。
歳を取るにつれて、ご飯は右で食べる・野球は右でするなど、次第に右手を使うようにはなっていたが、字を書くことだけはどうしても右で書くことはできなかった。なぜそうなったのかと言うと、世の中にある道具は右利きの人間のために作られた道具ばかりであるから、自然と右手を使うようになったというのが真相だと思う。
それに、右手を使うようになったからと言って、左手が使えなくなるわけではないので、便利といえば便利である。
しかし、『ぎっちょ』であるということに劣等感を持たなくなったということはない。
初めて会った人に字を書いている所を見られると、「あ〜、左利きなんですね」と珍しく思われるが、自分としては普通に書いているつもりなので、相手に悪気はないのにもかかわらず、変な気分になったりしてしまう。
また、大体のことは右手でするようになったので、「なんで、字だけ左で書くの?」と言われると、返答に困ってしまうのだが。
ま…、全部私の勝手な言い分なので左利きの方がみんな同じことを考えてはいないけど…。
でも、なんだかんだ言いながら、自分では左利きであることに誇りを持っているんだけどね。だって、横書きで字を書く時に手が汚れやすいなど、左利きの難点はいろいろあるけど、右利きの人は左手を使うことはあまりしないので、左手は使わない人というのが多い。だけど、左利きの私は半分ぐらいのことは、どちらの手でもできるという楽しみがあるのだ。 (終)