魁!!クロマティ高校に登場する外国人選手の名前

ウォーレン・クロマティ:シピン区の地名。作品の舞台である高校の名前である。

元々はモントリオール・エクスポズで活躍していた選手で、84年に巨人に入団。
90年まで在籍し、巨人史上最強の外国人打者として活躍を見せた。
88年に久保(現・近鉄1軍投手コーチ)から受けた死球によるケガが無ければもっとプレーしていたかも…。

実働7年:779試合・2961打数・951安打・171本塁打・558打点・通算打率.321


ランディ・バース:瀬戸内ジャクソンらが通うバース高校の元ネタ

83〜88年の間、阪神に在籍した伝説の内野手。未だにシーズン最高打率は破られていない。
また、王貞治のシーズン最多ホームラン記録に挑戦した最初の選手でもある(この時も王は敬遠を指示)

阪神ファンの間では神様的存在であり、オープン戦で外国人選手活躍すると「バースの再来」という単語がよく使われる。
(85年、阪神が日本一になった時「バースに似ている」という理由で、カーネル・サンダース人形が道頓堀に投げられたが、
これが今の阪神に呪いとなっているとかいないとか…)
そんなバースが阪神を去ったのは息子の病気のためにアメリカに戻ろうとしたことであった…。
今思えば、阪神球団もあっさりとOKを出していればよかったのに。

実働6年:614試合・2208打数・743安打・202本塁打・486打点・打率.337


オレステス・デストラーデ:山口ノボルの住んでいる区。デストラーデ高校はクロマティ、バース高校と並ぶワルの巣窟である。

西武黄金時代の指名打者(外野も守るけど)。89〜92年・95年在籍。
90年から92年まで3年連続本塁打王&2年(90・91)連続打点王と清原の無冠の帝王のレッテル貼りに大いに貢献。
93年フロリダにできる新球団マーリンズに4番打者として迎えられるも、94年で解雇。95年に西武に戻るも活躍できず。

実働5年:517試合・1816打数・476安打・160本塁打・389打点・通算打率.262


テイラー・バン・バークレオ:山口ノボルのすんでいる町

87〜90年は西武・91年は広島に在籍した外野手。
当時の外国人枠が二名という制限があったため、中々試合に出られず、
活躍したのは88年のみ(打率.268 本塁打38 打点90)。


テリー・ホイットフィールド:山口ノボルが卒業した小学校

81〜83年の間西武に在籍した外野手。田淵・スティーブと共に広岡西武のクリーンナップとして活躍。
83年に成績を残しながら退団しているのは玄米食のせい?


スティーブ・オンティベロス:山口ノボルが卒業した中学

80年から85年まで西武に在籍した内野手。
3割を5度マークするなど、かなりの好打者であった。

ジョン・シピン:林田・前田・竹之内・メカ沢の履歴書に登場。東京都の区らしく、クロマティ高校もこの区にある。

72〜77年は大洋に巨人に78〜80年に在籍。大洋時代はヒゲと長髪でライオン丸と呼ばれるが、
巨人時代は「巨人軍は紳士たれ」に従ったのか、別人のようになっていた。
しかし、持ち前の気の荒さは治らないまま…。
大洋時代はメジャーリーガーとしてならしていたボイヤーに頭が上がらなかった模様。

リック・クルーガー:林田・前田の履歴書に登場

巨人に79年のみ在籍した投手。
18試合登板:2勝1敗・防御率4.66


クライド・ライト:前田の履歴書に登場

巨人に76年から78年まで在籍した投手。息子は現在クリーブランド・インディアンスに在籍しているジャレット。
76・77年の優勝に貢献したが、気性は荒かった模様である。メジャーでは通算100勝している。

59試合登板:22勝18敗・防御率3.97


ゲーリー・トマソン:メカ沢の住んでいる所。

81・82年に巨人に在籍した外野手。
1年目は20本塁打を打つも、2年目に打てなかったため解雇。


ボブ・ホーナ−:マルカーノ区にある町の名前。北斗が卒業した私立ホーナ−学園にも使用されている。

87年のみヤクルトに在籍。来日した当時は相手チームから「赤鬼」として恐れられていた。
アトランタ・ブレーブスでバリバリ活躍していため、契約金も当時では破格の金額であった。
初代燃えプロのバントホームランの象徴的な選手でもあった。


ボビー・マルカーノ:北斗の住む東京都の区。

75〜82年は阪急に在籍。83〜85年はヤクルトに在籍
上田阪急黄金時代の主砲。セカンドではロバート・ローズ(元横浜)と並ぶ強打者である。


ジーン・バッキー:林田が入学した大阪の私立小学校

62〜68年まで阪神・69年は近鉄に在籍。
阪神のエースとして活躍するも、巨人荒川コーチとの乱闘の際に怪我をしたのが痛かった。
64年には29勝を挙げる。


ケビン・ミッチェル:林田が転校した福岡の小学校。

95年福岡ダイエーに入団も、開幕戦の満塁弾以降はドラブルばかり起こして、途中で帰国。
ダイエーファンに名前を出してはいけない選手である。
従兄弟のトニー・ミッチェル(元ダイエー)もかなり乱暴であった。

ただし、このミッチェルは元日ハムのミッチェルという可能性も無きにしもあらずである。


ジム・パチョレック:神山が卒業した小学・中学校。

88年から91年まで横浜に、92・93年に阪神に在籍した内野手。「パッキー」の愛称で親しまれる。
パワーこそないものの、ヒットを打つ技術は一級品で、93年以外は3割1分を越えるアベレージを誇っていた。


ラリー・シーツ:神山の住んでいる所。

92年横浜に在籍した外野手。打点王のタイトルを取るも1年で退団。


チャーリー・マニエル:“ネット番長カッコ笑”藤本が通う高校

76〜78・81年ヤクルト・79〜80年近鉄。
元祖赤鬼。その打棒でこれまで優勝に縁がなかったヤクルトと近鉄を優勝させた男。
79年のシーズンはアゴに死球を当て、復帰した時はフェイスガード付きの特注ヘルメットを使用。


ブーマー・ウェルズ:第63話に登場する高校

83〜91年までは阪急&オリックスに在籍。92年はダイエーに在籍。
外国人初の三冠王に輝くなど、その打棒はTOPクラス。
現在は、代理人業を行っている(元ハムのウィルソンなど)。

実働10年:1148試合・4451打数・1413安打・277本塁打・901打点・18盗塁・通算打率.317


マイク・ラインバック:暴走族グループ『羅因抜苦』の名前

76〜80年の間阪神に在籍。江川が初登板したときにホームランを放ったのは有名な話。
交通事故で帰らぬ人に。


白仁天:『白天仁』となっているが、恐らく記憶違いだと思われます。

1年9ヶ月日本国籍を持っていたため、日本人として入団。62〜73年(東映・日拓・日ハム)75・76年(太平洋)
77〜80年(ロッテ)・81年近鉄。
82年に韓国球界が発足したため、帰国。韓国球界唯一の4割打者である。
実働19年:1969試合・6579打数・1831安打・209本・776打点・212盗塁 通算打率.278