登場人物
モデル等が分かる人は掲示板かメールで情報を下さい。
投手
毒島大広:
バイオレンスクローザーとも呼ばれる、京浜アスレチックスの抑え。各球場で160キロ以上を記録したムービングファーストボールを武器にプロ入り(無職:8位指名)。
尊敬する投手は元広島東洋カープ大野投手で、兄の影響でカープファン(TVのインタビューにて発言<六巻参照>)。
当初は、巨人小野や近鉄前川のようなノーコン投手であったが、最後の方には制球難が顔を出すことは見受けられなかった。
速球以外には、あまり曲がらないカーブ(クセがバレバレなので、最後はほとんど投げていない)と
『その日によって、落ち方にばらつきがある』とされているチェンジアップの一種『ブスシマチェンジ』を投げる。
フォーム的には、ノーラン・ライアンがモデルではないかと考えられる。
性格は、キレやすいところがあり、暴れだすと手がつけられない。間柴高校の校長が退学処分にしたのもそのあたりが原因。
片平監督の采配にキレたり、審判の判定にキレたりと「バイオレンス」という名前がつけられたのは、
そちら方面の実績がものをいっているから?
父のことを悪く言われた時は物凄く暴れる模様。
清水良馬:
京浜アスレチックス投手。
中学時代に「真夏のダブルヘッダー事件」で毒島との間に因縁を持っている。
立花東中学から立花東高校へ行っているのは私学だからか?
そして、高校生なのにカンザスシティ・ロイヤルズの1Aにて11勝を挙げたという実力の持ち主である。
150近くでる直球とフォークが武器。中でもフォークは超一流との評判。
ただ、性格的には非常に扱いにくい選手である。
入団後のお披露目の場では「寒い時期だから肩を壊すかもしれない」ということで全力投球を拒否したり、
片平監督から抑えを任された時は、「自分は向いていない」とやる気のない投球を披露。
また、メジャー願望が強い。アスレチックスが獲得できたのは木暮スカウトの力と、
他球団がこのメジャー願望を敬遠したからとも言われている
斉木哲也:
京浜アスレチックス投手。主に中継ぎ・抑えが役割となっている。先発もできるので、便利屋的な使い方をされている。
兵庫吹石高校を中退し、一年間アスレチックスの球団職員として雇われドラフト三位で入団。
地区予選では三振の山を築き、兵庫のドクターKと呼ばれていた男。尊敬する選手は東尾修。
ストレートは、球団職員の牧野さんを寿司で買収し10キロ早く表示させたことからも、それほど速くはないが、
サイドハンドからの人を食ったようなスローカーブと「わかっていても打てない」スライダーは威力充分である。こちらも扱いにくい性格であり、捕手の渋谷に「リードはしなくていいです」と言ったりしている。
植西克美:
そのアゴの長さと落ちる球を武器としていることから、モデルは門倉ではないかと思わせる。
97年にドラフト三位として入団。毒島から抑えの座を奪い取ろうとしていたが、開幕戦で毒島の投球を見せられて断念。
以降はセットアップとして活躍している。
陳文治:
清水が入団する前はアスレチックスのエースであった台湾出身の投手。「オカマ」と言われると、軍隊で学んだ陳家太極拳を
披露して攻撃してくる。プレイボーイであり、日本語は日本人ガールフレンドから教えてもらった模様。
モデルは、試合中に独自のダンスを踊ることから、郭源治だと思われる。
ウェイク国吉:
チーム1の努力家であるが、空回り気味。初登場時にケガをしていたのは疲労骨折のためであった。
11年打者としてやってきたが芽は出ず、たまたま遊び2軍コーチに教えてもらって投げたナックルをチックが見て投手に転向。
モデルは、同様に野手からナックルボーラーへ転向したティム=ウェイクフィールド(ボストン=レッドソックス)。
また、チック君が三宅さんではないことを知っている人物である。
黒田正弘:
その風貌・体格から、小江夏と呼ばれるアスレチックスの抑えのエース。
ストレートの最大球速は123キロであるが、全球種を速い球・普通の球・遅い球と投げ分け、
なんだかんだ21種類の球種を持っていた。
しかし、リリーフ失敗も多かったため、三木監督になってからは、先発へ転向。
チームのドン的存在で、よく山本らと飲みに行ったりする。
そのため、二日酔いの状態で登板したこともある。
暮海明夫:
1977年にドラフト一位でアスレチックスに入団。いきなり21勝を挙げ新人王・最多勝投手になる。
その後も順調に勝ち星を増やすも、95年シーズンオフに左肘を故障。200勝をかけてマウンドにあがり
なんとか41歳にして200勝を達成し引退。解説者となる。
モデルは、当時の高齢投手から考えて大野(広島)のような気がする
川本(左投げ)・伊藤(右投げ):
どちらも、片平監督時代のチームにはなくてならない中継ぎ投手であるが、
ノックの最中に交錯し川本は、脳挫傷で全治一ヶ月・伊藤はアキレス腱断裂で全治三ヶ月と診断される。
そのため、毒島に一軍残留のチャンスができたのだから、不思議なものである。
青山:
ふじしろ信用金庫のエース。都市対抗で貸し出し選手として4イニングを投げたことでスカウトの目に止まる。
京浜に入ってからは、左のサイドスローということもあって中継ぎで使われる。
(解説者には、敗戦処理投手とか言われてしまっているが)
森口:
横浜をリストラされたベテラン投手
“チームのMVP”佐世保仁:
甲子園常連校から、93年ドラフト4位で入団。ケガ続きで一軍の出場経験がなかったが、
2軍時代の三木監督の評価は、「典型的な中距離打者だが、チャンスに強い。ケガさえなければクリーンナップを打っとるよ」
1軍に昇格してからは正捕手の座をキープ。
97年は球団に頼み込んで背番号をピアザと同じ31に変更。攻撃・守備共に重要な役割を果たすようになりオールスターにも
ただ一人出場した。
“気のいいダメ外人”ビル・ラズロック:
モデルは、川崎球場の壁に「マドロック立ち入り禁止」とまで書かれたビル=マドロック。
メジャーで三度首位打者を獲得した経歴を持つ大物助っ人。ただし、46歳という年齢がネックに(って、実際のマドロックとほとんど同じ)顔は水野晴郎似で、チームメイトからは「ハルオ」と呼ばれている。
開幕戦で代打を出されても文句は言わなかったが、2軍落ちには「マザー・ファッカー」と御立腹。
シーズン後半にはセーフティバントを乱発していたが、最後には大きな一発も。
“繊細な和製大砲”火野勝:
顔から言っても、宇野勝以外にモデルはいない選手。
「んああ」という言葉と、そのツラのため片平監督の戦力構想にはまっさきにはずされていたが、
ファームでは無類の長距離ヒッターであったため、三木監督は主砲として打線に入れることに。
ただ、現実の宇野同様に守備でのポカは多い。そして、意外とデリケートな性格なのか、
ショート以外を守らせると打撃のリズムが狂う模様。
”マジックフィールダー”三条洋二:
守備は超一流の選手。通常の選手では考えられないようなプレーを平然とするので、毒島兄などには
「まっさきにメジャーに行くべき選手」と評価されている。片平監督とは、グラブさばきで口論したため、2軍落ちしていた。
もともとは、ショートだったのだが、火野が「ショートじゃないと打撃不振になる」ために、セカンドを守ることに。
打力は平凡。
自分が努力しているのを見せることが嫌いなタイプで、「昨日徹マンしていた」「夜は何軒か店をハシゴしちゃって」
などと、チームメイトからはミエミエの嘘を言う。
顔は元UWFインターの安生洋二(情報元:かんそくさん)。名前も恐らくは安生選手から流用したのでしょうね。
川岸大介:
パワーはものすごいが、確実性にかける外野手である。
難しいボールは打てるが、平凡なボールは打てないという特徴も。
わざわざ木暮スカウトが逆指名させた選手であったりする。
矢島健一:
渋谷とのトレードでアスレチックスに来た首位打者経験のあるベテラン。四番を任されチームの首位打者となっていたが、足を怪我し戦線離脱。その際に「もう一度酒マッサージで」という言葉から、モデルは谷沢健一氏と見て間違いないであろう。
ちなみに、ダジャレを言うのが大好きという欠点を持っている。
本上博史:
元暴走族のトップバッター。移動ではバイク移動を繰り返し罰金を取られまくっている。
足が早いことは確かであるが、盗塁成功率は低め。また、選球眼もよくなく、一発狙いが多い。
97年ドラフト2位の外野手
小野寺学:
名門外木場高校出身。高校時代から注目されていた選手で「強運の持ち主」呼ばれている。
名門出身にも関わらず、結構素直だったりする。
打撃面はまだまだであるが、守備・走塁は一級品。97年ドラフト1位の内野手
加瀬英二:
6年連続3割をマークしたこともある、元ミスターアスレチックス。
絶倫男で、すぐにアスレチックスガールの子に手を出したりする。
そのため、片平監督に広島に放出されるが、チームを引っ張るベテランが欲しいということで、
トレード期限ギリギリで、呼び戻すことに。
野球に関係する知識は、さすがにベテランということもあって、かなり豊富。
モデルは、加藤英司?
広岡不二夫:
西武をリストラされた、内・外野どこでも守れる選手。
派手さはないが、プレイの堅実さには定評がある。
秋山も西武時代はポジションの位置などを参考にした模様。
モデルは、広橋?
八木:
広岡と同じく、西武をリストラされた。
リーグ有数の左殺し(右は全然打てない)で、バントも上手。
山本恒男:
黒田の子分的存在で、練習嫌いの面あり。
あだ名は「キングコング」
要:
外野手。山本と「今年はこれで充分だろ」という発言をしたため、三木監督にベンチに引っ込められる。
顔のモデルは、屋鋪
首脳陣:
三木源三郎:
のびのび野球を提唱する昭和1桁生まれ。しばしば居眠りをして、大毎ミサイル打線を相手にする夢や稲尾からウェイクがタイムリーを
打ったという夢を見たりする。
元々は、アスレチックス黄金時代の名参謀であったが、チーム内の派閥争いに敗れ20数年もの間2軍監督のままであった。
97年に、三宅の投手コーチ就任を条件に1軍監督になる。
モデルかどうかはわからないが、試合中に居眠りをする監督と言えば松竹時代の小西得郎氏が思い浮かばれる。
山畑打撃コーチ:
教え魔と呼ばれる、仕事熱心な打撃コーチ。元、近鉄V2戦士。
火野が打撃不振になると、天秤打法@近藤和彦を伝授したり、「月に向かって打て」と大杉勝男が言われた言葉を
言ったりと、あらゆる手段を尽くすも効果なし。
しまいには、気合が足りないということで、西本御大譲りの鉄拳をかまそうとしたところで、
火野が出した足が顔に当たってしまい、全治一ヶ月の怪我を負うことに。
モデル的には、山内一弘氏と、中畑清氏を足して2で割ったものか?
チックくん(三宅武?):
史上初のマスコットの投手コーチ。報道では、チック君の中には、元ドラフト1位で24勝を挙げた
三宅武氏が入っているとされていたが、ウェイクが温泉に行った際に、三宅氏の実家に行き、
生きていないことが発覚。そのため、正体が金城記者によって探られることに…。
最終的に金城は正体を知ったようであるが、それを報道することはプロ野球のタブーに触れてしまうので、
正体は謎のままに…(いや、私が推理していないだけかもしれませんがね)。
投手コーチとしての腕は超一流。また、打撃指導も可能。
片平直矢:胃が痛い方が片平・手前は牧投手コーチ(兼選手)
内野手出身の監督。京浜アスレチックス生え抜きの理論派監督であるが、その采配能力にはかなりの疑問を持たれている
守りの野球を提唱するが上手くいったためしがなく、二年連続の最下位の原動力となっている。
ことあるごとに、選手と衝突し、ファームに落とすかトレードで放出するなどをして、1軍に残っている選手は
自分に逆らわない選手ばかりになった。また、罰則をもうけるのも好き。
そして、チームが14連敗を喫したところで、折からの胃の痛みが悪化しダウン。そのまま辞任という形で解説者に。
解説者としては、アスレチックスを最下位予想し、後半戦最初の試合では、外野手だったウェイクを先発させた三木采配を批判したものの、あっさりとウェイクが抑えたために「胃が痛い」と言ってトイレに行ったまま戻って来なかった・・・。
牧司郎投手コーチ:名前からはマギー司郎を彷彿させます。家のローン返済のため、選手兼任でコーチをしています。
ただ、指導力は疑問を持たれており、「彼の指導を受けた後球界を去る選手は多い!」と書かれているぐらい。
チック投手コーチが就任してからは益々信頼されない存在に。
(そりゃ、毒島をアンダースローにしようとしたぐらいですから…)
熊谷監督代行:
片平監督時代はヘッドコーチであったが、監督の休養とともに監督代行に就任。
しかし、六試合全部負けることとなりあっさり辞めることに。
ファンにハイジャックバックブリーカーを受けたのは他にはいないのではないだろうか?
他球団の選手
渋谷貴之:
元々はアスレチックスの主砲兼正捕手であった。
六大学のスター選手で、プライドが高くチームメイトから嫌われていた。
試合中に、「来年はFAで巨人か横浜だな」と漏らしたため、ダイエーにトレードされることに。
ダイエーでは、打力を生かすために、サードへコンバートし、HR王争いの中に弟の直之と共に参銭している。
渋谷直之:
アマチュア全日本代表で四番を打った実績を引っさげてダイエーに入団。親に甘やかされて育ったのか、性格は子供っぽいところも。
なので、スクイズのサインに首を振ったりする。
シーズン後半には3割を超える打率と24本のホームランという実績を作り、小久保らを差し置いて四番に定着するほどになる。
ジミ―=カイテル:
ヤンキースとの契約が折り合わず、日本にやってきた西武の途中加入選手。
しかし、あくまでも契約が折り合わなかったからいるだけと考えており、気分が乗らないと試合に出場sないという問題児である。
赤堀ぐらいのストレートなら軽くスタンドにもっていくパワーを持ち、
「日本にはロジャー・クレメンスやランディ・ジョンソンのようなパワーピッチャーはいないのか」と嘆くほど。
モデルはボブ=ホーナ―かもしれないが、見た目はマイク=グリーンウェルっぽい。
菅野純:
野球ではブルーウェーブ、サッカーではJリーグシェロ姫路のMFとして日本代表候補にもなったことのある和製ディオン=サンダース。
MLBとNFLならシーズンが全然違うので問題は少ないが、野球とJリーグは重なるケースが多いので問題も出てくる模様。
(日本代表に選ばれないのはそのせいという話も)
試合中に、野茂や伊良部のマネをするなど茶目っ気も充分。
でも、投球フォームも村田兆治のマサカリ投法(爆)
溝口:
日本ハムファイターズ外野手
赤堀商業時代に甲子園に出場し、「甲子園のアイドル」と呼ばれる存在に。
行沢中学時代に毒島に抑えられたことで、左腕を苦手にしていたがプロに入る前に打って克服した模様。
ドラフトでは、複数の球団から指名があった模様(仰木監督が赤堀商業に出没していることから推測)。
普段は優等生であるが、毒島が絡むとムキになることも。
プロ入りしてから、一年は英才教育のためファームにいたが、二年目の10月13日に一軍に昇格。上田監督からは、金子とともに1・2番コンビを組んで活躍することを期待されている。
毒島貴志:
毒島大広の兄。子供の頃から天才的な選手であり、高校卒業とともに渡米し、
マイナーリーグ・メキシカンリーグを渡り歩いていた。
ちなみに、マイナーリーグをクビになったのは交通事故で再起不能といわれるケガをしたからである。
ケガがなければ、3・3・3は軽く達成できる逸材で、肩もものすごい強肩である。
ロッテに入ってすぐは、走れない状況であったが、次第に回復し、スタメンで出るようになってからは、4番を任される存在に。
ちなみに、兄弟の仲は最悪の模様。
モデルは、バリーボンズ(ないしは、全盛期のケン・グリフィーJr)と前田智徳(完璧主義者で、怪我さえなかったら…という所)
と思われる。
打法はここを見ているとカル・リプケンJrなのかも
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