近鉄ファンになったきっかけ・・・


あれは、1987年のことであった。当時、三重県津市に住んでいた私は、広島東洋カープと中日ドラゴンズを応援している少年であった。
そのころは、パリーグのことなどほとんど知らない(知っていたのはファミスタ&燃えプロに出てきたということぐらい)少年であった。当時は、アンダースローというのが一番の理由で好きだった山田久志や凄い打者という印象が強いブーマーらが所属していた阪急に少しだけ関心があった。

その年、だんだん中日というチームが好きじゃなくなっていた(最大の理由は監督にあり)のだが、周囲は中日ファンばかりで孤独感を味わっていた。そして、ある時、友人が「俺と一緒に近鉄のファンにならん?」と言ったことをきっかけに、「近鉄電車に良く乗るし、好きだなんやからええやん」というよくわからない理由の元、二人で近鉄を応援し始めることになった。

それほど熱狂的なファンと言うわけではなかったのだが、
あの日を境にして、熱狂的なファンへと変わっていくことになるのだ・・・。

自分以上の年齢の人なら確実に覚えているあの10・19川崎決戦である・・・。

その時の記憶を思い返す限り、TV中継が始まってからずっとTVにかぶりついていた。それまでの試合でのチームの苦労など思い返すことなく、「今日は絶対に勝つんだ!」そう思って見ていた・・・。
ただ、ひたすら途中の経過を気にすることなく、勝利の瞬間がくることを信じてTVを見ていた・・・。

第一戦が終わった時点で、「絶対大丈夫!」そう思っていた・・・。
だからこそ、二戦目のあの場面を忘れること出来ない・・・。

抑えに登場した阿波野が崩れ落ちる場面。
長すぎる有藤監督の抗議・・・。
時間切れが決まり、優勝が消滅した後の最期の守備につく場面・・・。

どれも、今でも強く印象に残っている場面である。勝って優勝を決めたらそれほど印象に残っていないだろう。
負けたことにより、あの試合を見ていた人は強い印象を残すのだ・・・。

他球団のスター選手をかき集め、ホームランばかりバカスカ打つ打線を要するチームが日本一になっても、
これだけの印象を残すような試合をできるであろうか?
正直、長いリーグ戦の試合を見るに当たって、山場らしい山場もなく、淡々と独走して優勝を決めうチームが出てしまって面白いと思うだろうか?
今まで、野球を見続けてこれ以上の印象を残した試合はまずない。

私はあの日以来、たとえチームがどのような状態であろうと応援しつづけることを決めた。
もう一度あのような試合ができることを夢見て・・・。

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