たっぷり南九州/霧島・指宿2大名湯めぐり3日間
12月26日

羽田発7:40分 JAL1163便にて函館空港へ。8:55分着。早速函館
市内観光に出かける。

トラピスチヌ修道院

天使の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31年(1898年)フランスのウプシ
ーにある修道院から8名の修道女が来たのが始まりである。キリスト教
伝道のためには、修道院の精神的援助が必要であると、函館教区長ベ
ルリオーズ司教が要請していたものであった。
 草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランス
から引き上げが伝えられるほどであった。
 現在の建物は大部分が対象14年(1925年)の火災後、昭和2年(1927
年)に再建されたものである。

トラピスチヌ修道院

わが国最初の洋式城郭。五つの稜が星形に突き出ているため五稜郭
の名がある。幕府が北方防備のために弁天砲台(函館どっく付近)ととも
に安政4年(1857)から7年がかりで築造しました。ヨーロッパの城を参考
に蘭学者武田斐三郎が設計。鉄砲など近代兵器に対処できるようプラ
ンを練りました。各稜に砲をおけば死角も少なく、砲火をあびせられると
いうわけです。
 奉行所がありましたが明治5年に取り壊し、現存しているのは兵糧庫と
井戸のみ。
 日本最後の内戦「箱館戦争」の舞台となったところで、明治元年(
1868)、大政奉還に不満を持った旧幕臣・榎本武揚、大鳥圭介らがここを
占拠し、翌年5月に降伏、開城しました。彼らの抱いた「蝦夷共和国」建
設の夢ははかなく消えました。

これは五稜郭タワーです。高さ
が不足しており、五稜郭の星型
が見えません。建て替えを計画
中とのこと。

トラピスチヌ修道院

はこだて明治館は明治44年(1911年)に、函館郵便局として建てられまし
た。当時は電報・郵便の2つの業務に分けられ、昭和37年8月までの約50年
間、地域の人々のために多くの人たちが働いておりました。北海道の玄関
口だった函館に第1号の郵便局として大変大きな役割を持っていました。そ
の後、戦争・大火などを耐えぬき、今でも当時のままに残されています。現
在函館郵便局は中央郵便局として移転してしまいましたが、旧函館郵便局
は、はこだて明治館としてショッピングモールに生まれ変わり、赤レンガ
が特徴とされる歴史的建造物として歴史の街・函館の大きな役割を担って
おります。

周辺を散策
トラピスチヌ修道院
カトリック元町教会
函館ハリストス正教会
八幡坂
旧函館区公会堂

世界三大夜景にも数えられるほど美しい函館山からの夜景
。標高334m、函館山山頂からの、一番美しい夕方〜夜にか
けての夜景を撮影しました。

トラピスチヌ修道院