この5月13日、芦ノ湖畔の竜宮殿の庭で河野外相と中国の唐外相が記念にヤマボウシを植えた。
 テレビや新聞でこのことを知ったとき、私は大変嬉しかった。なぜならば、ヤマボウシは箱根の自然保護運動の原点とも言うべき木だからである。
 箱根山に自生する多くの木の中から、どうしてヤマボウシが日中友好の木の木に選ばれたのだろうか。 私は外務省の中国課に電話で尋ねた。同課からすぐに「ヤマボウシ」は大臣自身でお決めになりました。大臣はさすがに地元だけに箱根の植物に詳しく、ヤマボウシにしようとおっしゃられました。そこでホテル側の意向もお伺いしてヤマボウシと気めました」という回答が返ってきました。
「箱根はヤマボウシの大国」と植物学者が讃えるように、箱根を代表する美しい花木だ。幕末の著名な洋学者で津山藩藩医の宇田川榕庵が、箱根でヤマボウシを採取し、その標本をシーボルトに贈って学名がついたことでも分かるように、箱根とヤマボウシは縁が深い。
この木を最も愛したのは、小麦の先祖の研究で世界的にその名を知られた故木原均博士だ。昭和三十七年、駒ケ岳山麓にゴルフ場を造るため、多くのヤマボウシが伐られているのを見て、元東大総長茅誠司氏らと「箱根の自然を守る会」を結成して反対し計画を中止させた。このことがきっかけになり、同博士の指導のもとに湖畔に樹木園が生まれた。
これが箱根山の本格的な自然保護運動の始まりであった。そのような経緯から平成三年、第6回ケンペル・バーニー祭にバーニーの次男フレデリックさんが参加してくれたときも、バーニー邸跡にヤマボウシを記念植樹している。
河野大臣はこのような経緯をよくご存知でヤマボウシを選ばれたのだろう。最近にない政治家のクリーン・ヒットである。
ただ残念なのは、箱根ではヤマボウシーブナ群落と呼ばれるように、ヤマボウシはブナ林の構成種である。その美しい小塚山南麓の森林を破壊して、ポーラ美術館建設が環境庁の許可のもとに、今着々と進められている。河野さんはこのことをどう見てられるのだろうか。
中国の唐外相は、別れ際に河野さんの手を握りながら「この次ぎは北京でお待ちしていますよ」と訪中を重ねて要請し、さらに「北京に箱根はないし、こんな素晴らしい受け入れは難しいが何とかします」と流暢な日本語で約束したという。
これから各国の要人が箱根を訪れるだろう。それらの国々の人たちから「私の国には箱根はない」といわれるために、箱根がいつまでも美しい箱根であり続ける。それこそが今度のヤマボウシの記念植樹の意義であろう。せっかくの日中友好も翌々日の森総理の失言で崩れかけているが、箱根が箱根である限り日中友好が崩れることはない。
(Toshiyuki. Katou)