みち草近状   
 実りの秋 welcome 村田いちおしスポット
道の駅村田
竜島院の庭園
仙台南ゴルフ倶楽部
                                 
 
  ご来訪有難うございます また時どきお立ち寄りください
 
    宮城県 村田町薄木  大沼 幸衛

世界遺産アンコールワット探訪
 宮城県芸術協会 芸術祭も幕を閉じた11月25日、協会の文芸・工芸・茶道・絵画 写真各部門から相募った13名の会員が5日間の日程で、平成25年度海外研修地に組込まれた 世界遺産アンコールワットの地カンボジアに向け仙台空港を飛び立った。  今回の見どころ、城塞遺産のアンコールトム、シャリアップ市街からのプレループの落日 巨大な堂宇を誇るアンコールワットからの日の出、その時を今か今かと待つ各々 バスやバイクタクシーで集まり遺跡を取り囲む数百人にも及ぶ世界各国からの観光客は圧巻だ。  そして巨木が遺跡を締め付けるタプロープ寺院、また東南アジア最大の湖トンテサップ湖では逞しく 今を生きる水上生活現実の姿等、今回の研修旅行も記憶に残る旅となった。いずれ『旅の途中』でお目にかかればと 思っている。2013.12.01

賞候補
 第50回宮城県芸術祭写真展が明日10月4日より開催される。 今日3日は県内芸術協会写真部会員が持ち寄った作品の受け付けと各展示会場へ の搬入を手伝う機会があった。午後からの審査には私達一般会員が立ち入り 作品を客観的に観ることはできないが、搬入に際して当然各作品を覗くことが出来 る。それらを垣間見るにつけ手にした各作品の視点、感性の豊かさ素晴らしさに 圧倒され、そんな残像を瞼に浮かべながら家路についた。少し間をおいた夕刻 協会写真部 部長さんから審査の結果を入賞者に連絡しているのだという 思いがけない電話、 「おめでとう、あなたの作品が『賞候補』に決定しました」とのこと。確かに県知事賞他 名だ たる各賞は数に制限があり、そのほかに審査員がこれはという作品を若干賞候補にすることが出来る と選考基準にはあり、もう一歩各賞には届かなかったが今後の精進を期待する との各審査員から のエールと受け止め、今夜は久しぶりの美味しい晩酌になりそうだ。20013.10.03

時々耕す農園近況
 myHPも更新なくしばらくご無沙汰。さしたるネタもないこともあるが この3,4月は寒かったり 暖かだったり、時々耕す農作業にも影響を及ぼし、こちらの意図とはお構いなく育苗中の果菜類苗物は伸び過ぎたり ある物は生育が止まったり、お陰でこれらの温度管理やら天気予報に右往左往、さらにはこの時期 旬の山菜類にも異変を来たしていて、産直物産センター出荷前の放射線量検査に必要なサンプル量の確保さえ 覚束ない有様。  そうこうしている間に、今度は夏日にも近い気温の到来で一斉に伸びだしたこれら山菜のシドケやウド、アイコなど 捌き切れない程の生育で あっという間に旬も過ぎ虎のタヌキの皮算用となってしまった。こんな愚痴 誰に当たるでも ないが、ま いいか気を取り戻して次の楽しみ、カメラと同行ふたりと気分を切り替えることにした。2013.05.10

モンスターとの再会
 あっという間に二月、降っては積りすっぽりと雪に閉ざされたわが家、やることもなく飲んで 食べての寝正月、お陰でお腹周りも出っ張りだしすっかりメタボ状。年末以来シャッターを 押すでもなく出番のなかったカメラを久しぶりに引っ張り出し、山形自動車道を経て山形蔵王を目指した。  心配していたアクセス西蔵王高原道もこのところの暖かさで圧雪もなく、おまけに蔵王ロープウエイ駐車場 も平日とあって駐車料無料。スキーやスノーボードを抱えた若者たちに交じってゴンドラで地蔵嶽山頂に向かった。 カメラザックの長靴姿はさすがに場違いで肩身が狭い、しかしそんなことも吹っ飛ぶような年に一度あるか ないかの絶好の樹氷鑑賞日和、ただ気温も俄かに上昇したこともあって、折角のこれら樹氷のあちこち に木肌が現れた部分もあったりはしたが、数年ぶりのモンスター達との再会 さらにどこからともなく現れたモーター パラグライダー、樹氷原上空の青空を真っ赤な翼で旋回し印象深い景観を演出したので、 我を忘れて夢中でシャッターを押し続けることになったのだった。2013.02.01

文化の秋
 文化の秋も今がたけなわ、9月28日にオープンした仙台メデアテーク会場の49回宮城県芸術祭 写真展を皮切りに、10月20,21日は白石ホワイトキューブの宮城県文化祭、続いて同25日〜11月1日の 芸術祭写真展村田展、さらには11月3日〜4日は村田町文化祭写真クラブ会員展と 時どき耕す本業から離れ て各イベントの準備やら作品展示、開催期間中は来訪者への対応と連日非日常的な日課が続いた。  各会場にお越し頂いた方々それぞれ感想ご意見はお持ちだとは思いますが、最近のメデアから飛び込む 殺伐とした世相から、ひと時でもカメラが捉えた一瞬の感動や安らぎを共有出来たのでは?と自己満足 のグラスを傾けております。2012.11.04

  おわら風の盆
 「雨が降ったら町流し踊りはない」とはツアーの添乗員から聞いていたが それが現実となった 越中八尾おわら風の盆、朝8時に仙台駅前を出発したバスも午後4時過ぎには八尾の町はずれ観光バス 駐車場に到着、胸踊る想いで おわらの町に足を踏み入れた。 11の支部もある保存会、あちこちからかすかに聞こえる三味線や胡弓の音を頼りにその方角へ向かう のだが、大勢の人ごみで踊り手に出会うこともなく時間だけが過ぎて行く。午後6時からは7時頃まで 一斉に踊り手は食事タイムというので、通りの出店で生ビールを飲みながら踊りの町流しを待つことにした。 そろそろ夜の部、その頃から雲行きが怪しくなって来て雷鳴とともに大粒の雨が降り出した。 翌日報道で知ったのだが当日の人出13万人だという、それが街中の店という店、軒下に雨宿りする人でごった返し 身を寄せた店主いわく他のことは分からないが『この雨ではうちの支部は誰が何と言おうと踊りは中止』理由は 衣装や楽器を濡らしたくないこともあるが「観光客に見せるのが目的」ではなく「自分たちが楽しむために」 踊っているのだからと言う。 マスコミや観光業者によって爆発的なブームを生み 観光客と演じる側 おわらに対するイメージの格差が 生じるのは止むを得ないことだが、一方で観光客に媚びる事のない頑なな姿は、かつてのひなびた田舎に生まれた静かな祭り を懐かしむ地元民の切なる想いもあるのかも知れない。シャッターチャンスにも恵まれなかった今回の旅、 帰りのシャトルバスを待つ長ぁ〜い牛歩の列、どこに当たるでもないが複雑な我慢の2時間だった。2012.9.3

今年も来訪
 梅雨つかぬまの晴れ間、農園にも入れず部屋のパソコンとにらめっこしていて、ふと気配を感じ 目を向けたら裏窓越しに中の様子を見ている日本カモシカと目が合った。距離にして7〜8 メートルの場所、数年前に花粉症で悩む孫たちのこともあって伐採し切り開いた杉林跡、そこから こちらの様子をじっと見下ろしている。あわててカメラを持ち出しレンズを交換したり、さらに窓を 開けてあれこれ右往左往、それにも動ずることもないので被写体として楽しませて貰ったが、 さすがに最後はシャッター音に驚いたのか踵を返して森の中に消えた。その後もこの場所がよほど 気に入っているらしく時折顔を覗かせてはいたが、写った画像をよく見たらどうも別のカモシカも 来ているようだ。確かに数日後今度は2頭連れだって仲良くじゃれあっていて、以前にも見かけているので どういう訳かこの地は彼らにとっては居心地が良いらしい。そこで今度は辺りの草を刈り払い天然記念物 カモシカ一家の再来訪を心待ちしているのだが・・・。2012.6.18

踏んだり蹴ったり
 旬の山菜まもなく最盛期、と言いたいところだが道の駅村田、物産センターではお客様に安心して お買い上げいただくよう、会員が生産する農産物は指定された検査機関の放射線検査でパス したものを提供することになった。しかし検査の期日は予約順番制、前もって出荷時期が推測できる 野菜はともかく、山菜の生育状況はその年の気温次第、まして気ままな今年の天候、桜の開花さえ 予測ができない低温続きの最近、出荷OKのお墨付き検査の日程さえままならないこれら山菜達。 ところで今年も植えつけ間近の自然薯、相変わらず肌寒い気温の朝、日課の農園を見渡し たら、出荷はともかく自家用にと植え付け前処理中の自然薯種芋、300本はあっただろうか イノシシの大群に嗅ぎつけられ見事に食い荒らされていました。彼らも生きるためとはいえ農作物 を荒らし放題、最近では捕獲イノシシのベクレル検査で食用にも供されず、有害駆除の意気も しぼみがちとか、このまま増え続けて行ったらこの先どうなるのだろうか。2012.4.24

ネパールの旅
 乾季ベストシーズンのヒマラヤ・ネパール大自然紀行という2月16日 から8日間のツアーに参加しました。ヒマラヤの麓 ネパールの大自然 出発前の未知の世界への想い、かつての栄華を誇った王国世界遺産への憧れ、 とは裏腹なそこで暮らす現実の人々の生活に触れ複雑な思いの旅となった。 旅紀行をと思っているが、只今わがパソコン金属疲労中、いずれ 「旅の途中」でお目に止まれば・・・と。 2012.3.3

只今冬眠中
 震災からまもなく1年、母屋の瓦やら崩れた石垣などの修復も何とか 終え新年を迎えたと思ったら、日本列島日本海側程ではないものの このところの ドカ雪、我が農園周辺の根雪にやることもないまま冬眠を決め込んでいたら、 いつの間にか立春2月、HPネタもなく更新も開店休業状態、何気なくMy web pageを覗いてみたら多くのご来場カウント、せっかくお越し頂いたのに申し訳けなく 思っております。 そろそろ気を取り直してネタ探しに目覚めなくちゃー・・2012.02.7

世界遺産平泉
 この20日平泉史跡を訪ねる機会を得た。昨年11月にもこの地を訪れ、 金色に光り輝く金色堂もさることながら境内一面が鮮やかな紅葉に包まれ 感動したのだったが、今回の訪問は、菩提寺の管内教区各寺院の世話役さん達 40数名の方々との世界遺産平泉史跡を訪ねる研修 思いも新た前回とは異なる趣の旅となった。  900年も昔 都に匹敵する程の栄華を誇ったというこの地、その当時の争いで失った多くの霊 その全てを 慰めるという「供養願文」にもある平和思想、平泉の人々はその考え方に惹かれ、藤原氏三代が築いた世界 平和で平等な浄土の思想、財産を現代社会にも残そうとする取り組みを目の当りにし、改めてその想いに触れた思いだ。 2011.10.23

友がまたひとり
 朝涼しいうちにと、家の周りの雑草刈りから戻ったら「じいちゃんに電話」と孫のmeiから 受話器を渡された。第一声「沼さん新聞見たかい、katさんの訃報記事載ってるよ」との知らせ。  つい先日電話の主koba先輩と3.11に遭遇した七ヶ浜で旅館を営むkatさん宅を見舞った 折り、比較的高台にある居宅や旅館建物は何とか津波被害からは免れはしたが、当の本人 よほど自分のことより周りの惨状にショックを受けたのか、部屋にこもりっ切りでやる気も なんも無いんですよ との奥さんの心細げなボヤキが今も心に残っております。  あんなに豪快な彼、私達山男の中でもひときわ闊達で異彩を放っていた一期上の先輩、 あの大津波でこれまで築いてきた地域での生きようが、一瞬でもろくも崩れ この忌まわしい周りの現実、これからどうしたものか考え事でもしていたのでしょう ちょっとしたことで 転倒、それが原因で脳内出血帰らぬ人になったとか、かつて将来を語り合った仲間の1人として、 何の支えもできなかったことが悔やまれてならない、ご冥福を祈るばかり。2011.9.14

鎮魂・祈り・復興
 菩提寺 西湖山竜島院の万燈篭供養花火大会が盛大に繰り広げられた。 8月17日は、当地柴田・刈田三万石村田城主だった伊達宗高公(伊達政宗公七男)が元和9年の 蔵王の噴火に際し刈田岳に登り命願、噴火を鎮めた崇高な行いに領民から敬慕されておりましたが 寛永3年8月17日京都において20才の若さで病死、その10人の殉死者と共に当院の御廟に葬られており、 毎年この命日には宗高公顕揚の花火大会と万燈篭供養会が行なわれております。 今年3月11日この地を襲った東日本大震災の復旧途上でもあり開催自粛の意見もありましたが、 こんな時期だからこそ規模を縮小しても犠牲者への鎮魂と祈り、復興への希望の想いを込めて 開催しようとの声に地元関係者に協力を呼びかけたところ、この趣旨に共鳴して頂き例年にも 増して多くの打ち上げ花火の協賛を頂き感謝いたしております。出店も軒を並ぶ境内にはこれら 大輪の花火を鑑賞する老若男女、縁日を楽しむ家族ずれの参詣で賑わいました。2011.8.18

みちのく心の風景三人展
 アートスペース無可有の郷の『みちのく心の風景三人展』がオープンしました。 昨日10時に開始した展示作業も延々 終わってみれば午後3時も過ぎ、全紙30、四つ切30点  合計60点もの展示はさすがにぐったり。東北の各地を訪れそれぞれの視点で捉えた 東日本震災以前の映像、撮影当時夢中でシャッターを押した記憶が思い起こされそれらを じっくりと眺めては、しばしこの風景あの震災以降どうなってるのだろうかとの想いと懐かしさが 蘇り、改めていつまでも心に止めて置きたいものと感慨ひとしおです。 これらの作品は、ご覧頂いた方が気に入りお買い上げ頂きました売り上げの一部は、震災復興 義援に当てさせていただきます。お立ち寄りご鑑賞の上ご協賛いただければ幸いです。2011.6.16
 なお期間中多くの皆様にご来場頂き また趣旨にご賛同ご協賛を頂きました。お陰さまで後日震災復興 チャリテイ金として金100,000円をゆうちょ銀を通じ日本赤十字社に義援させて頂きました。 ご協力に感謝申し上げご報告とさせていただきます 有難うございました。

元気発信
 東日本大震災以来、テレビ他マスコミから流れる情報は生々しい被災地の様子や 福島原発がもたらす由々しき事象 飛散放射線による避難地域の拡大や風評被害等不安要素の 多い昨今、各地の催事やまつり事の多くも自粛モード、復興への願いを込め頑張ってとか、 再生へ頑張ろう等々キャッチフレーズが紙面を賑わしております。  確かに落ち込んでばかりいても始らないし同好の仲間で出来ることはないものかと模索、 これまでに訪れた景勝地 東北地方の記憶に留めておきたい原風景をメインにした『みちのく心の風景三人展』を 柴田町の芸術楽園「無可有の郷」で6月16〜30日に、また所属する 会員写真展を6月24〜26日、「道の駅村田」を 会場に、『元気発信 写真クラブMURATA会員写真展』として開催することになりました。お立ち寄りのうえ心を癒して頂ければ 幸いです。 2011.5.23

安否確認
 連日被災者報道の載る宮城県七ヶ浜 岬の突端で旅館を営む友人一家、3月11日の震災以来 電話も不通で安否を心配していたが、やっとガソリンも出回り高速道路も通れるようになったので Kob先輩と2人で自宅を訪ねてみた。途中の仙台東部道から見渡す沿岸側は防風林らしき大木や原型を 留めない車や夥しい瓦礫が辺りを埋め尽くし、釣りや行楽で通るいつも見慣れている景色と  その変貌振りに言葉を失った。幸い海面から10数mほど高台にある友人宅は玄関まで波が 押し寄せたが辛うじて大きな被害を免れたとか、しかし地震の直後隣家のおばぁちゃんを自宅にと 誘ったが、これまでの津波では大丈夫だったと頑固に拒み犠牲になってしまったことが悔しいと 奥さんに嘆かれてしまいました。なおライフラインの電話も水道もまだだが休業中の館内と浴室 を開放し自衛隊の協力で水や灯油を運び込み近隣の住民にお風呂を提供しているんだというKat夫妻、 目の前には小さな島が点在し今日は何事も無かったように広がる太平洋、一日も早く平穏な日々が 戻ってくることを祈るばかりだ。2010.4.6

   ライフライン
 3月11日突然襲った東日本大震災から9日振りに電話が通じネットが復元した。 早速パソコンを開いたら沢山の方々から安否確認と激励のメールが飛び込んできた。 観測史上最大級マグニチュード9.0の激震と大津波に襲われ壊滅状態の東北各地の沿岸、 何人かの友人知人の安否も未だに定かでない方もいる。わが家も母屋の瓦が吹っ飛び軒下に駐車の マイカーも落下瓦に押しつぶされたり、土蔵の石垣やら倉庫のブロックが崩れ惨憺たる有様、 このような時期 不謹慎ではあるが幸いにも学校職場から何とかたどり着いた家族皆無事。
 当地は未だに震度3〜5クラスの余震もあり、ライフラインの上下水道がまだ回復しないし 当分は我慢の生活が続くと思うが、犠牲になった方々や何もかも失い、慣れない環境の中で 避難生活を余儀なくされている大勢の人々のことを思えば贅沢は言ってはおれまい。 お互いが思いやりをもって一日も早い復興を願うばかりだ。2011.3.20

    
師走 残り柿
 師走早々ОB会の忘年会、集まった仲間から「もう いなかるちゃーは冬眠かねぇ〜」 との揶揄、確かに取り上げるネタもなく更新ご無沙汰のMyホームページ。 このところの日替わり雑用に追われて振り返る余裕もない日々、聞こえは良いが本音は どれもこれも先送りで中途半端な取り組み 本腰を入れて解決すれば事足りのだが、 このやる気の無さは最近のどこかの国の政治に似てきたのかも・・・そろそろ更新ネタ 探がしに気合を入れなくっちゃー。2010.12.18

大本山總持寺研修
 10月6日から3日間、宮城県宗務所主催の本山總持寺研修に県内21教区寺院から団信徒42名 の1人として参加した。開講式に始まり「曹洞宗の修行僧」が歩む總持寺本山での心の葛藤そして この 雲水達の成長過程をご自身の体験を交え一時間にわたる法話を拝聴、その後五観の偶を唱え食事を頂き 夜の坐禅をして布団作務 入浴を済ませて9時には開枕(就寝)となりました。 翌朝も雲水の振鈴を待つまでもなく3時半起床、あわただしく洗面を済ませて暁天(朝の)坐禅、 そして団参供養の焼香と御開山拝登という感動的な千畳敷きの堂内で行なう大勢の修行僧の作法と 読経の朝課、参加者各家先祖の供養の焼香をさせていただきました。
短い滞在ではありましたが 一通りの体験研修を通して、日々修行に励んでいる修行僧の日課を垣間見ることができたと同時に 曹洞宗の教え 道元、螢山両禅師さまの仏の心 慈悲の心の教えのほんの僅かではあるが触れた思いだ。 2010.10.10

町の風物詩
 村田町の風物詩ともなっている菩提寺万灯篭花火大会が今年も8月17日西湖山 竜島院境内を会場に開かれる。この日はわが郷土柴田・刈田三万石村田城主であった 伊達宗高公(仙台藩城主正宗公七男)の命日に当たり、宗高公まつり花火大会として 昔懐かしい露店も軒を連ね 近隣各地から縁日を楽しむ浴衣がけの親子連れ、若いカップル や多くの参詣者で境内を埋めつくします。例年になく猛暑の続く中、地元高校球児の活躍も気 にしながら、農園と寺とを行ったり来たりの寺世話役。この暑い夏 円高株安等々閉塞感の 漂う最近の世相、十数台のスターマインや1千発もの花火で もやもや空気を吹き飛ばしたいものだ。 2010.08.17

久し振りの釣り
 このところテレビで映し出される山口、広島、岐阜県辺りの集中豪雨映像、梅雨明け真近に起こる 現象だとは言うがとにかく被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げるほかない。 当地方も降ったり止んだりの毎日、その真っ只中第11回を数える古巣ОB会釣り行事、ここ数日の天気予報に 一喜一憂しながら、7月15日いつもの仙台港釣り船繋留場に午前5時、それよりも早い時刻からそわそわ 同輩16名が全員集合した。今回は8人づつ2艘の釣り船に分乗しカレイの釣果枚数を競うことになった。 生憎のぱらつく雨と2m以上の波もある中、これまでの釣りよりはるかに食いもよく夫々竿をしのらせていて、 終わってみれば最高が123枚、最低でも42枚、平均1人60枚 実に総計966枚もの釣果だった。 私も大小合わせて65枚をゲット 当分晩酌の肴には事欠かない・・筈?。2010.07.16.

道の駅村田オープン
 村田町物産交流センターが4月10日宮城県内12番目の道の駅としてオープンしました。 これまでも、産直コーナーにシルバーライフの趣味の産物 自然薯や山菜等を出荷して お客様との触れ合いを楽しんでいたのですが、ここに来て近隣地や仙台周辺に加えインター乗降の マイカーや大型バスでお越し頂く全国からの方々でごった返し、出荷産物の需要と供給のバランスが 一変、品不足の様相を呈しております。急遽 生産出荷会のメンバーに出荷数量の増加と平準化の 呼びかけを行なうことになったが、そうでなくともわが農園 野生動物との化かしあいに破れ惨憺 たる有様、またこのところの低温で山野菜の育ちもいまいち、農産物は天候に左右されるし それも 年一回の勝負、先ごろ高騰する野菜に農林水産大臣も早期出荷促進の政策云々の談話があったが、 生産現場当事者からみればこの現象、そう急に言われてもねぇ〜。2010.04.23.

駄目押し イノシシに完敗
 このところの暖かさに誘われ、そろそろ春の畑作業に取りかかろうとしていた矢先の6日、 この冬一番の降雪と何もかもが凍りつく寒波がやって来た。翌朝 取り付け道の除雪をと辺りを見渡したら 異様な畑の一角が目に飛び込んできた。今年の種苗用にと大事に残しておいた自然薯苗圃の白い 雪面に無数のいのししの足跡と、ひっくり返された土塊が無残な姿を見せている。この数年いのししとの 化かし合いから、なんとか免れ一縷の望みを賭けていた虎の子の種芋、今からの確保はとうてい無理、 本年の栽培への意欲も望みも完全に絶たれたことになる。シルバーライフの楽しみの一つ これから どうしたらよいものか、作目の変換をあれこれ思い巡らせている。2010.02.07.

満ち足りたひと時
 町の広報12月情報欄に『ワゲスターズ・ビックバンド ジャズコンサート2009』という 記事を見つけた。ここのバンドマスターはかつて勤めていた古巣のSekさんだし、メンバーには何人か の知人もいて懐かしさも手伝い、20日の日曜午後 町中央公民館大ホールに出かけ大勢の聴衆の中の 隅っこに陣取り、グレン・ミラーやカウント・ベイシーとかのバンド編成だという シング シング シング  他 オールオブミーなど10数曲の演奏に聞き入った。 結成当事バンド名の由来 30数年も経たかっての若い人達“ワゲェスタダチ”もヒタイの広くなった人やら 白髪混じりのオジさん軍団に様変わりしていたが、さすがいぶし銀の集団 久し振りにビックバンドの音色に 酔いしれた。  それとは別に師走8日、今年のOB会忘年懇親会には 少し前まで北アイルランドに在住しクラシック音楽 や民族音楽を学んだという『月輪まり子』さんの アイリッシュハーブコンサートが催され、素晴らしい演奏 でおなじみ ダニーボーイや 埴生の宿ほか ふるさと 上を向いて歩こう など集まった全員で口ずさんだり 楽しい ひと時をすごすことが出来た。カラオケも音楽にも とんと縁のない私だが、歌えなくとも専ら生演奏を 楽しんだ年の瀬 久し振りに満ち足りた時間を過ごすことができた。2009.12.20.

コラボレーション
 せんだいメディアテークで21年度宮城県芸術祭の写真展が開かれた。同時開催隣接会場絵画展の 流れもあって大盛況のうちに終了、最終日14日の会場当番日には大勢の縁ある方々にも足を運んで頂き それぞれコメントも頂戴できた。いつもながら他の作品は素晴らしいものばかり 肩を並べるにはいささか 気が引けるが、 それでも今回がはじめて文芸部面々の詩や俳句、川柳のコラボレーションという企画、この道の方々 が詠んだ詩と並んで展示され、私の拙い写真も周りのそれと引けをとらないような句『碧い水面』の写真 には【白樺の透明な影 水の秋】、また『身支度』のそれには【西馬音内 踊りの笠を先ず結うて】 の句が添えられ華を添えて貰った。一緒に被写体と対峙した訳ではないのに、前もって提示した写真から この句を詠む発想や洞察力に感嘆するばかり、お陰でこの後開催される巡回雄勝写真展に『身支度』も 選ばれ?再度石巻雄勝硯伝統会館に展示されることになった。2009.10.15

いなかるちゃー農園
 明27日から7月1日まで 21’二科会写真部宮城支部展がせんだいメデアテークを会場に開かれる。 先週は地元所属クラブの会員写真展を村田町物産交流センターで開催、併催イベント集客のお陰もあって 延べ500人を越える来場者にお越し頂き閉幕したばかりだったが、今回はこの中から3点二科展会場に持ち 込んだ。さすがに周りの作品は力作揃い どれをとっても凄いものばかり気後れして 展示を辞退したいと思うほどだった。  そんな中タイトル『いなかるちゃー農園』と名づけられた1点 作者から「お宅のポピー畑ですよ」と言われ よくよく見たら、確かに生産調整田を何もせずに荒らしておくこともないと2年前から種を蒔き 楽しんでいたわが家のポピー畑、たまたま用事があって訪れたSyojご夫妻の目に止まり撮って行かれたのは 知っていたが、それが作品として目の当りにし その見事な出来栄えに感嘆するやら驚くやら、案外手の届く場所に 被写体が転がっているのに視点の違いや作品作りの妙を改めて思い知らされた。2009.6.26

カモシカ軒下に
 午後から雨になるとの予報、朝のうちに草刈りをしようと早めに起床し 刈り払い機を取りに玄関を出た。なんとなく背中に視線を感じふと母屋との間 裏山 を振り向いたら、ほんの7〜8mほどの高台からじっとこちらの様子を窺がって いる日本カモシカと目が合った。親なのかあるいは若いオスなのかは分からないが 5センチほどの角をもったカモシカ、人を見て逃げるでもなくまた慌てる風でもないし、 かえってこっちの方が急いでカメラを探しレンズを交換したり慌てふためいているのに、 こちらの行動を凝視していて時間にして15分は目を合わせていたことになる。お陰で 15コマほどの表情をカメラに収めることが出来た。保護という名のもと危害を加えられない ことを知ってか知らずか、とうとう屋敷内にまで入り込み人間を恐れなくなって来て、 かつて蔵王山系にしか生息していなかった天然記念物に軒下を頻繁に覗かれるようでは、 ご法度は承知のうえ庭先で餌ずけでもしてみたくなって来た。2009.5.29.

ラッキーな3月
 町の広報3月号の表紙、何か見覚えがあると思ったら何年か前にみちのくむらたの 小京都フォトコンで銅賞を得た作品だった。このところ過去の入選作品が表紙に 載るということは知ってはいたが、自分の写真が表紙となって各家庭に配られると いうことは嬉しいようで何か気恥ずかしい。思いがけないことは続くもので 3月24日〜29日 仙台SENKENギャラリーで開催中の「ヒマラヤ・チベットの 山々を歩くスケッチ・写真展」の河北新報紹介記事に、チベット梅里雪山で写した私の写真が 大写しで掲載されていると知人から知らされた。 おりしも17回を迎えた小京都むらた 写真展では銀賞の表彰を受けたし、何かとこの3月はラッキーが続いてツキを全部使い切った ような気分 4月以降どんな年度になるのか少し心配になってきた。2009.3.31.

化かし合い完敗
 既報のわが山里 カモシカやハクビシン、イノシシなどの野生動物が出没、栽培圃場のじねんじょや 収穫ま近のマイタケ菌床ブロックをひっくり返され、その対応にいろいろ翻弄させられて来ました。 それでも昨秋まで被害を免れた僅かなじねんじょの収穫も済んだことだし、そろそろ暖かい日を待って畑 に残しておいた種芋分を掘り上げようと思っていたら1月末日夕 霙交じりの寒さが戻り、久し振り の雪に誘われ飛び出した孫が「じぃちゃん イノシシがいっぱ〜い」と息せき切って走って来た。窓の外に目 をやると体長1.2メートル程もあろうか4〜5頭の親に続いてウリ坊が数頭ひと塊となって向かいの山菜 畑に騒がしい鳴声を発しながら屯している、辺りは薄暗くなって手の打ちようもなく、案の定翌朝10aほどの 畑は見るも無残にひっくり返され食い尽くされて壊滅状態、イノシシとの化かし合いは完全に敗北 ということに至りました。かくして種芋も自然薯栽培への意欲も失い、やり場のない怒りも自制できない まま、その対応を猟友会の面々に委ねることにして、何頭か仕留めて貰った暁には 獅子鍋の恩恵にでも 与り(その後うり坊2頭) うっぷんを晴らしたいと思う今日この頃だ。2009.02.03.

丑六(もうろく)同級会
 昭和十二年生まれの私達は今年六巡目の丑年、幹事長Abさんの『腰や膝の具合はいかがでしょうか、 物忘れが多くなり・・たまげてしまいます あとの丑年84歳の開催は保障できませんので』の呼びかけ の案内文が届いた。現在孫達が通うようになったその学び舎第三小学校も、今や一学年15〜16名 総勢でも80有余名となって近々統合が取りざたされており、昭和24年度小泉小学校を卒業した私達の クラスメイト68名の当時とは比べようもありません 中学や高校時代とは違った「○○ちゃん」「○○君」 と呼び合う ある独特の親しみをもった懐かしさがあります。時折あの人がとの物故者の名も 聞かれる歳 古希の大台も過ぎたし、はたして各地から何人の参加者が南三陸の会場に集まるか、 今からわくわく2月23日の開催が待ち遠うしい。2009.02.01.

表敬訪問?
 収穫の済んだ向かいの畑にひょっこりカモシカが姿を現した。 今年のわが農園は野生動物達の攻撃やら異常気象の影響で農園作物は惨憺たる有様、 春先にイノシシの被害から逃れた僅かな種芋をなんとか植え込み除草やら施肥、支柱誘引 と半年をかけ管理した圃場、旬の時期を迎え期待しながら収穫してみたが、 梅雨時期の長雨の影響かこちらの意図とは裏腹に今年も素直には育ってくれなかった。 今度こそはと掘ってはみるがグレーバーパイプの中で湾曲したり枝分かれしたり、物産センター 産直コーナーに、自慢げに陳列出来るような『自然薯』は殆どなく今年も消化不良の師走を迎えた。 お見舞いのつもりの表敬訪問? 現れたカモシカの表情をとカメラを向けたら踵を返して山中に消えた。 2008.12.05.

久し振りの賑わい
 恒例となった『蔵の陶器市』が10月17日から3日間全国から66もの窯元が 町の蔵の通りに店を連ねた。いつもはひっそりとシャッターを下ろし人通りも無い 街並み、夕暮れには常夜灯も灯るというのでカメラを持って出かけてみた。 各蔵の店先では一目で遠来のお客さんと窯元らしき人とのやり取りが繰り広げられ、 臨時に車の往来を閉ざした歩行者通りを人々が埋め尽くし、いつもは見ることのできない驚きの 光景だ。またかつての栄華を偲ばせる村田商人の粋を集めた蔵屋敷 その佇まいを垣間見ることができるとか このイベントの盛況が年々報道されることにより、3日間で町の人口の実に数倍の人出があるという。 せめてこの数十分の一でも良い この町並みに再び活気が戻ることができれば と思うのは私だけだろうか。 2008.10.19.

顧客サービス
 九月のある日、突然町の水道課の職員から電話があって『お宅の水道メーターが この一ヵ月異常な数値を示していて、何か心当たりがありませんか』との内容だった。 わが家は風呂や簡易水洗トイレ以外は併設の天然湧き水を引いているので、極端な 消費の増減は無いはず、早速業者に見てもらい漏水箇所を突き止め対処してもらった。 もし連絡が無ければ見逃していたであろう無駄な消費をお陰で早期に食い止めることができた。  民間の企業はお客様優先思考、つまり顧客満足第一主義が一般化して久しいが、 このところの住民サービスの有り様が云々されている折、組織内仕組みのことは知る由も無いが、 担当職員の当対応にエールを送り感謝している。2008.09.27.

久し振りの大漁
   このところの空梅雨、雑草だけは相も変わらず所嫌わず伸び放題  お陰で生産に結びつかない草刈り機もフル稼働 その所為でわが右手首腱鞘炎?、 おりしも梅雨の合間を縫って古巣の仲間と釣行事に参加することになった。 今回は仙台港から釣り船をチャーターしてのカレー釣り 朝5時集合の 申し合わせに1時間も早い4時にはそわそわと集まりだす同輩達。 はやる気持ちを乗せていよいよ全速力1時間先の沖合いポイントを目指したが、 いつもとは違う速力に、船長いわく『全開走行では燃費が悪くて』とのこと  釣り船にも昨今の原油高騰はご多分にもれないようだ。  さて、今回カレイの釣果は多い人は110余枚、少ない人でも30枚 は釣り上げただろうか。ちなみに私は腱鞘炎などと言っていられず竿先 の当たりにリールを操らされ、20cm超え中型25枚 他は焼き魚やら から揚げ用サイズ20数枚の獲物に家族にも『買った方が安いのに』 のひやかしのいつもの台詞もなく、昨今の漁船休漁に備えた訳でもあるまいが、 小分けして冷凍庫に収まったので、当分は酒の肴にもありつけそうだ。 2008.07.10

まいったなぁ〜
 周辺地域あちこちで猪が出没 その被害が多く聞かれるようになりました。 作付けしたジャガイモ畑殆ど食い荒らされたとか、いのししの被害の苦情に 町当局もいよいよ動きだしたとのこと、わが家を含む地域で有害鳥獣駆除の許可が下り この連休明けから広範囲にわたって駆除の計画があるとの情報。  一昨夜(5月5日)も出荷最盛期のアイコ畑の一角例によって掘っくり返えされ、 みるも無残な有様 猪との化かし合いも打つ手なくお手上げ状態だ。 じねんじょの植え付けも例年ならとっくに終わっているのだが、彼の軍団に食い荒らされ るのも癪なので、ハンター達によって駆除が行なわれるゴールデンウイーク明けにと  ひとまず植え付けお預け状態 その効果に期待し神にもすがる心境だ。2008.05.07.

野生の逆襲?
   すでにご紹介のわが家は木立に囲まれた片田舎、とは言っても周辺500m程以内には蔵王山塊を分断する 東北道やこの高速道を横切る道、それに交差する農免道路も完成して車の往来も激しくなって来た。 その所為でもあるまいが最近思わぬ動物たちの逆襲に悩まされている。 以前ハクビシンに農作物やら家屋内風呂場の天井裏まで入り込み悪さをされ、その対策に大分の支出を 費やしたりもしたのだった。また最近はイノシシやら狸 狐 はたまた猿まで周辺に頻繁に出没している とか、さながら野生の王国ばりの変容を見せている。 ところで、いよいよ年中行事「じねんじょ」の作付け準備の節となって 種苗用芋を掘り取り殺菌処理した 種苗芋を圃場の一角に、大きさと数を揃え丁寧に伏せ込み 芽だしキャリングを開始してやれやれと思った のも束の間、翌朝どうも様子が可笑しい 土中にある筈の種芋が地上に散乱しているではないか。 近づいてみたら周りには無数に人の拳ほどの足跡が残っていて 明らかにニホンカモシカの仕業だ。時どき 孫たちが「今日可愛い鹿を見たよ」と言っているので近くに生息しているのは知ってはいたが、折角土中 に埋めたものを食い荒らすでもなく、悪戯でもしてるように何故ひっくり返すだけなのだろうか 理由なき 反抗? 人間社会への抵抗なのかも知れない。 (その後も)2008.04.01.

農園出勤
 いよいよシーズン到来、本業の農園作業も勝手な理由をつけ長期欠勤が続いていたが このところの陽気に誘われ辺りを見回ったら、雑草の中から山菜類の芽が動き出していた。 まず、最初に顔を覗かすのはアサズキや行者ニンニク、ついでウドとかアイコもそろそろ 眠りから覚める頃だし、こちらの都合など関係なく自然は待って呉れない。 そろそろ耕耘やら軟化の培土をしなくては、と俄かに慌しくなってきた。 思い起こせば、定年帰農間もない頃は朝食もそこそこに、決まって朝8時には農園 出勤が日課だったが、最近は手抜きを決め込み耕さなくても育つ作物は無いものか 等と横着を決め込み叶わぬ夢を追っている今日この頃 やはり年なのかなぁ〜。 2008.03.16

今年も暮れる
 海外単身赴任の長男がクリスマス休暇とかで3ヶ月ぶりに帰省した。 それまで孫の世話 学校送迎は、じじ&ばばの役目と心得て毎日気合を入れ、 ここぞのところはああだこうだと口を挟んで来たのだが それらが一変した。  黙っていても宿題は勿論、教材の○○テキストとやらも率先自らやり出すし、 ささいなことでの連日恒例姉妹の諍いもぴたりと止んで、じぃ・ばぁには手持ち無沙汰のこの頃。 突然訪れた意外なこの静寂、これで良いんだと思う反面 何とはなしに手持ち無沙汰、 親の威厳のあり様 有難さを孫の変貌から改めて思い知らされた。 今年四月、103歳で他界したおふくろの口癖『危ないから』『気をつけろ』『大丈夫か』 こんな心配性の言動が懐かしく思い起こされる年の瀬だ。2007.12.28

梅里雪山とチベット原風景
 チベット人の聖山標高6740mの梅里雪山の麓を、10月27日から9日間に亘って訪れる ことができた。空気の澄み切ったこの時期、中国南西部のチベット地域をスケッチを主に集った 総勢20数名に、相も変わらずあれもこれもとカメラ機材を詰め込んだ重たいザックを担いだ 白髪交じりの同輩3人、それを尻目にスケッチブックと筆記用具だけの軽装でここぞのポイント 感動の一瞬をスケッチする姿にはただただ感服するばかり。 それでも道中は和気合いあい 感動の風景は共通するもの各々スケッチするひと、写真を撮る者 (1部旅の途中)なかでも 万年雪を頂く玉竜雪山、白馬雪山に圧倒され また聖なる山 梅里雪山から続く明永氷河も真近に 望むこともできたし、世界遺産麗江古城やナーシー族の民族集落、徳欽(ド−チン)の市場風景など 凄まじいまでのエネルギッシュな生活力をも垣間見た思いだ。写真/朝の玉龍雪山 2007.11.08

久しぶりにゴルフ
 古巣の仲間と久しぶりにゴルフを楽しんだ。コンペ会場も当サイトいちおし スポットで登場のわが家から車で5分ほどの仙台南ゴルフ倶楽部。秋晴れの好天 にも恵まれ暑くもなく寒くもない絶好のゴルフ日和、スコアの方もまずまずの 滑り出しで前半を終了、このまま進めば優勝(アンデーHC方式)も夢ではないと の気持ちが頭をよぎり、同伴競技者との恒例優勝の弁を等との会話が出だした 辺りからおかしくなりだした。何のことはない終わってみれば帳尻ピッタシ 108の煩悩がうずまくいつものスコア。誘われてほいほい参加するいろんな コンペ、でも練習するでもなし いっつもぶっつけ本番、 新進ゴルファーはにかみ王子 こと石川選手のスィングをテレビ観戦、なるほどなぁ〜と思いながらも想いだけでは 急にスコアが良くなる訳ないですねぇ〜。2007.10.12

北三陸の魅力
 三陸海岸 なかでも宮古から田老・田野畑・普代・野田にかけての北三陸は 断崖絶壁が続くまさにリアス式の海を感じる光景だ。9月の17日、18日仲間と 恒例のカメラウォッチングに出かけた。
生憎台風崩れの悪天候だったが、 晴れている北三陸も悪くはないが、「白波の立つこんな風景はめったにない絶好の被写体」 とのベテランの助言もあって、雨と風の吹く早朝からの撮影となった。 さて、仕上りの写真それらの殆どはレンズの水滴のあとがくっきり、どうにも人様の前 に出せそうにない作品ばかりで消化不良の日々を費やすことになった。  そこで連れ合いを「本当に良い所だから」と口説き落して、翌週24日から数日再び 宿に電話を入れ片道約400k北山崎方面のドライブに出かけた。 宿の主人や女将には、気に入ったので近いうちにまた来ます と言っていたのは覚えてますが 「こんなにも早くまた来て貰えるとは」と歓迎されたり、呆れ?られたり。幸い今度は天気には恵まれ 遠くに漁火も見ることが出来 波もおだやかだったが、いつものレバ・タラやっぱり達人の言う通り、荒々しい 断崖にはそれに似つかわしい荒れた海が北山崎には似合うようだ。2007.10.06

猛暑の水分補給
 今夏は全国的な猛暑続き、この地もかつてない37℃を超える毎日 岐阜や埼玉のある地域ではついに40.9℃を観測したとか 新記録だそうだ。 この暑さに自然環境に任かせっきりのわが農園、いよいよひと雨欲しいとの 悲鳴が聞こえるようだ。お盆を良いことに甲子園の熱戦をテレビ観戦しな がら水分補給の缶ビールで喉を潤していた日々だったが、朝夕見回るわが農園 のじねんじょ 地下の薯にとってはなおのこと、むかごの形成やら茎葉も立ち 枯れ寸前で我慢も限界、ここ当分は天気予報の降水確率も当てにならないし やっと重い腰を上げ水やり作業に取りかかってはおりますが、案外明日あたり 降りだすんだよなぁ〜。2007.8.16.

農園就職10年
 最近 突然「農園を見せて欲しい」といって電話を頂戴したり、直接わが家を尋ねて来る方がいる。 その多くは、まず村田町物産交流センターに立ち寄り「じねんじょを出荷している○○」とか 「ナルコユリとか 山菜を栽培している○○」と言って道順を尋ねるらしい。 大抵の山菜の 自生地は樹陰地で他の植物と共生しているもの、わが家の農園も雑草と共生していて・・と言い訳  自慢できるような管理の行き届いた圃場でもない 本当は気恥ずかしくて見せたくもないのだが・・・。 考えて見れば、農園就職と同時 当HP「いなかるちゃー」も開設以来10年 これまで勝手気まま、 独りよがりの (相棒のひとりごと) 山菜談義を紹介してきたのだが、その結果がたまたま同好の士の目に留まり  興味を覚えて頂いたのだとすれば、初めに掲げた『山野でひっそりと生育している山菜をいつの日か 食卓の上で認知させたい』との山菜へのこだわりが、やっとここに来て多くの方々にも受け入れられ 関心を寄せて頂いたのかな、と自己満足のコップを傾けております。07.07.14

母の旅立ち
 平成19年4月24日午前9時 家人に看取られながら 母春子 103歳を一期として眠るがごとく静かに永眠いたしました。 蔵王の清流が注ぐ白石川のほとり 大河原町に生を受けこの地に嫁いで80 有余度繰り返された春夏秋冬 ひとの命に限りあるとはいうものの おふくろが 慈しみ育てた庭先の山野草がせめて花をつけ 満開の陽のもとで もう一度 満面の笑みを皆んなに見せて欲しかった。 夫に先立たれ 以来訪れてくれる方々との山野草談義を何よりの楽しみ 生きがいとしてきたこの三十有余年 数え切れないご縁と頂いた 多くの情けに感謝しながら 親父の待つ天寿へと心静かに旅たちました。 故人が生前賜りました数々のご厚情 心から深く感謝申し上げます。
07.4.27.

只今 満2歳?
 3月31日しばらく登場のなかった おふくろお蔭さまで本日満 百二歳の誕生日を迎えることが出来ました。
ついに町一番の長寿だそうで 広報担当の方から「本人に長寿の秘訣を伺いたい」との申し出も ありましたが、それまで食事やトイレ風呂も全て自分でこなしていた日課が  つい一ヶ月前ごろから突然寝たきり状態となってしまい、夢うつつの 日々が続いていたので インタビューは丁重にお断りをしたのでしたが、 百二才の誕生日当日 朝から孫たちに入れ替わり立ち代り祝福の 言葉をかけられ、「どうもありがとう」との正気を取り戻したかの応対   しかし皆が帰った頃から、さすがに疲れがでたのでしょう 再び以前の 幼児状に戻って 女房(嫁)に「おかぁ〜さん 水ちょうだ〜い 起こしてくださ〜い」と のおねだり いつもの2歳児?の日常に戻ったのだった。07.3.31.

年賀状
 新年も多くの諸先輩また友人から心温まる年賀状を頂いた。 特に今年は自ら撮影した作品入りの見事な賀状が目を惹きました。この際 感動を受けたシーン数点をご紹介してみたい。(ご当人の了解も得ず済みません)
Sさんアンナプルナ南峰
Hさん 犬吠岬日の出
Nさん 北海道 大鷲
A さんアフリカ
ビクトリアの滝
Kさん ナバ海の大自然
Sさん 松島五大堂朝日
2007.01.12

みち草を辿る
 タイの雑踏の中で過ごした昨年の年末年始 新しい年はどんな みち草行脚が出来るだろうか。 1月早々厳冬の富士山を撮る旅を皮切りに5月 遅い春の訪れる山形小国、そして山滴るみちのくの夏 8月は秋田湯沢絵とうろうの絵巻物語に酔いしれ 再度訪れた流麗で優雅な 西馬音内盆踊り 妖しいまでの踊り娘の手振り余情がいつまでも心に残る。  山粧う10月青森八甲田 毛無岱周辺湿原、酸ヶ湯の湖沼や奥入瀬渓流散策 続けて鳥海山麓の 竜が原湿原 中島台ブナ樹林のアート探しや湯の台鶴間が池の鉄梯子・ロープ伝いの険しい坂道 往復で得た素晴らしい風景等々。 師走に入ってラムサール条約指定地 蕪栗沼のマガン数万羽 のねぐら入り  朝日に向かって轟音を残して一斉に飛び立つ感動のシーンも圧巻だった。 (ぶらり既報)  そして年末恒例 仙台の街を彩る 光のページェントをもってカメラと同行 みち草行脚も ひとまず年の瀬 山眠る冬を告げた。わが家の裏山?蔵王も日に日に稜線の輝きを増してきた  やがて厳しい風雪に耐え装いも新たに登場の樹氷 山笑う春が待ち遠しい。
2006.年末

何んだか気ぜわしい
 最近これはと思うネタもなく いなかるちゃー更新も滞りがち、 とはいっても仲間内からの釣りやらゴルフの誘いには本業?の農園作業はそっちのけで ほいほい出掛かけてはいるし まためぐり来る季の移ろいに急かされて追っかけカメラ ウォッチング とあちこち連日ただ慌しい。 お陰で最近の流れに背を向けての銀塩現像代出費と、陽の目も見ない(?)ポジフィルムの 山 ムダな保管スペースが増えるばかり。それでも写真仲間からの勧めで出展していた 宮城県写真展および東北二科東北公募展の作品がここに来てそれぞれ入選したとの連絡。 またこの時期恒例の町の文化祭写真展や 町内介護保険施設にボランティアで出展して いる作品の展示替えなど等 合わせて10数点のネガ探しと、大伸ばしDPEの出費工面に 大わらわの昨今で〜す。 2006.10.23.

会員写真展に出展
 第9回目を迎えた写真クラブ MURATAの写真展 今年も6月30日から7月2日まで、村田町物産交流センターを会場に それぞれ会員が持ち寄った作品40点ほど展示いたします。 おりしも村田町の特産ソラマメも今が旬 産直新鮮野菜コーナーにお立ち寄りの際 2階特設ギャラリーも覗いていただければ幸いです 2006.06.末。《御礼》 同30日から7月12日まで富士フォトサロン仙台で開催された『わたしの 感動この一枚』FCCフォトフィスティバル2006 こちらにも数点出展しており、 どちらの会場にも多くの皆様に足を運んでいただき感激しております 有難うございました。 2006.07.13

今年もGW
 何を優先しようか迷う時期が今年もやってきた。孫から開放される このときばかりは、帰省や行楽客で多少混み合うのを我慢さえすれば 残雪や新緑が楽しめるドライブのチャンス。 一方周辺山野に増殖した山菜アイコやシドケそれにタラの芽も今が旬 と収穫を待っているし、寄り道ショップ用自然薯の植え付けもそろそ ろの時期 さてどれを優先しようか迷ってしまう。自然薯の植え付け の適期は葉桜の頃とある文献に載っていたような!!今年は開花も遅か ったし・・いつもの山菜市場調査を兼ねてというこじ付けを俄かにつ くり、みちのく桜前線ぶらり旅 と いうことで東北自動車道を北上してみることにした。2006.4.29

再会の喜び
 この時期恒例となった蔵王の樹氷に逢いたくて前日から天気予報と睨めっこ 今日こそはと出かけてみるものの到着する頃の樹氷原は吹雪いていて数メートル先も 見えなかったりこちらの都合とは全くお構いなし。何度か挑戦してやっとの 思いで念願かなった妖精たちとの再会もいつしか3月も半ばに差しかかり あの清楚な樹氷の装いも、風下側から純白のべールを脱がされてアオモリ トドマツの肌も露わ 季節の移ろいを感じさせられる。
 ふり返えれば ばまだ先と思っていた節目の古希 時の流れをつくづく思い知らされるこの頃。 悪がきだった小、中、高のクラス会その他諸々・・この幹事会が数回、各々 終わっての反省会等々今年はこのような会合が何回もたれることだろう。 幸いにも元気でこの場に居合わせ参加できるということは幸せなことだ。 2006.3.12.

思い立って
 12月恒例となったSENDAI光のページェント 今年はこのイベントが始まって から20回目 百万個ともいわれる電球がケヤキ並木に灯された。 近くでもありいつでも見れると出不精を決めていたのだが、思い立って師走 も半ばの一夜 若いアベック達でごった返す勾当台公園から定禅寺通りを彩るイルミネーションの ケヤキ並木を歩いてみた。 以前にも何度か見てはいるのだがその時とはまた異なる華やかさに 時の流れ を感じながらの被写体探しとなった。 まもなくこの灯も消えて新しい年を迎えるのだが、相変らずやり残したことが 山ほどあってあれもこれもと気ぜわしい。このまま年を越すにはまだ名残り 惜しいし、また越年を先に伸ばせるものなら?・・と 年末から三が日にかけて (カメラと)同行二人のThailandの旅をと思っている。2005.12.末

文化の秋
  文化の日が近づいた。恒例となった町民文化祭が11月2日と3日町民体育館を 会場に開催されることになり、今年も「写真クラブ」会員の写真を展示するこ とになりました。 各々レベルの高い他のメンバーはともかく、例によってノルマ達成分の数点  旅先で出会った感動のひとこま 今回だけはアラスカ旅行で夢中でシャッター を押した大自然の出会いに的を絞り ひとりよがりで選んだ作品を出展する ことになりました。被写体もカメラも良いのに未だに レバ タラの世界 お近くの方 ご覧のうえ率直なご感想をお寄せいただければ幸いです。2005.10.末

アラスカの大自然
 人工的なもののない雄大なアラスカの大自然に触れた一週間だった。8月26日(〜9月1日)  念願だったアラスカの風景 野生動物やマッキンリー雄姿を 撮るとのうたい文句に心躍らせフェアバンクス直行便アラスカに向け成田を離陸した。 チェナ温泉やフェアバンクス デナリでは出現を待ったオーロラには連日待ちぼうけを 食わされたが、専用バス移動の先々でムースやカリブー、ドールシープまたグリズリーベア親子 (一部旅の途中) にも遭遇できたし、デナリからアンカレジ間 時速50kmのゆったり とした7時間30分にも及ぶアラスカ鉄道展望車からはマッキンリー山も望 むことができ まさに手付かずの途轍もない でっかな自然を実感した思いだ。
2005.9.3

背番号3
  娘のホームページを覗いたら、中三 孫の野球チームが県北の海辺 歌津町で試合をするという。思い立って朝食もそこそこに150kmの道のり車を走らせた。何とか会場にたどり着いたのは試合も中盤 白熱した1点を追うゲーム展開中だった。何も知らせず突然現れた私達に大声で応援中の娘はただびっくり思わず人目もはばからず女房に抱きついた。 はじめて見る一塁を守る背番号3の孫、少年野球のエースだった上の孫のときも目を見張ったものだったが、しばらくぶりに見る次男の方もなかなか堂に入ったもの(じじ馬鹿)、プレーも同点に追いつきそのまま延長戦となって何とか二回戦に勝ち進んだ。その後の対戦でもシーソーゲームが続き勢いあまった牽制球が三塁走者をボークその一点で惜敗したものの、戦い済んで全員が目頭を赤くし仲間を称えあう孫達の姿に感動すると同時に これからのすばらしい人間形成を確信した一日だった。 折りしも翌日曜 ミスタージャイアンツ 巨人軍長島終身名誉監督も東京ドームに帰ってきた。背番号3が脳裏に焼きついた慌しい週末だった。(後日談 その後対戦相手チームは県代表として全国大会で準優勝)05.7.03

  データが消えた
 突然パソコンが動かなくなり、朝一番のメール確認や楽しみなグラス片手のパソコンタイムもお預け状態。見かねた長男がサブPCで急遽受信転送システムを立ち上げ急場をしのいでいたのだがいまいち消化不良の日々。週末をよいことに単身赴任中の次男にも帰省を促し あれこれ診て貰った結論は、ハードデスクのクラッシュとか 考えられる原因が扱い方が荒っぽいとの倅達の評。そういえば晩酌の酔いも手伝っての手荒な強制切断やキーボード扱いを覗いていたらしい。 そんなわけで、内臓HDを取り替え復旧したものの これまで蓄積していたデータも大事なアドレスも全て喪失してしまいました。大変申し訳ありませんが ちどり足みち草蛙の消息が気になる方メール (アドレス)お待ちしております。   05.5.29

   お陰さまで満100才
 1905年3月31日生まれのおふくろ お陰様で満100才の誕生日を迎えました。忙しい年度末31日にもかかわらず村田町長・議会議長さんはじめ地元またその噂を聞きつけた多くの方々が、わが家に駆けつけ賑やかに百寿を祝って下さいました。
 また翌4月1日 河北新報朝刊でその様子が紹介されて思いもかけない知人 また縁ある多くの方々から電話や祝いのメールを頂戴し、改めてこのようなご交情 また環境の中で生かしていただいている全ての方々に感謝しております 有難うございます。2005.4.1

待ち遠しい春
 わが家の周りまだ雪も残っているのにあっという間に正月も過ぎる。 あと2ヶ月足らずで満100才を迎えるおふくろも、孫夫婦が勤めに出る見送り時間決まって7時には起きだすのだが、縁側から眺める雪景色になすすべもなく 最近は朝食が済めばコタツで舟を漕ぐ毎日だ。さすがに一挙手一投足の監視役も凍てつく寒さもなんのその 元気に外に飛び出すひ孫の雪遊びまでは監視の目が届かないようだ。やがて芽吹く庭の草花の手入れ今年は出来るだろうか はらはらしながら双方を観ている私達の方が暖かな日差しが待ち遠しい。2005.1.末

同行二人
 ゆく年も、カメラ片手にあちこち出歩いた。毎日が日曜の身には時間はたっぷりあるのに、ひとの混み合う行楽シーズンやら週末に限られる旅、孫の相手から開放される日程に合わせ俄に申し込んだバスツアーもここぞと思うポイントはガイドさんのこちらをご覧くださいここが名所の・・とつれない車中行程となるのがオチ、それでもせっかく来たのに手ぶらで帰る訳にはゆかないと慌ててシャッターを押し続けるものだから「旅行とは名 ばっかり撮ってばっかりで・・・」と連れ合いには不評ないつもの道中となる。でもまだ当分この病は直りそうにもない。新しい年も連れ立っての出歩きは言い訳、カメラと同行二人はもうしばらく続けられたらと思う年の瀬。 2004.12.31

紅葉シーズン
 いよいよ11月、恒例となった町民文化祭写真展も真近かに迫り、俄かにカメラバックを担ぎ夜明け前に車を走らせ、狙っている撮影ポイントに出かけてみるがこちらの意図にはお構いなしに紅葉の見ごろは早かったり少し過ぎていたり また一面ガスに覆われ視界ゼロの朝だったりで自然界にもそれなりの都合があるらしい。度重なるこんな繰り返しにうんざり 何とか日程をやりくり泊りがけで出掛けた裏磐梯、こちらはさすがに撮影のメッカ何処にいってもカメラザックを担いだご同輩や写真教室の団体さんと一緒となり 時には三脚を並べてしばしの撮影談義に花を咲かせることができた。とはいっても毎度のことながら成果はいま一つ、結局以前撮影のネガ箱をひっかき回して2日から始まる文化祭のノルマ点数分を何とか見繕い茶を濁すことになった。 2004.11.2.

  開店休業
 毎日茹だるような暑い夏、朝夕はともかく農園作業も手につかず時間はたっぷりあるのだが当HPの更新も然したるネタもないし休業状態。加えて寄り道ショップのじねんじょ 春先の過保護育苗が災いしその後の栽培管理で挽回させようといろいろ手を尽くしたのだったが、追い討ちをかけるようなこの干天続き 間もなくとなった今収穫季も期待薄が確実となり文字通り こちらもそろそろ開店休業の看板を下げなくっちゃ〜。分かっちゃいるのだが自然薯を自然に逆らって栽培することの難しさを改めて痛感 こんな愚痴ネタで久しぶりの更新 せっかくご来訪頂いた皆さん済みません。 2004.8月初め

GW民族移動の仲間入り

 日本中がゴールデンウィーク 毎日が日曜の身にはこの時期出かけることもないのだが、息子夫婦も揃って連休 晴れて2人の孫から開放される女房と、俄かに思い立って電話を入れてはみたものの当然ながら何処も満杯で断られ 最後の手段当HPにもリンクの湯の台鳥海山荘の支配人に泣きつき何とか部屋を取ってもらった。1日の朝早く比較的空いている東北道の岩手 北上から横手ICを降り13号線を通り 沿道の道の駅を寄り道しながら秋田市内のビジネスホテルに前泊、夕食までの時間つぶしに地上100mセリオンからの雄大な日本海の日没も見られたし、その後は漁港近くの居酒屋を足の向くまま梯子することとなった。最初に入ったカウンターで隣に居合わせた地元の客と意気投合馴染みの店を紹介され、その店々では心のこもった秋田の人情味、また翌日は鳥海山ろくの新緑に包まれた雄大な風景(ぶらり旅に一部) にも触れることができ また思い出深い旅となった。 2004.5.07

シーズン到来
 今年も年度末3月31日がやってきた といっても決算期がやって来たわけではない。定年帰農も7巡目、外は寒いしつい数週間前までわが家周辺には雪が残っていたことを良いことに、さして身体も動かさずに早々に晩酌と決め込んでいたら、最近逢う人ごとに「どうしたの?しばらく逢わないうちに太ったみたいだね」との言葉 改めて計ってみたら何とこの数か月で3キロも体重は増えてしまった。そこでダイエットをもくろみ草刈機を背に周辺の山林の下草刈りをしていたのだが、この雑木林にも山野草のカタクリやニリン草、やがて旬の山菜モミジガサ等が顔を覗かせる季節となった。  毎年のことながら、今年こそはの自然薯の作付けいよいよシーズン到来、種芋苗の萌芽やら植えつけ準備に本腰を入れて取り組まなくてはと気合を入れている。  2004.3.31

 ご破算で願いましては
 慌しくあっという間に2003年も暮れる。何と今年は予想もできない意外な出来事の多い年であったことか。
いつ果てるとも知れないテロへの恐怖、拉致被害の未だに解決糸口さえも見えず国交のない近くて最も遠い隣国問題等々。 一方定年帰農も六巡目今年こそはのわが農園産物も、この夏 平年の気温を大幅に下回る影響や長雨による稲作作況被害その影響もあってさらに追い討ちをかけるような経済界の長引く冷え込み、また宮城県北部地域の度重なる地震と余震に脅かされ続ける気象現象等々数え上げればきりがない。  年の瀬を機にこれら全てを“御破算に願いましては” 新しい年が希望に満ちた夜明けであって欲しいと願うばかり。2003.12.31

  もみじ前線
 10月も半ば東北各地のもみじ情報が報道される頃となり、空を見上げては朝食もそこそこに蔵王山麓周辺を散策していたのだが、頂上付近はともかく紅葉の見どころはもう少し先 この辺りは何時でも来れるし後の楽しみに取っておこうということで19日仲間と連れ立だってはるばる鳥海山のふもと秋田山形県境の紅葉写真行脚に出かけた。さすがに東北きっての裾野の広い名山 どの場所からの眺めも(ぶらり旅に一部)絵になるし、車を止めてはパチパチあとの写真上がりや散財のことも忘れ夢中になってシャッターを押していたら、持っていった10本近いフィルムもあっという間に底をついてしまった。帰宅して翌朝ラボに出す前にカメラに残っていた数枚をと宮城蔵王の中腹付近 密かに今年こそはと狙っていた撮影ポイントに出かけてみたがこちらはすっかり葉も落ちていて後の祭り、駆け足でやってくる冬の足音に今更ながら驚かさている昨今だ。2003.10.23

また暑い夏がやってきた
 7月も半ばを過ぎたというのに今年の梅雨はなかなか明かず肌寒い日が続く。 しかしわが町は四月の統一地方選に引き続き、この20日に投開票が行われる町議選挙の暑い戦いが繰り広げられている。中心街からも離れ少し高台にあるわが家、いつもは静なこの田舎にも朝8時の遊説活動開始と同時に各陣容の甲高い「○○○でございます。皆さんのご支援とご支持をよろしくお願いします」との ウグイス嬢のさえずり競演が鳴り響き、それでなくとも狭い田舎道 30数台の車が延々夜の8時までひしめき合っている。  今回の町議選には告示と同時に各戸に配られた選挙公報にも異変が生じているようだ。もう避けては通ることのできない広域町村合併を視野に、これまでの4年に一度のお祭り選挙とは様変わり、この後 ないかも知れない町議選挙に生き残りを賭け、ここに来て主役は町民(ユーザー志向)との主張・訴えに各自知恵を絞っているようにも思われる。  定数を1名オーバーの少数激戦、誰が落選しても可笑しくない審判に候補者の多くがより町民を意識したこれら決意が本物ならわがふるさとの将来もまんざら捨てたものではないと思うこの頃だ。
2003.07.17

只今農園留守してます
 このところの統一地方選挙 ○○選挙応援に目下どっぷり浸って農園作業は遅れっぱなし、 お陰で裏話ネタも沢山あって、一段落して公表できる時期に来たら・・・と思っております。 (一部 只今休耕中5/10) 03.04.20.

初 打 ち
 恒例となった新春ゴルフ初打ち、今年は元旦早々の開催となった。 暮れも押し迫って自分の不注意で右足ふくらはぎを肉離れしていたので、躊躇しなからの参加だったが 穏やかな天候にも恵まれ、また金属疲労の足をかばいなから力を抜いてのショットが功を奏し意外と素直にボールが 飛んで(とはいっても公表するほどのスコアではないが)同伴者との会話も弾み楽しくラウンドすることが出来た。 この分だと今年も何とかゴルフのお誘いには付き合えそうな気になって来た。  友人からの賀状にも“ホームページ見てるよ”との添え書きに嬉しくもありまた恥ずかしさもあって、 多少気の利いた年初のことばをと思ったが、結局先人の歌「越えなんと思いし峰に来てみれば、 まだ行く先は山路なりけり」の一部を頂戴し定年後6年目を迎える新年の行動指標とした。  また女房からも熱しやすく冷めやすいと揶揄されている趣味の一つ、蕎麦の初打ちにも久し振りに挑戦してみようと思う。 2003.1.1

じねんじょ堀り取材
 以前からHP いなかるちゃーの“体験自然薯掘り”に関心を寄せていたマイタウン河北紙から取材を受けた。 途中立ち寄った村田町物産交流センター局長さんの案内を受けて訪れたM嬢、昨年も山いも掘りに挑戦すっかり先輩気取り先客 の収穫物をみて、さっそくバックホーで準備してある畝溝に飛び込み山いも掘りに初挑戦。10数分の悪戦苦闘の末 何とか最後まで掘り上げた無傷の自然薯を自慢げに掲げ「やったね 病み付きになりそう」と満面の笑顔をみせてハイ ポーズ。  その後は休憩用のログハウスに戻り、掘り取った山いも汁をすすりながらのインタビューとなったのだったが、 翌日のメールには初めての山いも掘り感想とともに“とろろ汁のお陰で肌つやが良くなった”との嬉しいコメント。12月第1週火曜日の記事が楽しみだ。2002.11.18

文化の秋
11月に入り、この3日間は地籍調査もお休みで、その分久しぶりに現実の世界に引き戻された感じだ。そろそろ旬を迎えた自然薯を 物産センターへの出荷、また町主催の文化祭に写真クラブ一員としてノルマ写真の出展、それと たまたま 同日時に開かれるJA地元支店農協祭の農産品共進会へPRをかねた自然薯の出品と朝から大忙しの一日となった。 振り返ってみればこの数ヶ月、地籍調査対象の公図に釘付けあっちの隣接刈払い、こっちの境界立会いと振り回された ような気がする。ここに来て調査の方も先がなんとなく見えて来たし あとひと踏ん張り、合間に収穫期を迎えた自然薯の掘り取りやら 出荷も本格的に取り組まねばならないので、この数日は森を彷徨する仙人生活からちょっぴり離れ束の間の文化の香り?を味わおうと思う。2002.11.1.

猫の手も借りたい
 今日も森の中?と休耕中htmでもつぶやいたが、このところ連日国土一筆地籍調査に振り回されている。めったに行った こともない所有山林境界の藪を刈り払い機を背負って迷走する毎日だ。7月から始まった当調査も週末を 除く殆どは担当職員の立会いによる境界杭打ちに終始、やれやれと思うまもなく次の予定が町から届く。それには 次の立会い日程の一覧と同時に隣接者と必ず境界の雑木や雑草を刈り払っておくようにと記された通知に右往左往させられる。 定年後5年も経過あれもこれもと手を広げ結構やりたいこともあるのだが、そうも言っておられず対応に追われているが、一方 これがもし勤めている現役だったらと・・・そっと胸をなでおろしてもいる。 それにつけてもゴルフや釣りの好シーズンせっかくのお誘いもそんな訳で止むなくパス、またときどき耕す農園作業もタイミングを 逸してこちらは雑草も伸び放題、それを横目に年内一杯は地籍調査が最優先 体がいくつあっても足りないと思う今日この頃だ。  2002.8月末

歓迎しない薯堀り客
 山いも堀りに思わぬ珍客が現れた。5月のある朝 今秋山いも体験用にと残しておいた自然薯畑を見回って驚いた。 自然任せとはいえ掘りやすいように芽を揃えてある1列5〜60本ほど茎だけ残して根元からえぐり取るように 食い荒らされていた。猫の数倍もあろうかと思われる足跡 噂で聞いていたハクビシンの仕業に違いない。 とうとうわが農園にまで現れたかと愕然とするやら悔しいやら・・・。自然薯の味を体験したからには夜毎 いも堀りに 出没するのは明らか、電話や会う人ごとにあれこれ撃退法を聞きだし、阿武隈山系地域で効果があるという強烈な匂い を塗布した紐 忌避ロープを早速買い求め圃場に張り巡らし様子を伺がっているのだが・・。ここ当分は狸ならぬハクビシンとの 化かし合いが続きそうだ。2002.5.末

写真展 有り難うございました
  遠藤敏男SL写真展は、 予想以上のご来場 400名を越える方にご覧いただき無事閉幕することが出来ました。  国鉄OBや写真仲間は勿論のこと、JH7OJBにはお空で何回もお話をしたといって会場に 駆けつけていただいたアマチュア無線局、また雪の中のSL撮影で彼の隣で何日も一緒だったという遠くからお越しの SL写真仲間、これらの方々から義兄の幅広い交友関係のエピソートや展示作品一点一点のドラマを聞くことができ、 故人を偲ぶにふさわしい催しとなりました。当遺作展を開催するにあたってご協力また遠方からまでお越し頂いた皆様 本当に有り難うございました。 遠藤敏男SL写真展掲載記事 河北新報 2002.4.18付

 朗 報 ?
 2月にもなろうというのに このところの暖冬続き、 絵になる雪景色も見られず といって農園作業の方も正月以来開店休業中だし やることもないので ついついグラスに手が伸びて”少し飲み過ぎじゃないの”との声もそろそろ・・。
 27日の河北新報コラム欄のこんな記事をめざとく見つけ しめたと思った。 「毎日適度な酒をたしなむ高齢者は、アルツハイマー病はじめさまざまな型の痴ほうになる 確率が最大70%も小さくなるという。オランダのエラスムス大医学部が55才以上の 約8000人を6年間調査した結果だそうだ。 研究者はアルコールが脳の記憶や学習をつかさどる部位に働きかけるほか、血液中の 血小板の凝縮を減少させる−などが効果の原因ではと推測する」とあった。 これで毎晩の晩酌やらコツブ片手のパソコンいじりに大義名分ができた。 でも あくまでも適度の範囲での話 とも述べている。そうだろうなぁ〜このところ少し身体も ナマッテいるのでウォーミングアップを兼ね今度はかんじきを履いて 蔵王の雪見に出かけようか・ナ。
 2002.1.27

 JH7OJB 聞こえてますか? こちらはJF7KYQ・・!。『 よう! KYQ 当局は只今(SL撮影 のため)○○線○○方面に向かって移動中』と今にも届きそうな声も もう聞くことは出来ない。
暮れも押し迫った12月18日 妻の兄が他界した 行年67才だった。彼は元国鉄マンで22才の時 に貨車入れ替え作業中、右腕右足を切断するという不慮の事故に遭遇したが、以来ひとには言えない苦労と 努力でこのハンデを乗り越え職場復帰、電算関連業務等で国鉄民営化の一翼を担いJR移行を見届け勇退。 その後関連のボランティア活動をはじめ写真、俳句、川柳、囲碁・将棋、シルクスクリーン等いろんな分野に挑戦し、それらを次々に 開花させるひたむきな姿に驚嘆させられるとともに、私共夫婦の良き相談相手 自慢の兄でもあった。 毎年彼から 届く迫力あるSL写真の年賀はがきも もう受け 取ることは出来ない。また彼の影響を受けてアマチュァ無線やSL写真にのめり込んだ甥、JR7CVWも今年 3月に、また義姉(甥JH7VLAの母)も10月にこの世を去った。 心からの冥福を祈りたい。2001.12.末

 体験山いも掘り 団地に住む次男一家とご近所の方々 3家族が体験山いも掘りに訪れた。 普段は孫2人とカラスの鳴き声しか聞こえない里山にも、久しぶりに華やいだ歓声が響きわたった。 前もって掘りやすいようにとミニバックホーで1メートルほど掘っておいた側溝に、説明する間もなく まず子供達が飛び込んで、ゴボウ抜きよろしく引っ張るものだから、あちこちでポキッ ポキッと軽快な 音を残して土にまみれた山いもの固まりが積み上がってゆく。それでも要領を覚えた奥さん方や子供達からかけ声 を受けたダンナさん方、慣れない手つきでスコップや山いも用の鍬をいじくりまわし、何とか形を損なわず に掘り上げた自然薯を手に、Vサインの ハイ ポーズでカメラに収まるまでになってきた。かくして 2時間ちかい大地との格闘の結果、最終的にはそれぞれの家族が「じねんじょ料理」数回分の 戦利品と、初体験のちょっぴり達成感を味わった一日となったのでは・・・と思っている。
01.11.11

   ログで昼寝? 以前から間伐材を活用蔵王の見える見晴らし の良い高台でウッディライフなどと夢を膨らませていたのだが、いざとなると頭で描いていたほど容易くは なかった。杉林の間伐材は樹高も太さも一定ではないしこの木材の皮むきでまず音を上げた。建てたい 林地も自家山林にないこともないのだが道路を切り開いたりログ材の運搬もこれまたハンパではない。   結局はインターネットで探し当てたフィンランド産の床面積20.64uセルフビルドのちっちゃな ログキャビン に挑戦することになった。船便の都合で発注から2カ月をも経過した9月15日、敷地内の農園が見渡せる一角 に、10tユニック車に積まれた部材がやっと到着、いよいよマニアルと首っ引き ログハウス着工の運びとなった。 丸太ではないが最大長5200厚さ75×幅150mmログの組み付けとなると一人では到底無理、聞きつけた友人達の 手伝いは有り難いものだ。完成以降はこんな仲間達とのソバ打ちを兼ねたノミニケーションやまた朝夕飛来 するカワセミや野鳥の観察小屋となればなどと構想を描いている。 01.9.18
 
 最近夜になると、どこからともなくやって来たマイカーがライトを消して付近を屯するようになった。 何もこんな場所でデートでもあるまいと思っていたら、何気なく開いた村田町のホームページに 大自然が残る村田町でほたるが楽しめる場所・・として、わが家から少し下流の地区一帯が 紹介されていた。雨上がりのこの時期昔からこの辺りは源氏ボタルの飛びかう所、もっとも屋敷内のほんの 100メートル程先の湧き水の流れには、川ニナも生息しホタルの幼虫期の餌にはこと欠かないようだ。 あちこちでホタルの棲める清流を呼び戻そうとの活動が盛んに行われているようだし、来週行う予定の川の刈り 払いを少し延期してホタルの郷鑑賞スポットの看板でも立てようかナ。01.6.末

 このところ生育が遅れ気味の畑作物、毎日眺めていてもどうにもならないので 友人を誘いマイカーにカメラ・三脚を積んで東北自動車道を北上した。八幡平アスピーテライン、玉川を経て田沢湖高原 乳頭 温泉郷のブナ林の一角に一泊、翌日は角館 横手を経て13号線を南下、秋田県雄勝から鳥海高原へと向かった。 沿道の渓谷や新緑も鮮やかなブナ林、やっと解けだした雪の間から一斉に顔を覗かせた草花に見とれる陸奥ぶらり紀行?となったが、 (ぶらり旅に一部) 一方高速道両側の常緑樹の立ち枯れや日本海沿いの防風林が異常なほどの赤枯れ現象は、大気汚染 によるものかどうかは疑問だが、この冬の異常気象によるものであることは確かなようだ。 4年目を迎えそろそろ今年は実が・・などと期待していた わがユズ園の大半は瀕死の状態だし、例年になく発芽が遅れ気味の自然薯のそれもなんとなく うなずける全行程850?のやじうま道中となった。  01.5.26

 かねてより訪ねたいと思っていた、明治時代の木造西洋造りと武家屋敷 の佇まいを今に残しているみやぎの明治村をGWの谷間をねらって、宮城県の北部登米(とよま) 町を訪れた。  国の重要文化財 旧登米高等尋常小学校の教育資料館や旧水沢県庁の記念館、県重文警察資料館また武家 屋敷春蘭亭他 昔ながらの風情があちこちに見られ、町全体が古き良き遺産を今に伝える心意気に触れることができた。 同じ県内にありながら南と北に約130キロも離れ、あまり訪ねる機会も少なかった母方の叔母がこの地に在ったが、 現在は従姉夫婦が武家屋敷の佇まいを継承している様子をも垣間見ることが出来た。 さらに東に北上川を 渡り南三陸のウミネコが手の届く窓辺まで歓迎する志津川に宿をとった。 翌3日はインターネット通販やメール交換で 知り合いになったアワビやワカメの養殖漁業に取り組んでいるabeさんご夫妻を訪ねて、 それぞれの仕事のことや子供達とのキャンピングの思い出等話が弾み、初めて逢ったとは思えない打ち解けた 楽しいひとときを過ごさせていただき、またひとつ思い出深い年輪を刻む旅となった。01.5.5

 転居 ? えっ・・!。年明け頃から熱もないのに咳が止まらず通院していた医師から”花粉症”だと診断された。 生まれてこの方、杉林に囲まれたこの地で暮らしてきたのに今更花粉症でもあるまい と疑問の目を向けると、 検査の結果アレルギー反応が通常の人の3倍もあるという。ついては晴れた風のある日の外出を控え、出かける 際はマスクやメガネの着用、室内への花粉侵入を防ぐため窓をキッチリと閉め、外出後は髪や衣服の花粉を落と すよう心がける等こまごま治療や生活指導を受けた。それでも症状が治まらない場合は転居も考えねばとこともなげにいう。  5年目を迎える晴耕ライフ、野外作業を控えることも、ダダッ広いばかりで改築を繰り返してきた家屋もこれ以上の密閉方法は無理、 まして終の栖み処としているこの地から転居するなど論外だ。 そこでアレルギー症状を抑えるための可能な対策、生活環境の改善に取り組もうと思うのだが十分な睡眠と不本意 ながら晩酌を少し控えること位しか考えつかない。花粉症とはこれから長ぁーい憂鬱な付き合いが始まりそうだ。  2001.3.末

 2001年の成人の日、東北地方南部太平洋側は記録的な大雪、我が家も すっぽりと雪の下に埋もれた。この日は朝刊も配達されず外界とは全く隔離状態。 朝からやることもないので生産に結びつかない労力と消費の除雪作業に費やし、北東北地方や日本海側の雪国の 苦労を身をもって味わう一日となった。 9日付け河北新報にも雪博士の中谷宇吉郎氏が「雪は天から送られる手紙である」と書いたという。 手紙どころではない無数の小包が天からいっぺんに届いた感じだ と河北春秋コラムでも述べている。 お陰で捨て場のない雪を集めて当地方では馴染みのないカマクラらしきものを造ってみたが、かくして孫に とっては天からのでっかいプレゼントだったようだ。  2001.1.9

 趣味が高じて育てた山野菜、町の物産センターの直売コーナーや自然薯 ネット通販を通じて知り合った全国の方々から、感想や山菜への取り組みについて興味を示していただき、また 新たな交流も生まれました。改めて"ものをつくる"実感と充実感に浸っております。 今年もあとわずか 来るべき2001年に向け、あれこれまた夢をふくらませております。
 たくさんの方々からアクセスいただきありがとうざいました。2000.師走

 寄り道ショップ(ネット通販)を開店するに当たり生産者の顔を 見せると安心するし興味も引くものとあるCONPUTING誌に掲載されていたので遅まきながら改めてお目に かかlります。この秋 旅した折の長崎平和記念像前でのスナップ、わざとボカした訳ではありません。 1937年4月生まれの典型的な B 型人間 いなかるちゃー園主と A 型のパートナー1938年5月生まれ、 まだまだ若輩者 ! (年齢ではなく)です。どうぞよろしく、アドバイスご感想をお寄せ頂ければ幸いです。00.10月末

 ”蒔かぬ種は生えぬ蒔いた種も縁が伴わぬば芽が出ない” かつて私が勤務していた会社、当時のK会長がある経済誌月報に載せた一文である。
 蒔いた種も水、土、太陽の力など何らかの縁があってこそ芽が出て育つのであって、 私たちの生活は、自然との関わりの中に成り立っている。原因(種まき)があって結果 (芽が出る)の間には沢山の縁が介在しております。私ども物を造る者にとっては、 この原因と結果との因果関係の究明が、仕事の全てであるといっても過言ではありません。 ところがこの因果関係の間に介在する縁というものが仕事が複雑になるほど多くなります。 これを要因と呼んで、勿論人に絡む問題、機械装置、材料の問題も多い要因ですが、 実は以外と自然環境に振られる要因が多いのに驚かされる。より謙虚に自然と接し、学び、 率直な気持ちで合理性を追求して行くことが大切なことだ。慌ただしい生活の中で、四季が 私たちにけじめを付けてくれ、同時に世の中の移り変わりを教えてくれるとの教訓
 自然を相手に日々対座する毎日、手がけている山菜類にも意外に人の手を寄せつけない 多くの未知なる課題があって、改めてこのことを痛切に実感させられております。   00.8月末 

 この4月で田園就職も4年目、これまで手がけた山菜栽培も そろそろ試作の領域から量産の段階に入らねばと、自然薯の栽培用資材を昨年の本数2倍分準備、 GWにかけて植え付け作業を行った。資材を倍ということはそれに要する山土の量、種芋の芽だし、 植え付け圃場の溝切りから土戻し等々、一人でこなす作業量にしては数倍以上いささか体に応える。 体力に自信はあると思っていたのだが、少し考えが甘かったようだ。 でも終わってしまえば、あとはうまく薯が誘導パイプに沿って育ってくれるのを祈るだけ。捕らぬ狸の なんとやら、この瞬間が夢も膨らみ一番ほっとする時期だ。  あそび心も手伝って、余分にとっておいた種いも、200本ほど農園の端っこに直か植えもしてみた。 この秋友人達に山いも堀りに挑戦しませんかと呼びかけ収穫の喜びを味わって貰おうと思う。
ここだけの話、相棒の子牛くん(ミニバックホー)に半分以上手伝わそうと思ってはいるが・・。00.5.中旬

 定年後は釣り、ゴルフに、旅行、写真と欲張っていたが、 当初の想いとは裏腹に、こちらせっかくのお誘いにも最近は体が空かず失礼することがある。 結局、 釣りは年数回止まり、ゴルフも月一のペースは遠のくし、それにどんどん一打あたりのコストが安く なって、この分だと釣り竿やクラブを握るチャンスが遠のきそうだ。 ところで、只今私どもの娘と 二人の息子には孫5人、今年は長男夫婦に2人目の孫が誕生するらしい。これでわが家も、2000年 は順当な年明けとなりそうだ。
 龍 年 1.1.

 蔵王山系では珍しくもなく、あちこちでその生息が確認されている日本カモシカ、 わが家の前の林にひょっこり姿を見せた。野生のしかも子牛ほどもある天然記念物に、カメラをもってすっとんで戻り、恐るおそる 近づいた。相手もぢぃっとこちらの動作に見入っている。ズーム一杯で何枚か撮りながら近づいた。 最後はシャッター音に驚き、突然きびすを返して鼻息も荒々しく林の奥に消えた。蔵王山塊とは高速道で寸断されており、どうしてこの辺りにやって来たのか謎が残るが、生態系が変化していることだけは 間違いない。 かもしかも望め自然がまだ残っていると自慢したいところだが、やっぱりこの地に野生のかもしかが住みつくことは不自然だ。 99.7

 定年帰農もいよいよ3年目を迎えた。これまで暖めていたAgri構想だけは一応一つ一つ手がけてみた。 結果は自然まかせ、少し贅沢かも知れないが、誰かに指示される訳でもないし毎日が楽しくてしょうがない。 今日も、あれこれやることがいっぱいで、寝てもいられず5時起床、年かなぁー。 99.5.

 毎日何をしているかと問われるが、定年後1年半にもなるが今もって退屈する暇がない。勤務中は、当然仕事でもお世話になったが、多くの多彩な趣味の持ち主に出会い、海釣りを手始めに、渓流 釣り、ゴルフ、写真等々それぞれに手ほどきを受けた。師は全てプロ級の腕前であるが、私はもともと ものぐさでもあり覚えも悪い。それでも、 古巣のこれら同好の士から、今でもお誘いのメールが入りお付き合い頂いている。有り難いことだ。98. 10.

  97年4月会社勤めを定年、はれて毎日が日曜の田舎暮らし晴耕雨読の出直しの人生を歩むことになった。 生まれも育ちも宮城県は仙台の南、霊峰蔵王にほど近い村田町の片田舎、40年も前になるが卒業と同時に 農業を志したこともあって、文字通り定年帰農の「晴れたら時々耕し、雨が降れば余人禁制の自己満足の空間」 に潜り込み、「むらおこし気取り」で夢のカントリーライフを思い描いている。 97.5.
 


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