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2005.1.3 ひ孫達に囲まれて 2010.12.29.金婚を労う集い

50年の歳月
年も押し迫った29日、松島湾を眼下に見下ろす高台の宿に子供達夫婦と孫達
が勢ぞろいした。学校も職場も冬の休み 単身赴任の長男の休暇帰国を待って子供達が企画
した私たちの結婚五十年目を労うというイベント、娘の長男は今年大学卒業の
社会人一年生、その次男も大学一年生だし2人の息子の子供達も夫々中学一年と小学四年生の姉妹、
同じく中学一年と五年生の姫君達 総勢14名も一堂に会せば広いと思った一室も溢れんばかりで
壮観なものだ。 用意した色紙に内孫meiに書かされたという全員のコメント「いつまでも元気で仲良く」
「これからも一緒に大いに飲みましょう」とか「ボケないで長生きして」等など 寄せ書きや感謝状、また
初社会人のyu-が買い求めたという花束を貰ったり、これら粋な孫達の演出に目じりを下げっぱなしの
私達、各々弾んだ会話が夜遅くまで続きました。『五十歳月(いそとせ)を子等とねぎらう春隣』
何はともあれ皆が元気で新年を迎えられそうな予感のする年の瀬だ。 2010.12.30
初めての長旅
孫の めい(芽生5年生)と ゆめ(由芽2年生)がパパの待つアメリカに行くという。
ママの夏休みと休暇を使って8月6日から20日までノースカロライナ
を拠点に2週間のアメリカ滞在、どんな体験が待っているのだろうか。2人にとって
飛行機に乗るのも初体験、機内ではゲーム機はダメ といわれどのように過ごしたら
とあれこれ想いを膨らませているようだ。
5年生の芽生は積極的に突っ走るタイプ、それに引き換え妹の由芽は
おっとり型、何事にものんびりとモノに動じないタイプ 先導役のママこのやんちゃな
子カルガモ達をどう引率するのか こちらの方が専らの心配ごとだ。2008.8.3
住民移動
田舎住人も急に人口が減った。それまでの7人家族から人一倍の頑固さで
家族を振り回していたぴぃちゃんが4月に遠くへ旅立ち 火の消えたような
わが家。今度はパパが社命でアメリカの現地法人ノースカロライナへ転勤
することになり10月1日ママと孫のめい、ゆめに見送られて空港を飛び立った。
せっかくの機会 孫たちも一緒に一家で海外生活を体験できる絶好のチャンスと
思うのだが、日本人学校も遠いらしく止むなく いろいろ話し合いの結果
夏休みやクリスマス休暇を利用して、どちらかが行ったり来たりするとの約束で
パパだけ単身赴任するということになった。3年の遠距離生活ということだが
予定通りとすれば帰任する頃には芽生は中学一年生、由芽もおねぇちゃん
の今と同じ四年生となっているはずだ。蛇足だがこの間の孫の躾はいったい誰の
責任なんだろう!?。2007.10.01
ぴぃちゃん との別れ
ひ孫の遊び相手だったおふくろが百三歳の天寿を全うし4月24日天国へ旅立ちました。
27日のお別れの日 ひ孫の めい・ゆめ と従姉妹の さとみ・いつみ ちゃんの4人で
曾祖母 (ぴぃちゃん) へ お別れのあいさつをしました。
ぴぃちゃん 起きてください みんな来てますよ !
ぴぃちゃん いっしょに遊んでくれて ありがとう !
ぴぃちゃんが 育てたお花がもうすぐ咲くのに
一緒に 見られなくなるの さびしくなるよね !
ぴぃちゃん 私の通信票をみて 誉めてくれたよね うれしかったです !
今度ぴぃちゃんが行くところはきれいなお花がいっぱい いっぱい咲いている所だと
ママが教えてくれました。!
きれいなお花ばたけでゆっくり 休んでくださいね・・・
ぴぃちゃん!さようなら !! 。 2007.4.27
吾唯足知
今年の父の日は申し合わせたかのように酒、焼酎が子供達から贈られた。
娘からは表題の『ワレタダタルヲシル』の鹿児島産いも焼酎と
きれいにラッピングされたもう一品、メールによると焼酎もいろいろあって
選ぶのに時間がかかったこと、今年大学に入学し東京で自炊の孫の金欠SOS
に米とかを送ったとかの近況と皆でばんばん飲んでとのコメントも添えられて
いた。そして次男一家は新潟の銘酒八海山を持参、かつて学生時代を過ごした
長岡の酒どころの自慢話をしながらひとりで半分以上は飲んでたようだし、
同居の長男夫婦からは農園作業一服タイムに欠かせない水代わりに飲む缶ビール
をといろいろ気を遣ってくれる。子供達からこぞって酒を贈られるという
ことは傍目からも健康にみえ何よりとのエールなのだろう。先週も甥が沖縄出身
の伴侶と琉球泡盛 今帰仁城『ナキジンジョウ』を携え 久しぶりに顔を見せた。
こうして皆から酒を贈られ飲めるということは幸せなことだ・・と
今日も少し早いがパソコンに向かって乾杯。2006.6.20
わがままな遠出
突然、ぴぃちゃんが実家に顔を出したいと言い出した。 過般の100歳祝いに、母の生家の甥 つまり現当主にもお越しいただいた折「おばさん今度実家にも遊びに来たら、家も増改築したし泊まっても良いから」と誘いを受けたとか。生家のご先祖さまに線香をあげたいから連れて行ってほしいといわれれば、むげに断ることもできず電話を入れお邪魔することにした。従兄夫婦にとっては百歳の大叔母 ご一家にとってもあれこれ気を使い散々迷惑をかけることになったのだが 本人にとっては義理?を果たしたとでも思っているのか、周りにとってはこの大騒ぎの大事業も至って平然と立ち振る舞ってやがて元のわがまま生活に戻ったのだった。
さて、その後のわがママざんまいは何が起きても不思議でない齢、HPご来訪の方々にはこれまで通りアイドルぴぃちゅんのままの姿をご想像頂けるこのあたりでファイナルとし、田舎住人のその後には勝手ながら出演のないことをお許しいただきたい。 2005.6.10
総理大臣・県知事祝詞
9月15日ぴぃちゃんに宮城県知事と小泉内閣総理大臣から長寿の祝詞と記念品が県担当者より伝達された。一週間ほど前その連絡が町の担当からあって「県から担当職員がお邪魔するので、もし起きて居られる状態なら祝詞を読み上げてお渡しする間だけでも・・・」との電話。100才ともなれば常識的には寝たっきりと思うのも分からないでもないが、元気で毎日が起きたっきりのおふくろを看ている家族にとってはいささか意外な心遣い。ぴぃちゃんにとっては氣が向けば庭に出ての見回りと草取りが日課だし、頼んだ訳でもないのに風呂の湯沸し(ボタン押し)と雨戸代わりの縁側カーテンの明け締めだけは今だに誰にも手を出させない。またひ孫の一挙手一投足の監視役これまた彼女たちを終日目で追い回すのだから大変なことだ。この日はわざわざお越しいただくのにヤブ蚊にでも刺された顔では失礼だから と女房に言い含められ4〜5日大人しくしていたが、セレモニーも済んで普段着に着替えたら早速窓越しに見える庭が気になり出したようだ。2004.9.15
白寿の祝い
明治38年3月生まれのおふくろ再来年3月は満100歳、節目でもあるし何か祝いをと密かに思っていたら、いろんな人から ばぁちゃん元気?えっ満98!それじゃあ今年は白寿かぁ・・・と、百才に一年早い祝い事 つまり白寿は数えで行うものらしく俄かに姉達一族を招集することになった。
27年前に76才で他界した父との間には
子供5人 夫々配偶者と孫、ひ孫を合わせると実に40名にもなる それが一堂に会するということは壮観なもの。
久しぶりの全員集合、いつ申し合わせたのか 各々一家でのかくし芸、踊りを舞うもの歌うもの賑やかにひとときを過ごすことができた。おふくろがしたためた「年輪の途中を刻む白寿かな」の色紙と福を招く小金窯の“まねきふくろう”(リンク先遊びの専門店)は永く思い出に残るのではと自己満足の余韻に浸っている。
2003.9.15
歯科通院 ぴぃちゃんせっかくの正月だというのに顔色がさえない。 長いこと使っている入れ歯の一部が欠けうまくしゃべれないと落ち込んでいたようだ。 幸いなことに総入れ歯だから痛くはないというので年末年始中は我慢してもらい 休み明け早々に知り合いの歯科医院に連絡をとり診てもらうことになった。 「30年も使っていた歯が壊れお話が出来ないというので診てやって欲しい」とお願いしたが、 98才にもなっての来院患者は珍しいのでしょう、当人にというより付き添っている私に「今までの歯を直すよりも 全部新しくしたほうが・・・」と困惑している風だ。勿論丈夫な歯を新調して貰うことにしたのでここ当分は 歯科医通院が最優先の日々になりそうだ。いずれ出来上がり調整が済めば孫とのおしゃべりまた賑やかになるのだろうが、 お話も出来ないと落ち込んで居られるよりははるかに気が楽だ。 03.1月末
97才の年末
幼稚園年少組4才と2才になる孫の最近の遊び相手はまもなく98才になるぴーちゃん。
「どうぞ 召し上がれ」「ハイどうも 頂きます おいしいですね」とのままごと会話も不自然さがなく
なめらか、孫の歌う覚えはじめの童謡にも一緒に歌い出すし一瞬 明治、大正、昭和を飛び越え童心
に逆戻りしたかなと思う張り切り様。テレビや新聞の生々しいニュースや、ややこしい世相とは全く自分には
関わりのないことと決め付けているのか、もっぱらの関心ごとは孫の一挙手一投足、2人の孫が
寝てるかあるいは目が届かず静かなときは自分も座椅子で居眠りしているのに、
何か手に持って悪戯でもしようものなら椅子からさっと立ち上がりそれを取り上げようとする。
「ぴーちゃん、ダメッ!」 と孫の方がそれより逃げ足が速いのは言うまでもないが・・。02.12月
めでたい誕生日
3月は わが家にとって殊の外めでたい月、27日は孫 芽生ちゃん4才の誕生日で
4月から幼稚園だし、おふくろにとっても31日は晴れて満97才の誕生日だ。
今年も 娘達 といっても上は喜寿で下が古希間近い姉やら孫達から誕生祝いの宅急便が届く。
その都度プッシュボタンを押す元気な年度末風景。
またこの日、行政区長さんを通じて敬老祝い金なるお小遣いが行政から届けられるが、
ご多分に漏れず財政圧迫の折当町条例も昨年度よりこの額が減額されることになったのだが、
3月末日生まれのおふくろにとって約一年もたってその現実に直面する幸運にも恵まれた。
ところて私宛にも町から介護保険適用通知なる手帳が届けられ、一瞬誰の?と思って封を切ったら
何のことはない 「まもなくあなたは65才、介護保険の被保険適用者です」との通知だった。
確かに4月12日は自分の誕生日、介護の恩恵資格が出来て喜んで良いものやらどうなのか複雑な心境だ。 02.4.1
97才のあいさつ
「今日はご招待有り難うございました。私もお陰さまで97才にもなりましたがまだそんな実感がありません。これからも
好きで集めた庭の草花や山草などで楽しみながら、せめて寝たきりになって皆んなのやっかい者にだけはならないよう
毎日を過ごして行きたいと思ってます・・。」とすらすら淀みもなく述べるものだから子供達夫婦の間から
「ほう!ぴぃちゃん大した挨拶をして立派なもんだ」と驚きやら感嘆ともとれる声があがった。
私達夫婦が結婚40周年ということで、子供達3夫婦と孫6人それにおふくろの15名が勢揃い、近くの
温泉に一泊した折りの一こま。結婚翌年生まれだった長女から「ぴぃちゃん いつも孫達に暖かいことばありがとう」
のメッセージの入った花束を受け取るや やおら改まってのこのあいさつ。
段取りにはなかったこの出来事に、肝心の主役であるはずの私達夫婦にとっては形無しだったが、 おふくろから
家族への精一杯の労らいの言葉のような気がして 女房などは うるうる し通しの会食となった。 最初は年寄りだから
「行かねぇから 一人で大丈夫、留守番してっから皆んなで行って来らい」とあまり気乗りしない様子だったのだが
、この日が近づくにつれ何やら広告チラシの裏にペンを走らせていたのを嫁だけは気づいていたようだった。
01.12.10
フィトンチッド? 効果
相変わらず誰よりも早く起き出し、庭の草取りやら鉢植えの移植等に余念のない96才のおふくろ居間
に戻れば2人のひ孫の監視役、自らの感覚であれもだめこれもだめだとさらに孫が1人加わったような
賑やかさだ。2ヶ月ほど前のある朝少し熱もあって気分が悪いというので、町の公立病院に電話し往診して
貰ったのだが、検査が必要と医師と看護婦さんが乗ってきたタクシーで、そのまま点滴と検査入院という
ことになった。年も年だし話し相手がある方が良かろうとの計らいで8人部屋病室の最長老 確かに当人
よりもずっと若い患者さん達なのだが、それぞれの棚には紙おむつが鎮座する寝たきりの完全看護の方ばかり
だった。本人は何でも独りでできるものだから、朝夕訪れる私達に手入れ途中のままにしてきた庭の様子が心配で
寝ている場合ではないと訴える。かくして土曜日曜の休診日には外泊許可を貰い 何んともなかったら
病院には戻らないとの約束を医師から取り付け退院の許可を得たのだった。
以来帰った数日は大人しくしていたが、徐々に行動範囲が広がり最近では前述のように自分の年も忘れ山野草
や樹木と接する毎日だ。森林浴フィトンチッドは心身をもリフレッシュ 病気をも押しやるもののようだ。01.6.末
日溜まり
孫の芽生2才と7カ月由芽6カ月、その監視役まもなく96才になるぴーちゃんはコタツで居眠りする
ような暖かな日、縁側でパッチワークに余念のないばぁちゃんの側で、
おねぇちゃんは見よう見まねのままごと針仕事、ゆめちゃん最近やっと覚えた歩行器で何やら日本語に
ならないことばを発しながらの一人歩き、それがだんだん憎まれ口に変わるのだろうが、話相手が2人
もある ばぁちゃんにとってこんな今が最高に幸せなようだ。 00.12月始め
わが家に、5月26日孫という名の宝物、2人目の姫君が誕生した。 パパとママは、ずんぶん前から女の子と分かっていたらしく、じぃちゃんにとって初めて面会した 28日には早くも『ゆめちゃん』とこう呼んでいる。長女の芽生に次いで由芽という名前もわるくはないし、 母子ともに元気なのだから何もいうこともない。 このことを、病院から帰ってぴぃちゃんに話して聞かせたら、「仙台のひ孫も由芽というし、ゆめちゃんが2人いるなぁー」 という。たしかに私の一番上の姉の孫も同じ名、これもまた喜びが重なったといえないこともないし、 早速甥夫婦にも知らせてやらなくっちゃー。00.5.30
今年も咲いた
わがババ(おっと失言ぴぃちゃん)が集め育てた山野草、手入れもままならずそろそろ雑草の中で自然消滅
しているのではと案じていたら、何のことはない春先からせっせと草取り、はたまたわが農園に使おうと思って 購入していた有機肥料、いつの間にか庭の自分のテリトリーのあちこちに施肥していたようだ。何分にも誰よ
りも早く起き出し、本人なりの作務衣(もんぺに地下足袋)に着替えて庭先の草花山野草の手入れに余念がない。 ご丁寧に変わった花を付けるそれらには、これ見よがしに目印の棒まで立ててある。毎年のことながら
年一回の母の日Week、エビネランの写真(「庭先の四季」に一部)を撮って誉めてやらなきゃー。わがママ只今満95才で今日も元気
オキタッキリで何より。 00.5.16
初体験
夕食も済んだ7時少し前、いつもの小悪魔振りの孫のめい、突然の雷鳴と稲妻におびえてママの腕の中に顔を埋め身動きもない。
遠くの方でしていた雷鳴、一瞬閃光が走りものすごい音とともに屋根をたたく5円玉程の雹が降ってきた。
あまりの激しい雷鳴に、部屋に引っ込んだぴぃちゃんまでも居間に戻って来て、昔裏山の樅の木に落雷した話を延々とぶり返す始末。
数分後、雷もおさまって元気を取り戻した孫のめぃ、ママが拾ってきた雹の固まりを手にとって「じぃちゃんのお酒だ!」という。
水割りに丁度良い大きさの氷の固まりに、なるほど初めて見る雹もそういう見方もあるのかと思った。
それはそうと、先ほどまでせっかく本植えした育苗野菜、多分この分だと今年もダメだろうなぁー。 00.5.8
花が咲いた
師走も半ばを過ぎた20日、孫の芽生が2階の寝室から、はなが咲いた
花が咲いたとはしゃいで降りてきた。めいちゃんにとって、物心ついてから見る初めての雪である。
なるほど庭の植え込み、窓から眺める樹々の枝にも雪がついて、いつもと違った幻想的でなかなかの風情である。
あれもこれもと心せわしい年の瀬、いよいよ冬将軍の到来か、とうんざりしているところへのこの喜びよう。ときどき耕す田舎住人にとっても『そうか、今日ははれて休耕日』と切り替えたらにわかに心楽しくなってきた。1999.12.20
ばぁちゃんママ
孫のめいの口から ばぁちゃんママ!。こんな
新たな呼び名が飛びだした。勤めへと出かけるパパとママには、ばぁちゃんに抱かれてバィバィと手を振るのが
毎朝の日課。そのあとは終日着替えに食事、おシッコにウンチ、眠くなればおんぶ帯を引き擦って来てはネンネの催促。
こんな日々の繰り返しであっても、夕方嫁が帰宅しようものならママ!っと飛びつき、じぃもばぁちゃんも見向
きもされない。「やっぱり、どんなに可愛がってもパパ、ママにはかなわないわネ」とは妻のつぶやき。
ところで、ばぁちゃんでないと満足できないことがある。それはマイカーのチャイルドシートに鎮座してのお買い物。 この時ばかりは、ばぁちゃんママ、ばぁちゃんママ!とまとわりつかれ、当のばぁちゃんもまんざらでもないようだ。
そういえば、祖母のことをグランドマザーというし、孫からすればものわかりの良いもう一人のママと気を引きたいのだろう。1999.10月初め
地頭には勝てぬ
ぴぃちゃんのいつもの指定席は、立ったり座ったりが楽なようにと、
94才に敬意を表して回転付きの特等席。最初のうちは、この椅子を遠巻きにうらやましそうにしていた孫のめぃちゃん。
近頃では椅子の主ぴぃちゃんを押しのけ、わがもの顔で座椅子によじ登りエツに入っている。(女の子で-す)
ぴぃちゃんとのシマ争いはついに孫が乗っ取り、いつの間にか序列が逆転しているようだ。 かくして泣く子には勝てず、わが家で一番偉い
のは1年5カ月のめいちゃんに軍配が上がったようだ。
1999.8月末
二人の関係
孫の成長はほんとに早い。この間まではハイハイしたと喜んでいたら、10ケ月ともなるこの頃では、何か
に片手で押さえ立ちやら、テレビの音楽に合わせて拍子までとるようになってきた。また部屋中の興味を引く
ものを手当たり次第手にとって周囲をハラハラさせている。はたまた大人が気付かないほど小さなものまで
めざとく見つけては口にもって行くので目が離せない。お陰で新聞、メガネ、テレビのリモコン、コードレス
電話機、その他諸々彼女の手の届く範囲のものは、いつもの場所からその都度撤収され日常のペースが狂わされ
苦笑の毎日だ。
さて、この孫の日々の行動もさることながら、わが家には孫にひけをとらないほど賑やかな住人がもう一人
いる。外にも出られずやることもない ぴぃちゃんもまた、コタツからひ孫をひねもす目で追い続けていて、
そっちへ行ってはダメ、危ないからそれはダメとか、やれああだこうだと賑やか振りの競演だ。
ところで、ある新聞記事の受け売りで恐縮ですが、生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢の
逆数に比例するのだそうだ。(ジャネーの法則−フランスの心理学者)ということは一歳に満たないめぃち
ゃんの1日の学習能力は20才の20日、40才の40日にも匹敵するという。これでゆくと私での60日分、
ぴぃちゃんの1年分はひ孫にとっては4日にも満たないということになる。なるほどなぁー、改めて納得。
1999.1月末
背くらべ
平成11年の元旦も、それぞれ思い思いに年を越し子供達が家族を伴って集まって来た。
あんがい広いと思っていたわが家も、荷物と一緒にあっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロと親子が
寝そべっていて足の踏み場もない。考えてみると3人だった子供達も、いつの間にか親となり、
おふくろをいれるとわが家は只今13人。
ぴぃちゃんも、ここは一番の年長者、相変わらず「寒くないかい」「おなか空いてないかい」と
大張り切りようでいつもの仕切が始まった。
女房も「どれ、どれくらい大きくなったか背比べして見ようか」と5年生と2年生の男の子と
鏡の前に立ち並んだ。
「あれ!この前まではばぁちゃんが勝っていたのに佑ちゃんには負けちゃた。そのうち俊ちゃんにも
追い越されるねー」。
いつの間にか長女の大きい方の孫に追い越されたようだ。ついこの間までは、孫を抱っこして
その重さで成長振りを確認していたのにもうそれはかなわずお手上げ。
「そのうち、じぃちゃんも孫達に追い越されるわねー」というので、オトソ気分も手伝って
「背だけじゃないよ、俺などは、孫にも子供達にもとっくに追い越されているよ、パソコンの操作や
何にやらで」。これはもう本音。
1999.年の初め
ひ孫が心配
このところ、めっきり成長著しいめぃちゃん。生後9カ月ともなると、日常の行動も毎日急速に変化する。
ハイハイはもちろん、お尻をぴょこんとあげての這い回りから、何かにつかまり押さえ立ちまでできるようになってきた。
それに引き替え、トイレに立つのでさえどっこいしょの反動を2度3度繰り返し、やっと立ち上がるぴぃちゃんが、
このところのめぃちゃんの行動が心配で心配でたまらない。ちょっと歩行器から手を伸ばして何か掴みそうだとか、
ドアの方へいったとか、さして大したことでもないのに「そら危ない」といちいち口を挟む。そんなときは日頃とは全く異なる
意外な動きをする。どっこいしょっもいつもの反動もなしに、サット立ち上がりひ孫の処へ素早く移動できるのはどうしてだろう。
お陰でこれを見る限り元気に年を越し、94才の誕生を迎えられるのは間違いない。
98年 師走
電子手紙
居間のコタツの横で、次男や嫁いだ娘一家からのEメールを見て私と女房が外孫の話をしているのを聞き
つけて、おふくろが「何で○○ちゃんのこと分かるの」と不思議そうに覗き込んできた。
「○○からの電話だ」とモバイルギアの小さな画面を見せたら、怪訝そうに「何で電話が手紙になるのかなぁー」
と毎日見ているのに今頃になって、やっとそれがパソコンが電話線とつながっていることに気がついたようだ
めざとくそれを見つけたママが「あれ!ぴぃちゃん、メール見てるんだ。今度はじぃちゃんのまねして、パソコン
始めるっていうんじゃないでしょうね?」と。そんなことある筈もないが、もしそうなったらテレビに引っ張り
だこ、きんさん、ぎんさんの後がまは決まりだな・・・なんてね。
98.12.はじめ
第4次元の世界
ぴぃちゃんがぼそっとつぶやいた。「この頃じぃちゃんも、ばぁちゃんも難しいことしてっこだねェー、
いそがしそうだし」と。何のことはない、にわか仕込みのパソコンにはまりこんでいる私と、パッチワーク
で使うとか、倅からコンパスやら定規まで出して5角形の書き方を難しそうに説明を受けている女房。
この倅や女房のやりとりを、横で聞いていて「世の中変わっては何だかむづかすいこだねぇー、めぃちゃん」と
ぴぃちゃんの相手はもはや、生後8カ月のひ孫だけだと言わんばかりに。
98.11.末
もの忘れ
「庭先の四季」のページには山野草をと目論み、おふくろが丹誠込めて育てた山野草の写真を毎年撮って
渡しているので、「前にやってたエビネなどの写真借してや」といったら「私のとこにはないなー、見せて
貰ったことはあったけど」という。
私も記憶が曖昧だったし、これまでも写真の整理が悪く、いつも大騒ぎして何んとか見つけ出していたので、
今回もそうだろうとあちこち探したが1枚も見当たらない。さんざん八つ当たりされて引き出し中ひっくり
返していた女房が、ふとぴぃちゃんの部屋を覗いて叫んだ「じぃちゃん、ちょっと来て!これなーに」と。
おふくろは自分のベットの脇にあるタンスの上に、エビネやらクマガイソウ等の写真を額縁に入れ毎日それ
を眺めていたではないか。「93歳だし、やっぱりな」と思うと同時に、あの膨大な量の写真はいったい
どこに仕舞ってあるのか、来年また花の咲く時期が来た頃、突然思いだすような気がしてならない。
98.11.はじめ
桃栗3年柿8年
ママが会津から送られたという、甘柿を実家から貰ってきた。
なるほど本場のものらしく渋抜きしたものとはどこやら違う。ぴぃちゃんも初体験だったようで「うま
いねー、こんなに甘いの初めて、それでいて種も少ないしねぇー」、すかさず「ぴぃちゃんこの種蒔い
たら家でも育つんでないかしら」とママ。ぴぃちゃんも真に受けたか「大丈夫、芽だすべかなぁー」と
何やら頭を回転させているふうだった。翌日外から帰ってコタツをみると、かご盛りの柿は大分少なく
なっている。女房がいうにはうまい旨いと何個か食べていたようだが、本当のところは中の種に目的が
あったようで、早速庭のどこかに種を蒔いたようだ。
私はのどまで出かかった「果樹の苗木は丈夫な台木に接ぎ木するもので、種からでは病害にも弱いし、
実がなるまでの期間もかかるものだ」との言葉を押しとどめた。折角の楽しみを奪うこともあるまい。
ただ『桃栗3年柿8年、柚の○○○○18年』という諺もある。今年種を蒔いたということは、実が
成りだすのは8年後の102歳の秋ということか。
98・11・某日