春たけなわ、好天の日には何処かへドライブがしたくなる。思い立って飫肥の町を見に出かけた。 20年前くらいになるのだが、何度かこの町へは行ったことがあり、少しは変化しているのかなと期待した。 でもそこは以前と同じ、景観を保存するということはこれでいいのだ、変化する方がおかしいと考え直す。

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 宮崎自動車道を走り、途中霧島サービスエリアで小休止し、都城インターで自動車道を降りて一般道、飫肥街道を走って飫肥の町へ行った。以前に比べると道路が整備されていて気持ちのよいドライブが出来た。駐車場は混んではいなかったので助かった。先ずは飫肥に来たのだから飫肥天(薩摩揚げより甘い)を味あわねばと駐車場傍の店に入った。店に入ると私達と同年輩の夫婦ずれが多く、皆春には同じような思いをするのかな、と共感を覚える。
 豫章館から散策を始め、飫肥城跡を見て回った。新緑が美しく、散策は本当に楽しいものだった。城下町の建物も特別に古いものではないが、明治初頭の日本の美しさが何所そこに再現され、町全体がよく調和を取って管理されているのが嬉しい。景観は一度失われると戻ってこない。ヨーロッパの町などを見るときに、景観は大切にしなければならないとつくづく思はされる。近代化とは古いものを捨てて、新しい姿にすべてを変えていくことかもしれないが、文化とは外見だけではなく過去からの伝統を含むものであり、景観もそのひとつではないだろうか。近代化しても残してゆかなければならないものがあるのを忘れてしまったのが日本人のように思えてならない。
 カーナビに頼って走ると楽ではあるが、時には思わぬ苦労もある。帰り道、カーナビの指示に従って走っていたら、えびのから大口への道は国道447号線を通る方が距離は短くなるので、カーナビはそちらを指示した。でも、走ってみるとこれが大変な道路で、離合も難しい山道だった。距離は短いが所要時間はかえって長くなったように思えた。
 ドライブは楽しい春の一日となった。

※飫肥は戦国時代、飫肥城の覇権をめぐって伊東家と島津家の間で激しい合戦が繰り広げられ、合戦は80余年にわたって続いた。伊東義祐(いとうよしすけ)は、飫肥城主の島津忠親を打ち破り、念願であった飫肥城を奪うが、すぐに島津氏の手に戻り、その後天正15年(1587年)、豊臣秀吉の命により義祐の子・祐兵(すけたけ)が伊東家の居城として賜って以来、伊東家は明治初期まで飫肥藩を治めた。