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「国境の山から流れて来る川が二派に分かれ海に注ぐ、そこで水俣の名がある」と徳富蘇峰が記していますが、薩摩との国境から流れて来た二本の川が交わり、そして二本の流れになって八代海へ注ぐ、その有様から水俣の名前が生まれたようです。 |
秋風にみなまた落つる木の葉かな |
天正七年(1579年)八月、島津は伊勢守忠春を大将として水俣城を攻めました。その後、種々変遷はあったようですが、慶長十七年(1612年)水俣城は幕命によって取り壊され、その勇姿を消したのでした。今もその城下町だった付近に「陣内」という地名が残っていて、往時を忍ばせます。その地に見られる「深水」や「犬童」という姓は当時から続く由緒ある家系なのです。 |
水俣は近世、宿駅として栄えていましたが、明治41年(1908年)日本窒素肥料株式会社水俣工場が豊富な電力を利用してカーバイトの製造を始めてから工業都市として発展しました。 |
水俣市民憲章 |