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 「国境の山から流れて来る川が二派に分かれ海に注ぐ、そこで水俣の名がある」と徳富蘇峰が記していますが、薩摩との国境から流れて来た二本の川が交わり、そして二本の流れになって八代海へ注ぐ、その有様から水俣の名前が生まれたようです。
 市街地は積年、埋め立て等によって変貌し、今の姿になっていますが、市街中心部を少し離れた城山公園に水俣城がありました。戦国時代までに幾たびか城をめぐる攻防があったようで、次のような歌が残っています。

  秋風にみなまた落つる木の葉かな
                    寄せては沈む月の浦波

 天正七年(1579年)八月、島津は伊勢守忠春を大将として水俣城を攻めました。その後、種々変遷はあったようですが、慶長十七年(1612年)水俣城は幕命によって取り壊され、その勇姿を消したのでした。今もその城下町だった付近に「陣内」という地名が残っていて、往時を忍ばせます。その地に見られる「深水」や「犬童」という姓は当時から続く由緒ある家系なのです。

 水俣は近世、宿駅として栄えていましたが、明治41年(1908年)日本窒素肥料株式会社水俣工場が豊富な電力を利用してカーバイトの製造を始めてから工業都市として発展しました。
 第二次世界大戦後水俣市は最盛期を迎え、人口も五万人以上を擁するようになりました。しかし、産業公害の発生、化学工業の原料転換等による影響から産業構造の変化が起こり、人口流出によって三万人以下にまで過疎化が進んでいます。
 時代と共に街は変貌を遂げてはいますが、沿岸部に湯の児温泉、南部の矢筈岳山麓に湯出温泉があり、自然環境に恵まれた故郷ではないでしょうか。又、徳富蘇峰徳富蘆花兄弟の出生地としても知られています。
 公害問題で世間に知られた町なのですが、水俣市民は過去の歴史を振り返り、これからの在るべき人類社会のモデルとなる「町づくり」を目指そうと決心し、市民憲章を定め、町の再生・発展を期して活動しています。

 水俣市民憲章
     

   1.わたしたちは
       美しい自然の恵みに感謝してこれを
           そこなわず郷土水俣を大切にします
   1.わたしたちは
       きまりを守り笑顔であいさつ
           思いやりにみちたまち水俣にします
   1.わたしたちは
       子供の幸せを願い教育を重んじ
           文化の香るまち水俣をつくります
   1.わたしたちは
       体を鍛え心身ともに健康なまち
           水俣をつくります
   1.わたしたちは
       元気で働き明るい家庭
           のびゆくまち水俣をきづきます