東洋の磁器は白く、薄手で軽く、半透明な釉薬によって仕上げられていました。18世紀初頭まで、陶磁器製作技術をヨーロッパ人は知らなかったため、「磁器に毒入りの食物が入れられると粉々に壊れる」などという迷信まであったといいます。
 その後、ヨーロッパ各地でこの磁器の秘密を解明しようと努力がなされました。ようやく成功にいたったのが18世紀、学者エーレンフリート・フォン・シュリンハウスと、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーと、ザクセンのアウグスト強王によるものでした。当時ザクセンは財政難で、利益の見込める磁器工場の設立が必要であったため、王はこの事業に出資したのでした。
 ベットガーは質素な研究室であらゆる種類の粘土を配合し、様々な温度で焼成し実験を重ねました。そして1707年に出来上がったのが、赤いストーンウェア(ベットガーb器)です。その後白い素地を探す実験を続け、ようやく1708年1月15日、窯からでてきた7種のサンプルのうち3種が白く透き通っていました。更に生産するための模索を続け1709年に「良質の白い磁器」をつくるという覚書がベットガーから強王に書かれました。ようやく、1710年王によりドレスデンに磁器工房設立の布告がなされ、工房はドレスデンから少し離れたマイセンのアルブレヒト城に移されました。マイセン窯の誕生です。


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 マイセン磁器の工房が作られたアルブレヒト城は小高い丘の上にあります。磁器製作の秘密を守るため、工房は当時使われていなかったアルブレヒト城の中に作られたということでした。
 マイセン磁器の製作工程を見学することができます。日本人の見学者が多いので、日本語による解説を聞くことができます。一品一品手書きで文様は描かれ、手作りであるところに価値があると思います。工房にお土産を売っていますが、コーヒーカップ一客が数百ユーロ(うん万円)からでした。