雨が降らず心配だったこの季節、やっと訪れた今年の梅雨、雨の合間に天草を廻るドライブに出掛けた。よく出かけていた天草ドライブだったが、転勤などで縁遠くなりかれこれ20年来ともなる久方ぶりの天草へのドライブだったが、今回のドライブはカーナビの付いたクルマなので安心して運転した。でも購入したばかりのカーナビの取り扱いに不慣れで、途中とんでもない所へ案内されもした。

 
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 鹿児島街道(国道3号線)を南下し、高尾野町で389号線へ入り、黒の瀬戸大橋を渡って蔵之元港へ行き、フェリーで天草の牛深港へ渡った。このルートは以前よく走った道だが、改めて走ってみると随分改良が進み、クルマを快適に走らせることができるようになっていた。日本は借金大国になったが、こんなところまで社会資本が充実しているのを感心したり、国の懐を心配したりの複雑な心境になった。
 フェリーも随分立派になっているが定員350人に対して乗船者は20人あまり、これでは船会社の経営も楽ではないだろう。生憎の梅雨空だったが、遠く眺める牛深港の姿もすっかり変わっていた。テレビでは見ていたのだが、牛深大橋を実際に見るのは初めてだった。立派な橋だが走っている車は見られない。でもこの橋で、離島に住む人は緊急時に助かるのだろうな、と無理に自己を納得させたりだった。
 崎津の教会は改修されていて綺麗になっていた。最初の教会は1569年2月23日にアルメイダ神父によって建てられ、天草のキリスト教伝道の拠点となったのだった。その後、禁教令の実施で苦難の時代が続き、1872年新たに神父が帰ってこられ伝道が再開された歴史があります。小ぶりなゴチック風の建物が周りの景色に溶け込んでいます。


      「神様と出会うためには、自分中心の考えを捨てなくてはなりません。
      それは星を見るために明かりを消すのと同じです。」(V・D ・スーザ)



 戦国時代に生きた人々の多くが貧しく、苦しい生活を強いられたのでしょう。明日への希望が見えない人々に、心の目で見る明日を語った宣教師の言葉が皆の心を捉えたのだと思います。信仰に生きるということは世俗的な価値あるものを捨て、ひたすら主に自分を委ねて日々を送るということでしょう。そこから目には見えない神の愛が心で見えてくるのだと思います。
 崎津から大江に向かう道でカーナビが変なガイドをし、見知らぬところへ案内されました。やっとの思いで懐かしい大江教会の姿をみた時にはほっとした気持ちになっていました。今回は教会の中へ入ることもでき、信仰に生きる人達のそこでの祈りの様子を脳裏に浮かべることができました。
 明治40年夏、北原白秋、与謝野鉄幹、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の五人は、長崎の茂木から海路苓北町の富岡に上陸しました。旅の目的は大江教会のガルニエ神父に会うことでした。
 吉井勇の歌碑が教会の近くにあります。


            「ともにゆきし 友みなあらず 我一人
                     老いてまた踏む 天草の島」


 友を次々になくした寂しい心境がひしひしと伝わってきます。
 帰路は本渡を通り抜け、上島を走って天草五橋を渡り、宇土半島を廻るルートを走りました。久しぶりのドライブでかすかな疲労感と、懐かしいものに再会できた満足感に浸れた一日でした。
 今日の梅雨空のように曇っていても、その上には明るい太陽が輝いています。雲に隠されている太陽のように、目には見えない神の愛を信じ、希望をもって一日一日を大切に過ごしたいものです。