●第一節:ジャバウォックにて●

 ――カラン、カラン。
 涼やかではあるが、無個性なドアベルの音が喫茶ジャバウォックの店内に響き渡った。
「いらっしゃいませー」
 まだ肌寒さを残す早春の空気と共に、珈琲豆をローストする香ばしい香りの中へと足を踏み入れた君を、幼さの抜けきらない娘々した声が出迎えた。
「今日は早いね、――いつもの?」
 カウンターの向こう側で、時代物の珈琲ミルと格闘していたジャバウォックの看板娘のフレアが、営業用の笑顔から常連向けのそれへと表情を切り替えながら訊ねてきた。
「…うん」
 カウンター席に腰を落ち着けつつ、あいまいに答え、君は店内を見渡す。
 まだモーニングセットが間に合う時間だけに、さほど広くもない店内に客の姿はまばらであった。
「――この時間は少ないんだ」
「この時間も、と言わない辺りに気づかいを感じるね」
 応じながら、フレアは挽き終えた豆をネルに入れ、ティーポットのお湯を注ぐ。
 ジャバウォック特製ブレンドの豊潤な香があたりに立ち込める。
「そんなんじゃないさ。大抵の店はこの時間、空いているものじゃない?」
「うん、大抵の店はこの時間は空いているけど、その代わり、昼時とかお茶の時間とかは結構混んでるよ。うちの場合、コンスタントに空いているから」
 注ぎ口から湯気のこぼれる陶製のティーポットを片手に、エプロン姿のフレアが冗談めかして応える。
「…いつ来てもゆったりできるというのも、良い店の条件と言えないかな?」
「それってこじつけだよぉ」
「そうかなあ?」
「そうだよ」
「立地条件が悪いわけでなし」
「普通だと思うよ」
「本格的なコーヒーも飲めるし」
「使う分だけ毎日ローストしてるからね。珍しい豆を注文されたらその場でローストするし」
「紅茶だって悪くない」
「T.G.F.O.P.以上のものしか使ってないし」
「妙な匂いと色のお茶まであるし」
「ハーブティーだってば。…妙じゃないもん」
「店の内装も悪い趣味ではない」
「そうそう。その上、看板娘は可愛いし」
「自分で言うかぁ?」
「言わなきゃ、言ってくれそうになかったしね」
「言えるか」
 確かにジャバウォックの若い常連客の中には、看板娘のフレア目当てで通っている者もいる、というか多い。
 うまいコーヒーを飲ませてくれるから、という理由を表看板としている君自身、フレアとの肩に力の入らない会話を楽しみにしている部分は確かにあった。
「べーっ、だ」
 わざとらしくしかめつらをして、軽く舌を覗かせると、フレアは淹れ立てのジャバウォック特製ブレンドのカップを君の前に置いた。
「――と、なるとやはり原因はあれだな」
 匂い立つ珈琲のアロマ(芳香)を十分に楽しんでから、君は口を開いた。

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